2014/05/11 - 2014/05/11
166位(同エリア472件中)
滝山氏照さん
JR 横浜線相原駅から相模・武蔵を分ける境川に沿った町田街道を西進、二国橋を渡ると相原(あいはら)八幡宮があります。
境内の由緒によれば当八幡宮の創建時代は不詳ですが、平安時代末期に現在の八王子横山庄に拠点を置く武蔵七党の横山氏の宗家横山時重(よこやま・ときしげ、生誕不詳~1213)が当地(旧地名・高座郡粟飯原郷)に進出し、粟飯原(あいはら)氏と称して当地を支配することになりますが、その後に創建されたのではないかと推測します。
建暦3年(1213)における和田義盛(わだ・よしもり、1147~1213)の北条氏に対する反乱を起こし、その際時重娘は和田義盛の側室であることから一族郎党共に義盛に与しますが武運なく討死、横山氏は滅亡し所領は没収されます。
当然ながら粟飯原氏も横山氏と共に義盛方に属しますが主だった武将は討死、結果本家とともに滅亡したと思われます。
尚横山党の南進は極めて積極的で例えば境川に沿っては上述の粟飯原氏の他矢部氏・淵野辺氏(東京都相模原市)等が、更に相模国相模川に沿った地域に海老名氏(神奈川県海老名市)・愛甲氏(同県厚木市)等の活躍が確認されています。
2022年11月6日追記
境内に建てられた説明板には下記の通り記述されています。
『 相原天満宮の由緒
相原八幡宮(氏子約3000世帯)は市内緑区相原6丁目に位置し、相原地区の守り神として地域の皆様に親しまれています。
八幡宮の行事は、例大祭・七五三祈願祭・元旦祭・元始際。初午祭等があり、各地区より選出された役員、氏子総代を中心に毎年壮大に開催されています。
相原天満宮の創建年代は不詳ですが、平安時代の中期(約1000年前)に小野妹子を遠祖とする小野孝泰が武蔵国の国司として下校の折、京の都より石清水八幡宮を迎え祀ったといわれており、その子孫はこれを継承するとともに「横山党」という武士団を結成し、さらに国境の七国峠を越えて相模国に進出、この地に本拠を構えて「粟飯原」氏を名乗ったので、これがいつしか「相原」となって地名の由来とされいていることや、平成8年に天寿を全うして倒れた御神木の大欅が樹齢600年以上と伝えられていることなどからも推察されるのです。
相原八幡宮び祭神は、誉田別尊(応神天皇)ならびに牛頭天王(素せん鳴尊)の二社で「地域の安泰・繁栄・厄徐け」など多大な御人徳を拝受しております。
祭神が鎮座まします本殿は、二間社流造(社殿が左右に分かれて両祭神をそれぞれ祀っている)という非常に珍しい形式のもので、寛政10年(1798)再建の棟札があります。
明治期の入っては、外ノ御前社(子宝・安産の木花開耶媛神)および日枝神社(山と田畑の守護神の大山昨神)の2社が八幡宮に合祀され、次いで相原稲荷神社(倉稲魂神・猿田彦神・大宮能女神の3祭神)が八幡宮境内に連座されたのでした。
欅、杉、銀杏などの大木(何も市の保存樹木に指定)に囲まれた境内などには、御手洗舎や平成17年に新築の神楽殿などが建っており、鳥居・石灯籠(天保3年・1823)と並んで、明治初年の地租改正と地籍簿編成に当たってこの境内が、「相原1番地」と定められた[相原起番地之碑]があり、社殿の裏には境川の古称[高座川]の碑も建っています。
平成22年 相原八幡宮氏子総代会 』
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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相原八幡宮
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相原天満宮・鳥居
鳥居には武士(もののふ)が崇める古びた「八幡宮」扁額が取り付けられています。 -
相原八満宮由緒・説明板
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相原八満宮・保存欅(ケヤキ)
境内左側には相模原市指定保存樹として欅(ケヤキ)の大木が控えています。 -
相原八幡宮・保存欅(ケヤキ)
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相原八幡宮・拝殿
ケヤキの大木の横に八幡宮拝殿が在ります。 -
神楽殿
平成17年新築された神楽殿が境内東側に控えています。 -
イチオシ
相原八幡宮拝殿
御祭神は譽田別尊(ほんだわけのみこと)・牛頭天王(こずてんのう)を祀っています。明治に入って村落合併により他神社の祭神との合祀となり現在に至ります。 -
八幡宮拝殿
こじんまりとした拝殿には「八幡宮」と刻された扁額が設置されています。 -
相原八幡宮説明書
拝殿右側壁面に貼り付けられています。 -
稲荷神社鳥居
境内には明治42年に設置された稲荷神社があります。 -
稲荷神社拝殿
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境川
東京都と神奈川県を分ける境川が本殿北側を流れています。具体的には境川の左岸は東京都町田市、右岸は神奈川県相模原市となります。文禄3年(1594)における検知の際、武蔵・相模の国境を設定しますが、それまでは一体の地域でありました。現在でも町田市相原町と相模原市緑区相原(1~6)丁目と双方に「相原」が在ります。 -
高座川石標(全景)
当地域はかつては相模国高座郡で郡内を流れることから「高座川」と呼ばれていた経緯があります。拝殿の裏手にその石標が建っています。 -
高座川石標(近景)
ふりがなが振ってありますが「たかくらかわ」と呼ばれていたんですね。 -
相原八幡宮・境内
拝殿から境内風景を捉えます。 -
朽ちたケヤキの姿
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相原八幡宮・境内
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相原起番地・石標
当地が住所の起番地となったということで石標が建てられています。 -
相原起番地説明
横山氏が当地にて粟飯原氏と名乗り、これが「相原」の起こりとなります。後世の人々はこの地を相原一番地と定めます。
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