2013/11/10 - 2013/11/10
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マキタン2さん
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下郷町/大内宿 町並み展示館(本陣跡を復元) ☆殿様専用の玄関も
大内宿の本陣は、会津若松と日光今市を結ぶ下野街道(南山通り・会津西街道)の拠点のひとつとして江戸時代初期に建てられ、会津藩の初代藩主・保科正之、二代藩主・正経が江戸参勤のためにこの街道を利用し、ここで昼食をとったという記録が残っています。この時の行列の総人数は約600人で、宿場内はたいへんなにぎわいであったといわれています。
大内宿は、戊辰戦争の戦場にもなったことから、本陣に関する記録、図面等が散失し発見されていません。このため現在ある建物は、同じ街道の糸沢宿、川島宿の本陣を参考に設計し、昭和59年に復元したものです。
大内宿町並み展示館として復元した本陣は、大内宿のほぼ中央に位置し、殿様専用の玄関(乗りこみ)、上段の間、風呂、雪隠があり、茅屋根のどっしりとした風格とともに当時の面影を色濃く再現しております。館内では茅葺きに関する資料や昔の民具等の展示をしています。カッテにはいろりがあり、一年中薪を燃やし茅屋根の保存にも一役かっています。現代ではいろりのある生活も少なくなり、貴重な体験ができます。
(http://town.shimogo.fukushima.jp/category/culture_tourism/culture/town_exhibition/ より引用)
大内宿は、福島県南会津郡下郷町大字大内にある旧宿場。重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
南会津の山中にあり、全長約450mの往還の両側に、道に妻を向けた寄棟造の民家が建ち並ぶ。江戸時代には「半農半宿」
宿場であったが、現在でもその雰囲気をよく残し、田園の中の旧街道沿いに茅葺き民家の街割りが整然と並ぶ。
大内宿本陣跡には、下郷町町並み展示館がある。民宿や土産物屋、蕎麦屋などが多数立ち並ぶ。特に蕎麦に関しては、高遠そばの名で知られており、箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習がある。
旧宿場区域と高倉神社周辺の11.3haが重要伝統的建造物群保存地区として選定されており、同地区などを除く、他の盆地内の平地は農業振興地域に指定されている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
大内宿については・・
http://ouchi-juku.com/
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
-
大内宿本陣跡 1
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大内宿本陣跡 2
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大内宿本陣跡 3
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大内宿本陣跡 4
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大内宿本陣跡 5
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大内宿本陣跡 6
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大内宿本陣跡 7
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大内宿本陣跡 9
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大内宿本陣跡 23
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大内宿本陣跡 25
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大内宿本陣跡 27
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大内宿本陣跡 28
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大内宿本陣跡 29
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大内宿本陣跡 30
郡山駅で観光バスを降り。新幹線で東京へ
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