2014/07/22 - 2014/07/25
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sansakoさん
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この時の旅行は3ヶ月ぶりの日本でした。
3週間の予定で日本滞在のうち、3泊4日で山口へでかけてきました。4月初頭に5ヶ月間に渡る入院生活から戻った母と宇部市に1泊、長門温泉に2泊し萩を巡る快気お祝いの2泊3日旅行です。
とは言え、脚も体力も目に見えて衰えた母です。本人が乗り気なので誘ったはいいけど、いざ出発が迫って来ると普段一緒に暮らしていない私は、病み上がりにいきなり遠出過ぎたかと内心いろいろと心配になってきました。ところが本人は、来年はどうなるかも知れないから今のうちに旅行に行っておこうと、いたってケロッとしたものです。一応主治医の許可も出たので、とにかく「取り扱い注意」の赤いシールをペタコンと貼って、負担をかけないこと最優先でプランを立てました。
ということで、母、レイコさん中心で綴って行きま~す!
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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父亡き後も大手術後もこれまで独居生活を貫いてきた母ですが、今回の退院後は兄夫婦の家で暮らし始めています。一人ではやっぱりダメだった食事管理も、今は徹底した管理と投薬コントロールのお陰で検査の結果が毎回良くなってきています。生活習慣病がそろそろ気になるお年頃の私としては、人体はかくも生活習慣改善次第で検査数値が変わるのかと、とても良いサンプルを見せてもらっているようであります。
ところが、出発前に母の荷物をそっと覗くと果物ナイフが入っていて、思わずクスっと笑らっちゃいました。兄の家での食事制限から解放されて、この機会に旬の桃を買って食べようと言う魂胆丸見えです。
さて出発前日は、新宿から特急あずさで甲府へ。毎度利用している駅前のレンタカーを借りて母の新居、山の中へ移動。これが本当に山の中なんだな。久しぶりに訪れる夫は、改めて山村の古民家へ移住した兄夫婦の生活に感心しきり。
これがまた、兄達は東京から山梨の過疎村に移住し、いわゆる田舎暮らしどころか今や山の人。東京渋谷生まれの母の山村生活がスタートしたわけです。町に住んでいた頃のようなソシアルライフはありませんが、毎日声を交わす家族と暮らすのが一番。
そして3ヶ月ぶりに会う母は、髪にパーマもあてて薄化粧もしてにっこり出迎えてくれました。心肺停止で搬送されICUに1週間、一般病棟からリハビリ病院へ移って、お洒落なんてもうどうでもいいのと言っていたけれど、綺麗にして待っていてくれてこんな嬉しいことはありません。希望を持って生きようとする気持ちが出てきた!
翌日、地域の福祉センターで車椅子をレンタルしてから中央高速を3時間弱、羽田空港までひた走ります。
首都高に入り、久しぶりにピカピカのタンクローリーの真後ろを走ったのでパチり。タンクの後ろに写る自分の車に(レンタカーですけど)つい見とれてしまって危ないから、早く過ぎさるべし。 -
空港に早めに到着。母、レイコさんに取っては30年ぶり位の国内線。
空港には身障者の状態にあわせて、機内の狭い通路にも入って行ける車椅子も用意されています。母の場合はヨタヨタと座席をつかまりながら歩けるので、座席をできるだけ前方に指定し、搭乗ゲートまでは空港内専用車椅子を借りました。 -
展望台デッキで飛行機の離着陸を眺めた後は、空港ラウンジで一休み。
レイコさんの荷物がコンパクトだったのでうっかり機内手荷物にしたら、セキュリティゲートで例の桃用の果物ナイフが引っかかってしまいました。私の国際線の今迄の経験では大抵その場で没収の憂き目にあうのですが、羽田空港は誠に親切でありました。係の人の方から時間があるならと、チェックインカウンターまで一緒に戻ってくれて、小さな箱に入れて追加の預かり荷物としてくれた上に、到着空港では同じような箱が出て来るので間違えない様にとまで言葉を添えてくれました。入国審査の無い国内線だからとは思うけど、ここが日本の素晴らしいところだと感激しちゃいましたよ。 -
さて、一時間半程の飛行で山口宇部到着。こじんまりとした空港で、表に出ると植えられたフェニックスが夕焼け空に映えて南国ムードがあります。レンタカーのある建物もすぐとなりで、全てがスムーズ。人が少ないので、レイコさんもヨタヨタと歩き回っています。
我ら夫婦だけならそのまま萩まで移動しますが、この日は空港から10分程の宇部市のホテルにチェックイン。先ずは食事処探しと頼まれた桃を求めて周辺を歩き回ったけれど、工業都市らしくホテルの付近は飲み屋さんばかり。結局ホテル内で食事。桃も見つけられませんでした。ごめんね。
この晩は母の体調ばかりを気にして、夜中に何度も起きて苦しそうにしていないか隣のベッドで眠る母の様子を伺っていたから、まァー疲れちゃった。 -
桃は食べれなかったけど、翌朝パン食の好きなレイコさんはホテルの朝食をすっかり堪能しました。母に夜中に息をしているか心配した話をしたら、笑われてご苦労様と労われてしまいました。
夫は義姉から母のお薬管理のレクチャーを受け、万が一のブドウ糖まで持たされたので、忘れないように間違えないように、お薬専用ポーチを終日首から3食分をぶら下げています。夫の協力あっての旅行です。
さて、秋芳洞へ向けて車を走らせます。
秋芳道路は石灰岩の白い岩肌が草原に露出するカルスト台地を走るシーニックドライブ道路で、カルスト展望台や草原の散策もできるそうです。 -
秋芳洞は公開されている1KM程のうち300mを車椅子でも入れるというので、プランに入れておきました。秋芳洞観光センターのチケット売り場で車椅子を借りて数百メートル行くとこの入り口が現れます。
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この日は暑くて、暑くて。
車椅子も押しているので尚更ですが、まー洞窟の中は涼しい事! -
レイコさんには風邪を引いてもらいたくないので、パーカーを来てもらいました。
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そしてこちらは萩駅。
翌日ゆっくり出かける萩をさっくりと偵察を兼ねて車で走り抜けてから長門温泉のお宿へ向かいます。
県立美術館や歴史探訪を堪能できる萩でわくわくします。 -
こちらはお宿の大谷荘のラウンジから。モダンでいいですね。
(追記しますと、この2年後の12月に安倍首相とプーチン大統領がここで会談することになります) -
チェックインしてお部屋に案内されるまでの間、リラックスしてお茶菓子を頂いてます(写っていませんが)。
膝には下の孫娘からのお誕生日プレゼントのスカーフが。 -
母が疲れた時にはいつでも休めるように、お部屋は和洋室にしました。お布団だと片付けられちゃうからね。
洋室は障子の向こう側にツインベッドがあります。プライバシーもあるので2世帯家族や仲間同士にも良さそうな間取りです。 -
とほほ。
何かと忙しく心の余裕がなくて文章を綴れないうちに1年が経ってしもうた。
とりあえず後は写真だけでアップロードしておこう。
さて、それからまたさらに1年の月日が。。。
ここから2年ぶりに旅行記再開します。記憶よ、甦れ?。
こちらは青海島へ行く途中の仙崎湾の港からの一景。ここから遊覧汽船が出て青海島の奇岩や洞窟などの見所を一回りすることができます。今回はプラン外ですけど面白うそうです。
ここで母が私たち夫婦を一眼レフのカメラで撮ってくれましたが、重いカメラを落とすんじゃないかと内心心配でありました。 -
城下町エリア。
江戸時代の地図がそのまま使える地区だそうです。
お侍さん出てきそうですねー。 -
木戸孝充旧宅。桂小五郎の名でも知られています。
生まれてから江戸に出るまでの20年ほどをこの家ですごしたそうです。
観覧料100円也。
ボランティアの方なのでしょうか、年配のとーっても感じの良い女性がお一人。いろいろ教えてくれましたが、忘れちゃいましたなァ。萩藩医の息子でこの家で生まれた誕生の部屋などがあります。旅行記は鉄と同じく熱いうちに記録しないといけませんね。 -
この家のお庭は興味深いものでありました。
白、黒、緑だけで織りなす色を抑えたお庭が気に入っています。
高校修学旅行で訪れた長崎の大ソテツが未だに印象に残っているせいでしょうか。南国情緒があるソテツ。それとこの松。 -
見事にぷくぅと太った松の木の幹と地面との接点が印象的。
盆栽からの植栽でこうなるんですねぇ。 -
清々しい。
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次は菊屋家住宅へ。国指定重要文化財でありんす。
萩藩の御用を務めた豪商で、全国でも最古に属する大型の町家として重要だそうです。
母屋の建築は17世紀中期で、本蔵、金蔵他18世紀、19世紀。
長屋門。ここから入場します。 -
中門。藩士などがこの門を通ったそうです。
屋根の上の柵は何?鼠小僧も手こずる忍び返し? -
お座敷。
こちらでも説明してくださる方がいて、お庭は江戸中期の造りとか言っていたかなぁ。縁側の端には藩主が手を洗うための手水石があったり。
日本家屋はこう言う空間がたまらなくいいですね。 -
帳場。忙しかったんでしょうねぇ。
ここには刀や短銃、数々の食器、陶器、当時の文具、かんざし、鏡、燭台、書院を飾る装飾品、工芸品などここで使用されていたあらゆる物が展示されています。これは何に使うんだと疑問を持ったら最後、ゆっくりじっくり眺めて説明を読んでいくと3時間くらいは経ってしまうんではないかしら。 -
目を瞑れば当時の人達が忙しく動いている様が浮かぶようです。
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井戸です。
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釜場と呼ばれる場所ですが、何をするところぞ?
キッチンなんでしょうね、きっと。
豪商のお宅ですからね。それにしてもオープンな。。。 -
菊屋横町に入って
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幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地前。
こちらは階段があり、車椅子だったので素通りです。 -
夏みかんが黒塀の上から顔を出して
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駐車場へ戻り松本川を渡って松本エリアへ移動します。
こう言う旅ができるのも母にとても優しくしてくれる夫のお陰です。 -
松陰神社境内にある「松陰食堂」で昼食となりました。
たくさんの絵画が所狭しと壁を飾り、この大きなエアコンがグオングオンと音を立てて一生懸命働いて、味わいのある食堂です。
このお向かいにはエアコンの効いた吉田松陰歴史館があって、ろう人形による展示で歴史をおさらいをしつつ暑さをしばらく凌ぐにのには持ってこいでした。 -
熱血吉田松陰幽囚ノ旧宅
幕末期に青年松陰は「こねえな大変な時代だ。ぼくは様々な場所を訪れ見聞を広めたい。この国のために何ができるのか、考えにゃあいけんのじゃ!」で脱藩しいろんなことして米国密航未遂でここへ戻され謹慎生活を送るのでした。 -
そして吉田松陰が主宰した私塾「松下村塾」
国の行く末に危機感を抱く松陰自身の強い実学の元、当時の世界情勢や国の実情について考え討論しに若者たちが集まってきます。
幕末ファンにはたまらない場所ですね。私もちと書物を読み直してみようかしら。 -
講義室だった8畳の部屋
松陰先生の石膏像と肖像画、机が置いてあります。 -
お次は東光寺
萩藩主毛利家の奇数代藩主が祀られている、大照院とならぶ毛利家の菩提寺、と案内にありました。墓前には藩士が寄進した500余基の石灯籠が立ち並んで、毎年8月15日には灯がともされるそうです。木陰が気持ちよく静かでちょっと立ち寄るには悪くない場所でした。 -
次に向かうのは、藍場川沿いにある藩政時代の武家屋敷、旧湯川家屋敷。
この小さな石橋を渡ると玄関、座敷と茶室などがあります。 -
ここの面白いところは、池から出た水を家の中に作られたハトバや風呂場で家庭用水として使い、その後、再び川に戻しています。こんな感じで。
外から見ると上の写真の左下のすだれがちょうどこの棚のところになると言うことであります。
こちらにも説明してくださる方がいて、翌年のNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」のロケハン隊がここを訪れたと語ってくれました。是非視聴したかったけどシドニーでは叶いませんでした。叶える方法もありますがそれに加入しとらんです。 -
川の水を屋敷内に引き入れた流水式の池泉庭園もありますが、写真がなぁい。
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こんなのが可愛いです。
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町の中の藍場川には鯉がスイスイっと。
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こんなのにも癒される
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ここにも夏みかん
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見所たくさんの萩ですが、母の体調を慮って早めに帰宿。
お部屋からの眺め。
夕食までゆっくりお風呂に浸かって川のせせらぐ音を聞きながら夕涼み。 -
それにしてもこの夏、熱中症で毎日日本の何処かで何人も倒れているニュースのさなか、本人も楽しんでくれて、夫の応援もあってスムーズに無事に帰って来れて良かったわァ。やれやれ。
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