2014/05/31 - 2014/06/01
11位(同エリア70件中)
ベームさん
5/31(土)、6日目。6/1(日)、7日目。
アンジェから31日夕方ナントにやってきました。一泊します。
アンジュー公国の次はブルターニュ公国です。ここら辺のことは本当にややこしいです。
ナントは今はペイ・ド・ロワール地域ですが先の大戦まではブルターニュに属していました。今もって自分たちは歴史的にも文化的にもブルターニュ人だと多くのナントの人は思っているらしく、行政的にブルターニュに帰属しようという運動があるようです。
4世紀頃グレートブリテン島からアングロ・サクソン人に追われたケルト系ブルトン人がブルターニュの地に移ってきた。824年フランク王国(ルイ1世敬虔王)がこの地を征服し、ブルターニュ公国として認めフランク王国に臣従させた。ブルターニュ公国の始まりです。
ナントを都としその後公国は独立国として存続を続けますがブルターニュ公国を併合しようという他の大陸各国の脅威を受け続けます。12世紀には一時的にアンジュー帝国に組み込まれたこともあります。
ブルターニュがほかの国に併合されるのを恐れたフランス王国がブルターニュ公国の併合に最も積極的でした。
1488年ブルターニュ公国のフランソワ2世(最後のブルターニュ大公)が亡くなると後を継いでブルターニュ女公になったのが娘のアンヌ・ド・ブルターニュで12歳でした。
この時とばかり時のフランス王シャルル8世は強引にアンヌに求婚し、1491年ついにランジェ城で結婚した。条件の一つとしてシャルルが嫡子なくして先に死んだらアンヌはシャルルの後継者と再婚すること、というのがあった。
1499年シャルルが亡くなり後継にルイ12世が即位、条件通りアンヌはルイ12世の妃となる。フランス王妃であると同時にアンヌはブルターニュ女公として公国の経営に力を注いだ。
1514年アンヌは波乱に満ちた生涯を閉じる。37歳。翌年ルイ12世も亡くなりフランソワ1世の登場となる。フランソワ1世の妃がアンヌの娘クロード・ド・フランス。
クロードが亡くなるとブルターニュ公国の後継者がいなくなり1532年フランソワ1世は正式に公国をフランスに併合、ブルターニュ公国は終わりを告げた。
長くなりましたが、アンヌが半ば政略結婚でフランス王妃になってもブルターニュ公国を守り続けたということです。ナントでは今もアンヌはブルトン精神の象徴として愛され慕われています。街中ではアンヌの像は有りますがフランソワ2世などほかの大公の像は見かけません。
写真はアンヌ・ド・ブルターニュ。絵葉書から。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ロワール川が大西洋に注ぐ河口近く流域最大の都市、人口28万人。ロワールの古城巡りの最後の町です。
ナントでの滞在予定がTGVの予約問題で短くなってしまいました。当初6/1、午前中ナントの町を見て13時頃のTGVでパリに帰る予定が8時50分のTGVになってしまいました。まあパリに帰られるだけで良しとするべきでしょう。
お蔭でナントではお城、美術館、教会どこにも入っていません。街を駆け足で回っただけです。 -
ナント駅。
アンジェ発17:20のTERでナント着18:00。 -
駅構内。
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ナント駅北口。
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ホテル、メルキュール・ナント・サントル・ガール。
駅南口の目の前です。良いホテルでした。 -
食事の前に少し歩きました。明日は8時50分のTGVに乗るので時間が貴重です。
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ホテルの前にはロワール川に続く運河が入り込んでいます。
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ホテルの近くに変った建物がありました。
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リュー・ユニークの塔。LIEU・UNIQUE/風変りな。面白い場所といった意味です。
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フランスのビスケット発祥のルフェーブル・ユーティル社/LUの工場跡地に建てられたカルチャー施設です。
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新進アーティストの展示会、演劇・コンサートなどのイベントが行われるカルチャー施設。カフェ、レストランなどもあります。
塔はプラスチックで出来ているそうです。 -
跨線橋からナント駅方面。
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ナント駅北口前。
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サン・ピエール広場の入り口に立つアンヌ・ド・ブルターニュの像。
「アンヌ、ブルターニュ女公、フランス王妃。
1476~1514年」 -
アンヌ・ド・ブルターニュ。絵葉書から。
1488年12歳で父の後を継ぎブルターニュ女公となる。
シャルル8世、ルイ12世と2代続けてフランス王と結婚し王妃となるもブルターニュ女公として公国の独立を守る。 -
以下3枚はWEBからの借用です。
1491年、ランジェ城でのアンヌとシャルル8世の結婚式。 -
拡大。
いたいけないアンヌはまだ14歳。しかしシャルルとは6人、ルイとは5人の子をなすなど夫婦仲は良かったようです。ただし11人の子供の内成人したのはルイとの間の二人の娘だけでした。
そのうちの一人、長女がのちのフランソワ1世の妃となるクロード・ド・フランス。
クロードは母アンヌの後を継ぎブルターニュ女公となるがその死によりブルターニュ公国はフランス王国に併合された。 -
アンヌの葬儀。1514年アンヌはブロワ城でなくなりフランス王妃としてサン・ドニ大聖堂に葬られました。僅か37歳。
ブロワ城には夫ルイ12世が建てた館・ルイ12世棟があり、アンヌは王妃として多くこの城に住んでいたそうです。 -
アンヌの心臓を治めた聖遺物箱。
アンヌは心臓だけは故国ナントに持ち帰ってほしいと希望したという。
ナントのドブレ博物館にあるが心臓はもはや無いらしい。 -
パリの北郊、サン・ドニ大聖堂。
アンヌ・ド・ブルターニュとルイ12世の墓。
2010年の時の写真です。 -
同じくフランソワ1世と王妃クロード・ド・フランス(アンヌとルイ12世の娘)。
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サン・ピエール広場。
アンヌ像に向かい合って立つ慰霊碑。
祖国のために死んだ低地ロワールの市民たちのために。
今まで慰霊碑の類で”enfant”を”子供”と訳した来ましたが、いわゆる子供、チャイルドを指すのではではないので”市民、~生まれの人”とします。 -
サン・ピエール広場とルイ16世塔。
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広場には白線が引かれペタンク場になっています。
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フォッシュ広場。
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広場の中央にルイ16世塔が建っています。
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広場の一方の隅にサン・ピエール門。
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サン・ピエール門。
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3世紀頃の市の最初の城門だそうです。
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ナントの大聖堂サン・ピエール・サン・ポール大聖堂。
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20時過ぎ。
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ブルターニュ公国最後の大公フランソワ2世の墓があるそうだが時間が遅く中に入れず。
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大聖堂の前はサン・ピエール広場です。
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路地の向こうに見えるのはブルターニュ大公城。
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大公城の周りを一巡りしました。
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ブルターニュ大公城。
15世紀中頃ブルターニュ大公フランソワ2世が建築。
1598年、アンリ4世がカトリックとプロテスタントの対立、ユグノー戦争を終わらせるためこの城で有名な個人の信仰の自由を認めた「ナントの勅令」を発布しました。 -
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城の前に建つアンヌ・ド・ブルターニュの像。
2002年、ナント生まれのブルトン人ジャン・フレウールの作。
ナントが文化的にも歴史的にもブルターニュに帰属するというナントの人々の思いを象徴するモニュメントとなっているそうです。 -
周りをぐるりと堀が取り囲んでいます。
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城の横を走るジョン・F・ケネディ通りとトラム。20時50分ころ。
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ジョン・F・ケネディ通り。
フランス人は世界大戦で助けられたアメリカに親しみを持っているのか道路や橋、駅などによくアメリカ人、特に大統領の名前を付けています。
パリの地下鉄にフランクラン・ローズヴェルト駅というのがあります。フランクリン・ルーズベルトのことですね。 -
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レストランを探すのが面倒くさいのでホテルのレストランで食事しました。
久しぶりの魚料理です。 -
つい甘いものが欲しくなりました。
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翌朝、6/1、朝6時40分ころです。
前述の事情で8時50分のTGVに乗らないといけないので早朝から駆け足で主なところを周りました。 -
サン・ピエール門。
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昨日も見ています。
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ジェネラル・ルクレルク通り。
遠くにブルターニュ塔。 -
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後方に大聖堂。
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ナント市庁舎。
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ナント市章。
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オルレアン通り。
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ブルターニュ塔。
ナント1の高層ビル。 -
中世スーヴトゥ門の遺跡。
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サン・ニコラ教会。
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サン・ニコラ教会。後陣側。
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正面ファサード。
朝早いので教会はどこもまだ閉まっていました。 -
ロワイヤル広場。
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ロワイヤル広場。
ナントで一番大きな広場ですが朝早いため閑散としています。 -
広場の泉。
頭の上に鳩が止まっている。 -
ジョルジュ通りだったかな。
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市民病院/オテル・デュー。
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カサール通り。
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ここら辺り昔はロワール川の中州だったフェイドー島があった所。
この島のどこかにジュール・ヴェルヌの生家があるそうですが探す時間が有りません。 -
フランクラン・ローズヴェルト通り。
ここにもアメリカ大統領。 -
駅に戻ってきました。
ホテルのある南口。 -
駅に隣接するホテルの写真です。
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運河の向こうに建つカラフルな壁面のビル。
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運河の対岸風景。
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駅構内のパン屋ポール。
各地の駅に出店しています。朝はここでクロワッサンとコーヒーで済ませました。 -
フランスの鉄道は発車10~15分前にならないと乗車ホームが掲示されません。
電光掲示板の前で掲示されるのを待つ乗客たち。掲示されるとみんな一斉にホームへ移動。
ドイツのDBは、日本もそうですが、ダイヤ発表時に発車ホームは決まっています。フランスはなぜでしょう。ホームの混雑防止でしょうか。でも慣れてくると特に不便とは感じなくなりました。むしろ今か今かと待つのが楽しいです。
しかし乗り換えの場合、乗り換え時間が短い時はあせります。予め乗り換えホームが分かっているとそのホームに突進できますから。 -
駆け足のナントを終えパリのJCBさんのおかげで予約できたTGVでパリへ。
途中ル・マン駅。 -
TGVはパリ・モンパルナス駅に到着。
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モンパルナス駅。
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モンパルナス・タワー。
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パリ・メトロ北駅。
4泊5日のロワール川沿いの旅からパリに帰ってきました。
当初の計画より5時間ほど早くパリに帰ってきたのでホテルで小憩してすぐモンマルトルに出かけました。
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