2014/06/12 - 2014/06/13
42位(同エリア141件中)
ベームさん
6/12(木)、18日目。6/13(金)、19日目。
12日:ランスから一旦ナンシーに行きナンシー派美術館を見てからメスに回り、またナンシーに戻り2泊します。
鉄道は今日も間引きしていますが私の予定している列車は間引きされていませんでした。
13日:ドンレミ・ラ・ピュセルにジャンヌ・ダルクの生地を訪ねナンシーに戻りましたが大幅な鉄道の間引きに逢いナンシー見物をかなりカットしました。
ナンシー:11世紀来ロレーヌ公国の主要都市で15世紀以降は公国の首都。1737年1代限りのロレーヌ公となったスタニスラス・レシチンスキのもとで今のスタニスラス広場を中心とする華麗なロココ様式の街が造られた。
19世紀末頃から伝統のガラス作りとロココの工芸をもとにナンシー派と呼ばれる芸術家たちがアールヌーヴォーと呼ばれる新しい芸術様式を生み出した。いまも街のあちこちの建物の扉とか窓枠にその様式を見ることが出来る。
ロレーヌ公国:もともとは神聖ローマ帝国の領土。ドイツ30年戦争、スペイン継承戦争、ポーランド継承戦争などで度々フランス軍が占領する。ポーランド継承戦争後の1737年、フランスとハプスブルク家の間で、前ポーランド国王スタニスラス・レシチンスキに1代限りのロレーヌ公としてロレーヌ公国を与え、公の死亡後はフランスの領土とする、という契約が結ばれた。1766年の公の死去により公国はフランス領土となった。
しかし領土問題はまだ決着しない。1870~1871年の普仏戦争でフランスはプロイセンに敗れアルザス・ロレーヌ地方はドイツ(1871年ドイツ帝国成立)に割譲され、以降1918年まで続く。
第1次世界大戦ドイツの敗北によりフランスが取り返すが第2次世界大戦でまたもやドイツの占領するところとなり、ドイツの敗戦により最終的に(今の所)フランスに帰属した。
一番の被害者は住民で、その時その時の支配者側の言語を使うことを強制された。ドーデの「最後の授業」にその様が描かれている。
写真はナンシー派美術館、アールヌーヴォーの作品。
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ランス~ナンシー~メス~ナンシー。
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シャンパーニュ・アルデンヌ駅。
ランスからナンシーへ、途中シャンパーニュ・アルデンヌでTGVに乗り換えです。 -
ランス7:36発TER、シャンパーニュ・アルデンヌ7:56発TGV、
ナンシー8:51着。
乗り換え時間が少なくTGVのホームを探していたら女性の駅員がホームまで案内してくれ停車位置まで教えてくれる。SNCFの評価少しアップ。 -
ランスから乗ってきたTER。
この地域を走る列車で、車体にシャンパーニュ・アルデンヌと書かれています。 -
TGV。
時速目下307キロ。最高で317キロまで出ていました。しかし周りの景色が広がっておりそれほど速くは感じません。 -
ナンシー駅。
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ホテルは駅前のイビス・ナンシー・サントル・ガール。
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メスへ行く前にナンシー派美術館を見ました。
ホテルより少し離れているのでタクシーで。7ユーロ。 -
ナンシー派美術館。
19世紀末から20世紀初頭にかけてナンシーでアール・ヌーヴォー(新芸術)活動を続けたエミール・ガレらナンシー派の作品を主に収蔵している美術館。 -
ナンシー派:19世紀末から20世紀初頭にかけて欧米で展開したアール・ヌーヴォーの一流派。
草花鳥虫、特に植物文様をモチーフに使った滑らかな曲線と独特の模様が特色。ガラス工芸品、陶芸品、鉄工芸、家具など。
エミール・ガレ、ルイ・マジョレル、ウジェーヌ・ヴァランなどが主要メンバー。 -
開館10時まで付近を散策。
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私を含め4,5人が開館を待っていました。
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館内はフラッシュなしで撮影可。以下順路順に写した写真です。
それぞれに説明がついていますが数が多すぎてメモ省略。 -
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ピアノにちょんまげを結った人間が描かれています。マジョレルが描いたのでしょうか。
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アールヌーヴォーとはこんなものかと分かったような分からないような。
アール ヌーヴォーは新芸術の意味ですが、一般には19世紀末から20世紀にかけてのフランスを中心にヨーロッパで流行した芸術様式を言います。 -
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庭を覗きました。
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ガレ:ベッド黄昏と曙。
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頭の所。
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ナンシー派の代表的な作としてよく紹介されています。
アール・ヌーヴォー、うごめく動植物、不気味な昆虫、繊細で優美だがいささか悪趣味。 -
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可愛い、スズランみたいですね。
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エミール・ガレ:座っている犬。
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ガレ:扇。
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アールヌーヴォーへの理解は別としてとにかく面白い目くるめくような世界でした。
フラッシュなしで撮影可、日本の美術館では考えられないことです。 -
庭園です。
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本館。
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ルイ・マジョレル像。
室内装飾家。 -
庭園内の建物の扉。
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フランス語、英語、ドイツ語、日本語。
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アールヌーヴォーの建物を探して歩きました。
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ヴィアイユ・エートル通り。
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ルイ・マジョレルの館。
画家、室内装飾家。1859~1926年。 -
マジョレルの館。
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中には入れませんでした。
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周りを一巡り。
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マジョレルの館。
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ゴンクール通り。
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サクレ・クール聖堂。
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聖ヨハネ騎士団の塔。
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軒下にアールヌーヴォー風の回転窓
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フランス・ラノールの家。
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このドアがアールヌーヴォー風。
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メスに向かうため駅に戻ります。
フォッシュ大通り。 -
ナンシー駅前。
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スタニスラス通りの入り口に建つスタニスラス門。
メスから15:24の列車でナンシーに戻ってきました。
いま夜の7時頃です。時間から言ったら夜なんでしょう。 -
街を東西に走る目抜きスタニスラス通り。
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商工会議所。
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スタニスラス広場です。
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プラス スタニスラス。
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ヨーロッパでもっとも美しい広場と言われています。
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広場の真ん中に建つロレーヌ公スタニスラス・レシチンスキ。在位1737~1766年。
ルイ15世妃マリ・レクザンスカの父。娘婿(ルイ15世)に王位に就けてもらったのでさぞかし娘には頭が上がらなかったでしょう。 -
スタニスラスはナンシーを華麗なロココ風の街に仕上げました。
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像の後ろは市庁舎。
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ここにもプチトラン。
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広場は市庁舎、オペラ座、美術館、凱旋門に囲まれ、四隅には華麗な鉄の門があります。
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オペラ座の垂れ幕。
トーランドット、カンディード、オルフェオなど。 -
広場の四隅を固める鉄の門。
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豪華なロココの金細工が施されています。
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広場の北側に凱旋門が建っています。
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凱旋門。
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反対側。
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凱旋門の先はカリエール広場。
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突き当りはロレーヌ博物館、元ロレーヌ公宮殿。
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凱旋門を振り返る。
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サン・テプヴル教会。
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サン・テプヴル教会。
もう閉まっています。 -
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ロレーヌ博物館/元ロレーヌ公宮殿。
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ロレーヌ公宮殿。16世紀。ロレーヌ博物館。芸術と歴史。
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屋根のキラキラ光る装飾が目を引きます。
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コルドリエ教会。
代々のロレーヌ公の棺があるそうですがここも閉館後。
SNCFのストの為時間を失いどこにも入れません。 -
グランド・リュの先のクラフ門。
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クラフ門。
14~15世紀。
もう夜の7時です。どこも開いていないのでホテルに帰りました。
鉄道のストライキにより時間が制限され、ロレーヌ博物館、ナンシー美術館、アリアンス広場、大聖堂などを見ることが出来ず心残りです。 -
夕食は駅近くのレストランでアルザス名物シュークルートなるものを食べてみました。
太いソーセージと大きなベーコン、ポテトと酢づけキャベツ。それぞれの食材をごった煮して一つの皿に盛り合わせただけという感じ。
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