2014/06/01 - 2014/06/01
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ベームさん
6/1(日)、7日目。
ロワール川沿いにオルレアンからナントまで4泊の小旅行から帰ってきました。今日、明日、明後日はパリ。同行の友人は初めてのパリなので有名どころを周るつもりです。
ナントから昼前に帰ってきたのでホテルで一休みして出かけました。モンマルトルです。モンマルトルの見どころは優に一つの都市に匹敵します。ここだけで写真が140枚を超えてしまいました。
写真はサン・ヴァンサン墓地のユトリロの墓。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテルで小憩後地下鉄4号線でバルベス・ロシュシュアールへ、
バルベス・ロシュシュアールで地下鉄2号線に乗り換え。 -
地上駅でアンヴェールまで地上を走っています。
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アンベール駅で降りてサクレ・クール寺院を目指します。
スタンケルク通り。サクレ・クール寺院への参道みたいなもので大変な人混み。両側は土産物店がびっしり並び浅草の仲見世みたいですね。 -
サン・ピエール広場。
モンマルトルは19世紀半ばまではパリの城外でした。今のクリシー通り(ムーラン・ルージュのある通り)の城壁が取り払われて後ブドウ畑や風車の跡に街が出来始め、生活費が安いことから貧乏な画家や職人などが集まってきました。ゴッホやピカソがパリに出てきて最初に住んだのもモンマルトルでした。 -
サクレ・クール寺院。
やがてモンマルトルが繁華になるにつれ貧乏芸術家の住む町ではなくなり、彼らはモンパルナスに移っていきます。1912年にピカソが移り、シャガール、ザッキン、モジリアーニなどもモンパルナスに集まり、作家のヘミングウエイはカフェの常連だったという。 -
広場の回転木馬。
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フニクレールに乗りました。もう歳ですから階段を歩いて登るのはきつい。
カルネ可。 -
フニクレールで昇った所。
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パリ市街を一望。
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サクレ・クール寺院はさらに上。
モンマルトルの丘はパリで一番海抜が高いところにさらに高さ80mの寺院が建っています。 -
サクレ・クール寺院。
普仏戦争(1870~1871)とパリ・コミューン犠牲者の追悼ため建立。1919年完成。
サクレ・クール=聖心、キリストの心に捧げられた国家的鎮魂の寺院でキリスト教のいずれの宗派にも属さない。 -
寺院前に到着。パルヴィ・ド・サクレ・クール広場。
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サクレ・クール寺院。
騎馬像は左聖王ルイ9世、右ジャンヌ・ダルク。数ある聖人の中でジャンヌが選ばれたのです。復権の証でカトリック教界の贖罪の表れと思います。
中は撮影禁止のため写真なし。
ここから逆時計回りでモンマルトルの丘を巡ります。 -
モーリス・ユトリロ通り。
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ユトリロの階段。
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モンマルトルの階段はどれも趣があります。
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コタン小路。
モデルを使って撮影していました。いなくなるまで待つ。 -
パッサージュ・コタン/コタン小路。
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コタン小路。
この辺りユトリロの描く世界です。石段を下りて見上げてみたいのですが、降りると登ってこなければなりません。それがしんどくて好奇心を封じました。齢はとりたくないもの。 -
シュヴァリエ・ド・ラ・バール通り。
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シュヴァリエ通り。
サクレ・クールの裏側に回ってきました。 -
サクレクール。
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サクレ・クールの裏を回り込むとサン・ピエール・ド・モンマルトル教会。
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サン・ピエール・ド・モンマルトル教会。
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12世紀、パリ最古の教会の一つ。
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入口扉の彫刻。
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モンマルトル4回目にして初めて教会の中に入ります。
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祭壇。
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装飾の少ない簡素な堂内。
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モンマルトルの丘の上に立っていたと謂われる古代ローマ時代の柱があるそうですがこれかな?。
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年代を感じさせる柱。
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おお、ジャンヌ・ダルク像が。
ジャンヌの時代パリはイングランド軍の制するところであり、パリ市民は反シャルル王太子派だった。王太子派は非勢のため傭兵やごろつきが多く民衆に人気が無かった。ジャンヌ・ダルクはパリを取り戻そうとして攻撃し失敗している。
時がたちジャンヌは復権し、ナポレオンにより英雄化され、聖人にまでなった。
そして今やサクレ・クール寺院の正面に聖王ルイ9世と並んでジャンヌの像が建てられている。 -
これはサン・ドニ様か。
聖ドニはモンマルトルの丘で首を切られたのですから。 -
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クロード・シャルパンティエ公園のそばに建つ水道塔。
シャルパンティエとは建築家、都市計画家、音楽家だったらしい。 -
シュヴァリエ通りとモン・スニ通りの交差するところ。
モン・スニ通りを左に進むとモンマルトル博物館の標識。 -
路上の似顔絵描き。
別嬪さんが描いてもらっています。 -
モン・スニ通り、モン・スニの階段。
この坂を下りていくとコーランクール通りに出会います。 -
モン・スニの階段。
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モンマルトル博物館は改装中。
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中は営業中。
常設展示品:ロートレック、シャ・ノワール(黒猫)、ヴァラドン、ユトリロ、洗濯船、フレンチ・カンカンなど。モンマルトルの丘の歴史。
特別展:モンマルトルのピカソ。2014年3月28日~8月31日。 -
モン・スニ通りからサン・ヴァンサン通りに入りました。
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サン・ヴァンサン通り。
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シャンソン酒場オ・ラパン・アジル。
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サン・ヴァンサン通りとソール通りの角にあります。
ピカソ、ユトリロなど芸術家の溜り場だった。 -
ユトリロの描いたラパン・アジルの絵です。1933年作。
ぶどう園との間のサン・ヴァンサン通りが狭いです。今は石の塀ではなく金網のフェンスになっているので拡がったのでしょう。 -
オ・ラパン・アジル=跳ねウサギ。
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オ・ラパン・アジルの前にはパリで唯一残るぶどう園、パリ市所有。
昔はモンマルトルにもブドウ畑は沢山あり、モンマルトルのワインは利尿剤としてもてはやされたそうです。今は希少なので高級品だそうです。
白い建物はモンマルトル博物館。 -
サン・ヴァンサン通りを下りサン・ヴァンサン墓地の入り口を探しました。
この墓地はパリの3大墓地、モンマルトル、ペールラシェーズ、モンパルナス墓地ほどではないが著名人の墓が結構ありました。。 -
サン・ヴァンサン墓地。
テオフィル・スタンラン(1859~1923)。
画家・ポスターデザイナー。黒猫を描くのが得意で、1881年パリ最古のキャバレー「シャ・ノワール/黒猫」のポスターが有名。そのキャバレーは今は無いが当時芸術家たちの溜り場でした。 -
そのポスター。
「黒猫ルドルフ・サリの巡業」。 -
マルセル・カルネとローラン・ルザッフル。
マルセル・カルネ(1906~1996):
映画監督。「北ホテル」、「天井桟敷の人々」、「嘆きのテレーズ」等。
ローラン・ルザッフル(1927~2009):
俳優。「愛人ジュリエット」、「嘆きのテレーズ」他。
同じ墓に入っているのはなぜでしょう。ルザッフルはカルネの作品に多く出演しているからでしょうか。いくらそうでも他人同士が同じ墓に入るなんてどういうことでしょう。墓石の左隅に”mon ami”(モナミ、私の恋人)なんて石板があります。なんかいやらしい雰囲気です。 -
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マルセル・エイメ(1902~1967)。
小説家、劇作家。短編集「壁抜け男」。
モンマルトルのマルセル・エイメ広場に「壁抜け男」のモニュメントが有ります。 -
クロード・シャルパンティエ(1909~1995)。
建築家。モンマルトルに彼の名を冠した公園と塔が有ります(何枚か前の写真参照)。 -
モーリス・ユトリロ(1883~1955)と妻ルシー・ユトリロ。
シュザンヌ・ヴァラドンの私生児として生まれる。
後ろの塀の向かいにオ・ラパン・アジルがあります。お墓の中でもシャンソンが聞こえるように、ではないと思いますが。 -
72歳、精神病とアルコール依存症で破滅的な生活を送ったユトリロは意外と長生きだったのですね。あのユトリロがお爺さんになるまで生きていたなんて、イメージが壊れます。なんだか幻滅です。
なかなか立派な墓でペールラシェーズのモジリアーニの墓とはえらい違いです。モジリアーニのは墓石1枚ゴロンと置いてあるだけです。 -
ウジェーヌ・ブーダン(1824~1889)。
オンフルール生まれの画家。 -
アルテュール・オネゲル(1892~1955)。
作曲家。 -
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賑やかなモンマルトルの静かな一角でした。
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サン・ヴァンサン墓地の傍のコンスタンタン・ペクール広場。
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このまったく名もない広場ですが私には旧知の名前なのです。
ジョルジュ・シムノンの代表作「メグレ罠を張る」の事件の連続殺人の現場がこの辺りで、メグレの部下の一人ロニョン刑事の住まいがこの広場に有ったのです。ロニョンはこの広場近くのアパルトマンからよれよれのレインコートを着てまるで刑事コロンボのような格好で出てきて犯人を追っていました。
映画では「殺人鬼に罠を掛けろ」の邦名ででジャン・ドラノワ監督、メグレをジャン・ギャバンが演じていました。 -
コンスタンタン・ペクール広場のアパルトマン。
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階段を上るとダリダ広場です。
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ダリダ広場。
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ダリダの胸像。
1933~1987年。
エジプト生まれのシャンソン歌手、フランスの歌シャンソンだけでなく他の歌手のヒット曲などあらゆるジャンルの歌を唄う。美貌とセクシーなパフォーマンスで1960から1970年代フランスで絶大な人気を誇った。
数多い恋の遍歴と失恋に疲れ薬物自殺をとげる。
エディット・ピアフで代表されるいわゆる日本人の思い描くシャンソン歌手とは違いますね。 -
だいぶ胸を撫でられているようです。私はそんなはしたないことようしません。
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全盛期のダリダ。
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ダリダ広場から少し下ります。遠くにサクレ・クールが。
ジラルダン通り。 -
ちょっと横道を入ったところの大きな邸宅にプレートが張ってありました。
ジャン・ピエール・オーモン。
俳優、作家。1911~2001年。
この家に1980~2000年の間住んでいた。 -
映画俳優ジャン・ピエール・オーモンが住んでいた家でした。
私は「北ホテル」でオーモン扮するピエールがアナベラ扮するルネをピストルで撃って自らも自殺を図るシーンしか覚えていません。「アメリカの夜」、「新七つの大罪」、「リリー」なども見ていますが記憶にありません。フランスでは戦前から活躍したなかなかの俳優だったようです。 -
シュザンヌ・ビュイッソン広場。
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広場には聖ドニ/サン・ドニの像が建っています。
まだキリスト教が公認されていなかった頃、3世紀中頃のパリで布教活動をしていて
捕らえられ処刑された。 -
ここら辺りで首をはねられ、自分の首を持ってパリ郊外のサン・ドニまで歩いたのです。最後に力尽きて倒れた所にサン・ドニ大聖堂が建てられました。
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シュザンヌ・ビュイッソン広場。
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シュザンヌ・ビュイッソン広場の先にマルセル・エイメ広場があり、サン・ヴァンサン墓地に墓が在ったマルセル・エイメの「壁抜け男」のモニュメントがあります。モンマルトルの人気スポットになっています。
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ノルヴァン通りとルスティーク通りの角。
ル・コンシュラ/領事館という名のレストランでモンマルトル紹介の写真によく出てきます。 -
ソール通りとルスティーク通りの角のレストラン「お気軽に」。
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絵を売る店、この辺りに多いです。
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ギャルリー・ビュット・モンマルトル/ギャラリー・モンマルトルの丘。
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プールボ通り。
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テルトル広場に来ました。
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昔は本当に貧乏な画家がここで似顔絵を描いて糊口をしのぎ、また勉強の場だったそうですが、いまは賑やかな観光客がごった返す場所です。
今ここで絵を描いて売っている絵描きは結構な生活をしているのでは。 -
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ガスコーニュの兵士(子供)とでも訳すのでしょうか、三銃士を思い浮かべます。
ダルタニヤンはガスコーニュ生まれのの田舎者で、青雲の志を持って駄馬に乗ってパリにやってきます。
ガスコーニュは大西洋とピレネー山脈に接するフランス南西部の地方で、ボルドー、バイヨンヌなどの都市がある。 -
広場の周囲はカフェが取り囲んでいます。
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またサン・ピエール教会の前に来ました。
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カルベールの石段だったかな。下はガブリエル通りです。降りていきます。
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ジャン・バプチスト・クレマン広場。
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リュー・ドルシャンプ/オルシャンプ通りを探し当てました。この通りにダリダの家があるはずです。。
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オルシャンプ通り。
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ありました。正面の家です。
屋敷の前にはダリダフアンか、私のような観光客か。 -
なかなかの豪邸でね。
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「ダリダは1962から1987年この館に住んでいた。彼女の友達モンマルトルの住民は彼女のことを忘れない」。
パリッ子に人気があったようです。 -
ベルト通り。
この右角にエミール・グード広場があります。 -
エミール・グード広場。
左の家がアトリエ洗濯船。 -
その広場の一角にル・ヴァトー・ラヴォワール/アトリエ洗濯船の跡があります。
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1904年来ピカソ、モジリアーニ、ルノワールなどがアトリエを構えたところ。1970年火災に遭い今の建物は再建されたもの。
ピカソの「アヴィニヨンの女たち」はここで描かれた。
写真:左上ジャングリとジョゼット。左中ピカソ。右上モジリアーニ。 -
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パリの歴史。洗濯船。
「1904年ピカソはここに住みアトリエとした。「アヴィニヨンの女たち」は1907年ここで描かれた」。 -
エミール・グード広場。
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階段を下りると、
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トロワ・フレール/3人兄弟通り。
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脇に小さな階段があります。
アベス小路の階段です。どんどん降りていきます。 -
アベス小路。
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下から見上げると。
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アベスの門。
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「門の下はゴミ捨て禁止」。
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門を潜るとアベス広場に出ます。
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広場の一角はサン・ジャン・ド・モンマルトル教会。
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20世紀初め、最初の鉄筋コンクリート造りの教会。
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パリの歴史。サン・ジャン福音派教会。
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教会の中に入ります。以前にもアベス広場には来ましたが教会の中に入るのは初めてです。
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メトロアベス駅の入り口。
アールヌーヴォーの巨匠ギマールのデザイン。 -
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広場の先には最近(?)有名になった恋人たちの壁。
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ジュテーム(アイラブユー)の壁。
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ハリウッド女優リタ・ヘイワースに見えますがなぜここに彼女が。
後日記:ダリダかも知れません。ダリダならここに描かれているのに納得できます。 -
アベス通りをルピック通りの方に。
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ルピック通りの商店。
生鮮食料品の店が軒を連ねています。 -
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映画「アメリ」で超有名になったカフェ・デ・ドゥ・ムーラン/二つの風車。
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ルピック通りを下ってクリシー大通りに出るとブランシュ広場。
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ムーラン・ルージュが有ります。
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フェリー/妖精の国。
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スチール写真だけで我慢。
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こんな肉食系の踊り子よりフランソワーズ・アルヌールのカンカン娘のほうが可憐でよろしい。
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美女、美男揃い。
モンマルトルをほぼ四分の三周しました。ここからアンベールまで行くと一周ですがもう疲れました。地下鉄に乗ってホテルに帰ります。
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この旅行記へのコメント (5)
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- frau.himmelさん 2020/01/06 20:36:01
- ベームさん、拍手!!!
- ベームさん、パチパチパチ・・・!!
凄い!モンマルトルを4分の3周なさったなんて。
それに比べて私なんか穴があったら入りたいくらいです。北から南を通過しただけで制覇だなんて。
いやーそれにしてもこの旅行記、とても面白かったです。
私が行きたかった所、回ったところ、全て網羅していらっしゃる。
よくあれだけお調べになったと、その苦労がわかる私はベームさんを拍手絶賛いたします。
私が返す返すも悔しかったのは、サン・ヴァンサン墓地とダリダ広場に行かなかったこと。特に墓地はすごく悔やまれます。
ホテルからは近かったのですが、わざわざあの通りの1本東側の坂道を登ったので見つけられなかったのでした。
それからジュテームの壁の女性、リタヘイワーズでしたか、私はてっきりダリダだと思っていました。しかしそれを調べられなかったので、あの女性には言及しませんでした。
ベームさんの旅行記を拝見した後は、自分の旅行記が貧弱に思えて恥ずかしい。次の旅行記を書く前にベームさんの旅行記で勉強しなければ・・・。
私の方にいただいたコメントにもこれからお返事しますね。
himmel
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- コクリコさん 2014/07/16 17:35:01
- ユトリロのお墓に!
- ベームさん、こんにちは!
去年の夏にサン・ヴァンサン墓地に行った時、ユトリロのお墓にあのギリシャ彫刻のような像は無かったのです。
「あの像は?」
と聞いたら2週間前に他に移したとのこと。
修理でもしていたのでしょうか。
またユトリロのお墓に戻ってきたのですね。
モンマルトルはなんだかんだ言ってもあのゴタゴタ感、その一方静かな通りもあり大好きな場所です。
ジャンヌ・ダルクの旅に相応しくモンマルトルにもジャンヌ・ダルクが登場ですね。
西洋史も洋画もよくご存知で、ベームさんの旅行記を拝見していると知識が増えますし、古い映画をまた観てみたいな〜という気持ちになります。
壁抜け男の彫刻の作者はあの美男俳優ジャン・マレー。
足の所にサインが彫ってありました。
顔はマルセル・エイメに、手は恋人のコクトーの手に似せて作ったらしいですね。
モンマルトルを舞台に集まった芸術家たちや映画人、想像するだけでもなんだかワクワクしてきます。
今年もまたモンマルトルに行くかもしれません。
- ベームさん からの返信 2014/07/17 09:20:39
- RE: ユトリロのお墓に!
- コクリコさん、
お早うございます。メッセージ有難うございます。
コクリコさんの昨年の旅行記、ユトリロ詣り改めて拝見しました。無いですねえ、ギリシャ風彫刻が。私のと並べて比べてみると場違いの感は否めませんがやはりあった方が華やかでいいような気がします。
コクリコさんのブログ勉強になりました。本当にモンマルトルのことよくご存じで。メゾン・ローズの建物の前を通った記憶はあるのですがそんな由緒があるものとは知らずに通り過ぎています。壁抜け男の作者がジャン・マレーとはこれまた驚きです。ジャン・マレーとコクトーの間はいろいろ噂がありましたからね。
コタン小路の下から見上げた写真、私は階段を下りてまた登るのがおっくうで上から見下ろしただけでした。心残りがします。スタンランのお墓は大きな像が建っていました。コクリコさんが見たのとは違うのかも知れません。
私もまたまた行きたくなりましたが、もう難しいでしょう。
今年行かれるのでしたら他のも合わせて是非アップしてください、楽しみにしています。
ベーム
- コクリコさん からの返信 2014/07/17 21:18:24
- RE: RE: ユトリロのお墓に!
- こんばんは。
> コタン小路の下から見上げた写真、私は階段を下りてまた登るのがおっくうで上から見下ろしただけでした。心残りがします。スタンランのお墓は大きな像が建っていました。コクリコさんが見たのとは違うのかも知れません。
ベームさんの撮られた写真はサン・ヴァンサン墓地を出た所の広場にあるスタンランの記念の像だったと思います。
ユトリロのお墓は去年見た時は雑草が生えていましたが、花もきちんと植えられて綺麗になりましたね。
- ベームさん からの返信 2014/07/18 15:02:02
- RE: RE: RE: ユトリロのお墓に!
- コクリコさん、
今日は。
そうでしたか。駆け足で回ったものですから、てっきりあれがスタンランのお墓と思いました。有難うございました。
ベーム
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