2014/01/20 - 2014/01/21
196位(同エリア374件中)
スタリモストさん
- スタリモストさんTOP
- 旅行記305冊
- クチコミ10件
- Q&A回答0件
- 270,760アクセス
- フォロワー33人
ボーパールからマディヤ・プラデーシュ州を西南に移動し、マンドゥ を訪ねる。
ボーパールを7:30にスタートして、ヒンディー語の世界で、「マンドゥ」としか言っていないのに、オートリキシャの中継ぎとバスを3回乗り換えて8時間半後、午後4時に無事マンドゥ村に到着した。何とかなるものだ。
マンドゥには、15世紀にこの地方を統治したマルワラ王国の栄華がしのばれる沢山の遺跡が渓谷を見下ろす丘の上に点在している。パゴダや寺院が村のそこかしこに点在する様は、訪れたことのあるミャンマーのパガンような印象を受けた。村にあふれる牧歌的な風景、道行く多くの人からの笑顔満面のあまたの挨拶は心地良かった。又、ここでも沢山のインドの人たちのカメラに収まった。マダガスカルにある幹がすっと伸びるものとは異なるが、大ぶりのアフリカバオバブの樹に出会えたのも良い思い出になった。
※遺跡を押しのけ、マンドゥで撮った中で一押しの写真となった。
PR
-
□7日目(1/20)今日は、ボーパールからマディヤ・プラデーシュ州の西、マンドゥ に移動する。事前に「直通はないのでインドールで乗り換える。」ことをバスターミナルで聞いていた。さて、バスターミナルに入るまでもなく、交差点に止まったバスの呼び込みが「インドール」を連呼してたので乗り込んで直後、7:30に出発した。こうした待ち時間なしはとてもラッキー。寝台バス(160RP)仕様で、シートの間隔もゆったりしていて快適。しかしどんなに力を入れても閉まらない窓の隙間から、朝の冷気が吹き込んできた。そこで活躍したのが持参した布テープ。今回は不測の事態に備えてイロイロ持ってきている(^o^)。バスはインドールに11:30に着いた。バスが止まった鉄道駅近くのバスターミナルからはマンドゥ方面のバスは発着していないようで、オートリキシャ(70RP)で、もう一つのターミナルに移動、6kmほど離れた所だった。着いて「マンドゥ」と声をかけたら、これだと教えられたまま、道路脇に停車していたバスに乗り込んだ。バスは12:30発の「ダール」行きだった。ダール行きはとても煩瑣に発車している。乗車して車掌に運賃(60RP)を払う時に、「マンドゥは、ダールで乗り換えだ」と教えられた。この満員すし詰め状態のバスの乗り心地は、とてもとてもハード。でこぼこの道路事情とバスの固いサスペンションのために、ジャンプすることあまた。横滑りもあって、ロディオ状態。舌をかむことはなかったものの、首に少しダメージが残った。又、横に座った男がヒンディー語で長々としゃべりかけてくるものだから辟易。14:10ダール着。
-
バオバブの樹
-
途中からはヤギもお客さんで乗り込んできた。生きながらのマトン臭だった。・・ヤギの運賃は、「体が小さいから子供料金かな」(スタリモスト)、「それはやはり荷物扱いで無料だろう」(a3)・・。そしてやっと16:00にマンドゥの村に着いた。
-
ホテル「MalwaRetreat」をチェックするために500mほど道を引き返す。2100RPの部屋だけど、散らかされた清掃前の部屋を見せられたこともあって、何となくぴったりこなくて、村にもどって、「ロイヤルパレスホテル」に向かった。ホテルは老朽化していて、屋号にほど遠い状態だったけれど、端の部屋の窓から田園風景が開けていたのが気に入り、チェックインすることにした(1400RP)。それにしてもホテル設備の低さ(便座が安定しないので困った(^_^;))にもかかわらず値段が高い・・。
-
観光客相手のレストラン「Shivani」でターリーを食べたが閑古鳥が鳴いていた。ベストシーズンは雨期ということなのだろうか。
-
□8日目(1/21)マンドゥ
マンドゥの村をレンタサイクルでまわった。
午前中は、4つの遺跡群の内、ヴィレッジグループを回った。大モスク、イスラーム大学跡、ホーシャン廟が見所だ。
大モスク前の土産屋で、昨夜買い求めておいた小冊子(80rp)を頼りに観光開始。 -
冊子の地図は位置関係を確かめる上で、とてもわかりにくい。
-
ホテル前の民家の母子・・
子供の目の下の墨は、厄除けのカジョル? -
大モスク、ジャーミイーマスジット(100RP)はまだ観光客も訪れていない。静謐感に包まれ、列柱のが作るリズムが詩的な情感を醸していた。
-
-
-
その後ろにあるホーシャン廟(大モスクと共通)はタージマハルのモデルとなったとされる白大理石の堂々たるものだった。
-
廟内で声を発するとよく響く。棺のかたわらにコウモリの襤褸が・・良い所で長の眠りにつけたね。合掌。
-
インド人の親族ご一行が観光に見えていて、その子らのカワイイこと。私の後ろから母親たちが「こっち向いて」「笑って」・・とあやしてくれていたようだ。
-
ジャーミイーマスジット前の学校の跡・・
-
-
そこから少し下で工事中。どこでも人海作戦。重機はほとんどみかけない。石を運ぶ女性たちは、後ほど、私達を見つけて手を振ってくれた。カメラに対しての抵抗感が全くない人たち・・。
-
ヒンドゥーのお寺とジャイナ教のお寺を見て、午前の部はおしまい。
-
-
ランチはモスク前の角の店で。とても待たされて出てきたタリーは素朴な家庭の味、チャパティもご飯もおかわり自由。支払いの際、チャイも含めて「200RP」と言われたので、思わず日本語で「高い」と。結果20RPが戻ってきた。値段は適当なんだ・・・。
-
ランチのあと、他の遺跡グループを自転車を借りて回った(100RP)。
-
まず、デリー門方面に向かった。途中にあったガダシャーズ・ショップの廃墟感が良い味を出していたが、
-
その少し先に現れたのが、アンデリ・バオリだった。規模は小さいけれど、階段の形状のシンメトリーが美しかった。
-
-
そしてデリー門。堂々たるたたずまいに圧倒された。
-
-
渓谷が眼下に広がる。
-
門を背に右の道を行くと、ロイヤル・エンクレイブ・グループの裏門があり、そこから自転車を押して入っていった。係が来て、正面入り口に導かれ、ここでチケット(100RP)を購入して再入場。(このグループにはホーシャン廟の横の道を先に進むと正面入口に至る。)王国の宮殿チャンパ・バオリやハーレムのジャハズ・マハルはとても見事だった。
-
雨期の時期には増水し、宮殿が船のように浮かんで見えると言う・・。
-
-
-
-
ここでも「ワン・フォト・プリーズ」・・
-
-
インドの人たちのこうした目線にいつもさらされている。
-
サガール・タオラグループはほとんど素通りして、レワ・クンド・グループに向かった。
-
-
-
-
-
-
-
-
村の中心から4Kmほど先だった。時間は4時半。疲労も蓄積・・ゴール直前の坂道でスタリモスト転倒(-_-)。幸いなことに怪我はなかった(^^)/。2007年夏に、中国・陽朔でサイクリング中に同じように転倒した際は、道路の横に高さ1.5mほどの側溝があったものだから、手を深く切って医者にかかった。「サドルからお尻をあげて前に降りたら良いのだけど、とっさに出来なくて。自転車も重いし一緒に・・・」と彼女。2011の冬に丸一日たっぷりアンコールワットを自転車で回った時は、悪路だったのと長時間走りすぎて、尻の皮を剥いていた。サイクリングをやるとイロイロと起こる。年齢のことを考えると、これが最後のトライだろうな。
※この写真はデリー門に向かう途中。まだ余裕がある・・。 -
さて、しんどい目をして到達したここの遺跡、マルワ王ハズ・バハドゥルが妃のために建てた365mの高台にある離宮は、とても素晴らしかった。眼下に平原が横たわり、何か天空の城を思わせる浮遊感があった。
※写真はその手前の建物 -
-
-
-
-
眼下に平原が横たわり、天空の城を思わせる浮遊感があった。
-
帰り、行きがけに見つけておいた店で、ゆで卵を買い(後ろの鍋でゆで卵制作中)、English Wine shop でキングフィッシャーを買ってマンドゥの素晴らしい遺跡群に乾杯した。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
51