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真田邸 ・ 文武学校  松代町 長野市 長野県<br /><br />真田邸について<br /> 真田邸(新御殿跡)は、元治元年(1864)に、松代藩9代藩主の真田幸教(ゆきのり)によって建てられました。当初は幸教の義母・貞松院(ていしょういん)の住居でしたが、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は真田家の私邸として使われていました。<br /> 敷地内には御殿(主屋)と表門、7棟の土蔵などの付属建物に加え、庭園が一体のものとして残されており、全国でも数少ない御殿建築の遺構です。このため、昭和56年(1981)には、松代城とあわせて国史跡に指定されています(国史跡 松代城跡附新御殿跡)。<br /> 御殿には35の主要な部屋があり、外部の人間が出入りする「表」の部分と、生活のための私的な「奥」の部分とに分かれます。それぞれの部屋は、用途によってつくりや大きさ、唐紙(壁紙)や装飾などに違いがあります。<br /><br />松代藩文武学校:<br />旧文武学校は松代藩の藩校として九代藩主幸教の代の嘉永6年(1853)に完成しました。校内には正庁・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所・文庫蔵・番所・門などが設けられた本格的なもので当時では最先端であった西洋医学や西洋砲術なども教えていたそうです。<br />現在の旧文武学校の建物群は開校当時の姿のまま保存されており全国的に見てみも貴重な存在として昭和28年に国指定史跡に指定されています。

真田邸 ・ 文武学校  松代町 長野市 長野県

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2014/06/27 - 2014/06/27

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sintabi

sintabiさん

真田邸 ・ 文武学校  松代町 長野市 長野県

真田邸について
 真田邸(新御殿跡)は、元治元年(1864)に、松代藩9代藩主の真田幸教(ゆきのり)によって建てられました。当初は幸教の義母・貞松院(ていしょういん)の住居でしたが、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は真田家の私邸として使われていました。
 敷地内には御殿(主屋)と表門、7棟の土蔵などの付属建物に加え、庭園が一体のものとして残されており、全国でも数少ない御殿建築の遺構です。このため、昭和56年(1981)には、松代城とあわせて国史跡に指定されています(国史跡 松代城跡附新御殿跡)。
 御殿には35の主要な部屋があり、外部の人間が出入りする「表」の部分と、生活のための私的な「奥」の部分とに分かれます。それぞれの部屋は、用途によってつくりや大きさ、唐紙(壁紙)や装飾などに違いがあります。

松代藩文武学校:
旧文武学校は松代藩の藩校として九代藩主幸教の代の嘉永6年(1853)に完成しました。校内には正庁・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所・文庫蔵・番所・門などが設けられた本格的なもので当時では最先端であった西洋医学や西洋砲術なども教えていたそうです。
現在の旧文武学校の建物群は開校当時の姿のまま保存されており全国的に見てみも貴重な存在として昭和28年に国指定史跡に指定されています。

交通手段
新幹線 JRローカル
  • 【真田邸(新御殿)】: <br /><br />江戸時代末期(元治元年=1864年)に、松代藩9代藩主 真田幸教が当初 義母お貞の方(貞松院)の住居として建築し、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は、真田家の私宅となりました。昭和41年(1966年)には真田家伝来の宝物とともに、長野市に譲渡され、今に至ります。  敷地内には主屋(御殿)と表門、7棟の土蔵などの附属施設に加え、庭園が一体のものとして残されており、全国でも少ない御殿建築の遺構です。 松代城跡の建築物として唯一、当時のままに残った貴重な建物で、間取りなどに武家屋敷の面影を色濃く伝えています。小堀遠州の流れをくむと伝えられる池山回遊式の日本庭園が四季折々の彩りと風情を楽しませてくれます。<br /><br />松代藩文武学校<br />旧文武学校は松代藩の藩校として九代藩主幸教の代の嘉永6年(1853)に完成しました。校内には正庁・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所・文庫蔵・番所・門などが設けられた本格的なもので当時では最先端であった西洋医学や西洋砲術なども教えていたそうです。<br />現在の旧文武学校の建物群は開校当時の姿のまま保存されており全国的に見てみも貴重な存在として昭和28年に国指定史跡に指定されています。<br />

    【真田邸(新御殿)】:

    江戸時代末期(元治元年=1864年)に、松代藩9代藩主 真田幸教が当初 義母お貞の方(貞松院)の住居として建築し、やがて隠居した幸教の住居となり、明治以降は、真田家の私宅となりました。昭和41年(1966年)には真田家伝来の宝物とともに、長野市に譲渡され、今に至ります。  敷地内には主屋(御殿)と表門、7棟の土蔵などの附属施設に加え、庭園が一体のものとして残されており、全国でも少ない御殿建築の遺構です。 松代城跡の建築物として唯一、当時のままに残った貴重な建物で、間取りなどに武家屋敷の面影を色濃く伝えています。小堀遠州の流れをくむと伝えられる池山回遊式の日本庭園が四季折々の彩りと風情を楽しませてくれます。

    松代藩文武学校
    旧文武学校は松代藩の藩校として九代藩主幸教の代の嘉永6年(1853)に完成しました。校内には正庁・東序・西序・剣術所・柔術所・弓術所・文庫蔵・番所・門などが設けられた本格的なもので当時では最先端であった西洋医学や西洋砲術なども教えていたそうです。
    現在の旧文武学校の建物群は開校当時の姿のまま保存されており全国的に見てみも貴重な存在として昭和28年に国指定史跡に指定されています。

  • お化粧の間<br />藩主の家族の女性のための私的な部屋

    お化粧の間
    藩主の家族の女性のための私的な部屋

  • 御居間<br />主人の私的な部屋

    御居間
    主人の私的な部屋

  • 唐紙(壁紙)

    唐紙(壁紙)

  • 釘隠し

    釘隠し

  • 庭園<br /><br />代藩主真田幸教に好まれた庭園は、「水心秋月亭」と名づけられました。心字池を中心に三尊石・滝口を南東に配した庭園は、ノロシ山をはじめとする周囲の山々を借景として取り込んでいます。池の水は城下町南部武家屋敷地の複数の「泉水(せんすい)」(庭池)を経て真田邸に流れ込んでいます。

    庭園

    代藩主真田幸教に好まれた庭園は、「水心秋月亭」と名づけられました。心字池を中心に三尊石・滝口を南東に配した庭園は、ノロシ山をはじめとする周囲の山々を借景として取り込んでいます。池の水は城下町南部武家屋敷地の複数の「泉水(せんすい)」(庭池)を経て真田邸に流れ込んでいます。

  • 庭園

    庭園

  • 土蔵<br />一番土蔵(右奥)<br />二番土蔵(左奥)<br />三番土蔵(左手前)

    土蔵
    一番土蔵(右奥)
    二番土蔵(左奥)
    三番土蔵(左手前)

  • 真田邸を出て<br />次に【文武学校】に向かいます。

    真田邸を出て
    次に【文武学校】に向かいます。

  • 東序<br />軍学を主として教えられた校舎です。文武学校では<br />武芸の術が比較的重視されていた。<br />文久3年11月(1863)、砲術訓練は主として槍術所で<br />行ったが、理論学習はここで受けた。<br /><br />序というのは校舎のことを云うのだそうです。

    東序
    軍学を主として教えられた校舎です。文武学校では
    武芸の術が比較的重視されていた。
    文久3年11月(1863)、砲術訓練は主として槍術所で
    行ったが、理論学習はここで受けた。

    序というのは校舎のことを云うのだそうです。

  • 西序

    西序

  • 弓術所

    弓術所

  • 弓術所

    弓術所

  • 弓術所

    弓術所

  • 弓術所

    弓術所

  • 松代駅まで戻りました

    松代駅まで戻りました

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