2014/01/06 - 2014/01/06
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カピさん
古くから「瀬田を制するものは天下を制す」と言われ、壬申の乱(671年)では決戦地となり、大友皇子側が橋を落としていたが、大海人皇子側に突破され敗戦、大海人皇子は天武天皇となる。また、『今昔物語』に出てくる俵藤太(藤原 秀郷)の大ムカデ退治の舞台でもある。1986年には、建設省制定の「日本の道100選」にも選定された。
- 旅行の満足度
- 4.5
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本能寺の変の後、山崎の戦いの時には、瀬田城主が安土を守るため橋を焼いたそうだ。
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1184年の源義経vs木曾義仲の戦いの時は、義仲四天王の1人、今井兼平が唐橋を落として守っていたそうな。
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昔、唐橋のふもとに大蛇が住んでいて、怖くて皆橋が渡れなくなっていたけど、俵藤太はひょいひょーいと渡った。その夜、美しい娘が藤太のもとへやってきて、「自分は橋のたもとに住んでいる大蛇の化身である。藤太の勇気を見込んでたのみがある。 近江富士で有名な三上山(野洲市)に大ムカデが住んでいて、龍神一族を困らせているから大ムカデを退治して欲しい」と懇願した。藤太は三上山へ、行き、ムカデは人間の唾をいやがるので、矢に唾をつけて放って大ムカデを退治したそうな。
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近江大津宮遷都の時にかけられた唐橋は当初は左端が現在の龍王社のあたりだったが、織田信長によって現在の位置にかけ直されたそうだ。
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昭和61年(1986年)に「道の日」を記念して、「歴史」「親愛度」を考慮して制定された「日本の道100選」に選ばれている。
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現在の橋は1979年にコンクリート製にかけ直されたが、擬宝珠は古いものもあるらしい。これには、「膳所(ぜぜ)城主」の名が刻まれていた。
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