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壬生とは<br /> 京都市中京区西部の一地区。旧壬生村。中世以降、京洛の西端に位置していた壬生。その名は水が生まれる場所「水生(みぶ)」に由来する。古来、泉が湧き出る低湿地だったこの一帯は、江戸時代にはのどかな田園風景が広がり、壬生菜とよばれたミズナをはじめ、セリ、ゴボウなどの産地として知られた。現在は市街地だが、豊富な地下水を利用して、友禅(ゆうぜん)染めなどの染色工場が集まる。<br />・また、壬生狂言(国指定重要無形民俗文化財)で有名な壬生寺があり、寺の東側周辺は門前町と集落として形成された(西側は殆どが田畑であった)。寺の境内には水茶屋が設けられ、後に花街として発展した。江戸時代末期、新撰組が現在、建物が残されている八木邸に滞在していた。<br /><br />島原とは<br /> 京都市下京区に位置する花街の名称。「島原」とも書く。正式名は西新屋敷といい、6つの町(上之町、中之町、中堂寺町、太夫町、下之町、揚屋町)で構成されている。嶋原は1976年に京都花街組合連合会を脱会し、現在は輪違屋のみが茶屋営業を行っている。<br />

壬生・島原界隈

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2011/10/26 - 2011/10/26

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kubochan

kubochanさん

壬生とは
 京都市中京区西部の一地区。旧壬生村。中世以降、京洛の西端に位置していた壬生。その名は水が生まれる場所「水生(みぶ)」に由来する。古来、泉が湧き出る低湿地だったこの一帯は、江戸時代にはのどかな田園風景が広がり、壬生菜とよばれたミズナをはじめ、セリ、ゴボウなどの産地として知られた。現在は市街地だが、豊富な地下水を利用して、友禅(ゆうぜん)染めなどの染色工場が集まる。
・また、壬生狂言(国指定重要無形民俗文化財)で有名な壬生寺があり、寺の東側周辺は門前町と集落として形成された(西側は殆どが田畑であった)。寺の境内には水茶屋が設けられ、後に花街として発展した。江戸時代末期、新撰組が現在、建物が残されている八木邸に滞在していた。

島原とは
 京都市下京区に位置する花街の名称。「島原」とも書く。正式名は西新屋敷といい、6つの町(上之町、中之町、中堂寺町、太夫町、下之町、揚屋町)で構成されている。嶋原は1976年に京都花街組合連合会を脱会し、現在は輪違屋のみが茶屋営業を行っている。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄

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  • 光縁寺<br /> 住職と親交のあった山南敬介の紹介で、同寺に新選組隊士が弔われるようになった。山南自身も、隊規に反して脱走したため、切腹後埋葬された。現在、28人の新選組関係者の墓がある。

    光縁寺
     住職と親交のあった山南敬介の紹介で、同寺に新選組隊士が弔われるようになった。山南自身も、隊規に反して脱走したため、切腹後埋葬された。現在、28人の新選組関係者の墓がある。

  • 街並み

    街並み

  • 旧前川邸(新撰組屯所跡) <br />・文久3年(1863)2月、浪士組として上洛した近藤勇や土方歳三ら24人は、八木家の邸宅とともに前川邸を宿舎とした。<br />・池田事件の発端となった、古高俊太郎を拷問した土蔵や、近藤勇が落書きした雨戸などが残る。<br />

    旧前川邸(新撰組屯所跡) 
    ・文久3年(1863)2月、浪士組として上洛した近藤勇や土方歳三ら24人は、八木家の邸宅とともに前川邸を宿舎とした。
    ・池田事件の発端となった、古高俊太郎を拷問した土蔵や、近藤勇が落書きした雨戸などが残る。

  • 前川邸(新撰組屯所跡)

    前川邸(新撰組屯所跡)

  • 新撰組発祥の地

    新撰組発祥の地

  • 八木邸(新撰組屯所跡) <br /> 八木家は鎌倉時代より続く旧家で、農業に従事しながら、武士の身分を与えられていた壬生郷士だった。第11代当主八木源之丞の時に、邸宅が新撰組の屯所(たむろする所。兵隊の駐在所。)となる。なお、隊士数が急速に増えて、手狭となったので2年後に西本願寺に移った。<br />現在公開されている文化6年(1809)建造の主屋、文化元年建造の長屋門などは、京都市有形文化財。<br />門の手前には、現在の八木家当主が創業した京菓子店「京都鶴屋寿庵」がある。<br />

    八木邸(新撰組屯所跡) 
     八木家は鎌倉時代より続く旧家で、農業に従事しながら、武士の身分を与えられていた壬生郷士だった。第11代当主八木源之丞の時に、邸宅が新撰組の屯所(たむろする所。兵隊の駐在所。)となる。なお、隊士数が急速に増えて、手狭となったので2年後に西本願寺に移った。
    現在公開されている文化6年(1809)建造の主屋、文化元年建造の長屋門などは、京都市有形文化財。
    門の手前には、現在の八木家当主が創業した京菓子店「京都鶴屋寿庵」がある。

  • 八木家住宅

    八木家住宅

  • 新徳禅寺<br /> 文久3年2月23日、壬生に来た清河八郎ら浪士組が本部を置いた寺。<br />勤皇の志士・清河八郎(のち幕府の刺客に暗殺される)が将軍警護の目的で上洛したが、全隊員234人を前に「本当の目的は倒幕、天皇警護」と宣言。幕府から10両の旅費をもらって、はるばる京の都に治安維持のために駆けつけた隊士は驚き、隊は分裂し、近藤勇、沖田総司、土方歳三ら24人のみが残り、幕末の京の地にその名を轟かせることになる、新選組の前身市中見廻組を組織した。<br /><br /><br />

    新徳禅寺
     文久3年2月23日、壬生に来た清河八郎ら浪士組が本部を置いた寺。
    勤皇の志士・清河八郎(のち幕府の刺客に暗殺される)が将軍警護の目的で上洛したが、全隊員234人を前に「本当の目的は倒幕、天皇警護」と宣言。幕府から10両の旅費をもらって、はるばる京の都に治安維持のために駆けつけた隊士は驚き、隊は分裂し、近藤勇、沖田総司、土方歳三ら24人のみが残り、幕末の京の地にその名を轟かせることになる、新選組の前身市中見廻組を組織した。


  • 壬生寺・・・壬生寺は壬生狂言と新撰組ゆかりの寺として有名・・・<br /> 地元では「みぶさん」とよばれる、京都市中京区壬生梛(なぎ)ノ宮町にある律宗の別格本山で、奈良の唐招提寺に属す。地蔵院とも宝幢三昧寺(ほうどうさんまいじ)とも称し、通称は壬生地蔵。本尊は地蔵菩薩。開山は鑑真和上<br />

    壬生寺・・・壬生寺は壬生狂言と新撰組ゆかりの寺として有名・・・
     地元では「みぶさん」とよばれる、京都市中京区壬生梛(なぎ)ノ宮町にある律宗の別格本山で、奈良の唐招提寺に属す。地蔵院とも宝幢三昧寺(ほうどうさんまいじ)とも称し、通称は壬生地蔵。本尊は地蔵菩薩。開山は鑑真和上

  • 壬生寺

    壬生寺

  • 壬生寺

    壬生寺

  • 大念仏堂

    大念仏堂

  • 壬生狂言とは・・・<br /> 壬生寺に伝わる念仏狂言。壬生大念仏、融通大念仏ともいう。4月21日から29日までの9日間行われ、国の重要無形民俗文化財。<br />・寺伝によると、1300年(正安2)に壬生寺中興の祖、円覚上人が「融通大念仏会(え)」を催し、勧善懲悪、因果応報の理を大衆にわかりやすく説こうとしてつくったものという。狂言を大念仏というのは、大念仏会の余興に狂言を演じたことによるのであろう。狂言といっても無言の仮面劇であることが大きな特色である。<br />

    壬生狂言とは・・・
     壬生寺に伝わる念仏狂言。壬生大念仏、融通大念仏ともいう。4月21日から29日までの9日間行われ、国の重要無形民俗文化財。
    ・寺伝によると、1300年(正安2)に壬生寺中興の祖、円覚上人が「融通大念仏会(え)」を催し、勧善懲悪、因果応報の理を大衆にわかりやすく説こうとしてつくったものという。狂言を大念仏というのは、大念仏会の余興に狂言を演じたことによるのであろう。狂言といっても無言の仮面劇であることが大きな特色である。

  • 東鴻臚館跡<br /> 「東鴻臚館跡」(ひがしころうかんあと)<br />平安時代、京の中央を南北に朱雀大路が貫き、その七条以北の東西にふたつの鴻臚館があった。<br />当時この館を利用したのは、唐ではなく、渤海国の使節渤海使。時の政府は渤海客を大いに歓待し、日本の国威を示すために林邑楽を演奏したり、詩文の会などを催していたが、延喜20年(920)頃には廃せられた。そうした由緒ある顕客接待の場が、江戸時代の島原にもてなしの文化の場として蘇ったことは意味深いことといえる。<br />

    東鴻臚館跡
     「東鴻臚館跡」(ひがしころうかんあと)
    平安時代、京の中央を南北に朱雀大路が貫き、その七条以北の東西にふたつの鴻臚館があった。
    当時この館を利用したのは、唐ではなく、渤海国の使節渤海使。時の政府は渤海客を大いに歓待し、日本の国威を示すために林邑楽を演奏したり、詩文の会などを催していたが、延喜20年(920)頃には廃せられた。そうした由緒ある顕客接待の場が、江戸時代の島原にもてなしの文化の場として蘇ったことは意味深いことといえる。

  • 「東鴻臚館跡」(ひがしころうかんあと)<br /><br />

    「東鴻臚館跡」(ひがしころうかんあと)

  •  与謝蕪村の歌「白梅や墨芳しき鴻臚館」。「源氏物語」の第1帖「桐壺」には、鴻臚館滞在の高麗の人相占いの元を光源氏が訪れる様子が書かれている<br />

     与謝蕪村の歌「白梅や墨芳しき鴻臚館」。「源氏物語」の第1帖「桐壺」には、鴻臚館滞在の高麗の人相占いの元を光源氏が訪れる様子が書かれている

  • 角屋

    角屋

  • 角屋の内部

    角屋の内部

  • 角屋の台所

    角屋の台所

  • 角屋の庭<br /> 名物の「臥龍松」

    角屋の庭
     名物の「臥龍松」

  • 主庭と臥龍松

    主庭と臥龍松

  • 角屋の庭

    角屋の庭

  • 角屋(=角屋もてなしの文化美術館)<br /> 天正17年(1589)、豊臣秀吉によって柳馬場二条に傾城町「柳町」が開かれ、初代徳右衛門が角屋の営業を開始。慶長7年(1602)、柳町は突然の移転を強いられ、角屋も六条三筋町へ移転。更に寛永18年(1641)、再度柳町は移転となり、角屋は二代目徳右衛門によって現在地の嶋原へ移された。なお、六条三筋町の所在地(新町五条下ル)は現在も角屋が所有している。<br />明治5年(1872)まで営業した後、お茶屋に編入された。昭和60年(1985)まで「松の間」を宴会に使用。昭和27年(1952)、島原が開かれて以来現存する唯一の揚屋の遺構として国の重要文化財に指定された(ただし「松の間」のみは大正末期の火事により焼失し、指定されていない)。<br />

    角屋(=角屋もてなしの文化美術館)
     天正17年(1589)、豊臣秀吉によって柳馬場二条に傾城町「柳町」が開かれ、初代徳右衛門が角屋の営業を開始。慶長7年(1602)、柳町は突然の移転を強いられ、角屋も六条三筋町へ移転。更に寛永18年(1641)、再度柳町は移転となり、角屋は二代目徳右衛門によって現在地の嶋原へ移された。なお、六条三筋町の所在地(新町五条下ル)は現在も角屋が所有している。
    明治5年(1872)まで営業した後、お茶屋に編入された。昭和60年(1985)まで「松の間」を宴会に使用。昭和27年(1952)、島原が開かれて以来現存する唯一の揚屋の遺構として国の重要文化財に指定された(ただし「松の間」のみは大正末期の火事により焼失し、指定されていない)。

  • 幕末には久坂玄瑞、西郷隆盛などの勤王の志士が密議を交わしたり、豪商からの資金調達のために接待に使用されていた。また、新選組もここでの遊興を楽しんだ。特に芹沢鴨との関わり合いは深く、文久3年(1863)6月ここで暴挙をはたらき、その際に出来た刀傷が今でも残っている。また、芹沢が殺害される直前にここで酒宴を開いている

    幕末には久坂玄瑞、西郷隆盛などの勤王の志士が密議を交わしたり、豪商からの資金調達のために接待に使用されていた。また、新選組もここでの遊興を楽しんだ。特に芹沢鴨との関わり合いは深く、文久3年(1863)6月ここで暴挙をはたらき、その際に出来た刀傷が今でも残っている。また、芹沢が殺害される直前にここで酒宴を開いている

  • 輪違屋(わちがいや) (京都市指定・登録文化財 非公開)<br /> 輪違屋とは、現在も営業されている京都の花街、嶋原の置屋兼お茶屋である。<br /> 創業は元禄元年(1688)、置屋として始まる。置屋として創業当時の名は「養花楼」。お茶屋兼業は明治5年(1872)より。現在の建物は安政4年(1857)に再建されたものであり、明治4年(1871)にほぼ現在の姿となった。置屋造。<br />浅田次郎の小説およびテレビドラマの『輪違屋糸里』は有名だが、糸里が輪違屋にいたとの記録は輪違屋側にはない。 「維新の名花」といわれた「桜木太夫」を抱えていたのはここである(糸里が「桜木太夫」となる小説・ドラマでのエピソードはフィクション)。<br />

    輪違屋(わちがいや) (京都市指定・登録文化財 非公開)
     輪違屋とは、現在も営業されている京都の花街、嶋原の置屋兼お茶屋である。
     創業は元禄元年(1688)、置屋として始まる。置屋として創業当時の名は「養花楼」。お茶屋兼業は明治5年(1872)より。現在の建物は安政4年(1857)に再建されたものであり、明治4年(1871)にほぼ現在の姿となった。置屋造。
    浅田次郎の小説およびテレビドラマの『輪違屋糸里』は有名だが、糸里が輪違屋にいたとの記録は輪違屋側にはない。 「維新の名花」といわれた「桜木太夫」を抱えていたのはここである(糸里が「桜木太夫」となる小説・ドラマでのエピソードはフィクション)。

  • 島原入口の大門

    島原入口の大門

  • 島原入口の大門

    島原入口の大門

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