2013/12/27 - 2013/12/31
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彷徨人MUさん
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1).旅の始めに
菩提樹の 素振り妖しき 落葉かな
年の瀬も押し迫った御用納めの日、大掃除も早々に、その日の午後、「澳門」(マカオ)での「孫文を辿る旅」に出かけた。
2).澳門(マカオ)の「鏡湖醫院」
孫文の故郷は、「澳門」(マカオ)から37㎞離れた広東省「香山県」(現在の中山県)であり、父に連れられ、子供の時「澳門」に来ている。1892年、孫文は、香港の「西医書院」を卒業、9月に澳門の「鏡湖醫院」の西洋医学の主任医師として赴任、その後、澳門の菩提に「孫眼科医院」を開業し、薬局も開いている。1894年、清朝支配の広州の「博済醫院」で、眼科医として勤務している。この間の彼の行動から想像するに、強い革命への想いが、この時既に、疼いていたのであろう。
翌朝、孫文が医師として最初に勤めた「鏡湖醫院」に向かった。「モンテの砦」を見ながら、住宅密集地を通る「鏡湖馬路」を北へ進み、「連勝路」との交差点を左に回ると、目の前に、「鏡湖醫院」があった。病院は、鉄筋コンクリート造の病棟が立ち並ぶ、澳門最大の総合病院であった。朝の診療開始前の慌しさに、警備員も出て、車の出入りも規制されていたが、運転手は、正門から中に入り、左手への一方通行にも係わらず、堂々と右に回り、正面玄関を横切り、孫文銅像の脇に車を止めてくれた。正面広場の中央には、白衣を着て聴診器を下げた若き日の医師(眼科医)姿の孫文銅像が置かれていた。
3).「国父記念館」へ
孫文が、澳門で医者をしている時、孫文の兄で、彼の一番の理解者であった孫眉が、辛亥革命成功後に、「文第士街1号」に、新たな家を購入しており、そこを改築して、孫文の家族が長く住んでいた。1958年、ここを『国父記念館』と命名した。『国父記念館』の入り口に、彼の筆による「博愛」という文字の書が掛かっていた。左側の庭には、孫文像が置かれていたが、この像は、熱烈なパトロンであった日本人「梅屋庄吉」が造らせた、四体うちの一つの『孫文銅像』である。三民主義を人々に語り掛けている時の、孫文の得意なポーズの銅像であり、孫文の「公為下天」の書が掛かっていた。「革命未だならず」と言い残し、1925年、孫文は北京で病死している。僕は『国父記念館」の内部に飾られている写真を眺めながら、医師をしながら、革命を目指す孫文の日々を、改めて思い巡らしていた。
4).「媽祖閣」へ
媽祖廟に 香焚き上がる 師走空
澳門島の南西角の内港に面する辺りに「媽祖閣」がある。媽祖は、海の交通の安全を守る神様で、船乗りたちがお参りする寺院である。実はこの廟がある地点は、ポルトガル人が、始めてマカオの地に上陸した岸に面して建っている。この時、ポルトガル人が、現地人に、ここの地名を尋ねたら、「媽閣(マーコウ)」だと、答えた。ポルトガル人は、この地域一帯を「Macau」と名付け、「マカオ」と呼び始めたのである。
この後、ハイヤーの運転手に、宿泊先のマンダリンオリエンタルホテルに戻るよう、伝えると、運転手は、「南湾湖」の南側を東西に走る、孫文の名前が付いた「孫逸仙大馬路」を通って、ホテルへ戻ってくれた(完)。
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澳門 セナド広場のクリスマス飾り
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澳門 セナド広場のクリスマス飾り
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澳門 セナド広場の
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澳門 セナド広場
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澳門 グランドリスボアの映像型ネオン
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澳門 ホテルの部屋から朝の風景
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澳門 ポルトガル料理の老舗『ポルト・エクステリオール』
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澳門 ポルトガルの伝統スィーツ、『エッグ・タルト』
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澳門 国父記念館(外観)
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澳門 「鏡湖醫院」で、西洋医学の眼科医として勤務した若き日の孫文の像
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澳門 「鏡湖醫院」で、西洋医学の眼科医として勤務した若き日の、白衣に聴診器の孫文の像
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澳門 「鏡湖醫院」で、西洋医学の眼科医として勤務した若い日の孫文の像の前にある石碑
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澳門 「国父記念館」 孫文の筆癖が見られる『公為下天』の文字
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澳門 「国父記念館」内にある、梅屋庄吉が寄贈した孫文像
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澳門 「国父記念館」内にある、梅屋庄吉が寄贈した孫文像の前におかれた石碑
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澳門 「国父記念館」内の入り口 『博愛』、医者であった孫文が好きな言葉
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澳門 「国父記念館」内
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澳門 「国父記念館」内
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澳門 「国父記念館」内に掲載されている、孫文と、彼の革命を資金的に支え続けた日本人パトロンの梅屋庄吉との写真
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澳門 「国父記念館」(外観)
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澳門 国父記念館内にある孫文の書
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澳門 国父記念館内にある孫文の書 『静敬澹一』
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澳門 媽祖閣
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澳門 媽祖閣内にある『比翼連理』の木(一本の木の枝が他の木の枝に連なって木目が通じ合っていることで、夫婦、男女の間の深い契りを例えていう言葉)
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