2014/05/03 - 2014/05/03
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はにぃp8さん
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それは友達とのたわいもないfacebookでのやりとりでした。
友人は岐阜在住。GWを利用して兵庫の実家に帰省中で
奈良観光をしているとの事でした。
「明日は法隆寺を訪ねるんだ」
友達のその一文に食いついてしまった。
丁度録画しておいた「プレミアムアーカイブス 法隆寺 前編 後篇」を見たばかりだったので
是非とも一緒に巡りたいと思い、急遽奈良行きを決行しちゃいました。
38もの国宝を持つ法隆寺
中学の修学旅行で金堂と五重塔を回廊から眺め
見たであろう仏像の記憶はすでになく。。
名前とは裏腹にくすんだ色の「玉虫厨子」にがっかりした記憶は
やけにしっかり残っている。
今この歳になり、飛鳥時代美術の希少性に興味を持ち
是非訪れたいと思っていました。
1400年の時を超えて今なお守り継がれている聖徳太子の聖意。
建築 彫像に携わった人の敬意を感じてきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル
-
GWの真っただ中,
始発電車で新幹線の最寄り駅まで。
新幹線は指定席が取れる訳もなく途中の名古屋で数名しか下車せず
2時間立ちっぱなし決定!!
履きなれた靴にしておいてよかった。
新大阪からJRで大阪に
さらにJR「やまと路快速」というワクワクしちゃう名前の電車で
「法隆寺駅」を目指しました。
残念ながら今回は電車の写真を撮る心の余裕なし。泣
友人とはこの「法隆寺駅」で落ち合う事になっていました。
予定通りの乗り継ぎができ無事合流
改札抜ける前に
あやしいゆるキャラ「せんとくん」とツーショット
斑鳩の里にイザ行かん!! -
法隆寺前からバスに乗り
うっかり「法隆寺門前」まで行ってしまって
松並木の参道を歩けませんでした。
バスで行く時は 一つ手前の
「法隆寺前」で降りないとダメだったのです。
南大門がもうすぐそこ
久しぶりにあった友達と
「ワクワクしちゃうね〜〜」とテンションアゲアゲ〜〜 -
あたりには一緒にバスに乗っていた観光客や
そのほか数人の方が
足を停めて門を見上げています。
その観光客に何やらファイル片手の年配の人が声をかけています。
ほかの観光客にも1人。。
挨拶しながら寄って行ってました。
どうやら ガイドさんの様です。
前日ちょっと予習をしている時に
「ボランティアガイド」がいる事を知りましたが
一週間前までに予約する事とあったので
「みんなちゃんと予約してたんだ」と。
友達も「ガイドがいたらいいのにねー」と話しているその時に
ひとりのおば様が。
「よろしかったらガイドさせていただきますが・・・」と声をかけてくださいました。
やったー
「お願いします!!」
「では これから西伽藍 東伽藍 中宮寺までだいたい2時間半ほどになりますが
よろしいですか?」
おおおお!!
よろしいです よろしいです。
がっつりお願いいたします。
ごあいさつもほどほどにさっそく
南大門の説明がはじまります。
国宝「南大門」
「こちらは室町時代のものです。
なので柱はまっすぐ、これからみる中門とは時代が違うので
造りも違うんですねぇ」
説明は時に詳しく時に教科書に載っていたよなぁって感じで
年代、名前 含め色々教えていただきました。
スラスラと説明できるこのガイドさんの知識に脱帽。
そんな説明を聞きながら
立派だよねぇ
屋根の両側の反りがかっこいいよねぇ
早速にビンビンと鳥肌だぁ
なんて 見る事に夢中になってると
「あ、、写真撮り忘れた」が多々あるのです。 -
軒の加重を支える部材のひとつ 「肘木 ひじき」
南大門のこの「肘木」は蓮の花を模った
「花肘木 はなひじき」と言われています。
室町時代にこの装飾が発達して
ここ南大門の「花肘木」は秀逸と言われているそうです。 -
人がいないときはまずない。。
団体客こそいなかったのですが
やはりGW
少し粘りましたが人影越しの
中門と五重塔 -
大垣と呼ばれる
築地塀は南大門を中心に鳥が羽を広げたように左右に伸びています。
向かって右側の築地塀の前からは
法隆寺が建つ前の「若草伽藍」の遺構が見つかっているそうです。 -
ガイドさんの話はとても興味深く
先日見たTVの内容と同じ部分もあり
実物を見ながらの説明はとても楽しかったです。
しかし。。。
説明をフムフムと聞いていると
写真を撮り損ねる
写真撮ろうと必死にカメラのぞいてると
おいて行かれる。。
なんかツアー旅行みたいになっちゃったなぁ
では南大門をくぐり
斑鳩の空気を味わいましょう。 -
参道を進むと左手に
「上土門 あげつちもん」
今は桧皮葺となっていますが
当時は門の屋根は平らな板でその上に土を盛って
そこに草花を咲かせていたのだそうです。
左右の築地塀も同じように草花が茂っていたそうです。
もう土はありませんが
「上土門」として唯一残る遺構だそうです。 -
そしていよいよ「中門」というところで・・・・
ゴーーーーーン
鐘の音が聞こえます。
ガイドさんが
「あら、この鐘がは2時間おきにしか打たないから
見に行きましょう」
先に「西円堂」と「時の鐘」を見に行く事になりました。
左の黒い帽子がガイドの奥山さん
大急ぎで上ります。 -
国宝「西円堂 さいえんどう」(鎌倉時代再建)
夢殿と同じ八角形のお堂です。
中には薬師如来像(天平時代)「峰の薬師」が安置されてます。
ここは一般民俗信仰から産まれた除病安楽、祈願報恩による
刀剣等の武具類、更に無数の鏡などが奉納されていました。
現在は倉庫に収納されていて置かれているのはわずかです。
もちろん仏像は撮影禁止です。
西円堂右に回って
「時の鐘」があります。(後で動画をリンクしてます)
ここは少し高台になって大和盆地が見渡せてとても清々しい所でした。
南大門から西院伽藍に直行する人が多いので
ちょっと左手にある この 西円堂は落ち着いた雰囲気でした。 -
西円堂から戻り 左に長い建物が現れます。
国宝「三経院及西室 さんぎょういん および にしむろ」(鎌倉時代)
三経院はお経を納めていた場所で鎌倉時代に増築がなされているそうです。
西室は僧侶の住まい、僧房。火事で喪失しており鎌倉時代の再建なのだそうです。
軒下に吊るされている金具に
内側から押し上げた戸を引っかけていた、この作りは
平安時代のものだそうです。 -
欄干の曲線がきれいです
-
三経院正面
ここで一つ興味深い話がありました。
軒の中央に小さい丸いものが下がっていますが
その上に木で細工がしてあります。
次の写真がアップです。 -
この彫り物がしてある部材は
先に書いた「花肘木」とおなじく
屋根を支える部材で、
「蟇股 かえるまた」と言うそうです。
「蟇」という文字は ヒキガエルの「ひき」という文字です。
かえるが足を広げて踏ん張っている姿勢に似ているところから
名づけられたそうです。
この「蟇股」は時代と共に変化して
初めは構造上必要で それに装飾兼ねていたようですが
だんだんと構造上必要でなくなり
装飾専用として作られるようになり
棟梁の腕の見せ所になったようです。
江戸時代には 専門の彫り師までいたそうです。
古都巡りにこれら建築の部材(まだまだあるんですよ)の
造りを見比べるのも 楽しみの一つになりますね。 -
蟇股の存在感がよくわかりますね。
-
角が好き
-
この季節
新緑が綺麗で青々していました。 -
そしていよいよ 法隆寺メインとなります!
平山郁夫さん書の
世界遺産登録記念碑
「日本最初の文化遺産
法隆寺
平山郁夫 書」 とあります。 -
国宝「中門」(飛鳥時代)
大きく張り出した瓦屋根の2層の作りの門は
楼閣のようにどっしりとした姿をしています。
中央辺りが太めに作ってあるエンタシスの柱は有名ですよね。
その柱が入り口中央に1本あり入口を二分しているのは
門としては特異な造り何だそうです。 -
重文「金剛力士像」は有名ですね。
右は当時の姿のままの塑造
(簡単に言うと木で芯を作り粘土を張り付け形作る方法)で、出来ており
左は風雨で損傷したため首から下は木造に造りかえられているそうです。
まぁ このマッチョぶりには友人
萌え萌え〜〜
さあ いよいよ
西院伽藍に入場しましょう -
青い空に角が好き
-
中門を左手に曲がり
入場券売り場および入口があります。
こちらで
「西伽藍」「大宝蔵院」「東伽藍」3か所共通の券を購入。
なくさないようにしなくちゃね。
入口はそのまま回廊となっています。
木造ではありますがこの列柱の回廊は
エジプトのルクソール神殿の回廊を思い起こします。
エンタシスの列柱の回廊が
中門から左右に
五重塔 金堂を取り囲むように巡っています。
この回廊も火災や時代ごとの修理などにより
創建当時とは変化しているそうです。
時代を超えてこの寺院をだいじにしているあたりも
エジプトの神殿と共通するものがあると思えました。
回廊で柱の説明
エピソード1
1本の太い桧の丸太を縦に4等分に割き
それをエンタシス状に加工している。
なので同じ桧から4本の柱(4本兄弟)を作っている。
木の芯を避けて柱を作っているので木の狂いがない
柱を立ててからエンタシス状に削った事が
後の調査で分かったそうです。
エピソード2
4本兄弟でなく1本の桧から作られた柱は芯があるので
背割と言って縦に切り込みを入れて
木の狂いがでない処理がしてある。
この背割は我が家は旦那の仕事が仕事なもので
「しってるぜ!」って感じでしたが
今も無垢の柱はこの処理は当たり前のようにされています。
逆に言えば1400年も前にこの事を知っていた
当時の建築技術にびっくり。
エピソード3
回廊の外部に面した側の柱は
雨風にさらされる為に痛みが激しく
表面が深い皺の様になってきている。
痛んだ部分を切り取り補修をして守っている。
そんな話を聞きつつ
「修学旅行の時に この回廊のどこかで整列させられて
次の見学先の順番を待っていたなぁ」なんて
昔を懐かしんだりして。。
柱の写真を撮り忘れると言う大失態。 -
国宝「金堂」(飛鳥時代)
中門を背に 右手にそびえてますね。
こちらも外観だけでも説明いっぱい。 -
修理をしてきたとはいえ
1400年の時を超えて
世界最古の木造建築
もう ぞっくぞくしちゃいました。 -
欄干手間に龍の彫り物 こちらは江戸時代に付け加えられたそうです。
白い壁に張り付いてる部材が
雲斗 そこから出っ張っているのが 雲肘木
どちらも雲形の組物といって
飛鳥時代の特徴で法隆寺、(後で拝観した)法輪寺 法起寺の
法隆寺系にしか見られない 我が国特有の形式だそうです。 -
「高欄」の模様は
卍崩し(まんじくずし)
呼び名そのもの
卍の形を崩して組み模様にしています。
その下の「人」の文字の様なものは
「人字形割束」(ひとじがたわりつか) -
国宝「五重塔」(飛鳥時代)
屋根が6層に見えますが一番下は「裳階」(もこし)といって
偽物の屋根だそうです。 -
五重塔はお釈迦様の骨を納めたお墓の様なものです。
地下にはお釈迦様の骨が入った「舎利容器」が収められています。
心柱はその舎利容器のある地下3mの「心礎」という礎石から
屋根の上の飾り物「相輪」まで2本の柱を継いで作られていました。
(後の修理で継ぎ手は4本に増えているそうです)
心柱に躯体の材料はくっついておらず
柱自体は単体で建っているそうです。
その構造が耐震の機能になっているそうです。
遥か昔に揺れるから倒れない構造がわかっているなんて
凄いですよねぇ
ふたたびゾゾゾです。 -
五重塔で一番重要なのが
この「相輪」なんだそうです。
当時この伽藍の内陣には人々は入る事が出来ず
遠くからこの相輪を見ていたのだそうです。
相輪下側に
鎌が付いています。
一説には 当時の避雷針と言われていますが・・
他説もあるようです。 -
一層目に軒を支えている邪鬼は4面違った表情をしていますが
どれもまわしを付けた お相撲さんなのだそうです。
これは後に付け加えられたものだそうです。 -
では 五重塔初重内陣にある国宝を見に行きましょう。の 時に パチリ
国宝「塑造塔本四面具」(天平時代)は4面で80体もの
塑造がありました。
4つの場面を作ってあり とても見ごたえあります。 -
五重塔の「塑造塔本四面具」を見た後
金堂の国宝「釈迦三像像」(飛鳥時代)等仏像の数々を拝観し
先を目指します。
次の大講堂に行く前に
振り向いて 中門をパチリ -
国宝「大講堂」(藤原時代再建)
国宝「薬師三尊像」(平安)等を安置 -
桂昌院が子息の徳川綱吉の武運長久を祈願して
建立した灯篭。
徳川家の家紋と桂昌院の実家の家紋が刻まれています。
自分自身が大出世したので
実家の家紋も入れたのでしょうか? -
幔幕が美しい大講堂
白地に鳳凰文 -
大講堂 階段上から振り返り
金堂 中門 五重塔をパチリ -
国宝「回廊」(飛鳥時代 および 平安時代)
-
延々と続く回廊の様子は
先に進むと遥か飛鳥の時代に遡れるかの様。 -
「連子窓(れんじまど)」越しの景色がきれいなんだけど
私の腕では 見たままが写せなくて残念 -
連子窓の縦の木は菱形になっていて
「連子子(れんじこ)」と言うそうです。
古い物は連子子の間が広いのが特徴。
開口を大きくして回廊内を明るくする工夫がされていたようです。 -
奥に見える2階建は
国宝「鐘楼 しゅろう」(平安時代前期)
講堂の左右に 国宝「経堂」(奈良時代後期)、
鐘楼、が同じような形でありました。
細部の様式に時代の相違が見てとれるそうです。
これらの説明はガイドさんからは無い。
これで西伽藍は終わりです。
回廊の端にある出口から内陣を後にしました。 -
西伽藍を出たところにある鏡池に正岡子規の
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の
句碑があります。
この鐘は先の「西院堂」そばにある
「時の鐘」の鐘の音ではとも言われています。
この句碑のあたりに当時茶店があり、そこでこの句を詠んだと言われているそうなのですが
正岡子規がその茶店に来た、また句を詠んだという証明は今のところ無く、
他の地でこの法隆寺を思い作った句では とも言われていたりと
真相は定かでないそうです。。
ただ ここ奈良は日本で2番目の柿の産地なんだそうです。
鐘の音 動画 (画像良くないです)
http://youtu.be/qdNSF1g0nmc -
鏡池を望むように
国宝「聖霊院」(鎌倉時代)があります。
もともとの東室に聖徳太子を祀る為に
鎌倉時代に聖霊院を改造築しているそうです。
靴を脱いでお参りします。
聖徳太子摂政像が安置されていますが
実物は拝観することはできません。
ご朱印はこちらで貰えます。 -
手前「聖霊院」と
奥 国宝「東室 ひがしむろ」(奈良時代)
西室と同じく僧坊の遺構
建立されて以来
その時の人々に 改修、増築され
聖徳太子信仰とともに守られてきているのですね。 -
東室の向かい
「妻室 つまむろ」(平安後期)
こちらも僧坊の遺構 -
馬屋
これは当時聖徳太子が斑鳩宮から執務場所の飛鳥京まで愛馬・黒駒に乗って通われたというの逸話を形にしたもので遺構ではないそうです。
黒駒と侍者の調子丸の像が置かれていました。 -
国宝「綱封蔵(こうふうぞう」(平安時代)
高床式の倉庫
馬屋の前で説明があったのに
こちらの国宝がスルーされてしまったのは残念でした。
私たちがかなりゆっくり見たり写真撮ったりしていたので
思ったより時間がかかっていたのか
この先の「大宝蔵院」に早く行きたかったようです。 -
つづら折れの白壁がきれいで。。ぱちり
お昼近くになり
日差しも夏を思わせるようなジリジリした強さ。
スカッとした空気の中
まだまだ見どころを求め歩きますよ〜〜
先を急ぐ -
大宝蔵院 (平成10年建立)
この新しい伽藍は
世界的に有名な百済観音を安置するための 百済観音堂
左右に 西宝蔵 東宝蔵となり
法隆寺の名宝を納める近代設備の宝物館となっています。 -
大宝蔵院 中門
これをくぐると 正面に百済観音堂 (扉は閉まっている)
左側の西宝蔵から入場する。
入場券の「大宝蔵院」の所にパンチを開けてもらいます。
ちゃんとお財布にしまってありますよ!
国宝「木造観音菩薩立像(百済観音)」(飛鳥時代)
国宝「木造観音菩薩立像(九面観音)」
国宝「銅造観音菩薩立像(夢違観音)ゆめたがえかんのん」(飛鳥白鳳期)他多数
もう 国宝のオンパレード
仏像一つ一つ丁寧に説明を受けながら見て回れるのは
ほんとにうれしい事でした。
どのように作られているかから始まり(木造 銅像 塑造など)
天衣のひだの造りの変遷
光背を支える部材についてまで 細部にわたる造りの説明から
その仏像の生い立ちの様な内容まで。
聞けば聞くほどのめり込む興味深いものでした。
東宝蔵には聖徳太子のいくつもの肖像があり
太子がいかに幼少からこの地で崇められていたのかがわかります。
そして修学旅行で見てがっかりした
「玉虫厨子」もガラスで覆われ相変わらずくすんだ色でしたが
あの当時のように、前を立ち止まらずに通り見る形ではなく
ガラス越しではありますが
食い入る様に見る事が出来
玉虫が使われている場所も確認でき感慨ひとしお。
まだまだ 驚愕 感嘆すること満載の「大宝蔵院」
もっともっと見たかったのです。
出口近くに
雲肘木の展示があったのですが
間近にみる部材はとても分厚く大きいものがきれいに雲形に加工されていました。
が。。その作業はのこぎりは使用せず
ノミなど削る作業で作られていたと言う事
木を加工するのにのこぎりをほとんど使っていないと言う事がびっくりで
最後に「ええええ〜〜っ」と感嘆。 -
こちらは休憩所
飲み物の自販機 ベンチ 売店 トイレ
そして 無料の温かいお茶の給湯器もありました。
こちらで一休みして
後半に向けて水分補給 -
では 東大門を抜けて
東伽藍、中宮寺を目指しましょう。
知人は仏像が大好き
私は憧れの法隆寺に感激
ガイドさんの時間配分を全く気にせず
写真は撮るは仏像に見入るは
その割にはあまり覚えていない。
パンフレット等を見ながら、記憶をたどりながら
旅行記を続けたいと思います。
よろしかったらお付き合いください
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