2014/06/03 - 2014/06/03
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ベームさん
6/3(火)、9日目。第2部。
ノートルダム大聖堂から市庁舎辺りを歩いた後一気にパリの西郊ラ・デファンスまで行き新凱旋門、市内に戻り凱旋門、セーヌ川クルーズ、エッフェル塔、アンヴァリッドと精力的に回り今日は終わりです。
夜の便で友人は日本に帰ります。
写真はラ・デファンスの新凱旋門/グランド・アルシュ、発音はグランダルシュ/大きなアーチ。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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アルコール橋を渡って右岸に渡りました。
向うの橋はノートルダム橋。 -
パリ市庁舎です。
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パリ市庁舎。
パリ・コミューンで焼失、再建。
私のみた中ではミュンヘン、ハンブルク、ハノーファーのそれに匹敵する大きさです。 -
前の広場は昔は処刑場でした。
元大統領シラク氏はパリ市長を経て大統領になりました。 -
ルーヴル美術館方形宮。
ルーヴルの東の端。 -
方形宮と向かい合って1区区役所とサン・ジェルマン・ロクセロワ教会が建っています。
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区役所の鐘楼。
隣の教会と間違える人が多いのか、「区役所の塔」と記されたプレートが張り付けられています。 -
右がサン・ジェルマン・ロクセロワ教会。
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1572年のカトリックによるユグノー/プロテスタントの大虐殺、サン・バルテルミーの虐殺はこの教会の鐘を合図に始まったと言われています。
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ステンドグラスが美しい教会です。16世紀のものだそうです。
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ピエタ。
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なかなか迫力のあるピエタです。
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地下鉄シャトレ駅から1号線でラ・デファンスまで。
ゾーンが異なるのでモビリスゾーン1~3を買いました。 -
ラ・デファンスはシャトレから14駅、凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール・エトワールからでも6駅あります。
地下鉄ですから見えませんが、シャルル・ド・ゴール・エトワールを出るとヌイイあたりでスーラの絵で有名なグランド・ジャット島のすぐ南でセーヌ川を潜ります。 -
スーラ:グランド・ジャット島の日曜日の午後。1886年。
セーヌ川の中州です。 -
ラ・デファンス駅。
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駅構内。
新しく計画的につくられた街の駅らしく機能的です。 -
エスカレーターの途中から新凱旋門といわれるグランド・アルシュが見えてきました。
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グランド・アルシュ。
大きなアーチあるいは大きな箱舟といった意味です。 -
フランス革命200年を記念して当時のミッテラン大統領が提唱したパリ再開発計画の一つとして1989年完成、サミット会場としてデビューしました。
ミッテラン大統領は新オペラ座/オペラ・バスチーユを作ったり、その方面で名を残しそうですね。 -
高さ、幅、奥行き105mの巨大なアーチでノートルダム大聖堂や凱旋門がすっぽり入ります。
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ガラスと白大理石の壁面。
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官庁、オフィスが入っています。
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天井部分。
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ラ・デファンスとは「国防、防衛」といった意味です。昔はここはパリの外で、普仏戦争のときここら辺りがパリの防衛線だったのかもしれません。
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パリの副都心として1950年代から開発は始まりました。
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近代的なビルが立ち並ぶ一大コミュニケーションセンターです。
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凱旋門から新凱旋門が見えるように、新凱旋門からも凱旋門が見えます。
目がよければまたはカメラが上等ならばさらに直線状にコンコルド広場のオベリスク、カルーゼル凱旋門まで見えるのではないかと思います。カルーゼルは無理かな。 -
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駅構内の日本食堂でかつ丼を食べました。
屋号はSUSHI MASA。 -
次は本家凱旋門です。
シャルル・ド・ゴール・エトワール駅まで戻り下車。凱旋門の周りは車のロータリーになっていて歩いては近づけません。地下道から入ります。 -
1806年ナポレオンの命で建設が始まったが完成したのはナポレオンの死後1836年、国王ルイ・フィリップのときでした。
1840年、ナポレオンは無言の凱旋を果たし凱旋門の下をくぐりました。 -
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凱旋門から四方八方に大きな通りが放射状に延びています。
シャンゼリゼ大通り。 -
シャンゼリゼ大通り。
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マルソー大通り。
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モンパルナスタワーとドーム教会のドームとマルソー大通り。
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イェナ大通り。
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オスマン大通り。
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左オッシュ大通り、右オスマン大通り。
遥にモンマルトルの丘。 -
モンマルトルの丘とサクレ・クール寺院。
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グラン・ダルメ大通りとラ・デファンスの高層ビル。
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中央のアーチはさっき見てきた新凱旋門/グランド・アルシュ。
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フォッシュ大通り。
突き当りはブーローニュの森。 -
塔の途中から真下を見下ろす。
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「1870年9月4日、共和国宣言」。
この日普仏戦争でナポレオン3世がプロシヤ軍の捕虜となり第2帝政が崩壊。国内の共和派が共和国宣言を出し国防政府を樹立した。
この後も国防政府はプロシヤ軍に負け続け1871年アルザス・ロレーヌの割譲など屈辱的講和を結ぶ。これに反発したパリ市民は3月自ら武器を取りパリコミューンを結成し抵抗したが政府軍にはかなわず5月末のペール・ラシェーズ墓地の戦いをもって終焉した。死者は3万人ともいわれる。 -
「1918年11月11日、アルザス・ロレーヌがフランスに帰ってきた」。
第1次世界大戦でドイツに勝利、普仏戦争で取られた祖国の土地を取り返したのだ。 -
無名戦士の墓。
「ここに祖国のために死んだ一人のフランス兵士が眠る。1914~1918年」。
多くの名もない兵士たちの犠牲の上に。 -
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セーヌ川クルーズ船に乗るため地下鉄でアルマ・マルソーまで。
フランクラン・ローズヴェルト駅で9号線に乗り換え。 -
アルマ広場の自由の炎。
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バトー・ムーシュの乗り場はアルマ橋の袂にあります。
約1時間半のクルーズに出発。 -
まず川の流れに遡ってサン・ルイ島の先まで行きます。
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アレクサンドル3世橋。
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ブルボン宮。
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アナトール・フランス河岸。
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レジオン・ドヌール宮。
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オルセー美術館です。
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オルセー。
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ドームはフランス学士院。フランスの知の殿堂。
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学士院とポン・デ・ザール。
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船で生活しています。パリジャンの憧れだそうです。
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ノートルダム大聖堂にやってきました。
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船はシテ島の南側を行きます。
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船上レストラン。
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トゥールネル橋。
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トゥールネル橋と聖ジェヌヴィエーヴの塔。
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パリの守護聖人聖ジェヌヴィエーヴの塔。
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セーヌ川の左岸、植物園辺りです。
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オーステルリッツ橋。
この辺りで船はUターンします。 -
先ほど乗った船着き場を通り過ぎて下流の方へ。
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エッフェル塔の横を行きます。
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ビラケム橋。
上をメトロ、下を車・人が通る二重構造の橋です。 -
グルネル河岸。
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再びUターンして船着き場に戻りました。
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アルマ広場。
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下船してエッフェル塔まで歩いていくことにしました。
アルマ橋の上からエッフェル塔とドゥビリー橋。 -
エッフェル塔の前からシャイヨー宮。
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エッフェル塔。
時間がないので登りません。 -
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シャン・ド・マルス公園を通ってアンヴァリッドまで。
ドーム教会。 -
ドーム教会。
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ナポレオン1世の棺。
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1840年、セント・ヘレナ島より無言の帰還を果たしたナポレオンの遺骸は凱旋門の下をくぐりこのドーム教会に安置されました。
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ジョゼフ・ナポレオン2世。
ナポレオンとマリー・ルイーズの子、ローマ王。 -
ヴォーバン。
ルイ14世につかえた軍人。ヴォーバン式要塞の築城で知られる。 -
フォッシュ元帥。
第1次世界大戦のフランス軍の英雄。 -
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パリ探訪はここまでとします。
友人は帰国しなければなりません。地下鉄で北駅のホテルに戻り駅前のレストランで夕食した後空港まで送り別れました。
一人旅には慣れているもののしばらく二人で行動を共にした後ではいささか寂しい気持ちでした。
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