2014/06/09 - 2014/06/16
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しんちゃんさん
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昭和56年(1981年)海外日本人学校へ派遣された古川勝三氏は高雄日本人学校の卒業式で来賓祝辞の話に興味を持った。「日本人技師の銅像が、たった一つだけ嘉南の人たちの手で現在も守られていることを知っていますか」と話はじめた。
氏は「日本人の銅像、八田與(与)一、烏山頭ダム、嘉南の農民」どれひとつ取っても初めて耳にする言葉だった。
烏山頭ダムはどのようなものか、ダムがどのように造られたか、八田与一とはどんな技術者だったのか興味がわき調べ始めた。綿密な調査を得て高雄にて『台湾を愛した日本人』を出版した。帰国後、八田技師の郷里石川県や親戚、知人を訪ね、或いは烏山頭ダムなどの記録を精査し、新たに平成元年同名で出版され土木学会著作賞の栄に輝いた。
(以上『台湾を愛した日本人/土木技師八田與一の生涯 改訂版』創風社出版より抜粋要約です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 自転車 ヒッチハイク 徒歩 バイク 飛行機
- 航空会社
- トランスアジア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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日本人の知らない日本人。八田与一の生涯を読んではるばる日本からここを尋ねてきました。こんな物好き居るでしょうか。八田与一の銅像と人造湖「烏山頭ダム」を見る為に・・・
烏山頭ダムは台湾の地図を見ると北回帰線が横断します。北回帰線の3分の1くらい西側の下に“鳥の足跡”の様な湖が見えます。
記念公園からダム方向へ上がってゆきます。右手に「烏山頭水庫風景区管理処・烏山頭給水廠」 -
烏山頭給水廠の施設
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ダムの上へ向かう。
なだらかな坂道を登る。
道路はアスファルト舗装だがダムはコンクリートでなく“土”で造られている。
そのため雑草が生い茂る。 -
ダム右手(西側)は嘉南平野が広がっている。
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人造湖「烏山頭ダム」到着。
人造湖とは思えない巨大なえん堤と湖であった。
日本人が造ったと思うと感無量であった。 -
人造湖「烏山頭ダム」
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穏やかな湖面、広〜い面積、見えない部分が多くを占めている。
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当初ダムは「官田渓貯水池」として計画された。工事が開始された某日、下村宏総務長官がダムの形が珊瑚樹に似ており北にある「日月潭」に対抗して“珊瑚潭”と命名させてくれと頼んだ。長官は完成前に帰国し、湖を見ることは無かったと言う。現在でも中国読み「サンフータン」と呼ばれている。
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珊瑚潭、烏山頭ダム、八田ダム色々な呼び方があります。
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工事開始時は大型機械は無く、工事途中で八田がアメリカに買い付けにいった。大型機械は工事終了後は基隆の港を造るため移動した。アメリカへは日本内地の技術者が日本で始めての工法(セミ・ハイドロリックフィルダム)に疑問を持つ者が多く、実際に現場を視察し工法が正しいか確信を持つ為であった。
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一番東側にたどり着きました。
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【長さ1273m、高さ56m、えん堤上の幅9m、えん堤の底の幅303m、この工法(セミ・ハイドロリックフィルダム)のダムはアジアでは今もここだけです】(パンフレットより)
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珊瑚潭。湖の全景は上空からしか判らない!
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西側へ行きます。
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取水口と山の上の建物は「烏山頭ホリデー会館」
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真ん中は「水力発電用送水塔」
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西側 工事中の写真は後半に載せました。
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ダムの西端にベルギー製蒸気機関車が展示されていた。
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ベルギー製蒸気機関車説明版。
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ダム断面図
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ダム西側、東側のダムを眺める中腹に八田与一の銅像がある。戦争中金属の供出を免れ、誰かに隠された。ほとんどの方は供出され熔かさたものだと思っていた。その存在は誰も知らなかったが、戦後赤嵌楼*の裏から発見される。水利協会が買い戻し倉庫に隠される。昭和50年豊田水利会は政府に銅像設置許可の申請をするが不許可であった。昭和56年正式な許可が下りないが銅像は設置された。銅像が無くなってから37年後である。(台湾を愛した日本人より抜粋)*銅像が発見された嵌斬楼とは台南の古刹ではないだろうか、著書には詳細が無いため、しんちゃんが勝手に想像した。赤嵌楼:「http://4travel.jp/travelogue/10126494」
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「台湾を愛した日本人」著者古川勝三氏の序文の始まりは下記の様に記してある。「台湾の中部の山中、日本人唯一の銅像が建っている。台湾で神のごとく尊敬されている八田與(与)一が片膝を立て坐り思い耽っている。偉人の銅像といえば、とかく台座の上から漫然と訪問者を見下しているが、この八田像は違う・・・以下略」作業服に地下足袋、ゲートル姿、地べたに坐り、右手は頭に左手は足に_八田氏が銅像発起人総代へ希望した銅像は「日常のありのままの姿にして欲しい」と伝えた。
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銅像の裏側にお墓がある。八田与一がフィリッピンへ行く途中、乗船した太洋丸がアメリカの潜水艦に撃沈され亡くなった。乗員1360名中817名が亡くなられた。昭和17年(1942年)5月8日享年56歳であった。
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【八田氏が亡くなって3年間、奥様の外代樹(とよき)は子供達と過ごした。終戦間際台北から烏山頭へ疎開して終戦を向かえた。外代樹は16歳で結婚、結婚後ほとんどを台湾で過ごし、8人の子供に恵まれ、夫の血と汗の結晶“烏山頭ダムと潤った嘉南平野”から去るのは辛かった。夫の居ない烏山頭に絶望・虚脱感が襲った。昭和20年9月1日外代樹は八田氏が完成した烏山頭ダム放水口へ投身自殺した。この日は25年前「嘉南大?祁(嘉南水利工事)」のが起工された日であった。】「台湾を愛した日本人」より
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昭和21年八田夫妻の純日本式お墓が完成、除幕式が行われた。戦後台湾全土で日本式神社が壊され、残存した日本人の銅像はすべて倒された時にである。
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お墓、銅像は“ダムでもっとも高い場所”との事である。えん堤の道路はなだらかに上り勾配になっておりまだまだ上があった。“ダムの一番高い所”を“近辺で一番高い所”と勘違いしていた!。
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八田氏銅像が見ているダム方向。
木々が生い茂りダムはかすかにしか見えなかった。
伐採してダムが見えるようにすれば良いと思う。 -
ダムを下り東側に回りこんだ。噴水かと思いきや、送水管内の圧力を安定させるための施設「平圧塔」でした。
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「平圧塔」
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道路の右側に見えてきた旧送水口
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旧送水口
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旧送水口から下流
この用水へ八田氏の奥様の外代樹(とよき)さんが昭和20年(1945年)9月1日投身自殺されました。
台風の影響で翌日バルブを閉じ捜索、6Km下流で変わり果てた遺体が発見された。
水利組合の方々は八田氏と共にダム湖畔に眠る様にお墓を造った。
毎年5月8日の八田の命日に「墓前祭」が行われる。 -
撮影に使用されたようです。
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映画のワンシーンかな。
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送水口の上に「八田技師記念室」があります。入場無料です。
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「八田技師記念室」
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「八田技師記念室」
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「八田技師記念室」
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「八田技師記念室」
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「八田技師記念室」
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「八田技師記念室」
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送水口と「八田技師記念室」の間にある施設。「送水工作駅」表札です。誰もいないし、進入禁止もないし…
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建物の裏側にダムから送水口へのパイプがありました。
接続部分はリベットです。歴史を感じさせます。 -
「送水工作駅」裏手
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「送水工作駅」裏手よりダムを眺める。
きれいに除草され手入れが行き届いていました。 -
殉工碑(慰霊碑)を探しに行きました。ダムのえん堤の下に出ましたが・・・おかしいな〜あるはずだが、無い。
見過ごしました。
道路より一段高い場所にありました。 -
工事が終わりに近づいた時に工事後も絆を残す為に「交友会」が組織されました。交友会はまず、工事中の事故や風土病で倒れた仲間や家族の霊を慰めるために殉工碑(慰霊碑)を建立しました。
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烏山頭交友会長 八田與一 の名前で記されている碑文。
途中の抜粋です。【・・・諸子は斯る間に於いて不慮の災厄に遭い或いは風土の病疫に冒され空しく異郷の墳塋に眠る轉た痛惜に堪へさるなり・・・以下略】 -
碑の周りには殉職した134名の名前が日本人・台湾人を差別する事無く、亡くなった順番で記されているそうです。
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殉工碑(慰霊碑)
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烏山頭風景区入場券売り場近くの「烏山頭水力発電所」
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「烏山頭水力発電所」説明版
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「展覧解説館(3D動画館)」内部に掲示されていた当時の工事中の写真を載せます。
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当時の工事中の写真
「ダム中心コンクリートコア」 -
当時の工事中の写真
ダムの中心部分に粘土を大量に含んだ濁水を流し、微粒の粘土が沈殿して固まる。その部分は水を通さない層ができる。田んぼの田植え前に田をかき混ぜ水を土に染み込ませなくする原理と同じです。 -
当時の工事中の写真
エアーダンプカー、キンボルン社とウェスタン社から合計100両購入した。 -
当時の工事中の写真
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当時の工事中の写真
スチームショベル_現在のパワーショベル、蒸気の力で動いた。
当時は日本に3台しかなく、ここでの工事のために5台購入したそうです。
「台湾を愛した日本人」の著者が詳しく調べており、感心しました。 -
当時の工事中の写真
大型土木機械等は47種類、斬新な機械も多く大量の大型機械が一つの工事で使用されるのは日本ではじめてだそうです。 -
帰りは歩いて六甲の町まで帰りました。
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途中の北幹線三号橋からの「北幹線水圳」
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道路を歩いていると、道端にマンゴーがたわわに実っていました。美味しそうなマンゴーを一個いただきました。まだ苦かった!
思い出しました。マンゴーは“熟す”と木から自分で落ちるのでした。
そのためにマンゴーの実は木から吊るすのでした。
落ちていないマンゴーは未熟です!
マンゴー泥棒証拠写真指名手配されたらどうしよう! -
六甲の町まで戻ってきました。約40分かかりました。往路にオートバイで乗せて行ってくれた、保昇旅行社にプレゼントとしてセブンイレブンの高級アイス「ハーゲンダッツ」を3個プレゼントしました。社長らしきおばさんしか居ませんでしたが驚いていました。
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今回の旅行を啓発された
『台湾を愛した日本人/土木技師八田與一の生涯』 改訂版 創風社出版
古川勝三 著書
---見学終了---
今夜はどこに宿泊しようかな、とりあえず大都市台南へ向かうことにします。
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