2013/11/26 - 2013/11/26
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世界史に名を刻むスペイン女性、カスティージャ女王イサベル1世 Isabel I de Castilla (1451-1504)に所縁ある地を訪れるシリーズ旅行記 『イサベル1世の足跡を追って』。
-1- 生誕地 マドリガル デ ラス アルタス トレス http://4travel.jp/travelogue/10824902
-2- 幼少期を過ごした地 アレバロ http://4travel.jp/travelogue/10827620
に続いて今回は、カスティージャ女王として戴冠した地、セゴビアを訪れます。
イサベルと弟アルフォンソは、イサベルが10歳の時に王エンリケ4世(2人の異母兄)の命で、アレバロの母の元から引き離されて、セゴビアに移り住みます。長年跡継ぎのいなかった「不能王」エンリケ4世は、待望の第一子誕生を前に、イサベルとアルフォンソ姉弟を支持する貴族の動きを牽制するために、姉弟を自分の近くに置くことにしたのです。
1462年にエンリケ4世の長女フアナ王女が誕生しますが、時の貴族の中にはフアナが本当に王の子であるのかを疑う者が多く、王位をアルフォンソに継がせる動きが出始めます。こうして、カスティージャ王国はエンリケ・フアナ派とアルフォンソ・イサベル派に二分します。
アルフォンソ・イサベル派貴族の支持によってアルフォンソが国王と据えられ、カスティージャ王国に2人の君主がいる内乱状態が一時期続きましたが、1468年、アルフォンソの死によってこの状況にも一旦終止符が打たれます。14歳の若さで世を去ったアルフォンソの死は、流行病とも毒殺とも言われ、今でも謎に包まれています。
イサベルは、兄エンリケが存命中は、自分は王位継承者第一の位に留まるという姿勢をとりました。こうして、兄への忠誠を誓いながらも、兄の子であることが不確かなフアナに継承資格はないという考えを明確にしました。
エンリケ4世が1474年12月11日に亡くなると、2日後の12月13日にイサベルはセゴビアでカスティージャ女王として戴冠式を挙げます。
何度も行っている世界遺産の街セゴビアですが、「イサベル」というテーマに絞るとなると、今までとは違った視点からの見方が必要。そこで、今回は日本語ペラペラのスペイン人個人ガイドのサービスをお願いしました。
お世話になったのは【イベリアエ社】のペドロ フェルナンデスさん。 http://iberiae.com
日本語がペラペラのマドリーッ子です。
「イサベルのセゴビアを見たい!」という私のわがままな注文に応じて、普通とは違ったセゴビア ルートをお膳立てしてくれました。
イベリアエ社さんでは、個人旅行でマドリードを訪れる旅人に、各自のニーズに合わせた日本語個人ガイドツアーを用意してくれます。美術館巡り、観光地巡り、ショッピングやバール巡りといったプランもあります。言葉に不安があるけれど滞在を満喫したいスペイン初心者にも、もっと詳しく奥深い観光をしたいスペイン リピーターにも、ペドロさんが気楽に注文に応じて下さいます。地元を良く理解したスペイン人による日本語での細かいサービスは、とても安心できるものです。
http://iberiae.com
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『イサベル1世の足跡を追って』 目次
-1- 生誕地 マドリガル デ ラス アルタス トレス http://4travel.jp/travelogue/10824902
-2- 幼少期を過ごした地 アレバロ http://4travel.jp/travelogue/10827620
-3- 戴冠した地 セゴビア http://4travel.jp/travelogue/10839589
-4- 新世界分割方法を定める条約が結ばれた地 トルデシージャス
http://4travel.jp/travelogue/10946410
-5- 遺書をしたため 崩御した地 メディナ デル カンポ
http://4travel.jp/travelogue/10962359
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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この方が個人ガイド、イベリアエ社のペドロ フェルナンデスさんです。私のお願いした「イサベルのセゴビア」というテーマで、効率よく且つ丁寧にセゴビア案内をして下さいました。
日本語は独学。熟語や漢字に大変詳しく、古事記を読んでしまったという恐ろしいスペイン人です(笑) たまに関西弁がボロっと出てしまうのは、こちらで知り合った日本人に関西の人が多かった影響。
イベリア社さんでマドリード郊外ガイドを頼む時は、移動は列車か路線バスか、場所によってペドロさんが時刻も調べて同行してくれるので安心です。泊まっているホテルまでペドロさんが迎えに来てくれます。ハイヤーを雇って何ヶ所かの観光地巡りをすることも可能です。 -
個人ツアーのスタートはエル アソゲホ El Azoguejo から。ここからは、セゴビアのシンボルであるローマ時代の水道橋の一番高い部分が間近に見られます。周辺にはレストランや土産物店が多く、大変賑わう広場です。
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水道橋には後ほど戻ることにして、まずはエル アソゲホから南西に伸びる Fernandez Ladreda 通りへ案内されました。水道橋やアルカサルが余りに有名で、他の面が余り知られていませんが、実はセゴビアはロマネスク教会の宝庫なんです。
これはサン クレメンテ教会 Iglesia de San Clemente (12世紀) -
そうしてもうひとつ、セゴビアの特徴。建物のファサードの幾何学模様エスグラフィアド(ズグラフィト)、化粧漆喰を削って描く壁の装飾技法です。スペインでは中世に流行し、館や教会に多く用いられるようになりました。近代になって建てられた建物の多くにもエスグラフィアドが施され、セゴビアでは実に多くの建物に様々な幾何学模様が見られるのです。
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よく見ると非常に面白い建物のファサード。
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同じ通りにある Iglesia de San Millan サン・ミジャン教会 11−13世紀建設
「ロマネスク教会の教科書」と呼ばれているほど、典型的なロマネスク様式だそうです。ロマネスク建築の特徴である厚い壁、半円アーチの小さな窓や戸口、内部の太い柱などが見られます。サン ミリャン教会 寺院・教会
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教会の塔にもエスグラフィアド模様が施されています。
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ロマネスク教会のもうひとつの特徴、聖書の場面をモチーフにした柱頭彫刻。
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さて、セゴビアを訪れる全ての人が感銘を受ける古代ローマ帝国の水道橋 Acueducto Romano。造られたのは紀元1世紀と言われています。
外にこうして見えるアーチ部分の水道橋は958m。でも実は、グアダラマ山脈の水源からの現在アルカサルがある所まで水を引くために、全長14965m もの長さがあるのです。見えない部分は地下を水道が通っています。ローマ時代には現在のセゴビアの街はなく、アルカサルのある場所にカストラ(軍事防衛拠点)が置かれていました。そこへの水供給のために水道橋を建設したのです。
アーチの数は166。写真の一番高さのある部分が 28.10m。花崗岩でできたこの水道橋の石と石の間に接着剤は一切使用されていません。今でも水を流そうと思えば流せるそうです。ローマ時代の高度な建築技術が伺えます。ローマ水道橋 建造物
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水道橋は1985年にユネスコ人類遺産に指定されました。アーチの下は、今では完全に車両通行禁止になっていると思っていましたが、旧市街を行くミニ路線バスとパトカーは通っていました。20年ほど前までは、普通に車や大型バスがここを通っていたのを覚えています。
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水道橋の足元にある建物は観光案内所。水道橋が城壁にぶつかっていますが、城壁の向こう側にも続きます。この右の階段を登ると城壁の上の展望台に出て、水道橋の上部が見られます。
これとは逆側、水道橋の市街地部分端っこは、去年セゴビアに来た時に見ました。
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=25010255セゴビア観光案内所 (アソゲホ広場) 散歩・街歩き
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イチオシ
本当に、どうして落ちて来ないのでしょうねぇ!
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石の穴は、石を積み上げる時に付けられたものですが、この穴に関連して、水道橋建設にまつわる伝説をガイドのペドロさんが話してくれました。
「毎日水汲みのために山まで行き、重い壷を持って帰って来なければならない下働きの少女がいた。重労働に疲れた少女は、山まで行かずに水を汲めるようにしてくれと悪魔に頼んだ。悪魔は、夜明けの鶏の鳴き声を聞く前に水道橋を完成させるから魂を寄越せ、と少女に言った。少女は取引に応じた。夜、悪魔はせっせと水道橋造りに励んだ。それを見て後悔した少女は神に祈った。少女の祈りが通じ、悪魔が最後のひとつの石を組もうとした時に、鶏の鳴き声が響いた。少女は悪魔に魂を売らないで済み、水道橋は石ひとつを残して出来上がった。」
悪魔の爪痕がこの穴で、最後にひとつ積み残した部分は、現在マリア像が納まっている中央の窪み部分だそうです。なるほど! 水道橋にまつわるこんな伝説があったとは知りませんでした。やはり、ガイド付きだと面白い! -
狼の乳を吸うロムルスとレムスの像は、水道橋建設二千年を祝して1974年にローマ市がセゴビア市へ贈ったもの。 ローマ数字 MCMLXXIV=1974
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さて、普通の観光なら、水道橋の次はカテドラルへと向かうところですが、今日は「特別セゴビア」なので、城壁を左手に見ながら San Juan 通りを上がります。ここを歩くのは私も久し振り。
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イチオシ
ここから見る水道橋の姿も良い。
ここでペドロさんの説明に「イサベルのセゴビア」登場!それも水道橋に関することで。
イサベルが女王に即位すると、まずセゴビアで手に付けたのは水道橋の修復でした。保存状態の悪かった36のアーチと水道橋上部の水を通す溝部分の修復を命じました。上部、石の質が違う(小石を集めてセメントで固めてある)のがはっきりと分かりますが、そこがイサベル女王時代に修復取り付けされた部分です。
賢王アルフォンソ10世(在位 1252-1284)がアルカサルを王の住居と定めて以来、セゴビアにはカスティージャ王国の議会が置かれ、街は発展していました。王国の大きな街への水供給は、イサベルにとっても大事なことだったのでしょう。 -
San Juan 通りを上がった角に、城壁と繋がるようにして建てられた、要塞のような建物があります。その昔、この場所にあった San Juan 城門と共に、中世セゴビアの北東を守る形であります。
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この建物は、カスティージャ王フアン2世(イサベル1世の父)が、息子エンリケ(イサベルの異母兄)のために建てました。ここにも、セゴビアの建物に多いエスグラフィアド模様が見られます。エスグラフィアドの中に鎖模様があることから、この建物は Casa de las Cadenas (鎖の家)と呼ばれていますが、この名にはもうひとつの謂れがあるそうです。
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それは・・・ フアン2世が世を去ってエンリケが王になると、エンリケはアルカサルに移り、この家は自分の幼馴染みで時の有力な貴族であった Juan Pacheco に譲ります。エンリケ4世は頻繁にパチェコのいるこの家に遊びに来、口の悪い世間は2人が愛人関係にあるとまで言ったそうです。(妃との間に子ができないエンリケは、同性愛者であるという噂が途絶えなかった) 当時、王がいる場所には入り口に鎖を掛ける習わしがあり、この家にエンリケ4世がよく来たことから、鎖の掛かっていることの多かったこの館は「鎖の家」と呼ばれるようになった、と。
やはり、ガイド付きだと面白い話が色々と聞けます! -
ペドロさんが家の前で説明してくれていると、家の門が開いて車が出てきました。中がチラッと見えました。現在は個人か企業の持家のようです。
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「鎖の家」の向かいにある13−15世紀建設の貴族の館 Casa de los Marqueses de Lozoya
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「鎖の家」の裏へ回ると、これまたロマネスク様式のサン セバスティアン教会がありました。何度も来ているセゴビアなのに、こんな所に教会が隠れていたとは知りませんでした。
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そして、今はその名残が何もないけれど、この辺りには中世の造幣局が置かれていたそうです。何故この場所かというと、貨幣を造る過程で水が必要で、水道橋に近いこの場所はうってつけだったのです。(写真中央、通りの奥に低い水道橋の一部が見えます。)
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イチオシ
通りを奥まで行くと、水道橋の上の部分が間近で見られました。こちら側から来るのは初めて。
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先ほど説明してもらった、イサベル1世の修復した部分がよく見えます。
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セゴビア周辺の山には雪が被っていました。この日はとても寒い日でした。セゴビアの街は標高1000mあるので、マドリードと10度近くの温度差がありました。
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水道橋は城壁と交差して高台にあるこの場所に続きます。この辺りはアーチがほとんどありません。
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「水道橋が近くにあるとはいえ、どうやって水を汲んだの?」ってペドロさんに聞くと、「いい質問だ!」って褒められました(笑) そして、「こっちこっち」って水道橋の一部に連れられて見ると、こんな風になっていました。「なるほど!」
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知らなかったのですが、水道橋から運ばれた水は、セゴビア市内は地下水道管を通ってアルカサルまで届いているのです! この図、右下の黄色い線がいわゆる水道橋。途中で城壁と垂直に交わっているのが分かります。緑の線が、旧市街の地下を通っているローマ水道。一番左上のオレンジ部分がアルカサル、そこまで続いています。 先に書きましたが、ローマ時代には現在のセゴビアの街はなく、現在アルカサルのある場所にカストラ(軍事防衛拠点)が置かれていました。そこへの水供給のために水道を引いたのです。
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自分で調べても良く分からなかったので、ペドロさんに事前にお願いしたこと。 「イサベルが異母兄の命でセゴビアに来たときに住んでいたのは、アルカサルではなくて町中にあった宮殿なんだけど、それが現存するのか?」
ありました! が、エンリケ4世の宮殿の一部は長年こんな状態のまま。修復しているんじゃなくて、崩壊しないように押さえているだけ。資金不足で修復は遅々として進まないようです。修復したら、現存する近代美術館の一部になる予定です。
この宮殿で、王妃フアナの元にイサベルと弟のアルフォンソは置かれましたが、母から離されたまだ10歳と8歳の子供ですので、悲しい思いをしたことと想像します。 -
この宮殿にはエンリケ4世と妃フアナが住んでいましたが、ここで又ペドロさんの面白い話。
狩りの大好きだったエンリケ4世は、この宮殿の庭にアフリカから取り寄せたライオンを2頭放し飼いしていたそうです。王妃の住む棟と王の住む棟は、このライオンのいる庭を突っ切らないと行き来できなかったとか。だから、王が妃の元に夜行く訳がないと。これまたエンリケを「不能王」呼ばわりした世間が広めた噂話なんでしょうか、それとも本当なんでしょうか。 -
これも、エンリケ4世宮の一部分です。近代美術館となっています。この建物にもエスグラフィアドが見られます。
エステバン ヴィセンテ近代美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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近くにあったこの建物はエスグラフィアドがありません。これは、イサベルの時代になってから建てられたもの。イサベルは、異母兄エンリケ4世を思い出させるものが嫌いで、当時流行したエスグラフィアド装飾を嫌がったそうです。
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イチオシ
Plaza Medina Del Campo メディナ デル カンポ広場に出ました。銅像は16世紀の貴族・軍人 Juan Bravo フアン ブラボ。
後ろの塔は14世紀建築の Torreon de Lozoya (ロソーヤ塔)。現在はセゴビア貯蓄銀行の社会事業センターの展示場になっているので、中に入れます。 -
建物のエスグラフィアドも色々とあって面白い。
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この広場には16世紀の建物がいくつか、こうして新しい建物に挟まれて残っています。
ここで、ペドロさんから謎解きを出された。「この広場の俗称はシレナ(人魚)広場なんだけど、何故か?」 まぁ、すぐに目に付くのはこの石像なんだけど、これは人魚じゃなくて、半身獅子のスフィンクスでしょう? 「そう、その通り。良く分かりましたねぇ」 そりゃ分かるでしょうが(笑) -
人魚広場に人魚がいないなら、建物に人魚をつけちゃえ、と。でも、これは新しい建物。
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イチオシ
広場の「シレナ(人魚)」の謂れは、このロマネスク教会にありました。12世紀のサン マルティン教会。
サン マルティン教会 (セゴビア) 寺院・教会
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シレナ sirena は、ギリシア神話のセイレーンのことでした。上半身が女性で下半身が鳥の姿の海の怪物です。セイレーンは、中世以降は半人半鳥でなく半人半魚と記述されるようになったので、人魚のことも同じくシレナと言うのです。
このセイレーンがサン マルティン教会の柱頭にあったから、「シレナ広場」と呼ばれたとのこと。 -
教会に並んであるこの建物は牢屋でした。16世紀から1933年まで牢獄として利用されていました。現在は図書館です。
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コルプス クリスティ修道院の教会。ここは、元は14世紀のシナゴーグでした。内部は前回来た時に見ました。http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=25007529
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このシナゴーグのある辺りから、セゴビアのユダヤ人街が始まります。そう思うと、この建物のエスグラフィアドがダビデの星のように見えた。
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ユダヤ人街の通りには、ヘブライ文字で何か書かれた小さなプレートが埋め込まれていました。何て書かれているのでしょうか。
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ペドロさんの説明が面白くて、あっという間に時間が過ぎて行きます。気が付いたら14時を過ぎていたので、マヨール広場に面したレストランで昼食をとることにしました。スペイン語ができない場合は、もちろんガイドさんがレストランでも、料理の説明や注文など色々と助けてくれます。
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マヨール広場。イサベル1世は 1474年12月13日に、この広場の中央にあったサン ミゲル教会で戴冠式を挙げました。この教会は1532年に崩壊してしまいました。
マヨール広場 広場・公園
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そして、新しく16世紀にサン ミゲル教会は広場からちょっと引っ込んだ場所に再建されました。崩壊した教会のファサードの助かった彫刻が、新しい教会にも利用されています。
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通りに水道橋マークを発見。この下に、水道橋から続く水道が通っているのです。
マヨール広場にあるカテドラルもセゴビアの見所のひとつですが、今回は「イサベル1世」がテーマのセゴビア散策なので、イサベルの時代以降に建設されたカテドラルは見学しません。カテドラルに関しては過去のセゴビア旅行記をご覧下さい。http://4travel.jp/travelogue/10184331 -
Alcazar de Segovia アルカサル デ セゴビア (セゴビア城)に着きました。自然の堀のように三方を川に囲まれ、そそり立った丘の上に建った城塞です。アルカサルが文献に現れるのは、セゴビアがレコンキスタされた直後 12世紀初頭のことですが、現存する建物にカスティージャ王アルフォンソ8世(在位 1158-1214)以前の建築は残っていません。
アルカサルは、中世の歴代カスティージャ王たちが好んで住んだ宮殿であったと同時に、王国における最重要軍事拠点でもありました。
イサベルは1474年12月13日、カスティージャ女王としての戴冠式のために、この城からマヨール広場にあったサン ミゲル教会に向かいました。戴冠式の後、当時はアルカサル前のこの広場にあったカテドラル(大聖堂)でミサを挙げました。アルカサル デ セゴビア 城・宮殿
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カスティージャ王国時代には、塔の屋根はこのようになっていませんでした。現在見られるスレート葺きの尖塔にしたのは、ハプスブルグ家になってから。スペイン王フェリペ2世(在位 1556-1598)の4度目の婚礼はこの城で催されました。4番目の王妃、実の姪であったハプスブルグ家アナ王妃のために、中央ヨーロッパを思わせる外観に改築させたのです。
その後、マドリードに宮廷が置かれると、セゴビアのアルカサルで王族が過ごすこともなくなり、2世紀もの間、牢獄として利用されることになります。 -
1762年、ブルボン家のカルロス3世スペイン王は王立砲兵学校を設立し、1862年の大火災まで約1世紀間、アルカサルがその本拠地となりました。
アルカサルの隣に建っているこの建物は、砲兵学校付属の王立化学研究所で、フランスの化学者プルーストはここで定比例の法則を唱えました。現在、アルカサルのチケット販売デスクはこの中にあります。 -
中にあったタイル絵には、砲兵学校時代の様子が描かれていました。
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水道橋は、セゴビア近くの山脈からローマ時代にこの場所に置かれたカストラ(軍事防衛拠点)まで水を引くために建設された、と前述しました。綺麗なアーチ部分の水道橋のみでなく、セゴビア旧市街の道路の下にも水道が通り、そのゴールがアルカサルになります。入り口に続くこの石橋の下にその水道が見られます。守衛さんが立っている下を見ると、近代の黒い管のその下に、石で出来た水道が見られます。何度も来ているアルカサルなのに、知りませんでした。やはり、ガイド付きだとすごく勉強になります。
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そして、この深い堀ですが、エンリケ4世カスティージャ王はここに熊を飼っていたとか。宮殿のライオンといい、猛獣好きだったのでしょうか。
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アルカサルの外壁にもエスグラフィアドが施されています。黒い点々は鉄を溶かしたもの。
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フアン2世の塔 Torre de Juan II は、ゴシック様式による非宗教建築の重要な例です。カスティージャ王フアン2世(エンリケ4世とイサベル1世の父)の時代に建設されました。牢獄として使われた時代もあるので、窓には格子柵が付けられています。
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元あった13世紀の塔のアラブ風の美しい窓も残っています。
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この紋章はフェリペ2世のもの。血筋から、あらゆる王国の紋章が混じった、随分と欲張りな紋章です。 左上の城と獅子の紋章は曾祖母イサベル1世と祖母フアナ1世のカスティージャ王国の紋章。右上の縦縞と2羽の鷲は曾祖父フェルナンド2世アラゴン王の紋章。その間にある三角形の中のザクロはイサベル・フェルナンド両カトリック王によってレコンキスタされたグラナダの象徴。下半分は祖父フェリペ1世端麗公(フアナ1世との結婚によりカスティージャ王)の紋章、ハプスブルグ家とブルゴーニュ家の血を引くのでそれぞれの紋章が混じっています。そして、ザクロの上にあるポルトガル紋章は母イサベル デ ポルトガルから。
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アルカサルの土産物店が入っている建物の一室に、エル グラン カピタンと呼ばれたゴンサロ フェルナンデス デ コルドバ(Gonzalo Fernandez de Cordoba, 1453-1515)の絵がありました。この人はイサベル1世に仕えた当時一流の将軍で、多くの功績を残しました。
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エル グラン カピタンの絵があった部屋の天井はムデハル様式、ひょうきんな顔がたくさん付いていました。
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【Patio de Armas】 城の中庭とも言えるスペースです。ハプスブルグ家の歴代王の胸像が並んでいます。
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これは、スペイン国王カルロス1世(Carlos I 在位 1516-1556)、神聖ローマ皇帝カール5世(在位 1519-1556)です。イサベル1世の孫に当たります。
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カルロス1世の息子、フェリペ2世(在位 1556-1598)。「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれたスペイン帝国・スペイン黄金世紀最盛期はこの人の時代です。
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【旧王宮の間 Sala del Palacio Viejo】 はアルフォンソ8世の治世(12世紀)に建設された宮殿部分で、当初はこの窓のある壁が宮殿の外壁でした。
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この間に展示されている甲冑は15世紀のもの。
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指の関節に合わせて作られています。細かい!
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【暖炉の間 Sala de la Chimenea】 旧宮殿の部屋。1862年の火事で床以外は大部分が消失してしまいました。調度は16世紀のもの。暖炉の上のタピストリーは聖母マリアの結婚をテーマにした、18世紀のフランドル製。
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暖炉の間にあるフェリペ2世の肖像画。あごの長いハプスブルグ家らしい顔の王でした。
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【王座の間 Sala del Trono】 15世紀にエンリケ4世が増築を命じた部屋。天蓋付きの玉座がありますが、これは比較的新しく、アルフォンソ12世(在位 1875-1885)がアルカサルに贈ったものです。カトリック両王の紋章、そして天蓋部分には、両王の共同統治体制のスローガン「TANTO MONTA (両王が相等しい権限を持つことの意)」の銘が刺繍されています。
「TANTO MONTA」の語源については、こちらで詳しく述べました http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=31562995 合わせてご覧下さい。 -
イサベル・フェルナンド カトリック両王の紋章です。イサベルのカスティージャ王国の紋章(カスティージャ=城とレオン=ライオン)と、フェルナンドのアラゴン王国の紋章(アラゴン=赤黄の縞模様と両シチリア=ワシ2羽)、そして二人によってレコンキスタされたグラナダ王国の象徴であるザクロがベース部分に見られます。
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この間の八角形のムデハル様式の天井は、1892年の大火災で焼失してしまった後、1456年の元の天井を忠実に再現しました。化粧漆喰の周囲装飾は、火災の傷痕もありますが、建設当初のものが保存されています。エンリケ4世はアラブ風装飾が大好きで、衣服もアラブ風のものを着ていたそうです。イスラム建築が壁の上の方や天井を綺麗に装飾したのは、床に直に座ったイスラムの習慣に理由があります。絨毯を敷いて床に座り、クッションに寄りかかった恰好だと、視線がどうしても上の方へ行きます。それで上の方の装飾が細かく美しいのです。
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隣のガレー船の間に続く扉の両側にはカトリック両王の肖像画が掛かっています。↓
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カスティージャ女王イサベルとアラゴン王フェルナンドです。この肖像画は19世紀のスペイン女王イサベル2世の命により制作されたものです。
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イチオシ
そして、この間と続く2つの間にはイサベル女王以前のカスティージャ王国の王たちをモチーフにした素敵なステンドグラスが並びます。現代のものですが、歴史あるアルカサルに良く似合ったステンドグラスです。
王座の間のは、イサベルの異母兄エンリケ4世です。 -
【ガレー船の間 Sala de la Galea】 天井の形が逆さまにした船体に似ていることから、こう呼ばれています。この天井もオリジナルは火災で焼失してしまいましたが、詳しい絵が残っていたために、ほぼ忠実に再現することができました。
この部屋はエンリケ3世(在位 1390-1406 「病弱王」と呼ばれた、イサベルとエンリケの祖父に当たる)の妃、カタリーナ デ ランカステル(ランカスター家のキャサリン)によって建設が命じられました。写真左側の壁は旧宮殿の外壁だったので、外壁装飾のエスグラフィアドが見られます。 -
ムデハル様式の美しい木細工の天井。
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この部屋にふたつあるステンドグラスの内のひとつには、「病弱王」エンリケ3世とその家族が描かれています。
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同じステンドグラス右上に描かれているこの女性がランカスター家のキャサリン(スペイン語ではカタリーナ)。イングランド出身のこの人の血が入ったことで、カスティージャ王家トラスタマラ朝にブロンドヘアーが生まれるようになります。イサベル1世もそうでした。
カタリーナの左下に描かれているのが、息子フアン2世。イサベルやエンリケの父です。 -
ガレー船の間の窓からの眺め。カスティージャの荒涼とした台地が広がります。
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Monasterio de Santa Maria del Parral 聖マリア デル パラル修道院がよく見えます。先に登場した、エンリケ4世の友人で時の有力者であった Juan Pacheco の墓はこの修道院にあります。
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もうひとつのステンドグラス、中央にはエンリケ2世「恩寵王」(在位 1369-1379)。この人がイサベル1世の娘フアナまで続く、カスティージャ王家トラスタマラ朝の最初の人。右側は落馬して亡くなった息子のフアン1世(在位 1379-1390)。つまりここまでで、エンリケ2世→フアン1世→エンリケ3世→フアン2世→エンリケ4世の歴代王がステンドグラスに登場していることになります。(この後、イサベル1世→フアナ1世とカスティージャ王位は続く)
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このステンドグラスの左側に描かれているのは、異母弟であるペドロ1世を殺すエンリケ2世。実はエンリケ2世は、父カスティージャ王アルフォンソ11世の庶子だったために、王位継承者からは除外され、トラスタマラ伯の養子に出されていたのです。アルフォンソ11世が亡くなると、嫡男ペドロ1世が後を継ぎますが、エンリケ2世はフランスやアラゴン王国、貴族や僧侶を多く味方につけて、ペドロ1世に対して反乱を起こします。最終的に、自分の手で異母弟である王を殺し、自分が王座につきます。
「だから、イサベルは庶子の家系なんですよ〜」とガイドのペドロさん。
このエンリケ2世は自分の見方についた貴族聖職者に多くの領地を与え、結果カスティージャ王国内の貴族の勢力が増大することになります。貴族が強い国、それが中世カスティージャ王国でした。 -
ガレー船の間の奥にある壁画は、イサベル1世の戴冠式の様子です。絵はステンドグラスの作者と同じ人によります。
異母兄エンリケ4世が1474年12月11日に亡くなると、2日後の12月13日にイサベルは、現在のマヨール広場にあったサン ミゲル教会で戴冠式を挙げました。 -
この絵、見る度に「なんか怖いなー」と思っていたのですが、その理由が今回、ペドロさんの説明でやっと判明しました。戴冠式を挙げた12月13日は、聖ルシア(シラクサのルチア)の日で、聖ルシアは視覚障害者の守護聖人とされています。それにかけて、絵の人物は目を瞑っているか、目玉が描かれていないのです。
壁画の右側に描かれている子供たちなんかは、見てしまったら悪夢に出てきそうに怖いので、その部分の写真はアップしないでおきます・・・ -
イチオシ
ガレー船の間 イサベルの戴冠式の壁画側から
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続く【松の実の間 Sala de las Piñas】 壁上部のゴシック=ムデハル様式の漆喰装飾に、この部屋の建設年(1452年)が記されています。
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天井装飾の嵌め木細工が松かさに似ているため、「松の実の間」と呼ばれています。
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この間にある最後のステンドグラスはカスティージャ王アルフォンソ8世(在位 1158-1214)です。
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【王の寝室 Camara Regia】 旧宮殿の部屋。前出の、セゴビア市内にあるエンリケ4世の宮殿の様子を再現しています。壁はタピストリーで覆われ、樫材でできたゴシック様式のベッドが置かれています。
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この部屋で注目すべきは、扉枠のネオ ムデハル装飾です。
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目立たない一角に掛かっている細長いタピストリーは、イサベルとフェルナンドとその5人の子(女子4人男子1人)が描かれています。かなり金髪のイサベル(右上)がいます。
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【諸王の間 Sala de los Reyes】 ここには、レコンキスタの開始者であるアストゥリアス王国のペラーヨから、イサベル1世の娘「狂女王」フアナまでのスペイン歴代王の彫像が並びます。オリジナルは1862年の火災で全焼してしまったため、今見られるのは復元です。
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この人がペラーヨ(?-737)です。西ゴート王国の貴族。イスラム勢力の侵攻で西ゴート王国が崩壊するとアストゥリアス地方に逃げ、718年にアストゥリアス王国を建国。722年にコバドンガの戦いでイスラム軍を破り、イベリア半島におけるレコンキスタの開始者とされる。
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そして、我がイサベル1世とその夫のフェルナンド。フェルナンドは、自国のアラゴン王としてはフェルナンド2世ですが、妻イサベルのカスティージャ王国の王としてはフェルナンド5世となります。
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この装飾は「賢王」アルフォンソ10世カスティージャ王(在位 1252-1284)が始め、フェリペ2世スペイン王(在位 1556-1598)が終えました。この中に女王が7人いるのですが、女王も王と対等に入れるように命じたのはフェリペ2世だったそうです。
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イチオシ
【縄帯の間 Salon del Cordon】 壁の聖フランチェスコの縄帯をモチーフにした装飾からこう呼ばれる。天井が星空のようになっている、これまた美しい間です。
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イチオシ
窓から見える、セゴビア郊外の風景。
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【礼拝堂 Capilla】 フェリペ2世と最後の妃アナ王妃の婚礼ミサは、ここで挙げられました。この天井もムデハル様式の嵌め木細工。主祭壇は16世紀のもの。
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アルカサルには、他にも【武器の部屋】や【王立砲兵学校博物館】、そして【フアン2世の塔】も見学できるのですが、今回はパスします。
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カスティージャ王国の歴史を感じることのできる城です。セゴビア観光の必須スポット。
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アルカサル前からの眺め。城壁に囲まれたセゴビアの街が見えます。
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【大聖堂所属聖職者地区 Barrio de las Canonjias】を抜けて街の中心へ戻ります。前述したように、中世カテドラルはアルカサル前にありました。そこで、聖職者の住んだ地域がその近くにあるのです。
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イチオシ
水道橋マークをまた発見
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さて、現カテドラルの裏手に廻って、ユダヤ人地区へ向かいました。セゴビアのユダヤ人地区って、入ったことありませんでした。
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現在「ユダヤ人街センター」となっている建物、中のパティオ部分までは無料で入れます。
ここは、イサベル1世の時代の銀行家であり、イサベル1世にカスティージャ王国の財務官に任命されたユダヤ人アブラハム セニオール(1412-1493)の家でした。
当時のスペインではユダヤ人は大きな経済力を持ち、公認の金貸しはどの地でもユダヤ人が務めていたし、国際通商を活気づけて国に富をもたらしていました。 -
ところが、イサベルとフェルナンド両カトリック王は、ローマ教皇に依存しないスペイン独自の異端審問機関を設置します。厳しい異端審問は、他宗教の民衆を執拗に追放、処刑するようになります。カスティージャ王国の財政に大貢献したアブラハム セニオールは既に高齢だったこともあり、結局はイサベルとフェルナンド両王が代父母となってカトリック教徒の洗礼を受け、迫害を免れました。
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カサ デ ピコス Casa de Picos。ピコスとは「尖ったもの」の意。全面こんなツンツン装飾のこの家は15世紀に建設されました。この目の前にサン マルティン城門があっため、防御要素があるとも単なる装飾とも言われています。
ロス ピコスの館 城・宮殿
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ツンツンした、ちょっと異様な建物です。
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グアダラマ山脈の「La Mujer Muerta (死んだ女性)」がよく見えました。見えますか、死んだ女性に? この山脈の向こう側がマドリードです。
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すっかり暗くなりました。ためになった、【イベリアエ社】個人ガイド付きセゴビア散策でした。ペドロさん、お世話になりました! とても面白かったです。 http://iberiae.com
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この旅行記へのコメント (4)
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- mistralさん 2019/12/09 16:50:12
- ガイドさんと共に歩く旅!
- MILFLORESさん
初めまして。
時折り私は旅行記を覗かせていただいておりましたが
コメントさせていただくのは初めてかもしれません。
今回スペインの旅行記をマドリッドから初め、セゴビアまで
辿りつきました。
アルカサルについてネットで調べている折にMILFLORESさんの
旅行記に出逢いました。
イザベル1世にちなんだ観点から、セゴビアの地をプロのガイドさんに
案内していただく、
なんて素晴らしい旅をされておられること!と
ワクワクしながら拝見しました。
アルカサルもたくさんの写真をとっても、後になるとここはどこ?状態で
とても参考になります。
と同時に、この旅行記をトラベラー名とともにご紹介させて頂いても
よろしいでしょうか?
ご許可をいただいた後に、アルカサル編を作成したいと思っております。
どうぞ宜しくお願いいたします。
最後から2枚目のお写真、グアダラマ山脈の「死んだ女性」
1度目は分からなかったのですが、今拝見しましたら
ハッキリと横たわっている姿がわかりました。不思議ですね~
mistral
- MILFLORESさん からの返信 2019/12/09 16:56:22
- Re: ガイドさんと共に歩く旅!
- mistralさん
投票及びメッセージありがとうございます。
スペイン旅行のお役に立てて大変光栄です。
どうぞ、旅行記のリンクご利用くださいませ。
マドリード周辺の世界遺産の街街、素晴らしい所ばかりです。スペイン、お楽しみになられましたでしょうか。
MILFLORES
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- badia35さん 2014/01/23 17:55:18
- ○○しばり、面白いですね!
- MILFLORESさん、ご無沙汰しております、こんにちは。
初めての街は取りあえずボーっと雰囲気を楽しみたい私ですが、
(うっかりすると、見るべき観光施設すら逃しているのは、我ながらどうかと思っていますが・・・)
何度目かに行く街へは、ガイドさんと一緒に行くのも楽しそうですね。
今回のイサベルしばり、興味深く拝見しました。
ガイドさんも、MILFLORESさん太鼓判の日本語なら安心ですね。
ということで、HP早速拝見しましたが、ガイド料案内が見つからない・・・
内容によって全然違うからでしょうか。
どれぐらいなのか興味があったので、ちょっと残念です。
もし機会があったら、HPに料金入れてみたら?とアドバイスしてみてください。(笑)
ではでは、最後になりましたが、今年も旅行記楽しみにしております。
badia35
- MILFLORESさん からの返信 2014/01/23 22:13:49
- RE: ○○しばり、面白いですね!
- badia35さん こんにちは!
こちらこそ、ご無沙汰いたしております。セニョール共々、お元気でしょうか。
> 何度目かに行く街へは、ガイドさんと一緒に行くのも楽しそうですね。
行き慣れたはずの場所なのに、初めて見る場所のみでなく、今まで気が付かなかったこと、知らなかったことがいっぱいで、とても勉強になりました。
何かしら興味あることに絞った観光(私の今回の場合は「イサベル」でしたが)の仕方も面白いものです。
> ガイドさんも、MILFLORESさん太鼓判の日本語なら安心ですね。
ペドロさんは、本当に日本語が堪能で、こちらがタジタジになってしまうほどです。私の場合は、スペイン語で何て言うか知っているのにその日本語訳を知らないものがたくさん。(歴史上の役職や法令、戦争の名など) そういう言葉も、ちゃんと日本語訳で説明してくださるんです。
たまに、お互いスペイン語でペラペラっと話しちゃった方が早い場合もありましたが(笑)
> もし機会があったら、HPに料金入れてみたら?とアドバイスしてみてください。(笑)
その後もコンタクトとっていますので、伝えておきますね〜
多分、流暢な日本語で「貴重なご意見、大変感謝いたします」なんて返ってくると思います(笑)
最後になりましたが、今年もどうぞよろしくお願いします。
ご訪問ありがとうございました。
MILFLORES
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