2014/06/13 - 2014/06/13
19位(同エリア100件中)
ベームさん
6/13(金)、19日目。
今日は今回の旅行で一番の楽しみ、ジャンヌ・ダルクの生地ドンレミ・ラ・ピュセルに行きます。DONREMY LA PUCELLE。
ラ・ピュセル、乙女、処女。この言葉を聞くのは今回2回目です。最初はラ・ピュセル・ドルレアン、オルレアンの乙女でした。今回はドンレミの乙女です。いずれもジャンヌ・ダルクのことを指します。
あの救国の乙女ジャンヌ・ダルクはどんなところに生まれ育ったのか、アクセスが難しいだけよけいに行きたい思いが募りました。
ドンレミ・ラ・ピュセル村はもとはドンレミという名前でしたが、ジャンヌの出現でオルレアンがラ・ピュセルと名乗ったのでそれに倣ったのです。
鉄道もバスもないロレーヌの片田舎です。最寄りの鉄道駅はヌフシャトー、ナンシーから50分弱の所で、ヌフシャトーに行けばタクシー位あるだろうと思います。
ところが憎っくきSNCFのストのおかげでヌフシャトーへの往来が大変でした。
予定では13日朝8:51の列車でヌフシャトーに行き、タクシーでドンレミ・ラ・ピュセル往復、ヌフシャトーから昼頃の便でナンシーに帰るというものでした。ストが気になるので12日夕方ナンシー駅で訊くと係員により答えが違う。12時台の列車が1便あるとか、朝6時台にバス便があるとか、挙句の果て明日朝駅に来たら分かるとか、いい加減なこと甚だしい。明朝駅に来ることにしてホテルに帰る。
13日朝6時過ぎに駅に行き訊くと6時32分にバスが出るとのこと。時計を見ると6時30分。駅の横の大きなバスターミナルにすっ飛んでいくもバスの姿なし。ドンレミ・ラ・ピュセルに行けるか否かの瀬戸際です。もう一度駅にすっ飛んで訊くとH番乗り場から出るという。再びターミナルにすっ飛ぶといつのまにか一番遠い端にバスが1台停まっている。ヌフシャトー行だ。運転手に帰りの便を聞くと15時10分だという。しかもあちこち鉄道駅を回り客を拾うのでナンシーまで2時間かかるという。
ナンシーを6時半に出てナンシー帰着17時台。
ううーん、ドンレミ・ラ・ピュセルにほぼ1日!!。結局行きました。
これに乗らないとドンレミ・ラ・ピュセルに行けない。ドンレミ・ラ・ピュセルに行かなければ今回の旅行の意味が半減する。
お蔭でナンシー滞在時間が減り、ナンシー美術館とかロレーヌ博物館ほか諦めました。でも悔いはありません。もう2度来ることは無いでしょうドンレミ・ラ・ピュセルを訪問できたのですから。
写真はアングル描くところの「シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク」。ジャンヌ・ダルク博物館。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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地図中央、ナンシーの南西。
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右往左往した挙句遅れて出発した6:32のバスでヌフシャトーへ。
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バスの車窓。
ロレーヌ地方の田園です。 -
バスはヌフシャトー駅前に着きました。
時刻は7時40分、ドンレミ・ラ・ピュセルに行くには早すぎます。 -
乗ってきたバス。
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駅のホームに入ってみました。
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タクシー会社を探しながらヌフシャトーの街を少し歩きました。
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ヌフシャトー郡。彼らの名誉ある死に。1939~1945年。
第2次世界大戦のこの地の戦死者の慰霊碑。 -
この町はナンシーからドンレミ・ラ・ピュセルに行く途中、ただ乗り換えるためだけのつもりでしたので全く予備知識がありません。
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メスからナンシー、ディジョン、リヨンに至る鉄道路線上にあるロレーヌ地方有数の古い町だそうです。人口7千人。
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プレジダン・ケネディ大通り(ケネディ大統領)。
フランスではケネディは人気ありますね。もう何か所もケネディと名の付く通りや広場を見ました。 -
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街中に入っていきます。タクシー会社が一つあり後でそこから乗ろうと思います。
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この時間ほとん人通りがありません。
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ゆるやかな坂を上っていくと教会がありました。
サン・クリストフ教会。 -
広場に出ました。
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市庁舎。
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ジャンヌ・ダルクの像がありました!。
思いがけない収獲です。 -
ジャンヌの生地の近くの街ですからあって当然でしょう。
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レリーフはジャンヌが天使から神のお告げを聞いている場面と思います。
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見張り塔?、水道塔?。
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もう一つサン・ニコラ教会。
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こちらは第1次世界大戦の慰霊碑。
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郡庁。
この町はロレーヌ地域圏のヴォージュ県のヌフシャトー郡です。 -
一寸品の無い写真ですが。
いまどき珍しいトイレです。フランスでもこんなトイレがあるんだ。郡庁の横にありました。 -
メインストリート。
ぼちぼちドンレミ・ラ・ピュセルに向かいましょう。 -
途中で見つけたタクシー会社。
事務所らしき部屋で老人が床掃除をしていたので、ドンレミにタクシーを出せるか訊くとウイとの返事。
しばらく待つと若い男が出てきて奥のガレージに見える車を引っ張り出してきました。 -
タクシーの車窓。
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のどかな風景が広がります。
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左の方、小高い所に見えるのはジャンヌに献堂されたボワ・シュヌ教会です。
帰りに寄ります。 -
1台の車も通りません。
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集落が見えてきました。
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ムーズ川に架かる橋。
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着きました。ジャンヌ・ダルクが生まれた村ドンレミ・ラ・ピュセルです。タクシー代23ユーロ。
「ジャンヌの小道、一周15キロ、4時間」。 -
辺りの風景です。
明るいのどかな村です。 -
ムーズ川。
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ここであの救国の乙女ジャンヌが育ったのです。
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これはジャンヌではありません。
1940年6月18日、ドンレミ・ラ・ピュセル防衛のため倒れた13人の若い兵士のために。 -
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村の入り口の小さな広場。
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そこにジャンヌの像が建っていました。
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生地にある像としては質素なものです。
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ジャンヌ・ダルク生家の標識がありますが開館前なので後で。
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広場の先に小さな古い教会があります。
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サン・レミ教会。
ジャンヌが洗礼を受けた教会です。 -
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歴史的記念建造物
サン・レミ教会。13世紀。 -
教会の中。
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田舎の教会らしい質素な教会です。
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ジャンヌの像は見当たりませんでした。
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ジャンヌのステンドグラスが並んでいます。
馬上のジャンヌ。 -
シャルル王大子謁見の場。
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ランス大聖堂で戴冠するシャルル7世。
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シャルル7世の戴冠。
後ろで見守るジャンヌ・ダルク。 -
審問を受けるジャンヌ。
足首には鎖が付けられています。 -
火刑台のジャンヌ。
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キリスト哀悼。
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教会の横のホテルの名はジャンヌ・ダルク。
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ジャンヌ・ダルクの生家です。
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ジャンヌの生家は富んでいたようでもっと大きかったそうですが今は一棟あるのみです。
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生家の裏手の方に回ります。
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生家裏側。
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裏手の先は何もありません。
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生家と博物館の入り口。
開館時間が来ました。訪問者は目下私一人。後で数人が来ました。 -
生家から回ります。
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扉の上の彫像。
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ありました。まず目に入ったのは部屋の隅に建つジャンヌ像。
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ジャンヌの像としては最もよく見る姿です。
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家具調度一切なく四つの部屋はガランとしています。
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ここでジャンヌ・ダルクの生涯のおさらい。
1412年頃:ドンレミの比較的富裕な農家の5人兄妹の一人として生まれる。
1424年:12歳。神の声を聞く。「イングランド軍をフランスから駆逐し、王太子シャルルをランスに導きフランス王として戴冠させよ」。時は100年戦争の最中でした。
1429年2月:シノン城に行きシャルルに謁見。
同5月:ブロワ城より出陣。オルレアン解放。 -
1429年6月:ランスに向け進軍開始。
同7月:ランス解放。17日、シャルル7世戴冠。
同8月:パリ解放に向け進軍。
同9月:パリの第2門攻撃中ジャンヌは負傷し攻撃失敗。ジャンヌの運も陰りを見せ始める。 -
その後イングランド、ブルゴーニュ軍と和平を画策するシャルルとあくまで主戦を唱えるジャンヌとの間はぎくしゃくしてくる。
1430年5月:コンピエーヌ救援のため進軍するが23日ブルゴーニュ軍に捕らえられる。シャルルはジャンヌ救出に動かなかった。当時捕虜は身代金を払えば取り返せたのだが。
ジャンヌはブルゴーニュ軍からイングランド軍に引き渡される。 -
1431年1月:ルーアンで異端審問裁判始まる。
同5月31日、魔女としてルーアンで処刑される。19歳、花も蕾の歳でした。 -
1456年:7月、ローマ教皇はジャンヌを復権裁判により無罪とし殉教者とした。
1909年:パリ、ノートルダム大聖堂にてジャンヌ列福。
1920年:同列聖。
今ではパリ、サクレクール寺院の前に聖王ルイと並んで騎馬像が立つほどの評価です。
死んだあといかに持ち上げても何もなりません。 -
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生家の庭は綺麗に草花が植えられていました。
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庭師が一人黙々と手入れをしていました。
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生家に隣接する博物館です。
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博物館前。
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いたいけなジャンヌ・ダルク。
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アングル「シャルル7世戴冠式のジャンヌ・ダルク」。
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館内。
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ジャンヌ・ダルクの映画の場面が使われています。
イングリッド・バーグマンやジーン・セバーグの写真があります。私がバーグマンの「ジャンヌ・ダルク」を見たのは小学校4年か5年の時でした。 -
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シノンでのシャルルとジャンヌ謁見の場。
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ジャンヌにまつわる物は余りないのか、見るほどの資料はありませんでした。
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街を貫く一本の道。
メインストリートと言えばそうですが商店も何もありません。時々自動車が村を素通りし通り抜けていくだけです。 -
町なのか村なのか分かりませんがMAIRIEとなっているから役場です。人口500人もいないというから村役場でしょう。
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街道沿いの家。
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少し歩いただけでドンレミ・ラ・ピュセルここで終わり。
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唯一のレストラン「ジャンヌの故郷」。
ホテルもレストランもジャンヌの名を冠しています。 -
ジャンヌを偲びながら食事したかったが、食事は12時からというのでビールを1杯。
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唯一の雑貨兼土産物店。
お土産に小さなジャンヌ像を買いました。 -
もう一度辺りを眺めました。
こんなのどかな田舎の娘ジャンヌに何故に神は過酷な運命を負わせたのか。神の威光を示すためには一小娘の命を犠牲にするのは何でもなかったのか。
歴史は皮肉です。イングランド軍を駆逐するというジャンヌ・ダルクの主戦論は果たせず、逆に、休戦を画策したシャルルがジャンヌの死後ブルゴーニュ公と手を結びイングランド軍を大陸から追い出したのでした。 -
これ以上時間が持たない。土産店でタクシーを呼んでもらいました。やってきた運ちゃんは朝の運ちゃんとおなじ人でした。
少し回り道してタクシーに待っていてもらいボワ・シュヌ教会に寄ります。 -
ボワ・シュヌ教会。
19世紀、ジャンヌ・ダルクに献堂されました。 -
小高いところにポツンと建つ周りにそぐわない大きな教会です。
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金色の甲冑を着たジャンヌ。
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ジャンヌは神のお告げを信じていただけです。こんな立派な教会を建ててもらうなんてことを願っていたのではないでしょう。
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堂内には私一人です。
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ジャンヌ像。
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これもジャンヌでしょう。
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「メルシー、ジャンヌ」。ジャンヌよ、有難う。
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ヌフシャトーに戻ってきましたがナンシー行のバスまで2時間以上あります。昼を摂ってもまだ2時間。髪が伸びてきたので床屋を覗くと1時間半待ちだという。これではバスに間に合わないので止めました。うろうろ歩き、駅のベンチで寝ころび時間を潰しました。
15:10のバスでストライキ中の鉄道駅にあちらこちら寄り、ナンシー着17:05。朝6:32に出てなんと10時間30分。
時間は無駄にしましたがジャンヌの故郷に行けて良かったです。
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