2005/02/06 - 2005/02/10
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hidamari09さん
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少し古い話になりますが、2005年の春節の時期に雲南省(昆明−大理−麗江)を旅しました。
当時はGPSロガーを持っていなかったので、振り返ってみても一体全体どこを旅したのだろうという感じです。
そこで、Google earthを使って,当時の観光をたどってみました。
旅行の発端は,上海の西藏中道を歩いていて、福州路との十字路の近くの旅行代理店の窓に掲げられた、「往復飛行機6日、雲南旅行」の案内を見つけたことからです。店の中に入って旅行の内容を聞くと、旅行団に空きがあるので今申し込めば明日出発出来るといいます。
費用は、2,860元(当時の15円換算で、42,900円)でした。
現在、同じ条件で検索すると1,280元で行くことが出来るようです。8年前の現地の収入を勘案すると、かなり高価な旅費だったと思います。
途中、店の老板の中年女性が口を挟んできて、ところで中国語は出来るのかと聞いてきました。中国語は出来ないが、案内に付いて歩くから大丈夫だろうと答えると、笑って旅行契約書をつくってくれました。
パスポートのコピーと旅行費用を渡すと、明日切符を渡すから取りに来いといいます。
次の日の午後、旅行代理店に顔を出すと、飛行機の切符と、旅行団のバッチを手渡されました。
「うん!」
聞くと、自分で虹橋空港から飛行機に乗り昆明空港に行き、空港で現地の探せと、じつにそっけないものでした。
受領した旅程表は、
1日目: 上海から昆明へ(飛行機)(宿泊:昆明)
2日目: 天下第一奇観「石林」、七彩雲南, 晩に二等寝台車で大理へ移動 (車中泊)
3日目: 朝食後遊覧船に乗車し洱海遊覧(含む乗船券、三道茶歌舞表演、南詔風情島)、崇聖寺三塔、蝴蝶泉、大理古城、洋人街 (宿泊:大理)
4日目:バスで麗江に移動、文化遺産の大研古城(四方街) (宿泊:麗江)
5日目:朝食後、玉龍雪山一銭:雲杉坪(ロープウェイは自費)、白水河、甘海子高原牧場、バスで大理に戻り、二等寝台車で昆明へ (車中泊)
6日目:朝食後、飛行機で上海へ戻り
でした。
旅行費用には、各景観地の入場参観料と洱海の船代(64元)、麗江古城の保護費(40元)と5日間の朝食と8回の昼・夜食が含まれています。
旅の中で聞いたところ、中国では一人旅をする者は、普通怪しい者と思われるそうです。
上海発の旅行団なので、旅行者は上海周辺の人たちで、外国人には慣れているのか、食卓には暖かく迎いいれてくれてくれました。
旅行団に参加して、日本人の私とは今一見たいところがずれている、中国の旅行とは買い物の旅行(地方の物価は安い)なんだと発見しました。
-
今回の旅行の旅程を地図上にプロットしてみました。
有名な香格里拉(シャングリラ)も麗江の北北西にあります。旅行プランにはシャングリラも含めた8日遊のプランもありましたが、生憎席がすでに埋まっていました。 -
1日目は上海から昆明までの移動で終わってしまいます。
これは,2日目の昆明で観光した場所を記したものです。
2日目の観光は,旅程表では「石林」だけが記載されていましたが、途中「岩泉禅寺」に立ち寄っています。 -
なんと,夜の11時に飛行機は昆明空港に到着しました。
空港の出口から見た昆明の最初の風景です。
空港で、旅行社から渡された旅行団のバッチと同じ旗を持った受け入れの現地案内者を探しします。旗を持って待っていた案内係は女の子でした。
「さ〜、行きましょう」。案内の旗に集まった旅行者は私一人だけでした。
えー!不安がよぎります。
空港の前の駐車場に車があるからと、女の子は先に駈けて行きました。
駐車場で7人乗りほどのマイクロバスに、同じ飛行便で来た,別の旅行者と一緒に押し込められました。
旅程には、「世博園迎賓広場」に立ち寄るように書かれてありましたが,入場と食事で100元が掛かります。同乗の誰も行こうとはせず,そのまま各自のホテルに直行しました。 -
初日の昆明で何処に宿泊したのか,投宿は夜中だったので記憶が曖昧です。
唯一残っているのが、このホテルのカードの写真です。
ネットで調べたところ、
「昆明120渡ホテルマンション(東陸店)」
と日本語の案内があります。
中国語版では宿泊料金が128元からとなっているので、二つ星程度と思われます。 -
朝食後、ホテルからバスに乗り「石林」に向かいました。
途中、バスが休憩を取りました。
脇を見ると、山肌に掛かった陸橋を電車が走っています。
青い空と、赤茶けた山肌のコントラストが強烈です。
電車がトンネルを抜け出て来ました。 -
この途中の休憩場所は何処だったのでしょう?
昆明市内から「石林」に向かう経路上で、「岩泉禅寺」の手前で,列車がトンネルを抜ける。という条件を元に、Google earthで,鉄路を昆明市内からたどると,この場所で撮影したのだと突き止めることが出来ました。
便利な世の中になったものです。
記憶が確かではありませんが,休憩場所はお土産の販売所だったと思います。 -
次に,「岩泉禅寺」に停車しました。
「岩泉禅寺」で検索すると。別の人の雲南旅行記に、
>石林まで真っ直ぐ行けばいいのに、途中で「岩泉禅寺」という寺に立ち寄った。
という記述があるので、昆明・石林観光のおまけの通過スポットのようです。
どんな場所なのでしょう、ネットの紹介の冒頭部分をさらって見ると,
「宜良県城金星村に,獅子が伏したような山があり,人は獅子伏せ山と称している。5つの嶺が聳え、清い水がこんこんと湧きいでる。そこで、又の名を「岩泉山」と言う。約1341年に名僧盤龍祖師が来て、庵を建て,佛を布教した。後に,道教の道士が来てここは「風水宝地」とみて,仏教と道教が同居した・・・」とあります。 -
入り口にいきなり,金ピカのふくよかな像が鎮座して出迎えをします。
七福神の布袋様のように見受けられますが,中国では中世以降、布袋になぞらえた太鼓腹の姿が弥勒仏の姿形として描かれるようになり、寺院の主要な仏堂に安置されるのが通例となったそうです。
ウィキペディアによると,布袋(ほてい)は、唐末の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧だそうです。
弥勒菩薩像がどうして布袋様の姿に変わってしまったのか。更に紐解いてみると,
弥勒信仰には、上生信仰とともに、下生信仰も存在し、中国においては、こちらの信仰の方が流行した。下生信仰とは、弥勒菩薩の兜率天に上生を願う上生信仰に対し、弥勒如来の下生が56億7千万年の未来ではなく現に「今」なされるからそれに備えなければならないという信仰である。
浄土信仰に類した上生信仰に対して、下生信仰の方は、弥勒下生に合わせて現世を変革しなければならないという終末論、救世主待望論的な要素が強い。そのため、反体制の集団に利用される、あるいは、下生信仰の集団が反体制化する、という例が、各時代に数多く見られる。北魏の大乗の乱や、北宋・南宋・元・明・清の白蓮教が、その代表である。 -
寺廟の建物の色彩がなんとも鮮やかです。
Googleで「三仕殿」で検索すると,いきなりTopに「昆明岩泉風景区の三仕殿」と表示されます。
この「三仕殿」は,伝えられる所によると,当年呉三桂と陳円円がここに逃げて来て,陳が千手観音殿でおみくじを引いたところ,おみくじに「青灯古佛(仏門の静謐な一生)」の四文字。このおみくじの霊験は確かで,陳円円は尼さんに出家し,世俗を離れた。そこで,呉三桂は道家の友に頼み「滇南第一籤」の額を掲げたそうです。ここのおみくじは霊験あらたかとの事です。
ここで「滇」というのは雲南省の別称です。
なんのことでしょう。ここでの登場人物を調べると,
呉 三桂(1612年−1678年)は、明末清初の軍人で、呉周の初代皇帝。遼東で清軍に対峙していたが李自成の北京占領に際して清に味方し、清の中国平定に尽力した。平西王として勢力を揮うが後に清に背き、三藩の乱を引き起こした。
陳 円円(1623年 - 1695年)は、中国明代末期の美妓。明末清初に活躍した軍閥武将呉三桂の妾(側室)で,叛将呉三桂の心を奪った傾国の美女といわれ、その生涯は多くの伝説で包まれている。
との事です。
当時は,知る由もありませんでした。歴史を調べていて訪れていたら,別の楽しみがあったかも知れないと思う次第です。 -
中に登ると,長い線香を焚いてお参りをする人で溢れています。
何を願っているのでしょうか?
共産党は宗教を否定していますが,庶民の信仰心を抑えることは出来ないでしょう。
どうして,こうも行動がゆっくりなのだろうかと考えて見ると,本日のメインの「石林」観光は長くても2〜3時間程度でしょう。すると,1日の行動に時間が余ってしまうので,時間調整をしているのだと思い当たりました。 -
午後の3時に本日のメインの観光地「石林」に到着しました。
丘の上に到着,眼下に,石柱が林立する不思議な光景が広がます。
中央左手に,入り口を望みます。 -
丘を下って「石林」の入り口に向かいます。
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先ほどの,丘を下って石林の観光入り口にたどり着くと,民族衣装をまとったかわいい女の子が旅行者を待ち受けていました。
観光案内嬢のご様子です。
案内をお願いしたいところだが,当方中国語が判りません。
顔つきを見ると,少数民族というよりは,漢族といった感じです。 -
脇には,写真撮影用の貸し民族衣装ので店があり,賑わっています。
近くには民族衣装を来た,可愛らしい女の子が待ち受けています。
可愛らしいので,一緒に写真を撮ろうとする観光客が結構います。見ていると,撮影が終わった後に,モデル代をしっかりと請求されていました。 -
丘の上から見た時は,石の柱が林立しているのですが,通路に近づくと両脇の岩しか見えなくなってきます。狭い通路に入る感覚です。
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中には,崖登りのような箇所もあり・・
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上を見上げると,天井を石が塞いでいたり・・,小さな泉があったりと・・
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展望台が見えたので登ってみます。
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展望台のようなところから俯瞰するとこんな感じです。
コメ粒もよく比べて見ると,一粒一粒に個性があるように,石柱もそれぞれの個性がありますが。小1時間も見ると,見飽きてしまいます。
大勢で来て,ワイワイしていれば違うのかもしれません。 -
「石林」の見物を終え,次の大理に向かうため,昆明の汽車駅に夜の7時半に到着しました。
待合室の椅子に座り,一日を振り返ってみると,食事を撮った写真が一枚もありません。余程,見栄えがしなかったのでしょう。
駅に着くと,昆明の旅行案内者から,二等寝台車の切符を渡されました。
聞くと,昆明の案内はここまでで,大里では別の案内人が引き継ぐとのことでした。 -
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夜の8時20分に寝台車に搭乗しました。
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二等寝台車ですが,2段ベッドでした。
席は上段が割り当てられましたが,従って頭上のスペースは十分にあります。また,布団のカバーは花がらで,清潔でした。
1日,旅行団からはぐれないように緊張していたのか,横になった途端に眠りについてしまいました。
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