2014/01/24 - 2014/01/26
206位(同エリア528件中)
魅々さん
第二日目は、東京都、日本ウオーキング協会、伊豆諸島ウオークin八丈島実行委員の主催し、八丈町、八丈島観光協会などが共催する「伊豆諸島ウオークin八丈島」に私たちのウオーキングクラブのメンバーがそろって参加しました。
コースは2種類あり、Aコース 22km、Bコース10kmがありましたが、私たちはAコース10kmに参加しました。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- ANAグループ 自家用車 徒歩
PR
-
伊豆諸島ウオークin八丈島のコースマップで、青がBコース10kmです。
-
午前10時、大会会場の「八丈町役場」で受付を済ませ、スタートしました。
-
-
これは、東京都八丈支と東京都教育庁八丈出張所のビルです。
-
入口のプレートには、東京都のイチョウのマークが入っていました。
-
住宅の生け垣にアロエの花が咲いていました。
-
-
広い墓地があったので入ってみると、あら!「宇喜多秀家の墓」の標識がありました。
-
玉石に囲まれた中心に、苔むした五輪塔形式の「宇喜多秀家の墓」がありました。
宇喜多秀家の墓 名所・史跡
-
説明板には
宇喜多秀家は豊臣秀吉の五大老に列せられた武将です。
関ヶ原の戦いに敗れ、慶長11年(1606年)に八丈島に流され、明暦元年(1655年)に死去しています。
墓石には83歳と刻まれています。
と書いてありました。 -
玉石垣に囲まれた一族のお墓の中心に秀家のお墓があります。
-
通りにめんして、旧八丈町役場の建物がありました。
現在は、新しい建物に移転して、この建物は使われていません。 -
やがて、玉石を敷き詰めた石段が目に着きました。
-
鳥居のそばには写真のような石碑がありました。
天照皇大神宮を中心にいろいろの神様がまつってあるようです。 -
石段を登ると、写真のようなお社がありました。
-
この神社の横には「島酒之碑」がありました。
八丈島に芋焼酎の製法を伝えた丹宗庄右衛門翁の徳を誉めたたえるとともに、芳醇な島酒を讃えるために昭和42(1967)年に建造されたものです。島酒之碑 名所・史跡
-
南国情緒のある植物で、園芸用に出荷するために、栽培されているようです。
-
-
ウオーキングコースのどこからでの、八丈富士(西山)が望めました。
-
「警視庁八丈島警察署」の大きな看板が建っていました。
-
警察署の入口です。
-
コースマップの「護神」交差点に神社がありました。
ここも「天照皇大神宮」と書いてありました。 -
その本殿です。
-
その横に「お稲荷さん」がありました。
-
住宅地の中に
「三根倉の坂 さか真ん中で 出船 眺めて袖絞る」
野口雨情作詞
と書かれた石碑がありました。 -
-
石碑の隣りに説明板があり、
「島に流された罪人が、刑期満了になり、江戸に帰る出船の風景である。
流人達は江戸には妻子があり、島では現地妻とその子供と別れなくてはなりません。
港が一望できる倉の坂で、小さくなる主人に船を泣きながら、見送った歌である。」
と書いてありました。 -
近くに、標高30mの標識がありました。
-
歌にあるように、ここから急な坂道を一気に降りて行きます。
-
「神湊(かみなと)港」に降りてきました。
-
港の改修工事が進められていました。
-
高い防波堤に驚きました。
-
文字が剥げて良く読めませんが、「神湊帰帆」とあり、この神湊港は「八丈八景」の一つのようです。
後で、八丈八景なるものを調べてみようと思いました。
(翌日の「八丈島歴史民俗資料館」の見学で、八丈八景に出会いました) -
アート的な記念碑がありました。
何かしら?・・・・
となりの説明版には「流人の碑」と書いてあり、ライオンズクラブの方々が1993年に建立した碑のようです。 -
となりの説明版には、次のような説明が書いてありました。
江戸時代の八丈島への流人は、1900名程であり、その内の半数は刑期半ばにこの島で亡くなっています。御定の付文に「流人ソノ生活勝手タルベシ(自分で勝手に生きなさい)とあり、飢餓や流行病で亡くなったり、抜け船を計って処刑されたた者等様々ですが、ご赦免の日を待ちわびながら淋しくなくなったものと思われます。しかし刑期満了後も島に残り天寿を全うした人もいました。」 -
すぐ近くに「抜船の場」と彫られた石碑がありました。
-
隣りの説明板には
浮喜多秀家が流されてから明治4年(1871)に至る265年間に八丈島には1917名の流人が送られて来た。
流人の中には漁船を盗んで脱出を計る者もいたが、これを抜船と呼び、11回も記録されている。しかし、追手に捕えられたり、波浪に呑まれたりしてほとんど失敗し、成功した記録は1件だけである。
此処は漁船も多く、北側に面していて、抜船に好都合の場所だったらしい。
と書かれていました。 -
しばらく歩くと、大きなビルが見えてきました。
しかし、大きなわりになんとなく不気味で変な感じがします。 -
近づいてみると入口に「Hatijojima Oriental Resort」の看板がありました。
かつて八丈島は「日本のハワイ」ともてはやされた頃は隆盛を究めましたが、その後、観光客が減少し、今は廃墟になっているようです。 -
「神湊港」から「底土(そこど)港」にいたる海岸沿いの道に松が植えられていました。
-
風が強いために、ハイマツのようになっていました。
-
コースマップにおトイレマークがありますので、そちらに行ってみましたら、「底土野営場」と書いた大きな看板がありました。
-
おトイレや、シャワー室がありました。
-
芝生の広場もありました。
-
バーベキュウの施設や、テーブルもありました。
夏には賑わうでしょうけれど、この日は誰もいませんでした。 -
ビロウが植えられた綺麗な通りがありました。
-
説明板があって
ビロウは八丈島には、1791年(寛政3年・江戸時代)、幕吏田村元長らにより1株植えられたもが最初です。いまでは街路樹として最も多く植えられており、島内各所で見られます。
春、黄白い小さな花を多数つけ、秋には直径1.5cn位、楕円形で緑〜暗緑色の果実をつけます。
と書かれていました。 -
底土港に着きました。
東京港から来る「東海汽船」の定期船が入港する港です。 -
東海汽船の底土船客待合所の建物が見えました。
東海汽船 乗り物
-
定期船や貨物船が発着する埠頭です。
-
底土船客待合所に入って見ました。
時刻表によると、一日一便。
東京発20:20 三宅島、御蔵島経由し、翌日の朝 八丈島着09:20
八丈島発10:00 御蔵島、三宅島経由 東京着20:30
東京ー八丈島は約10時間かかるようです。 -
底土港の広場は綺麗に整備されていました。
-
グループから離れて、一人あちこち道草を食って、すっかり遅れてしまいました。
急いで、ゴール目指しました。 -
ゴールに近づくと、八丈島出身のリーダーが、待っていて迎えに来てくださいました。
-
そして、リーダーとともにゴールしました。
-
ゼッケンと完歩証です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
魅々さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
56