2014/06/13 - 2014/06/13
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ペコちゃんさん
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一度、日銀本店を見学したいと思っていましたが、やっと予約が取れたので、仲間15名で都内散策に出かけました。
午前中は王子にある「お札と切手の博物館」を見学。
午後は「日銀本店」と「貨幣博物館」を見学し、帰りに「小石川後楽園」に立ち寄り菖蒲を楽しんで帰りました。
今回は、お金に関する建物施設を3カ所回りましたが、江戸時代から明治になってすぐに、欧米に追い付くために積極的に諸制度・文化・技術を海外から取り入れ、日本流の味付けをして近代国家の仲間入りを実現した当時の政財界の指導者には、本当に敬服します。
写真は、日銀本店見学の集合場所。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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11時過ぎに王子駅に到着。
駅の下をくぐっている明治通りは、相変わらず車が多い・・・王子は、以前勤務した会社の研修所があり、何回か来たことがありますが、久し振りです。 -
昨年、仲間と乗った都電荒川線の王子駅前駅が改札を出た所にあります。
都電荒川線 乗り物
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明治通りを進み、5分ほどで国立印刷局・王子工場に到着・・・門の先にある建物が、「お札と切手の博物館」です。
国立印刷局は全国にある7つの工場で、紙幣や郵便切手、政府刊行物の印刷・製造などを行っています。
この北区には、王子工場と滝野川工場があり、こちらの王子工場では主に切手や印紙・パスポートなどを印刷し、滝野川工場では主にお札が印刷されているそうです。独立行政法人国立印刷局お札と切手の博物館 美術館・博物館
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印刷局の門に飾られた鳳凰のデザイン・・・今の1万円札は福沢諭吉ですが、その前の聖徳太子の時の裏面にある鳳凰の絵と似た感じ。
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「お札と切手の博物館」は、当初は市ヶ谷にありましたが、2011年に王子に移転してきました。
1階には、お札や切手の製造工程で使われる原材料・道具・機械などが展示され、2階には歴代のお札や切手のほか、世界の珍しいお札や切手も展示されています。独立行政法人国立印刷局お札と切手の博物館 美術館・博物館
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1階にある体験コーナーで、1億円の重さを体験・・・ヨイショ!
一万円札が一万枚(1億円)で約10キログラム、500円硬貨だと約1.4トンになるのだとか! -
お札で測る身長体重計。
メタボの私は、8億円? -
こんな撮影コーナーもありました。
上段の数字は今日の日付、印鑑の下の番号は逆さから読むと、ここの電話番号になっています。 -
1階の他の展示物と2階は、撮影禁止。(以下の写真はパンフレットとHPより)
上段は切手専用印刷機、下段はお札専用印刷機の模型です。
実際に動かして説明してくれました。 -
左側は紙幣の識別マーク・・・目が不自由な方には便利です。
右側はお札の右下にあるホログラムの透明層。 -
世界初の紙幣は、中国の宋の時代(960~1127年)に鉄銭の預り証として発行された「交子」。
日本で最初の紙幣は世界で2番目に古く、1623年に伊勢国山田の商人が発行した「山田羽書(はがき)」で、その後、江戸時代の藩札につながります。
近代的なお札は、明治10年に発行されました。
また、世界初の切手は、1840年にイギリスで発行され、日本では1871年発行の「竜文切手」が最初です。 -
昭和23年の切手趣味週間に発行された、「見返り美人」・・・浮世絵の祖・菱川師宣(1618~1694年)の代表作で、切手の人気・NO1です。
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係員の説明を聞きながら、昔からのお札や世界の切手を見て回りました。
お札を作る工程や、ちょっと珍しい柄の切手の展示など、見ていて飽きません。 -
見学の後は、神田の「いけ増」で昼食。
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880円の「重ね弁当」・・・マアマアでした。
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神田駅から日銀通りを歩いて、日銀本店に向かいます。
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日本銀行は、日本の中央銀行として明治15年に誕生し、明治29年に現在の場所に移転しました。
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手前は三越本店、真ん中が三井本館と日本橋三井タワーで、上の緑屋根が日銀本店。
航空写真で見ると、円のマークがよく分かります。(写真はHPより)
日本のお金の単位である「円」は、明治4年の「新貨条例」によって決められましたが、その由来については
①硬貨は形が丸いから
②当時、中国で流通していた銀貨に「円」という単位が使われていたから
等の説があり、はっきりしていません。 -
明治29年2月に竣工した日銀本店。
設計は東京駅と同じく辰野金吾で、ベルギー国立銀行を参考にしています。
建物上部を軽量化して耐震性を高め、関東大震災にも耐えた日銀本店は、昭和49年に、国の重要文化財に指定されました。 -
1階は花崗岩、2・3階は安山岩を張り付けたレンガ造りの建物は、中央銀行本店としての威厳を感じます。
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当時としては珍しいエレベーターや水洗トイレの設備を導入・・・エレベーターは日本で2番目、水洗トイレは日本で最初に設置されたそうです。
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見学者は、この西門から入ります。
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咆哮の獅子像。
正面玄関入口には、咆える2頭の雄ライオンが6個の千両箱を踏んで後足で立ち、日本銀行のシンボルマーク「めだま」を抱えた青銅製の紋章があります。 -
本館の中央にあるドーム。
大正12年の関東大震災で、建物自体は無事だったものの、天窓だったドームが焼失し、その後、現在の形に復元されました。 -
東側は昭和7年に辰野の弟子、長野宇平治によって設計された増築部分。
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門を入ると、右手にある、「警視庁中央警察署 日本銀行警備派出所」の看板。
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本館の中庭と入口をみると、何か風格のようなものを感じます。
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これは、中庭にある馬の水飲み場。
お金の運搬に、馬車が使われていた頃の名残です。 -
中庭から見た本館。
ちなみに、「ニホン銀行」ではなく「ニッポン銀行」と発音するのは、初代総裁・吉原重俊が薩摩の人で、力強い「ニッポン」を選択したそうです。 -
石段を上がったホールが、見学者の集合場所。
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タオルやお菓子など、見学用のお土産も売っています。
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見学のスタートは、左側にあるこの入口から・・・扉の上にあるステンドグラスも、味わいがあります。
最初に、日銀の主要業務(お札の発行・物価の安定・金融システムの安定)やお札の一生(千円札は1~2年、一万円札は4~5年が寿命)などについてビデオを20分見て、その後、建物見学が40分。 -
ここは、旧営業場。
中央の広い床に置かれたベンチに客(市中銀行員)が座り、日銀職員は仕切りから顔を出して応対。(内部は撮影禁止のため、以下の写真はパンフレット・HPより) -
見学の目玉は、旧館地下1階の地下金庫。
入口の扉は、昭和7年に地下金庫を拡張した時に取付けたものです。
米国ヨーク社製で、厚さは90センチ、重さは25トン(扉15トン、外枠10トン)もあります。 -
地下金庫は、明治29年?平成16年まで、108年間も使用していました。
扉は電動式ではなく、手動で少しずつ動かすのだそうです。 -
本館2階の廊下にはレットカーペットが敷かれていて、壁には歴代総裁の肖像が飾ってあります。
目を引いたのが、第16代総裁の澁澤敬三。
渋沢栄一のお孫さんですが、他の肖像画のバックがすべて室内なのに、彼だけ終戦時の焼け野原に立っています。
焼け野原を記録しておきたいという希望に基づくものだそうです。 -
先程、外から見たドーム屋根の内側。
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これが見学のお土産・・・傷んで使用できないお札を裁断した屑を、記念に貰えます。
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日銀のことが、よく分かりました。
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桜並木が続く「江戸桜通り」を挟んで、日銀本店の向かいに「貨幣博物館」があります。
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貨幣博物館は、日銀の創立百周年を記念して昭和60年に金融研究所内に設置されました。
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東洋貨幣など充実したコレクションの数々は、貨幣収集界家・田中啓文氏寄贈の収集品と、日銀が収集した内外の貨幣を加えたものです。
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コレクションは、貨幣の歴史をたどれるように陳列されています。
(館内は撮影禁止のため、写真はパンフレットとHPより) -
パンフレットを見ると、和同開珎から始まった日本の貨幣史が分かります。
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お札には、肖像が描かれていますが、これは主に偽造防止のためです。
人間は顔の違いに敏感なので、偽造を見破りやすいという理由です。
因みに、日本のお札に最も多く登場した人物は、聖徳太子。(戦前2回、戦後5回登場) -
日本で最大の貨幣は、天正16年(1588年)に豊臣秀吉が作らせた「天正長大判」。
この大判は、日常取引に使われる通貨としてではなく、恩賞用など特殊な用途に使われることが多かったようです。
同じ重さの見本を持ち上げてみましたが、ずっしりと重い・・・その大きさと輝きに驚かされます。 -
これは、文久3年(1863年)頃の枝銭(えだせん)。
鋳型に銅を流し込み、固まったら取り出したもので、銭貨が樹枝状に連なっているところから枝銭と呼ばれています。
見たことのない沢山のお金が展示されており、一見の価値がある貨幣博物館でした。 -
都内散策の最後は、菖蒲が見頃を迎えている「小石川後楽園」。
小石川後楽園は、旧水戸徳川家の江戸上屋敷の庭園で、1629年(寛永6年)に、初代藩主・徳川頼房が築き、嫡子の光圀が改修した、水戸黄門ゆかりの名園です。
大正12年に国の史跡および名勝に指定された際に、岡山の後楽園と区別するため「小石川」をつけました。小石川後楽園 公園・植物園
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7万m2以上の広大な園内には、蓬莱島と徳大寺石を配した大泉水を中心に、ウメ、サクラ、ツツジ、ハナショウブなどが植えられ、四季折々で花が楽しめるようになっています。
小石川後楽園 公園・植物園
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昭和12年に、隣接する旧東京砲兵工廠跡地に造られた野球場は、小石川後楽園にちなんで「後楽園球場」と名付けられました。
航空写真で見ると、東京ドームと小石川後楽園の配置が、よく分かります。(写真はHPより)小石川後楽園 公園・植物園
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園内を時計と逆回りに進み、龍田川にかかる幣(ぬさ)橋を渡ります。
この庭園は、神田上水の分流を引き入れて造られました。 -
池に浮かぶ蓬莱島。
手前には大きな石群がありますが、これが徳大寺石という後楽園の名物です。小石川後楽園 公園・植物園
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寝覚(ねざめ)滝。
内庭の池水が滝となって木曽川に落ちる所で、木曽路の名所「寝覚め床」に因んだ名前です。 -
「内庭」で睡蓮が咲き始めました・・・まるで、モネの世界。
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今は16時を過ぎているので、あまり花は開いていません。
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中央にある大きな池は、琵琶湖を模した「大泉水」・・・木陰から臨む、ホッとする、都会のオアシス。
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カメもノンビリ甲羅干し。
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横から見た蓬莱島と大徳寺石。
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濫鷂碑(えいようひ)・・・これは将軍家から賜った鷹が亡くなったのを哀しみ、8代藩主・斉脩(なりのぶ)が建てた碑です。
濫は「埋める」「墓」の意、鷂は「はしたか」という鷹の一種で、つまり濫鷂碑とは鷹のお墓ということでしょう。 -
正方形の「異形(いぎょう)灯篭」。
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花菖蒲田に行くと、660株の花菖蒲が見ごろを迎えています。
小石川後楽園 公園・植物園
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今年生まれた、かるがも親子。
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他の菖蒲の名所より規模は小さいのですが、都心で季節を感じるにはうってつけの場所です。
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全員揃っていないけど、とりあえず集合写真を・・・
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小石川後楽園は、四季を通じてカルガモ・サギ・シジュウカラ・カワセミなど40種類以上の野鳥が飛来する、都心とは思えない素晴らしい観察スポットです。
このサギは、ダイサギでしょうか。小石川後楽園 公園・植物園
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マガモ。
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園内左側にある「通天橋」。
紅葉の名所である京都・東山東福寺の通天橋にならい、大堰川の渓流に朱塗りの虹橋が架かっています。 -
石橋「円月橋」は、光圀が招聘した中国・明の高名な儒学者・朱舜水が設計したと言われています。
水面に映る様子と合わせると満月のように見えるので、この名がつけられました。 -
入口近くのザクロの木。
盆栽風に仕立てられています。 -
都内散策の後は、地元に戻って「反省会」・・・美味しいビールでした。
家に帰る途中で空を見ると、今夜は満月です。
お札に囲まれ、何だかリッチな気分になれた梅雨の合間の一日でした。
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