2014/05/19 - 2014/05/22
1224位(同エリア4713件中)
kenichi291さん
- kenichi291さんTOP
- 旅行記105冊
- クチコミ28件
- Q&A回答2件
- 148,460アクセス
- フォロワー0人
函館フリープラン4日間(市電・市バス乗り放題2日券付)なるツアーで坂の町函館の坂道を踏破して来ました。ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン。北海道の3つ星観光地は雪まつり、民俗学の短編映画(北大植物園)、知床国立公園、眺望(函館山)、摩周湖、阿寒湖なのだそうです。世界の3大夜景が売り文句はミシュランガイド3つ星の眺望に変化したようです。と言う事なので写真は定番の夜景です。最近の旅番組で実は夕日の名所でもあると知ったので落ちて行く夕日も見て来ました。後半雨模様となり函館街歩きに徹した旅となりました。天気が良ければ大沼を散策するのも良いと思います。レンタカーを借りれば江刺、松前を訪ねるのも良いでしょう。観光バスの周遊コースもあるようですから、函館を基地としての観光は結構楽しめると思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 船 JALグループ ANAグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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2014年5月19日函館山から夕日を眺める。夜景は曇っていても見られるのですが、夕日は太陽の出方次第。見られてラッキー。
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夜景見物の観光客の皆さんも静かに沈み行く夕日を眺めています。
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そして函館の街に灯りが少しずつ灯り始めます。
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観光客のトップはUSネイビーの水兵さん。士官クラスは軍服、若者たちは私服のようです。続いてはタイ、台湾などの外人観光客の団体がやって来ました。しんがりは修学旅行の生徒達の団体が続々と続きます。それを見ている私は余程の暇人。
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教会群や摩周丸がライトアップされると最高の夜景タイムが訪れます。
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50年前の修学旅行、十数年前の旅行で訪れた時もゆっくり見られたのに、今や高尾山状態。
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我々は、まだ陽の高い内からロープウェイでやって来ました。昼の眺めは鑑賞の余裕あり。
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宿泊しているホテルに戻り就寝。
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2014年5月19日NH553便で羽田を発ち函館に。タクシーでトラピスティヌ修道院へ。空港タクシーの運転手さんが観光案内をしてくれます。料金は通常運賃です。サービスだそうです。嬉しいサービスですね。
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トラピスチヌ修道院 明治31年にフランスから派遣された8人の修道女が設立した日本初の女子修道院。園内には、テレジア、ジャンヌダルク、天使ミカエルなどの聖像や資料館があり、道なりに牧歌的な草原が広がっている。売店で手造りのロザリオや菓子を販売しています。像の解説は運転手さんのお話によります。
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慈しみの聖母マリア レンガ造りの聖堂を正面に見ながら歩を進めると、純白の聖母マリアの彫像が優しく待ち受けます。フランスにあるラ・トラップ修道院のマリー・ベルナルド神父の作品で、両腕をゆったりと広げ、すべての人を優しく迎え入れる姿から、「慈しみの聖母マリア」と呼ばれ、親しまれています。
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ルルド 南フランスにあるルルドの洞窟を模して作られ、「ルルドの聖母」として広く知られています。これと同じものが、修道院の奥深くにある林の中にもあります。1858年に聖母マリアが、18回にわたってルルドの近くにあるマッサビエルの岩窟で、14歳の田舎娘ベルナデッタ・スビルーに現れ、ベルナデッタが聖母マリアのお告げに従って掘り当てた泉が、さまざまな病気の治癒をもたらしたという言い伝えに基づくもの。聖母マリアを見上げてひざまずいているのが、少女ベルナデッタです。泉の水によって心身の病を癒されるという奇跡から信心が広まり、多くの教会や修道院にはこのようなルルドが造られています。
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司祭館 正面左手の建物は、1913年(大正2年)に建てられた司祭館です。修道女の信仰生活を指導するために、男子のトラピスト修道院や、司教の命によって、司祭方が派遣されています。
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聖テレジア像 「幼いイエスの聖テレジア」として、日本人にもよく知られている聖テレジアの像。フランスから1936年に送られたものです。カルメル会修道女として徳を磨き、「私が天に昇りましたら、地上にバラの雨を降らせましょう」という最後の言葉から、胸に抱いた十字架にはバラの花が飾られています。
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入会者の門 司祭館の手前、右手のレンガの塀に、小さな門があります。これは「入会者の門」と呼ばれるもので、修道院に入会して、神と人々への奉仕に一生を捧げたいと望む人が、入会を認められてから、最初にくぐる門です。この奥に、修道院の正面玄関があります。
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ジャンヌ・ダルクの像 聖堂の壁に見えている旗と剣を持った女性の像は、フランスから贈られた聖女ジャンヌ・ダルクです。15世紀の百年戦争でフランス軍と共に戦い、不正な宗教裁判によって処刑されましたが、死後に無実が判明して名誉が回復され、聖女とされました。神と人々のために命を捧げたジャンヌ・ダルクは、修道女のシンボルとしても敬われています。
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聖堂 司祭館の右側の丸みを帯びた壁のところが、この修道院の中心であり、修道女の生活にとっても中心的な場所である聖堂。この聖堂で、毎日ミサと7回の共同体の祈りが捧げられています。屋根の上にある小さな塔は鐘楼で、ミサや共同体の祈りの始めに、また仕事の終わりの時刻など、大小2つの鐘が鳴らされます。
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ジャンヌ・ダルクの像 聖堂の壁に見えている旗と剣を持った女性の像。処刑後、名誉回復をされ聖女に列せられたのでここにあるようです。
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トラピスチヌ修道院からの眺め。遠く函館山から立待岬が見える。
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タクシーの運転手さんが待っていてくれたので五稜郭タワーに向かう。運転手さんは親切です。函館は小さな街ですから、観光タクシーでの観光もありかも。
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五稜郭公園を眺望する107mの高さを持つタワー。2006年の建て替え後は、星形の五稜郭をしっかりと確認できるようになった。箱館戦争の歴史を語る展示物も興味深い。
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司馬遼太郎の長編歴史小説。新選組副長土方歳三の生涯を描いた「燃えよ剣」最後の舞台となる、五稜郭。東京日野市の高幡不動は土方の菩提寺、良く行きます。こちらは彼の夢の最後の地。
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外堀と内堀をつなぐ一の橋、二の橋。五稜郭の星型の角にあたる石垣が、クールに見えます。
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江戸幕府の役所である「箱館奉行所」があった、星形城郭の跡。現在復元公開されている箱館奉行所は、箱館戦争の間、旧幕府軍の本拠地となりました。土方は、普段は弁天台場のある市中(函館山のふもと)に居住していましたが、軍の打合せがあるとこの場所に馬で通ってきていたそう。「箱舘市中取締裁判局頭取の肩書きを持つ土方は、市民を守るために現大町に逗留していたらしい。5月11日早朝、ここで敵軍の総攻撃の情報をきいた土方は、2小隊50人ほどを率いて出陣しました。そして、銃撃を受けて戦死。亡骸は隊士達によって、再び五稜郭に戻ったとされています。「小さな丘のようになっている松の根元に埋葬されていました。その後、首を狙う敵の目を眩ますため、あちこちに移されたようです」。
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箱館奉行所付近には、幕末に植えられた樹齢150年以上の松が現存しています。
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市電でホテルに向かいます。ホテルにチェックイン後、一休み。函館港の景観を眺められるタイプの客室でした。応接セットも付いていて二人で泊まるには充分のスペース。夕方函館山に向かいます。函館山は前述。
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5月20日の夜明けです。今日も良い天気らしい。
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今日から「市電・市バス共通パス」が使えます。市電「谷地頭」駅に向かい立待岬を目指して歩きます。
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消火栓が黄色です。
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駅から道標が分かり易く付いています。
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立待岬に到着。対岸は下北半島、マグロで有名な大間だそうです。
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市街地から見て函館山の左端に位置する立待岬は、海に突き出る形で海抜約30mの断崖がそそり立ちます。大森浜から湯の川温泉街へと通じる海岸線 と、津軽海峡を一望できる絶景の場所で、かつて、寛永年間には北方警備のため異国船の往来を監視する台場、明治時代には函館要塞の背後を防御する要塞が築かれました。「立待」という名は、一説でアイヌ語の「ピウス」(岩の上で魚を待ち伏せして、ヤスで獲る場所)を意訳したとされています。岬一帯の岩は、斜長石や角閃石などからなり、縞模様に見え、五稜郭築城の際、石垣の一部に使用されました。
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東京は銀杏ですが、函館のガードパイプはイカさんです。
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ここには句碑が。
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切り立った岩を間近で見るには、下へとつながる遊歩道が設けられています。階段手前には、与謝野寛・晶子の歌碑が建てられています。市立函館博物館の創設者だった岡田健蔵の功績を称えるため、1957(昭和32)年8月に建立。寛が岡田氏の親友・宮崎郁雨を読んだ「濱菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土」、晶子による「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと」との短歌が刻まれています。
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この辺りから、下へとつながる遊歩道が設けられています。たまたま消防の皆さんが下に降りて行かれました。管理小屋の方に、演習でもされるんですかと伺うと、毎年ここでの自殺者が多いので見回りを頻繁にしているのだそうです。断崖絶壁がある訳でもないので、海岸で薬物を飲んでの自殺者が後を絶たないそうです。去年も7件あったそうです。管理人さんは去年も1件思い止まらせたそうです。東尋坊と同じですね。管理人さんは御年72歳。月に十日程健康の為も含めて、管理仕事をされているそうです。元は漁師さんだとか。あそこが大間と教えて下さったのもこのお方です。
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谷地頭の電停まで戻ります。元バレーボール日本代表の益子直美さん出演の旅番組で見た和菓子屋さん。
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この蒸しパンが出て来たような気がします。などと考えているうちに市電が到着。ここは終点、折返します。
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市電「宝来町」駅で下車。降車ホーム前の肉屋さんで道を聞く。千住明さんの函館食探訪で紹介されていたすき焼きやさんを隣でやっているお店です。
茶房「 ひし伊」さんに入る 和洋折衷の建物が並ぶ護国神社坂のふもと。大正10年造の質蔵を改造したというこの店も、その一角にあります。質屋を営んでいた一族の子孫である入村さんが、昭和57年から喫茶店と併設のアンティークショップを切り盛りしています。啄木の妻も通った質屋さんだそうです。 -
茶房「ひし伊」 大正10年の建築。明治と大正築の2つの土蔵からなる、茶房とアンティークショップ。函館には珍しい黒漆喰の外壁もさることながら、石川啄木夫人が通った元質店というように、店内にも繁栄の陰にあった人々の営みが染み込んでいます。
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茶房「ひし伊」さんでお茶して、店を出たら、前の坂「護国神社坂」は楽に登れそうな坂道です。
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坂を上り、護国神社の手前を右に進むと、日本初のコンクリート寺院「東本願寺函館別院」の屋根が見えて来ました。
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八重桜が満開。
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ベイエリア・朝市へと続く二十間坂。長さの単位である1間(けん)あたりが1.81mで、その道幅が20間分に相当するのが語源。1879(明治12)年の大火後、防火線として整備されました。当初は、木が多く茂っていたことから「緑坂」、または付近に大工や工人が多く住んでいたために「大工町坂」と称されていたこともありました。1900(明治33)年には、道幅の広さからか、函館山要塞に備える大砲を搬送するのに利用されたそうです。現在では、黒っぽい長方形の石が規則的に敷き詰められ、その美しさがロマン漂う町並み形成の一端を担っています。坂を上ると、左手には郷土が誇る老舗レストランの五島軒。また、突き当たる右手前には、1915(大正4)年に建立された国内最古の鉄筋コンクリート造り寺院で、瓦の大屋根が特徴の東本願寺函館別院がそびえます。
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二十間坂と大三坂に接する、「東本願寺函館別院」。先ずは、二十間坂。明治12年の大火の後、防火帯として道幅が二十間(約36m)に広げられたことからつけられた名前。そのほか、基坂、八幡坂、護国神社坂など幅の広い坂を設けて、火止めとした背景があります。
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元町カトリック教会を右手に見ながら港が丘通を過ぎ、函館聖ヨハネ教会と函館ハリストス正教会の間を通る道の幅は急に狭まると、坂名はチャチャ登りに変わります。チャチャはアイヌ語で老爺を意味し、老若男女が腰を屈めて上らなければならないほど、急坂という証しです。しかし、労を惜しまず坂上に到達すると、目の前には異国の地を思わせる景色が広がるそうですが、疲れたのでここまでに。
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元町カトリック教会の向かい側、東本願寺別院の角に建っている碑。
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この辺りから見ると大三坂は、見通しが今一。数ある坂の中では坂としてB級。ただし元町教会群の真っ只中、観光スポットとしては超A級。
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大三坂は、石畳の美しさとエキゾチックな雰囲気が高い評価を受け、1987(昭和62)年、建設省(現在の国土交通省)の「日本の道百選」に認定されました。坂名にある「大三」は、地方から奉行所へ公用でやって来る人たちのため、坂の入口に建てられていた郷宿の家印に由来するそう。
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ローマ法王より唯一寄贈された祭壇を持つ「元町カトリック教会」
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ボケの花の紅が鮮烈。
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四面の白壁に十字架をあしらい、函館山山頂やロープウエイに搭乗して眺めると、茶色の十字形をした屋根が印象的な建物です。1874(明治7)年に英国人のデニング司祭が函館を訪れて布教活動を始め、英国プロテスタント聖公会の教会として道内の先駆けとなりました。歴代の牧師らは市内に学校や病院などを開設し、教育、福祉の分野でも多大な功績を残しました。
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この教会はミツバツツジのような花が綺麗。
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函館ハリストス正教会 日本初のロシア正教会聖堂。白壁と緑屋根の対比が美しく、函館を代表する歴史的建造物。現存する聖堂は1916年築。鐘の音は「日本の音風景100選」認定。重要文化財。異国情緒漂うエキゾチックな町並みを形作る洋風建築物の代表格と言えるのが、函館ハリストス正教会です。白壁と緑屋根の外観に加え、美しい音色を奏でる鐘があることも有名で、市民には「ガンガン寺」の愛称で親しまれています。
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正面玄関上にそびえる八角形の鐘塔に、現在取り付けられている鐘は5代目。1996年、環境庁「日本の音風景100選」に認定されました。この鐘の音は、毎週土曜日午後5時の徹夜祷、日曜日午前の聖体礼儀など、1回あたり3〜5分間にわたって函館山の麓一帯に響きます。
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赤レンガ倉庫が立ち並ぶウォーターフロント沿いを道なりに進むと、函館山へ導いてくれるのが「八幡坂」。両歩道脇には、坂上まで手すり付きの階段が整備されています。突き当たりにあるのは、演歌界の大御所・北島三郎の出身校として知られる函館西高校。その真下からの眺めが絶景で、かつて、CMで老夫婦が手をつなぎながらスキップするシーンのロケ地として評判となり、「チャーミーグリーンの坂」と呼ばれたことも。また、記念館として旧桟橋に係留展示されている青函連絡船・摩周丸を正面に望める、函館で1、2を争う人気の高い坂です。
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日和坂 港の旧桟橋から船魂神社までまっすぐに伸びている坂。かつては広い港を一望でき、空模様をよく判断できたことからこの名前が付いた。西高生の通学路にもなっている。
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日和坂に面した酒屋さん。
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和洋折衷の建物の一つ「花かんろ」
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電停「末広町」の真ん前から山腹へ伸びる坂です。バス通りを横切り、病院の脇を過ぎて上ること約280m。右手の角に旧相馬邸が建つ交差点で直線はいったん途絶えますが、左前方に坂は続きます。そのため、旧桟橋の先に広がる港を望めるのは、この交差点までが限界です。
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港の旧桟橋。
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この辺りも和洋折衷の建物が目立ちます。
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坂を上らず下らず、横に歩きます
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リラを植えているお宅が目に付きます。今がお花の見頃のようです。
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旧函館公会堂に辿り着きました。
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全景は基坂の上、元町公園前から旧函館公会堂を仰ぎ見るのが良いようです。
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前の道からでは全体が入りきらないようです。
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二階の大広間と大正天皇の宿泊された御座所を見学。
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外観のインパクトもさることながら、細部に目を凝らすと、屋根窓や棟飾柵、破風(ぺディメント)、円柱、柱頭飾とどれをとってもハイカラな造り。館内の装飾も、外国人の指導を受けることなく、洋風建築物の視察などを通して自ら考案した職人の高い技術を垣間見ることができます。中でも皇族が実際に利用したこともある貴賓室は、外国製の壁紙やシャンデリア、暖炉を用いており、内装の高貴な色遣いに目を奪われてしまいます。
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1910(明治43)年築、工事費の大半が豪商相馬哲平の寄付による。基坂の真上にあたり、2階のバルコニーからの眺めは絶景。重要文化財。
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再び一階に下ります。
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基坂 かつては行政の拠点として、坂上に役所が置かれていました。松前藩時代の亀田番所、幕府直轄時の箱館奉行所、明治以降は開拓使、その後は1950(昭和25)年まで渡島支庁、と時代の経過とともにその名称を変えてきたのです。そのため、住民の間では「お役所坂」「御殿坂」の名で親しまれていました。正式名は、里数を測る上で「基点」となる元標が坂下に建てられていたのに由来するそうです。坂の始まる手前、海上自衛隊から電車通りにかけてグリーンベルトが整備されています。明治天皇御上陸記念碑が高くそびえ、通りの角にはモスグリーン色をした相馬株式会社の社屋。山の方に目を向けると木々に囲まれるように、ブルーグレーとイエローの鮮やかな外観をした旧函館区公会堂が大きな存在感を示しています。たまに坂下を振り返りながらゆっくりと歩を進めていき、左手の旧イギリス領事館、右手のペリー提督来航記念碑を越えると、坂の頂上である元町公園に到着。
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坂は元町公園にぶつかり、左に迂回。旧相馬邸前を上に上っています。
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1859(安政6)年の開港とともに、アメリカ、ロシアに次いで函館では3番目に開設された領事館です。最初は当時、現在の弥生小学校付近にあった称名寺内に仮設、1863(文久3)年に現在のハリストス正教会(函館市元町3)付近に新築した後は、幾度かの大火に見舞われ、現在の建物は1913(大正2)に竣工したものです。1934(昭和9)年に領事館としての役目を終えて閉鎖され、1992(平成4)年に復元されて以降は、開港記念館として一般開放されています。2009(平成21)年の開港150周年を機に、館内をリニューアルして同年3月にオープン。体験型展示に重きを置き、展示室のうち、領事執務室と家族居室は3代目領事リチャード・ユースデンが使用していた当時を再現していて、椅子に腰を掛けたり、調度品に触れることができます(一部を除く)。ユースデンは、函館公園(同市青柳町17)の造成を提唱するなど、函館の町づくりに尽力した人物です。開港ミュージアムでは、ペリー来航をきっかけに開港するまでの歴史をパネルで学べるほか、室内に置かれた木樽のスコープをのぞき込むと、町風景の移り変わりや、外国人が音楽に合わせてユニークに踊る動画を見て楽しめます。天井がガラス張りの開港記念ホールには、古い絵地図「箱館真景」を基に、ペリーのたどった航路や世界地図をダイナミックに描いたカラフルなカーペットが敷かれています。また、開港当時の町並みに自分の顔を映し出せる「函館ハイカラスクエア」では、一風変わった記念写真を収めることができます。
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相馬株式会社社屋。
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坂はもう一本5月21日大町で見た 弥生坂 電停「大町」で下車すると、山腹に向かって真っすぐに伸びています。その道程は約720mに達し、函館山山麓にある主要な坂では最長です。その長さに象徴されるかのように、坂の呼び名は、さまざまなものが存在しました。かつて坂は2本から成り、一方を現弥生小学校敷地の西側に称名寺(現在は市内船見町18)が建っていたことから、「称名寺坂」、「西の坂」、または「寺町の坂」。もう一方は、1871(明治4)年まで坂上にあった遊廓から帰る人を冷やかしてか、「改心坂」と呼んだのだとか。また、さらに上の坂は、函館山を構成する各頂へ通じる道にちなんで「薬師坂」または「七面坂」と呼ばれていました。そして、1879(明治12)年の大火後、現在のように1本に整備された際、地域の繁栄・発展を祈念し、春を意味する「弥生」と名付けられたそうです。
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函館の主要な坂の中では最長。かつては2本の坂だったが、明治12年の大火後現在のような1本の坂となった。この時、地域の繁栄・発展を祈り「弥生」の名が付いた。先は函館山の中腹まで続いているように見えます。住んでいる人は登るのが大変。
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市電の車窓から見つけた呉服屋さん。
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JR函館駅前で市電を降りて朝市に行ったけれどもう店じまい。ホテルに帰る。
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5月21日の朝。函館山の山頂は雲で覆われて見えません。天気予報も雨模様とか。朝食後朝市に向かう。
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ホテル前の桟橋にはイカ釣り船が係留されています。
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市場に行く前に青函連絡船「摩周丸」を見学。
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50年前修学旅行で青函連絡船に乗って函館港に来ました。船名に記憶が無いので残念。イルカが船の横について泳いでいたのを記憶しています。
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無線通信室。
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朝市を見学。
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舟の水槽でイカ釣りをしてイカ刺しにしてもらうお馴染みのお店に入る。イカが透明。
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ホタテを焼いて貰って食べる。
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いしちゃんもまいうーの色紙を残しています。
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函館駅前から市電で大町に。
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大町の波止場には機帆船が。
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TACHIKAWA CAFE 明治34年の建築で、国指定重要文化財となっている煉瓦造の旧米穀店。威風堂々とした構えと重厚さを残す内部の造りは、圧巻そのもの。他の和洋折衷建築物とは一線を画した、ここでしか味わえない雰囲気の中でのお茶は、またひと味違ったものとなるでしょう。景観形成指定建築物。
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ランチもやっておられるようです。
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コーヒーとケーキを頂く。パンが焼きあがって良い匂いが漂っています。パンもケーキも手造りみたいです。
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落ち付いた雰囲気の店内。
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重文の建物内部。ケヤキの一枚板。
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お隣の建物も風情があります。
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弥生坂 電停「大町」で下車すると、山腹に向かって真っすぐに伸びています。その道程は約720mに達し、函館山山麓にある主要な坂では最長です。その長さに象徴されるかのように、坂の呼び名は、さまざまなものが存在しました。かつて坂は2本から成り、一方を現弥生小学校敷地の西側に称名寺(現在は市内船見町18)が建っていたことから、「称名寺坂」、「西の坂」、または「寺町の坂」。もう一方は、1871(明治4)年まで坂上にあった遊廓から帰る人を冷やかしてか、「改心坂」と呼んだのだとか。また、さらに上の坂は、函館山を構成する各頂へ通じる道にちなんで「薬師坂」または「七面坂」と呼ばれていました。そして、1879(明治12)年の大火後、現在のように1本に整備された際、地域の繁栄・発展を祈念し、春を意味する「弥生」に由来するそうです。
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函館の主要な坂の中では最長。かつては2本の坂だったが、明治12年の大火後現在のような1本の坂となった。この時、地域の繁栄・発展を祈り「弥生」の名が付いた。先は函館山の中腹まで続いているように見えます。住んでいる人は登るのが大変。
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リラの花が満開。弥生坂の途中から横に歩きます。
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元町公園の入口で基坂に出会います。
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旧相馬邸 1908(明治41)年、基坂上に豪商相馬哲平の私邸として建築。延床面積680?の豪邸は函館を代表的する民間建築で伝統的建築物指定。2010年から一般公開。
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そして再び、日和坂 港の旧桟橋から船魂神社までまっすぐに伸びている坂。かつては広い港を一望でき、空模様をよく判断できたことからこの名前が付いた。西高生の通学路にもなっているそうです。電停「末広町」の真ん前から山腹へ伸びる坂です。バス通りを横切り、病院の脇を過ぎて上ること約280m。右手の角に旧相馬邸が建つ交差点で直線はいったん途絶えますが、左前方に坂は続きます。そのため、旧桟橋の先に広がる港を望めるのは、この交差点までが限界です。さらに先を進むと突き当たりに、1135(保延元)年が始まりとされる由緒正しき船魂神社があります。その隣に函館西高校に通う生徒専用の自転車置き場があるため、この坂は登下校に使われているようです。道端には、アジサイが植えられています。
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八幡坂、大三坂を過ぎると二十間坂に。
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五島軒本店に辿り着きます。ホテルの朝食バイキングが充実しているので、昼食は軽くと努めて来ましたが、名店の前に来て入らないのも失礼。ランチを頂く事に。
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創業当時からのメニューロシア料理セットをオーダー。
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ボルシチ。
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上の写真のピロシキ。
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ビーフストロガノフ。
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ビーツ入り野菜サラダ。
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クワードケーキとコーヒー。
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坂を下って十字街へ。
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十字街の交差点を過ぎると和洋折衷建物が多く見られます。
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そして 金森赤レンガ倉庫(金森洋物館) 港町の岸壁に建ち並ぶ赤レンガ倉庫は、横浜や神戸、長崎など各地に点在し、どこかロマンチックな風情を感じさせてくれる、その町のシンボルとなっています。我が国初の国際貿易港として開港した函館も例外でなく、市内有数の観光スポットとして四季を問わず、にぎわいを見せています。函館の西部地区にある赤レンガ倉庫は、長崎から来函し、輸入雑貨や船具などの販売を手掛けていた初代渡邉熊四郎が1887(明治20)年、既存の建物を買い取って営業倉庫業に乗り出したのが始まりです。海運の活況により、荷物の取扱量が年々増加していったため、倉庫の増築で営業規模を拡大していきました。そんな最中、1907(明治40)年に発生した大火で倉庫6棟を焼失し、不燃質の倉庫として1909(明治42)年に再建されたのが、現在の建物です。その後、流通の多様化や北洋漁業の衰退などに伴い、倉庫としての役割を終え、飲食店や土産物店が入居する複合施設へと姿を変え、観光スポットとなりました。とはいえ、数棟は、現役の営業倉庫として活躍を続けています。
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倉庫の側の桟橋から出る港内遊覧船に乗って見る事に。30分で函館港を一周するそうです。この船に乗った方は少ないみたいなので挑戦。
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天候のせいもあるけど船内がらがら。
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イカ釣り船。
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摩周丸。
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函館ドック。
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フェリー埠頭。
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貨物船埠頭。
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遠くに小野田セメントの工場の煙も見えます。函館山の展望台から見るとシーバースがある大きな工場みたいでした。
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自衛隊の艦艇かな。
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旧函館郵便局(はこだて明治館) 911(明治44)年に函館郵便局として建てられた赤レンガの重厚な建造物。昭和58年から商業施設として民営化、現在はショッピングモールとして活用されている
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5月22日、15:05のJALで帰ります。
イカのマンホール。カラーは少ないらしい。函館では1989年(平成元年)に市の魚として制定された「イカ」をモチーフにしたマンホールが最初に登場し、現在では戸井地域の「タコ」を含めて4種類あるそうです。写真で紹介したカラーマンホール(たこを除く)は、元町や十字街、ベイエリアなど全部で19枚設置されているそうです。 -
イカのマンホール
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五稜郭。
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金森倉庫でショッピング。
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旧函館郵便局前の空港シャトルバス乗場でバス待ち。
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紅花トチの花が咲き始めています。
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空港行きのバスから市電のレトロ車輌に出会う。
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羽田空港悪天候のため搭乗機の到着が一時間遅れ。出発も一時間遅れとなりました。
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