2014/03/24 - 2014/03/24
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地球の迷い方さん
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ご訪問ありがとうございます。
京都市左京区の百万遍知恩寺の参拝の後、次に京都大学を通り過ぎて吉田山を目指して歩き始めた。
吉田山の微かな記憶では釣鐘の周りの櫓に江戸時代のものか?ちょんまげ姿の人たちの写真が展示してあった。
もう大昔のことなので忘れてしまったが、古い時代の貴重な写真であった。
吉田山の入口につき古い鳥居をくぐり小登山が始まった。
この日も38リットルのバックパックを背にし歩き続けた。
私の後方から、若い白人の男性が歩いてきていた。
たまたまこの男性は、近くの同じカフェで姿を見た。
登っても登っても頂上へはすぐにはたどりつかなく以外に息が切れた。
低い山ゆえハイペースで歩いたのが体にこたえてしまった。
吉田神社は貞観元年(859年)、藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになった。『延喜式神名帳』への記載はない(式外社)が、永延元年(987年)より朝廷の公祭に預かるようになり、正暦2年(991年)には二十二社の前身である十九社奉幣に加列された。
鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになった。室町時代末期の文明年間(1469年 - 1487年)には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として文明16年(1484年)、境内に末社・斎場所大元宮を建立した。近世初めには吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿(現在はない)を境内の斎場に移し、これを神祇官代とした。寛永5年(1665年)、江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。
W・ペディア参考
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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