2013/01/02 - 2013/01/03
7位(同エリア70件中)
エンリケさん
南インド、タミル・ナードゥ州のヒンドゥー寺院を巡る旅5日目後半。
チェンナイから南へ60kmの地にある世界遺産の町マハバリプラムでの観光を続けます。
南インドの寺院建築の原型となった7世紀の石彫り寺院“ファイブ・ラタ”を見学した後は、巨大な岩に刻まれたヒンドゥー神話のレリーフ“アルジュナの苦行”、そして岩山の上で今にも転げ落ちそうになりながらも静止し続ける奇岩“クリシュナのバターボール”と見て回ります。
その後も素晴らしいレリーフが残るいくつものマンダパ(石窟)を巡り、最後は、1300年もの間風雨に浸食され、寂しい姿になりながら今なお海の近くにたたずむ雄々しき寺院を見学。
南インドの旅の最後は、インドの偉大なる石造り芸術の世界を見せつけられたものとなりました。
<旅程表>
2012年〜2013年
12月29日(土) 成田→香港→
12月30日(日) →チェンナイ→カーンチプラム→チェンナイ→マドゥライ
12月31日(月) マドゥライ→カーニャクマリ
1月 1日(火) カーニャクマリ(コモリン岬)→
○ 1月 2日(水) →チェンナイ→マハバリプラム→チェンナイ
○ 1月 3日(木) チェンナイ→香港→成田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 2.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 航空会社
- キャセイパシフィック航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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-
1月2日(水)
12時30分、マハバリプラムでの最初の観光スポット、5つの石彫り寺院(ファイブ・ラタ)を見学した後は、そこから北へ車ですぐ(徒歩だと15分ほど)のところにある、小高い岩山がそびえる一角へ。 -
早速着いた一角は、大きな岩山が長方形にくり抜かれていて、何やら神聖な場所といった雰囲気。
そのすぐ脇には、岩壁に彫られた巨大なレリーフも見えます。 -
この岩山がくり抜かれた場所は“マンダパ”(Mandap)と言われ、通常内部にはヒンドゥーの神々の姿を描いたレリーフが彫られ、礼拝堂としての役割を果たしてきました。
現在では先に見た“ファイブ・ラタ”などとともに“マハバリプラムの建造物群”として世界遺産に登録され、インド国内はもとより外国人旅行者も多数訪れる、南インド有数の観光スポットとなっています。
ちなみにこのマンダパは“パンチャパーンダパ・マンダパ”という名前で、ファイブ・ラタと同じく7世紀のパッラヴァ朝時代のもの。
ファサードの獅子の柱が先ほど見た“ファイブ・ラタ”のひとつ、ビーマ・ラタの石柱を彷彿とさせますが、内部の祠堂はこれまた未完成で、レリーフも何も施されていない状態。
やはり何か政変が起こって作業が中止されてしまったのでしょうかね・・・。
【南インド・タミル紀行(7) ビーマ・ラタの獅子の石柱】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31873574 -
パンチャパーンダパ・マンダパ(舌を噛みそう・・・)の隣にある岩壁に彫られた巨大なレリーフは、ガイドブックには必ず載っているかの有名な“アルジュナの苦行”(Arjuna's penance)。
幅29m、高さ13mの花崗岩でできた岩壁一面に彫られた、世界最大とも言われるレリーフです。 -
このレリーフの解釈にはふたつあり、ひとつはインドの古代叙事詩“マハーバーラタ”の一場面を描写しているという説。
すなわち、マハーバーラタに登場するパーンダヴァ家の英雄アルジュナが、インドラ神から“シヴァ神に会えば望みの武器を手に入れることができるだろう”と告げられたことにより、シヴァ神に会うための苦行をしているというもの。
レリーフ中央の溝になっている部分の左側上方に、“片足立ちになって腕を頭の上に回し、修行に励むアルジュナの姿”が彫られているのが分かると思います(そのさらに左側に、強力な武器となる矢を持ってすらっとした姿で立っているのがシヴァ神)。
もうひとつの解釈は、このレリーフが別名“ガンガーの降下”(Descent of the Ganga)と言われるように、ガンジス川(女神ガンガー)が地上に降りてくるときの物語が刻まれているという説。
すなわち、インド神話の王バギーラタが、先祖の魂を救うため、天上の川であったガンジス川(女神ガンガー)を地上に招来しようと、厳しい修行をしているというもの。
どちらも修行をしている人物がいるという点では同じですが、中央の溝になっている部分がガンジス川が降りてきた跡であると考えれば、後者の説の方が説得力があるような気がしますね。 -
・・・そんな二通りの解釈があることは、帰国してこの旅行記を作成している時点で初めて知りましたが(笑)、そんなことを知らなくても、躍動感あふれる神々や写実的な象の姿など、岩壁一面に彫られた芸術的なレリーフを見て十分楽しめるスポットだと思います。
そんなこんなで“アルジュナの苦行”または“ガンガーの降下”と呼ばれる世界最大規模のレリーフを後にし、次に向かったのは・・・。 -
インド好きのみなさんにはお馴染みの、転げ落ちそうでいて転ばない不思議な岩“クリシュナのバターボール”。
先ほど見た“アルジュナの苦行”から、歩いてすぐのところにあります。
しかしこうして眺めてみると、丸っこいボールのようなかたちをしているのに、坂道の端でピタリと止まっていて、どういう仕掛けなのやら本当にスゴイ・・・。 -
クリシュナのバターボールを斜め下からパチリ。
左下に立っている男性と比較してみると分かると思いますが、ツルツルしていそうな斜面にバランスの悪い体勢でいるのに、いつまでも転がり落ちないのが不思議なくらい巨大なバターボールです。 -
坂道を登ったところで斜め後ろからパチリ。
岩の後部はスパっとナイフで切られたようになっていて、まさに名前のとおりのバターボール。
ちなみに“クリシュナ”というのは、インド好きのみなさんならご存知のとおり、ムスリムのガイド氏も大好きだと語るインドで最も人気のある神様。
世界の維持神ヴィシュヌの化身(アヴァターラ)のひとりで、黒い顔をしていながら、美男子で怪力の持ち主。その上、笛の名手であったことから、女性にもモテモテの神様です。
そのクリシュナ、物語の中でミルクなどの乳製品が大好きな様子が描かれていることから、バターボールのかたちをしたこの岩をクリシュナがその怪力でスパっと割ったということで、“クリシュナのバターボール”という名前がつけられたのだそうです。
しかし、ヒンドゥー教の神様が、アラー以外は神と認めない一神教を奉ずるムスリムにも大人気なんて、ヒンドゥー教は日本の神道のように、宗教というよりはもはや生活習俗のレベルなのでしょうね。
【天竺奇譚〜美貌のプレイボーイ クリシュナ】
http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/krsna.html -
後ろからちょっぴり押しただけで滑って落ちていってしまいそうな奇妙な岩ですね。
ちなみに陰になっていて見えづらいですが、バターボールの下は地元の人や観光客が落としていったと思われる、食べ物の包装紙や空き瓶などゴミの溜まり場になっています。
インドの街らしいと言ってしまえばそれまでですが、世界的に有名な観光地なのにちょっと残念な風景・・・。 -
こちらの角度から見ても、下の岩山に接している部分はほんのわずか。
ものすごいバランスです(笑)。 -
屈強な欧米人が4人がかりで押しても、バターボールはピクリともしません(笑)。
・・・こんなふうに、クリシュナのバターボールは内外の観光客たちが童心に返って写真を撮りまくる、マハバリプラムで最も人気のある観光スポットとなっています。
ご多分にもれず、わたしも下からバターボールを支えている(ように見える)写真をガイド氏に撮ってもらいました(笑)。 -
さて、写真もたくさん撮ったし、そろそろクリシュナのバターボールを後にして先に進みます。
・・・次に向かうのは、バターボールの立つ巨大な岩の丘の上の北側の部分。
バターボールが二つあわさったようなこの奇岩の間の道を通っていくと・・・。 -
ひとつの岩をくりぬいてつくったマンダパ(礼拝堂)が目の前に。
“ティルムティー・マンダパ”です。
“地球の歩き方”には名前しか掲載されていませんが、インドでは有名なマンダパらしく、一緒に記念撮影をするインド人の観光客も多数・・・。 -
向かって右側の窟から見て回ります。
このマンダパはこの近くにあるほかのマンダパと同じように、パッラヴァ朝時代の7世紀頃のものと思われますが、日陰の部分が多いからか、その精巧なレリーフの保存状態は非常に良好。
ヒンドゥー教の神々の一柱と推測される、外壁の向かって右側のレリーフの美男子は、日本の神話時代の角髪(みずら)のような髪型をしています。
こういうのを見ると、昔流行った大野晋氏の“日本人ドラヴィダ起源説”を思い出してしまいますね(笑)。 -
続いて左側の窟。
こちらの外壁のレリーフには、ひげを生やした長老といった感じの男性が彫られています。
こちらも劣化の少ない、美的センスの感じられるレリーフですね。 -
最後に中央の窟。
中に入ると、中央にシヴァ神(南インドではスンダレーシュヴァラ神)を象徴するリンガが据えられていることから、後ろのレリーフはシヴァ神を描いたものなのでしょう。
それにしてもリンガは即物的というかなんというか・・・(笑)。 -
ティルムティー・マンダパを見終わり、次は岩の丘の南の部分へ。
再び巨大な岩の間の道を通って、元来た道を戻ります。 -
丘の上の道はこんな感じ。
なんだか恐竜の背中の上を歩いているような気分でもあります(笑)。
周りにはバターボールの小さいものがたくさん散らばっていますが、この辺りでは珍しいものではないのか、特に収集する人もいないようです。 -
13時30分、丘の上の道を少し歩くと、目の前に新たなマンダパが姿を現しました。
4本の繊細な獅子の柱を正面に配した“ヴァラーハ・マンダパ”で、先ほどの“ティルムティー・マンダパ”がシヴァ神を祀っているのに対し、こちらはヴィシュヌ神を祀ったもの。
こちらも日陰になっているからか保存状態が良好で、数あるマンダパの中でもレリーフの精巧度が高く、美術的価値が高いマンダパとされています。 -
獅子の柱の間を通って中に入ると、そこにはため息が出るほど精巧なレリーフが。
このレリーフ、女性の体つきもリアルで素晴らしいですが、バックの象もまた、生き生きとした写実的な図法で思わず見入ってしまいます。
ちなみに、中央の女性は世界の維持神ヴィシュヌ神の妻で、美と豊穣と幸運を司る女神ラクシュミー。
象に左右から水をかけさせてもらっているこの構図は“ガジャーラクシュミー”と呼ばれ、インドでは吉祥を表すお決まりの図柄なのだそうです。
【天竺奇譚〜美と富の女神 ラクシュミー】
http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/lakshmi.html -
右側の壁には、このマンダパの主神であるヴィシュヌ神を中心とするレリーフ。
世界を三歩で踏破したという神話をもとに描かれたレリーフの姿からは、ほかの何者をも寄せ付けない圧倒的な力を感じます。 -
左側の壁には、このマンダパの名前にもなっている“ヴァラーハ”(野猪)の物語のレリーフ。
“ヴァラーハ”とは、クリシュナと同様、ヴィシュヌ神の化身(アヴァターラ)のひとり。
描かれているのは、魔神ヒラニヤークシャに捕らえられて水中に沈んでいた大地(大地の女神プリティヴィーに擬人化)を、ヴァラーハ(野猪)に化身したヴィシュヌ神が1000年にも及ぶ戦いの末、見事勝利を収めて救い出す場面。
ストーリー性が感じられるだけでなく、レリーフに閉じ込められた神々や人物たちが今にも石の壁を蹴破って出てきそうなほど躍動感にあふれていて、とても1300年以上前のものとは思えない、ロマンと技術に満ちた素晴らしい芸術作品ですね。 -
天井には色褪せた円や菱形の幾何学模様が。
色は着いていませんが、マドゥライで見たミナクシ寺院の通路の天井の図柄にそっくりです。
このあたりもマハバリプラムの寺院群が後世のヒンドゥー寺院の原型と呼ばれる由縁なのでしょうね。
【南インド・タミル紀行(3) マドゥライのミナクシ寺院の通路の天井】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31375676 -
ヴァラーハ・マンダパを後にし、先へ進みます。
丘の南側の部分はほかよりも高くなっていて、ごつごつした坂道を登りながらさらに南に向かって歩いていくと、高台にこんな砦だか神殿のような建物が。
この建物、中はがらんどうで、これまで見てきたマンダパに比べれば大したレリーフもなく、特に見るべきところはありませんでした。 -
13時50分、さらに南へ向かって歩いて、丘の上のこんな高いところまで来てしまいました。
これまで通ってきた道を振り返ると・・・見晴らしがきくかと思ったら、木がたくさん生い茂っていて、それほどの景色は拝めませんでした(笑)。 -
それでも、西側を向くと遥か遠くに大きな川が見え、野鳥の群れも飛んでいて、なんだかインドらしいのんびりとした熱帯の風景。
-
さて、さらに南を向くと、灯台の向こうの丘に何やら建物らしきものが見えます。
この丘の上の散策でかなりの時間を費やしてしまっているところですが、気になるので行ってみることにします! -
アップダウンの道を進み、14時、気になっていた丘の上の建物の目の前にやってきました。
辺りには巡礼者と思われる赤い色の服を着た一団の女性たちの姿が。
7世紀頃の建築と思われるこんな古い建物でも、単に観光客にとっての歴史的遺産としての価値だけではなく、巡礼者にとっての信仰の地としての価値もあるのですね。 -
丘の上の建物をズームアップ。
外壁の四方には躍動感あふれる神々のレリーフが彫られ、やはりこの建物はたくさんの巡礼者たちも参拝していることから寺院である様子。
わたしも彼女らに続いて階段を昇り、内部はどうなっているのだろうと興味津津でしたが、寺院の中への入口は閉ざされていて、内部の様子は分からずじまいでした・・・。 -
ちょっとがっかりして休憩していると、向こうの丘の上に猿の姿が。
マハバリプラム、野生の猿も見られる本当にのんびりしたところでいいですね(笑)。 -
丘の上から東の方向を見やると、何もない土色の風景の向こうにベンガル湾の青い海。
マハバリプラムはタミル・ナードゥ州の州都チェンナイの近郊だというのにそれほど開発が進んでいないのか、こんな南インドの原風景も楽しむことができます。 -
帰り道、丘の上の建物から下に降りたところにまたまた新たなマンダパが。
“マヒシャマルディニー・マンダパ”です。
ひとつの大きな岩が見事にくり抜かれているのがよく分かりますね。 -
このマヒシャマルディニー・マンダパは他のマンダパと同じくパッラヴァ朝時代の7世紀に造られたもの。
獅子を刻んだ石柱や神々の姿を描いた壁のレリーフは非常に繊細で驚くほどですが、天井だけはなぜか荒削りで、ノミの跡が生々しく残っています。 -
奥に向かって右側の壁には、このマンダパの名前の由来となった“マヒシャマルディニー”のレリーフが。
マヒシャマルディニーとは、シヴァ神の妻パールヴァティーの化身で8本または10本の腕をもった戦いの女神“ドゥルガー”が、獅子の背に乗って、水牛の姿をした悪魔“マヒシャ”にとどめを刺す場面を描いた図のこと。
多くの人物が登場し、躍動感にあふれる生き生きとしたレリーフで、こんな貴重な芸術作品が、大した保存措置もとられず誰でも触れられるような体勢でとどめ置かれていることに驚き。
それこそが、単なる文化財ではなく、“生きた宗教”なのかもしれませんが・・・。
【天竺奇譚〜戦いの女神 ドゥルガー】
http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/durga.html
ちなみにこのドゥルガー女神、美人の上に超強いということで、インドでは絶大な人気を誇る神様のひとり。
毎年10月ごろには、インド各地、特にコルカタなどのベンガル地方で、彼女の勝利を祝うお祭り、“ドゥルガー・プージャー”が開催されています。 -
向かって左側の壁には、退治したナーガ(蛇)の上で、余裕の姿で安眠をむさぼるクリシュナ神の姿が。
クリシュナの少年時代のエピソードがもとになっているレリーフです。 -
その後は元来た道を戻り、14時30分、クリシュナのバターボールの丘まで戻ってきました。
相変わらず奇妙な風景ですね(笑)。 -
そんな奇岩の姿を最後にパチリと収めてマハバリプラムでの最後の観光ポイント、海岸寺院への道を歩みます。
-
海岸寺院への道すがら、道路脇にまたまた新たなマンダパを発見。
獅子の列柱が並び、かたちもきれいなマンダパ、“クリシュナ・マンダパ”です。 -
中に入ると、獅子の柱が前後左右に均等に並んでいて、完成度の高さに驚きます。
奥のレリーフも何やら素晴らしそうな予感・・・。 -
正面奥にあったのが、こちらの“牛の乳を搾る農夫”のレリーフ。
これまでに見てきた神々のレリーフと違って、当時の庶民の日常の風景が感じられ、平和な気持ちにさせてくれます。
その上では、笛の名手であるクリシュナが横笛を吹き、その音色に牛たちがうっとりしている様子が描かれていて、まさに平和を象徴するレリーフということなのでしょう。 -
その脇では、今度は大きなクリシュナの立像が。
やはり人気のある神様らしく、インド人の旅行者もクリシュナ様の手を握って記念撮影(笑)。 -
さて、再び海岸寺院への道を進みます。
海岸へと向かう土産物屋街の前を通っていると、マハバリプラムで初めての野良牛登場。
インドの経済発展に伴い、最近は野良牛も少なくなったのでしょうかね(笑)。 -
この辺りはインド人の観光客も多く、賑わっている感じ。
またディープな雰囲気が漂ってきました(笑)。 -
チケットセンターの向こう(チケットは最初に見たファイブ・ラタと共通)、ゲートを越えて中に入ると、広々とした西洋風の公園のようなところに。
芝生の上では、座っておしゃべりを楽しんでいる家族の姿も。
こののんびりとした風景の中を進んでいくと・・・。 -
ピラミッド状の2つの建物を中心とする朽ちた寺院が見えてきました。
世界遺産にも登録されている7世紀初頭に建造された寺院、“海岸寺院”(SHORE TEMPLE)です。
パッラヴァ朝の王、ナラスィンハヴァルマン2世(NARASIMHAVARMAN ?、在位700-728年)が建造させたヒンドゥー寺院で、大きな方の建物はシヴァ神、小さな方の建物はヴィシュヌ神に捧げられたものとなっています。 -
シヴァ神に捧げられた大きな方の寺院をパチリ。
二等辺三角形のきれいなシルエットで、同じく8世紀初頭に建てられたカーンチプラムのカイラーサナータ寺院と同様、シヴァ神の住まいであるヒマラヤのカイラス山(カイラーサ山)を表しているのでしょう。
【南インド・タミル紀行(1) カーンチプラムのカイラーサナータ寺院】
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31135126
それにしても、“海岸寺院”という名前のとおり、海に近い立地のため(古代は海岸線がもっと近かった)、建造以来1300年もの間、海からの強い風や波にさらされており、建物はかなり浸食が進んでいます・・・。 -
建物の周りを守護獣のように取り囲んでいるシヴァ神の乗り物ナンディーも、かなりの浸食・・・。
-
大きい方のシヴァ神に捧げられた建物に入ってみますが、内壁のシヴァ神のレリーフもこのとおり、浸食が進んでお顔が判然としない状態・・・。
-
それでも、内部にあるリンガは、いまだ信仰の対象になっているかのように黒々とした塔身からは怪しい光が放たれ、雄々しい姿で屹立していました(笑)。
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手前にある小さな方の建物の入口上方にはナンディーが。
浸食が進んでいるとはいえ、建物を彩る細かな彫刻が素晴らしいですね。 -
今回の旅の最後の観光スポット、海岸寺院を立ち去り際に正面からパチリ。
かつては海岸沿いに7つあったという寺院も今ではひとつになり、残った寺院も前殿も基礎だけになってしまって寂しい限りの姿・・・それでも、遥か古代の1300年前に造られた建物が、当時の信仰が伝わってくる様子で残されているのは、インドの石造りの文化ならではでしょう。 -
気がつくともう15時30分。
いつの間にか夕方に近い時間になっていました。
ベンガル湾に臨む砂浜を横目に眺めながら海岸寺院を後にし、待っていた車に戻って帰国の途につくべくチェンナイへ。 -
・・・とその前に、ロードサイドのこぎれいなお店で遅めの昼食。
やはりこの時間帯はほかに客がなく、出されたメニューも“スナックのみ”ということでしたが、それでも、お腹を満たしてくれそうな“マサラ・ドーサ”と“サモサ・チャンナ”を注文。
マサラ・ドーサはジャガイモのスパイス炒めを米でつくったクレープ状の生地で包んだ南インドの軽食。
サモサ・チャンナは豆のカレーとジャガイモの具を小麦粉でつくった皮でギョウザのように包んだインド全域で食べられている軽食。
いずれもピリっとしたスパイスが効いていて、美味しくいただくことができました。 -
16時30分、遅めの昼食を終え、チェンナイへの最後のドライブ。
・・・マハバリプラム付近の車窓から見える風景は、こんなふうに野良牛が草を食むのどかな印象。 -
車を走らせること1時間、チェンナイに近づき、人が増えて辺りは賑やかになってきました。
-
女性を中心にカラフルな衣装を着た沿道の人々。
日本ではなかなか見られない色彩感覚ですね。
こういう風景もインドの魅力のひとつです。 -
18時過ぎ、すっかり暗くなったチェンナイ中心部に到着。
ここでガイド氏に商店街を教えてもらって、おみやげ探し。
それほど物欲もないので、大したものは買いませんでしたが(笑)。
そして20時、チェンナイ国際空港へ。
まずは一日お世話になったドライバーにチップを渡し、感謝を告げてお別れ。
そして5日間一緒だったガイド氏とは、空港の入口まで一緒に行き、将来の夢などいろいろと話をしてからお別れ。
今も学校で習っている途中のようなたどたどしい日本語で、本当に大丈夫か?と思うようなところもありましたが、列車での移動中、インドで流行っている動画を見せてくれたりなどいろいろと気を遣ってくれ、カーニャクマリでは海から昇る初日の出に一緒に感動したりと、人柄が伝わってくるガイド氏でした。
最後はがっしりと握手し、彼の将来の飛躍を祈って空港の中へ。 -
とカッコよく別れたものの(笑)、チェンナイからの帰りの便の出発時間は真夜中の3時15分。
なんだか疲れて歩きまわる気力もなかったため、空港の中で椅子に座って、本を読んだりぼけーっとしながら時間を過ごします。
・・・
そして日付が変わって1月3日(水)、出国審査を終え、搭乗口近くの売店で最後の甘〜いチャイを飲んでからキャセイパシフィック航空CX632便に乗り込み、3時15分、同機は定刻通り香港へ向かって離陸。 -
11時、CX632便は香港国際空港に到着。
成田への乗継時間は4時間20分で、がんばれば市内に行けないこともない時間でしたが、今回はそこまでの気力がなかったので、入国手続きはしたものの(実は香港初入国!)、隣のターミナル2のビルで飲茶をするにとどめておきました。
小籠包やマンゴープリンなどいろいろと食べてはみたものの、特にこれといった感動はなく・・・やっぱり自分には香港よりも台湾の味の方が合ってるかなあ。 -
ちょっと退屈なトランジット時間が終わり、15時20分、成田空港行きCX500便は香港国際空港を離陸。
そして20時20分、成田に到着し、今回の旅が終わりました。
・・・旅行記としてアップするのが1年も遅れてしまいましたが、今回は、人柄は除くとして、ガイドがイマイチだったこともあり、旅行直後はそれほど満足感が得られなかった旅でもありました。
しかし、こうして時を置いて、いろいろと調べながら当時の旅をなぞっていくと、インドの文化について新たな発見があったり、インド料理の美味しさを再認識したりと、また違った気持ちで旅を楽しむことができました。
旅行直後は、“悪徳旅行会社のいるインドなんてもう行くものか!”と思ったりもしたものですが、あのスパイスの効いた料理や甘〜いチャイの味を思い出し、また行ってみたい気持ちが増してきました(笑)。
さて、次にインドに行くとしたら、荒涼とした景色が魅力のあの地方ですかね・・・。
(南インド・タミル紀行−終わり−) -
(おまけ)
最後に南インドで買ったお土産の一部をご紹介。
右のチャイはチェンナイのスーパーで買ったド定番のチャイ。
スパイスの効いたチャイは寒いときに飲むと芯から体が温まるようでお薦めです。
真ん中の“DAIRY MILK”のチョコレートは前回のインド旅行でも買ったお気に入りで、インドらしい濃厚な味が魅力。
左のパッケージに包まれたケーキのようなお菓子は、寺院都市マドゥライで買ったもので、写真では美味しそうに見えますが、中身はパサパサした粉の塊で、写真とは全く別の食べ物・・・。
帰国してからもインドクオリティにやられました(笑)。
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この旅行記へのコメント (3)
-
- 川岸 町子さん 2014/02/10 23:19:26
- 南インドの旅、お疲れ様でした。
- エンリケさん、ボアタルディ(笑)。
良かったですー!!
南インドの中で、ちょうど私が訪れたことがなくて、妄想の世界にある部分でしたので、うれしかったです〜(笑)。
見せていただき、ありがとうございました。
インドのレリーフはさすがですね!
また、巨大な岩をくりぬいて作る寺院も。
あのインド人の祖先は、同じ民族だったのか?って疑問を持ちますよねー(笑)。
バターボール、やっぱりエンリケさんでもダメでしたか・・・。
いつか私が挑戦してみましょうね(笑)。
「次にインドに行くとしたら、荒涼とした景色が魅力のあの地方ですかね・・・。」
とお書きになっていますが、もしかしたら私が考えている地方と同じでしょうか???
そこでバッタリ!!なーんてことがあれば、光栄です(@^▽^@)
町子
- エンリケさん からの返信 2014/02/11 21:39:43
- またインドに行きたくなりました。
- 川岸 町子さん
こんばんは。温もりの国の言葉でのごあいさつ、ありがとうございます(笑)。
ほぼ1年遅れの完結となってしまいましたが、旅行記を作っていて改めてインドの文化の奥深さを知り、またインドに行きたくなりました。
インドは広くて地方性が豊かなので、今度はまた違う地方に行ってみたいですね。
> 「次にインドに行くとしたら、荒涼とした景色が魅力のあの地方ですかね・・・。」
> とお書きになっていますが、もしかしたら私が考えている地方と同じでしょうか???
わたしが考えているのは北のあの地方ですね。
自分の旅の傾向として、ペルーのクスコやプーノのような、空気の薄い、標高が高いところが好きなようなので、今度はインドのそのような地に行ってみたいと思っています。
> そこでバッタリ!!なーんてことがあれば、光栄です(@^▽^@)
そうですね(笑)。
いつか町子さんの旅のスタイルも、間近で見てみたいものです。
- 川岸 町子さん からの返信 2014/02/11 22:57:20
- 北のあの地方
- > わたしが考えているのは北のあの地方ですね。
>
> 自分の旅の傾向として、ペルーのクスコやプーノのような、空気の薄い、標高が高いところが好きなようなので、今度はインドのそのような地に行ってみたいと思っています。
私は、こちらの女性のブログを時々拝見しています。
お時間あればどうぞご覧下さい♪
「ラダははブログ」
http://zanskar555.blog117.fc2.com/
町子
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