2011/03/21 - 2011/03/21
113位(同エリア421件中)
はくさんちどりさん
- はくさんちどりさんTOP
- 旅行記165冊
- クチコミ121件
- Q&A回答0件
- 208,270アクセス
- フォロワー70人
2011年3月11日(金)午後2時46分、皆さんはどこで何をしていたでしょうか?私は、岩手県内陸部の雫石町で、当時所属していた会社とNPO法人が関係する会議に出席中でした。そこで、強いだけでなく、異常に長い揺れを感じました。
その東北太平洋沖を震源とした東日本大震災の発生から3年の月日が経過しました。今また東海・東南海・南海地震とそれに伴う巨大津波の発生が取りざたされています。我が国の大都市は、軒並み海岸平野に立地するため、発生時には国家予算に匹敵するほどの被害が想定されています。
スマトラ沖地震の巨大津波による人的・物的被害を見たとき、科学技術が進歩した我が国ではありえないと思った人も多いと思います。それにもかかわらず、現代世界で最も科学技術が発達したこの日本で、巨大津波によって万余の犠牲者を出してしまいました。その数、死者15,880余名に及ぶほか、未だに行方不明者が2,640名という信じられない状況です。その90%以上が津波によるものであることは、周知のとおりです。
そして、津波被災地では、今も復興はおろか、復旧さえままならない状況が続き、慣れない仮設住宅で災害関連死する人も続出しています。
どなたか別の方が逡巡されていたように、私も凄惨な写真に満ちた旅行記を投稿していいものか、ずっと考え続けてきました。
地震多発国、自然災害大国に住む私たちにとって、強大な自然の脅威に直面する可能性は誰にでもあります。そんな時、私は誰にも犠牲になってもらいたくはありません。特に、大地震に伴って発生する巨大津波に対しては、対応によって生死が分かれてしまうのです。
それを“特別養護老人ホーム赤井江マリーンの奇跡”と、“石巻市立大川小学校の悲劇”が教えています。
津波から身の安全を保つ術は、次の合言葉を忘れず逃げることです。
『より速く、より高く、より遠く』
そのことを知っていただきたく、あの日から3年の時を経た今、石巻に住む知人の見舞いに行った際に撮影した被災10日後の状態を、敢えて公開することにしました。
大勢の犠牲になられた方々の慰霊のために、同じ惨事を繰り返さないためにも、見ていただいた方々に次のように思っていただければ幸いです。
“対岸の火事”・・・ではなく、“明日は我が身”・・・!!
-
国道398号を曲がって石巻線の踏切を渡ると、その先の県道33号沿いは、様相が一変し、かろうじて通行車両分の路幅が確保された!
ましてや、一歩脇道に入ると、ほとんど手つかずの状態で、津波で流された車が見てのとおりです。 -
県道脇の住吉町2丁目側の空き地。
駐車場だったのでしょうか?
厚いヘドロで覆われています。 -
県道33号沿いの街並みと道路です。
救援・復旧活動のため、車が対面通行できる程度の路幅が確保されています。
両側に見える車は、全部が動ける車のようには見えませんでした。
通行の邪魔にならないように寄せただけの車もあると思います。
口伝には、津波の塩水で配線がショートして、不気味な闇夜にクラクションやカーラジオが鳴り響いたり、ライトが煌々と点灯していた、と聞きました。 -
右側に“市長公舎”の表札が貼ってあります。
この前あたりの道路が広いので、車を駐車させてもらい、徒歩で旧北上川に向かうことにしました。 -
旧北上川沿いの道路から、上流右岸側の様子です。
強い揺れや津波による被災状況がわかります。 -
津波が押し寄せたり引いたりを繰り返すので、裏込め材が吸い出されたためでしょうか、護岸の背後が陥没しています。
他の地点でも、同様のことが確認されました。 -
こちらは下流右岸です。
自転車荷台の赤いバスケットの上に見える白いドームが、石ノ森章太郎記念館です。 -
ブロック塀が宅地側に倒れているので、津波によるものでしょう。
-
耐震性の低い古い建物は、揺れ方が強いと耐えられません。
それに津波が追い撃ちです! -
津波で1階部分は完全に破壊されて、がらんどうになっています。
左の板がめくれている高さまでは、間違いなく津波が襲ったと思います。 -
角度を変えると、このとおりで、ブロック塀はすべて倒壊しています。
やや古いながらも、門構えから立派な家屋ですが・・・。 -
少し下流側に歩いてきました。
家屋の被害が、だんだんひどくなってくる感じです。 -
住吉公園あった石碑。
津波で倒されずに残っています。
その形状と重さのおかげでしょうか? -
鐘突き堂の四阿。
持ち堪えています。 -
屋根の落ちた建物があるようですが、何か確認できませんでした。
-
住吉公園にある大島神社の鳥居。
-
下流から上流を見たものです。
-
周囲を石積みした細長い小さな人工島があり、元々は風情があっただろう松が見えます。
『袖の渡り』という浮島で、“神の袖”と“巻石”で知られ、“巻石”は石巻の地名の由来にもなったとか。 -
川の方を向いた石碑もあります。
何でしょうか? -
この赤い太鼓橋を渡って、浮島に足を踏み入れました。
-
石碑は、どうやら句碑のようですが・・・。
文字数が少ないようなので、芭蕉の句でしょうか? -
拡大してみましたが、よくわかりませんでした。
-
テーブルとベンチが残っているので、四阿風の建物があったかもしれません。
-
対岸が遠望でき、対岸の状況も気になりました。
-
対岸(旧北上川左岸)沿いに八幡町付近の拡大写真を撮りました。
以下、上流から下流にへとシャッターを切っています。 -
その2。
-
その3。
-
その4。
-
その5。
-
その6。
-
その7。
-
その8。
-
その9。
-
背後地の崖が崩れています。
崖の手前の家と家の間を県道が通っているはず。 -
中央3丁目に進むと、交差点角の家の前に船が!
船名もはっきりしていますが、持ち主が無事であればいいのですが・・・。 -
交差点から、川から離れる方向を見ています。
車や家具などが道路脇に見えます。 -
船が寄っていた家屋を別の方から撮ったものです。
1階部分は、中が破壊されたうえ、骨組みが変形して斜めになっています。 -
被災の様子がだんだん激しくなってきました。
中央2丁目にさしかかりました。 -
海底の泥が津波で巻き上げられ、ヘドロとなって容赦なく堆積しています。
車などの漂流物は、抵抗する建物などがある奥の方で積み上がっています。 -
津波襲来時に火災が発生し、焼け落ちた建物。
-
来し方を振り返って全景を撮りましたが、交差点角の状況が気になります。
-
電話線の支柱は折れ曲がっています。
その向こうの家屋は、新しいように見えますが、川に面した側が気になります。 -
この辺まで来ると、車も船も関係なく、ごっちゃになって流されてきています。
ひどい状態です。 -
看板から判断して時計屋さんでしょうか?
おそらく強い地震の揺れで家が傾いたところへ津波が襲ってきたのでしょう、2階も被災しています。 -
石ノ森漫画館がある旧北上川の中瀬に入る国道398号の交差点です。
左折すると内海橋があり、それを渡れば行けますが・・・。
流されてきた船が掲示板代わりになっています。 -
交差点付近の古い家屋の被災状況です。
-
1階部分は完全に破壊され、側だけが残っています。
-
交差点から南側を見ていますが、胴体がピンクの大型漁船が漂着しています。
後ほど横から見ることになりますが、立派な船です。 -
同じ交差点から、内海橋とは逆の中心市街地方向の状態です。
-
内海橋の西詰です。
橋上には漁船やレジャー用のヨットから奥には車も乗っかっています。 -
先ほど交差点角に掲示板代わりにされていた船がありましたが、その家の裏側(旧北上川に面した側)の様子です。
手前は駐車場だったのでしょうか? -
折れ曲がった電柱の向こうに見えていた新しい家の川側です。
せめて住んでいた方が無事であればよいのですが・・・。 -
交差点から内海橋の袂まで市場があったようで、『萬市場』の傾いた看板が見えます。
お店が津波の押し寄せる方向と直角に並んでいたので、激しく傷んでいます。 -
内海橋の上の拡大写真です。
ヨットのマストが電線に架かっています。 -
内海橋の方から交差点を見ると、車1台通れる分を除いて、津波による惨状がほぼそのまま残っています。
-
川側から先ほどの大型漁船を見ています。
手前に、逆さになった小型の船やボディーがボコボコになった車があります。 -
H鋼組構造の建物でも、1階は骨組みだけ残して破壊されています。
津波の恐ろしさが、見るだけで伝わってきます。
建物の向こう側に何かが見えています。 -
萬市場と内海橋の袂付近を南側から見ています。
-
内海橋の上です。
-
先ほど建物の反対側に見えていたのは、船や車でした。
船にちょうど車が乗っていますが、とても笑えません。
手前の駐車場のゲートに雑多な漂流物が絡んでいます。 -
駐車場に駐車中だった車でしょうか、建物にせき止められて、積み重なっています。
-
一部を拡大したものです。
そろそろ中央1丁目に入るでしょうか。 -
この付近になると、津波は1階部分を越えていたと思われます。
被災状況が一段とひどく感じられます。 -
この津波の爪痕には言葉もありません。
-
拡大すると、このとおりです。
-
石ノ森漫画館のある中瀬の被災状況で、以下順次海側に撮っていきます。
ほとんど何もありません。 -
その2
-
その3
-
その4
-
その5
-
その5の中央部の拡大写真です。
屋根上の右側に枝が載っていますが、屋根を超すほどの津波高だったのでしょうか? -
再び旧北川川右岸地域に目を戻すと、凄惨な状態になってきます。
-
泥がべっとりと張り付いています。
-
小路の奥がひどそうです。
-
拡大写真にすると、神・仏がいるものかと疑いたくなる光景です。
-
中瀬のさらに海に近い方です。
-
その2
-
日和山の下付近の全景です。
遠目にはわかりませんが、津波火災が襲った門脇小学校もあるはずです。 -
これまで見てきた漁船の中でも一二を争うほど立派な船が、家とぶつかって止まり、家の方は2階部分まで破壊されています。
-
船と家の接触部の拡大写真です。
-
2階まで壊れた家の全体です。
その手前では、家1軒丸ごとなくなり、空地になっています。 -
船がぶつかった家の裏側です。
2階に上がる階段も下がなくなっています。 -
中瀬にある石ノ森漫画館の全景です。
中にブルーシートを張ってあります。 -
NTTのビル付近の津波被災状況ですが、言いようがありません。
-
津波は破壊の限りを尽くしています。
-
破壊された木造家屋から出た木材や、船・車・家財などが泥まみれになって混在しています。
-
その隣です。
佐藤整形の看板が見えます。 -
付近にいた方の話では、新築後1年も住んでないうちだったそうです。
手前右側の空地になった所に建っていた家の一部でしょうか、屋根に乗り上がっています。 -
中央1丁目の南端付近から、中瀬と旧北上川が左岸を海側から順次撮りました。
-
その2
-
その3
-
その4
-
その5
-
その6
-
その7
-
その8
-
その9
-
松栄パーキングの周囲の被災状況です。
-
少し西に行ってから北の方角を見ています。
-
同地点から西の方角を見ています。
-
めちゃくちゃになっているのがわかると思います。
-
その先にある交差点から、来た方(旧北上川右岸)を見ています。
-
交差点からNTTの方角を見ています。
-
交差点角に船が流されてきています。
-
市街地中心部に続く通り沿いです。
-
交差点の船と反対側の家です。
津波の来る方に面していたせいか、傷みが激しいように感じます。 -
その右側には津波で流されてきたいろいろな物が山になっています。
-
トランスの付いた電柱がへし折られていたり、丸太が横たわっていたり・・・です。
これまで見てきたものはすべて、津波で破壊されてしまったのですが、かつては誰かの資産として大事に使われていたものばかりです。
簡単に一言で『ガレキ』と呼ぶことは、私にはできませんでした。もちろん、今も・・・。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
石巻(宮城) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
108