2014/06/07 - 2014/06/08
224位(同エリア836件中)
ちょんたさん
車を変えてから運転が楽しくなったという夫。その機会を逸しては!と誘ったのが琵琶湖でした。
一日目は、ちょっと足を延ばした西宮の娘のところから来たもので、木之本で美味しい鯖寿司の昼食、その後長浜へ着いたのが夕方。
二日目は心配していたお天気もだんだんよくなり、快晴の中、琵琶湖にぽっかりと浮かぶ竹生島へ30分のクルーズ。
暑いぐらいの日差しを受けて雨傘が日傘に早変わり。
150段の階段を上がった先には素晴らしい景色が待っていました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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エクシブ琵琶湖。
エクシブ琵琶湖は長浜にあると思ったこと。これは単なる私の勘違いで、どちらかと言うと彦根に近い??
でも、最初の日に長浜まで遠いと思ったのに、次の日は、長浜までひとっ走りの感覚になりましたので、そんなに遠くはありません。10分ほどでしょうか?
ところが、外装工事中で、琵琶湖からの美しい(であろう)外観を写真に残せませんでした。残念!
また、お部屋からの美しい(であろう)琵琶湖の景色を眺められなかったことも残念。
この景色は、テラスに出ないで下さいと言う注意書きを無視(!)して思いっきり手を伸ばして工事の柱の向こう側から写してみました。
この景色をテラスからそのまま見たかった! -
でもエクシブのために弁解すれば、内装はとてもシックで上品で気にいりました。
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朝食は、バイキングは子供連れが多いので多少うるさいかもしれませんと言う親切なおしらせでしたので、珍しく(初めてかも)洋食のコースを頼んでみました。
ちょっと気がついたことがあります。
何が出てくるのかテーブルにメニューが置いてなかったこと。チョイスするものは口頭で伝えられたのですが・・。
これは、ヨーグルトとサラダ。 -
次はコーンスープ。熱くてとても美味しかったです。
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窓際だったので、多分良い景色が眺められるのでしょう。今はこんな…。
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天井も素敵。
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ここでお思いがけなくフレンチトーストが出てきました。
フレンチトーストの大好きな夫は思わず笑顔。
とても美味しかったのですが…。
このあたりで、もうすでにお腹は一杯に近くなって…。 -
このあと一人2個ずつ持って来て下さったパンはパン好きの私が一つ食べるのがやっと!
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私はオムレツをチョイス。
残念なことその4。チョイスは、オムレツとスクランブルエッグだけだったのです。でも、どちらも卵を撹拌していることに変わりはないでしょう?フライドエッグも入れるべきではないでしょうか?できれば数も選べるようにして・・。
夫は目玉焼きが好きなので、目玉焼きにしていただきました。でも、選べればそれに越したことはありません。
一緒に乗っているのは「緑茶のソーセージ」。でも、こんなに大きなオムレツとソーセージ2本はとても食べられません。
やむなくソーセージを1本残してしまいました。
若い人ばかりが来るわけではないので、2本はいらないのでは?あるいは2本と書いてあれば1本に変えて頂くかも。 -
こちらのカボチャのナントカは微妙な感じでした。。だって塩味なんですもの。
最後は普通デザート系に甘いものを欲しくなりませんか?最後の味が塩味と言うのはどんなものでしょう?
感想:テーブルに洋食のコースメニューを置いておいてくれれば良いな〜と思いました。
フレンチトーストが出てくるのだったら、私などは、そちらをやめてパンを2個食べようと思うかもしれませんし、夫はパンをいらないと言うかもしれません。
卵は、フライドエッグを入れるべきだと思いました。だって、くずした卵は食べたくない人だっていませんか?
食べ残して廃棄されるものをなるべく減らしていくことが地球環境のために考えるてみてはいかがでしょうか?。という訳で、この旨エクシブの方にも伝えましたが。
パンもいただいて帰りました。捨てるなんてもったいない〜。 -
素敵な絵がかけられてました。
南欧風です。 -
こちらも同じ方の絵。
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ロビーも明るい雰囲気で良いですね〜。
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こういうイギリス的な花の絵は大好きです!
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入口のシャンデリアとお花の飾りも素敵。フェイクですが…。
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こちらは実はロビーにある女性のトイレ。変な趣味はありませんが、絵が素敵だったので思わずパチリと!!
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こちらは廊下の絵。
ボタニカルフラワー風で、この雰囲気も良いですね。 -
廊下。
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長い廊下にたくさんのこんな感じのお花の絵が飾ってありました。階によって違うのでしょうか?
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駐車場を出る時に併設のチャペルを一枚撮りました。
空が青くて映えますね。
この向こうは琵琶湖です。 -
10時15分発の竹生島行きを待っている時に写しました。
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こんなに広くても海とは全く違う穏やかさが広がっています。
長浜港 乗り物
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パノラマ機能を使って写してみました。
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同じところですが・・。
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15分発の船には結構な人が乗り込みました。私は2階デッキへ一目散、夫は1階に陣取ります。
遠くに昨夜見た長浜城が。思いっきり望遠で写してみました。
秀吉さんも眺めていた琵琶湖の景色。これだけは昔も今も変わらないでしょう。
天下をどうやって取ろうかと思案していたのでしょうか? -
あまり景色が良いので、写してもらいました。
夫にではありません。デッキの隣に座っていた知らない方にです!
お互いに、帽子を忘れたことを残念がってお別れしました。そのくらい帽子が欲しくなる暑さでした。
九州でARICさんと一緒に門司から下関まで渡った時に、あまりの急な潮の流れに船が揺れに揺れて、二人でキャ〜キャ〜言いながらデッキの椅子の背にしがみついて大笑いした時のことを思い出しました。
こんなに優雅に立っていられるなんて嘘みたいです。(笑) -
竹生島に着くと船着き場の正面にこの歌碑が立っていました。
琵琶湖周航の歌の歌碑です。以下、ウィキペディアより。
琵琶湖を中心とした滋賀県の風景が歌われている。
第三高等学校(現在の京都大学)に入学した小口は、1917年(大正6年)の琵琶湖一周の漕艇中にこの歌詞を思いついたとされる。周航2日目の6月28日夜、今津(現滋賀県高島市今津)の宿で部員の中安治郎が「小口がこんな歌を作った」と紹介したのが初出である。吉田が作曲した『ひつじ草』のメロディに当てて歌われたのが定着し、三高の寮歌、学生歌として広まっていった。
レコードの初版は1933年(昭和8年)にタイヘイレコードから発売された「第三高等学校自由寮生徒」の歌唱によるもの(品番:4580B)である[1]。1971年(昭和46年)には加藤登紀子がカバーし、ポピュラー音楽として一般にも知られるようになった。
作曲者の吉田は名前のみが知られ、素性は長年不明であったが、1993年(平成5年)に新潟県出身の人物で、『大日本地名辞書』を著した歴史地理学者吉田東伍の次男であったことが判明した。」
4番の歌詞に竹生島が入っています。
4.瑠璃(るり)の花園 珊瑚(さんご)の宮
古い伝えの 竹生島(ちくぶじま)
仏の御手(みて)に 抱(いだ)かれて
眠れ乙女子 やすらけく
一番は有名ですが、4番は知りませんでした。
1.われは湖(うみ)の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧(さぎり)や さざなみの
志賀の都よ いざさらば
青春ですね〜。 -
降りた人、これから乗る人がぞろぞろと…。
それにしてもすごい暑さになってきました。
ここで活躍したのが雨傘。立派な日傘に早変わりです。 -
竹生島の説明です。
古くから神が住む島・仏の島として信仰を集め、社寺関係者以外に住民はおらず、聖地としての歴史が脈々と引き継がれている。現在は真言宗の宝厳寺と都久夫須麻神社の「寺」と「神社」に分かれているが、このように区別されるようになったのは、明治初期の神仏分離令以降のことであり、島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていた。竹生島の聖地としての起源は、湖岸から人々が島を拝んだことにはじまり、名称は神がいつく(斎)島に由来するといわれる。竹生島は神仏が一体化した思想の中で発展した歴史をもっている。
宝厳寺唐門から観音堂を経て舟廊下を渡ると、都久夫須麻(ツクブスマ)神社へとつながる。
とにかくこの150段の階段を上がらないことには何もお参りできません。
昨年左足を骨折した夫も頑張るしかなさそうです。 -
行にはこのひょっこりひょうたん島の姿は船の前になってしまい、全貌が見えません。帰りのシャッターチャンスを狙います。
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やれやれ、もうすぐです。
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宝厳寺。こちらが本堂、またの名を弁財天堂と言います。
日本3大弁財天の一つだそうです。以下HPより。
「本尊の大弁財天は、江ノ島・宮島と並ぶ「日本三弁財天」の一つで、その中で最も古い弁財天です。そのため、当山のみ「大」の字をつけ、大弁財天と称します。
この本尊は、開山時(七二四年)聖武天皇の勅命を受け、僧行基が開眼したものです。内陣の壁画は、荒井寛方画伯によるもので正面の壁画を「諸天神の図」、側面を「飛天の図」と呼びます。」
そんなに由緒あるものなんですね。ここ近江は古いものが多いと聞いていましたが、そんなに古いものとは…。驚きの旅です。
ただし、こちらの壁画を見るのを忘れてしまい、下まで戻ったところで、気がつきましたが、階段を見上げてため息をつきあきらめたことが今となっては心残りです。 -
上から見た階段。結構急でした。
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重要文化財になっている石塔は日本で7つしかないそうですが、こちらはその一つ。
宝厳寺の石塔です。 -
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恐れ多くて外側からこっそりとりました。でも、写真はダメとは書いてありません。
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こちらは多分コピーの弁財天。
本物は非公開?? -
かなり新しい三重の塔です。
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夫が写真を撮ってあげたら、お礼に撮ってくださいました。
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この階段を下りると宝厳寺の唐門に行きます。
宝厳寺唐門 【建築年代:桃山 慶長08年移築(1603年移築)】
唐門とは、唐破風をもつ門という意味。秀吉が建てた大阪城極楽橋の一部で現存唯一の大坂城遺構として注目されている。その後、京都東山の豊国廟極楽門に移築、豊臣秀頼の命により竹生島に渡った。檜皮葺き、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金(キンメッキ)の錺(カザリ)金具が散りばめられ、豪華絢爛と言われた桃山時代の代表的遺構である。(HPより)
昨日の長浜でも、秀吉の息吹を感じましたが、これは秀吉が実際に見ていたものなんですね!!
最近、黒田官兵衛をずっと見ているもので親近感が湧いてしまいました。 -
見えてきました!
だいぶ古びてはいますが…。 -
これがたてられたときはさぞ絢爛豪華だったことでしょう。
宝厳寺 寺・神社・教会
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かすかに色が残っています。
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これは渡り廊下ですが、特徴があります。
宝厳寺渡廊(舟廊下) 【建築年代:桃山 慶長08年(1603年)】
?この廊下は、観音堂移築と同時に掛けられ、秀吉の御座船「日本丸」の骨組みを利用している。急斜面に掛けられたためその足元は、高い舞台構造(懸造り)となっている。これも唐門・観音堂と同時に桃山様式で作られたものである。(HPより)
ここにも秀吉さんの息吹が…。 -
こちらが竹生島神社でした。
今写真を整理しながらやっとわかりました。昔は神習合で一体となっていたようですが、明治に分けられたそうです。
こちらは都久夫須麻(ツクブスマ)神社(竹生島神社ともいうのですよね?)
後で調べたのですが、私たちが行った二日後に、今までの修理が終わって神事が催されたようです。 -
以下HPより
六月十日に行われるお祭りです。
我が国において千数百余り祭られている弁才天の中で、日本三大弁才天として霊験あらたかなことで知られています。
さがみの江ノ島神社、安芸の厳島神社より御分霊と御神官様を竹生島神社にお迎えし三社で合同の弁才天まつりが毎年華々しく繰り広げられます。
このお祭りには弁才天様の御徳にあやかろうと多くの方々が参拝されます。
また、ご神事の中で弁才天様に奉納する舞楽 蘭陵王が舞われます。
長浜にしろ、こちらにしろ、ずいぶん長い伝統を守って生活しているということが分かりました。 -
かわらけに願い事を書いて上から投げたのがあちらの鳥居をくぐると願い事が成就するのだそうです。
一つありますが、成就しないと困るので、やめました。 -
えいっと投げている方。
ちょっと見ていましたが、誰も届いていません。
皆さん、大願を書かれているんでしょうね。そんなにちょっとやそっとでは成就しそうにありません。 -
それにしても穏やかな・・・。
神様もお昼寝しそうです。 -
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12時05分発に乗って帰りました。
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海の色もきれいです。
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だんだん離れるので、ひょっこりひょうたん島が取れそうです。ワクワク!
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来ました〜〜!
まさしく記憶の中にあるひょっこりひょうたん島です。
でも、娘に言ったら、娘の時代には知らないとのこと。あ〜、年代が分かりそう。
でも、私の子供の時に見ていたのはチロリン村!!これを知っている人はいますかしら??? -
お昼は、昨日見当をつけていたオムライスの奥まったレストランへ直行しました。
夫がじっと見つめている視線の先は、隣の若いお嬢さんがた4人のテーブルに運ばれた食事。
そ〜〜んなに見つめないのと言っても、ひたすらじっと見る夫。変なおじさんと思われたことでしょうね。ごめんなさい。 -
今日は卵の食べすぎですね。朝も目玉焼きにして2つ食べてしまったのに…。
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私はそう言うわけで、卵をやめて、近江牛のカレーライス。
柔らかな牛肉が3枚スライスして載っていました。とても柔らかくて美味しかったのですが、個人的には焼いたお肉のほうが好きです。少し肉の匂いが気になりました。 -
この通りは、もともと大通寺への参道だったと書かれていたので、その大通寺が気になりだしました。
夫にゆっくり食べていてね〜と言い残して急ぎ大通寺へ…。 -
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いろいろ気になるお店を写しながら左折して大通寺へ向かいます。
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本当は立派なもんがあるのですが、修理中で、使用人が通るような簡単な門をくぐり中に入りました。
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本堂の中です。ここまでは拝観料はいりませんが、その奥は、500円の拝観料を取ります。
大通寺は真宗大谷派(東本願寺)の別院。一般的には長浜御坊の名で親しまれている。本願寺12世の教如上人が、湖北門徒に仏法を説き広めるための道場を、旧長浜城内に開いたのが始まりである。本堂は高欄の金物に明暦3年(1657年)の銘があり、この頃には完成したとされる。正面29.98m、奥行36.33m、一重の入母屋造り、本瓦葺きの大規模な建築である。外陣は桁行9間、奥行きは7間あって(139畳敷)、周囲に一間ごとに柱を立てた真宗本堂の古式を表わす。外陣の正側三面に吹放しの入側及び縁を廻して参詣者の場とする。内陣は奥行三間を上段に構え、中央仏間の左右に余間及び飛檐の間を配し、彫刻金箔押しの欄間などで装飾されている。(HPより)
と言う由緒あるもので、1000坪の敷地を誇っています。何しろ広い!
思わず受付の方に「お掃除が大変でしょうね〜」と言うと「そうなんです。何時間もかかるんですよ。」と返されました。 -
待っている夫が気になるもので、ゆっくりとは見られませんでしたが、このような飾りと襖絵の豪華さには圧倒されました。
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このかごは、彦根藩主の息女数姫がお輿入れの時に使われたものだそうです。
宝暦10年(1760年)にこちらのお寺の住職・横超院のご内室になられたそうです。 -
どこまでも豪華なふすまに広いお座敷です。
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お庭も由緒ありげです。
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含山軒庭園(名勝) 江戸時代
枯山水の庭園で、東方にそびえる伊吹山を借景とすることから含山軒の菜が生まれたと書かれていました。
では遠くに見えるあの山が伊吹山なのでしょうか?
良くこちらの旅行記で、伊吹山の美しい花畑の写真を見ているので、思いを馳せながら背伸びをするようにして写真を撮りました。 -
広い広い見取り図。
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この長い廊下です。掃除機をかけるにしても、コードが届くのでしょうか?
どこまでも主婦感覚でごめんなさい!! -
行にも撮りましたが、入り口付近から引いて撮ってみました。この方が広さが分かります。
まるで時代劇のセットのようです。 -
夫を待たせているので大慌てで戻りました。
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こちらの曳山博物館で、長浜のママさんコーラスがあるということが看板に書かれていたので、入って聴きたかったのですが、時間がなくて残念でした!
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おやま〜、懐かしい。
何年か前にボストンに行ったときに娘たち一家とダックツァーに行ったことを思い出しました。
琵琶湖も走っているんですね。 -
この人の多さは、「ふるさとまつり」と言うのを開催していたからなのでしょうが、一緒に夜は秀吉バルも加わり、昼も夜も賑やかになるのってとても良いことですね。
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駐車場前にあった「大公秀吉さんの神社」です。
あまりの暑さに遠くから写真を撮っただけでしたが・・。 -
なかなか風情がありますね。
帰りが気になったので、このあたりで伊東への帰路につきました。
帰りももちろん新東名の清水ネオパーサに寄り込んで、行に食べたフレンチトーストを食べたのは言うまでもありません。
そこの店長さんに「お帰りですか?」と言われてびっくり!!
行きに食べる時に「この前も、行に食べて、帰りもわざわざ寄って食べて帰ったんですよ。」と言ったのを覚えていたのでしょうか?
それとも、この時間だったら大体帰りのお客様と思って声をかけただけなのか…。謎です。
運転で疲れた体には甘いものがオアシスですからね。あっ、もちろん私のことではありません。
でもさすがに疲れたらしく、2度は行けないな〜とつぶやいておりました。
お疲れ様でした。お読みくださった方もお疲れ様でした。
でも、今度は新幹線で行って、ゆっくり観音様や仏様にお会いして来よう…と秘かに誓ったのでした。勿論夫と一緒ではなく…(笑)豊国神社 寺・神社・教会
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