2013/10/01 - 2013/10/01
57位(同エリア200件中)
MILFLORESさん
- MILFLORESさんTOP
- 旅行記352冊
- クチコミ194件
- Q&A回答161件
- 1,689,205アクセス
- フォロワー116人
カスティージャ女王イサベル1世 Isabel I de Castilla (1451-1504)に所縁ある地を訪れるシリーズ『イサベル1世の足跡を追って』。その2では、イサベルが3歳から10歳までを過ごした町 Arevalo アレバロをご紹介します。
アレバロはアビラ県にあります。
イサベルの生誕地マドリガルから26km東に位置します。
-1- 生誕地 マドリガル デ ラス アルタス トレス
http://4travel.jp/traveler/milflores/album/10824902/
で記したように、イサベルは1451年、カスティージャ王国の王フアン2世(1405-1454)と2番目の妃でポルトガル王家出身のイサベル デ ポルトゥガル(1428-1496)の長女として生まれます。
イサベルが3歳の時に父王フアン2世が亡くなると、フアン2世と先の妃との間に生まれた長男エンリケ(1425-1474)が王位に就きます。母イサベルは娘イサベルと息子アルフォンソ(1453-1468)を連れてマドリガルからアレバロに移り住みます。
夫の死によって気を病んだ母を持つまだ幼い王女王子を育てたのは、イサベルの母方の祖母に当たるイザベル デ バルセロス(1402-1465)でした。
*「イサベル」という名はポルトガル王家出身の母方から受け継がれてきた名で、当時のスペインではまだ珍しい名前だったそうです。
この町で過ごした幼少期に、イサベルは深いカトリック信仰に基づいた、将来どこかの王国に嫁ぐべく、お妃教育を受けます。
イサベルと弟のアルフォンソは、イサベルが10歳の時に王エンリケ4世(2人の異母兄)の命で、母イサベルから離されて議会の置かれていたセゴビアに移り住みます。
エンリケ4世は2度の結婚にも関わらず、どちらの妃とも夫婦生活がなかったために「不能王」と呼ばれました。1462年にはフアナという王女を授かるのですが、時の貴族の中にはフアナが本当に王の子であるのかを疑う者が多く、王位をアルフォンソに継がせる動きが出始めます。こうしてカスティージャ王国はエンリケ・フアナ派とアルフォンソ・イサベル派に二分し、後の王位継承戦争へと続くことになります。
アレバロに話を戻しましょう。
子供たちがセゴビアに移っても、母はアレバロに残ったので、イサベルはその後幾度もこの地を訪問します。
残念ながら、イサベルが幼少期に過ごした王宮は1970年代に取り壊されて跡形もありませんが、中世の面影を残した町並は訪れる価値あります。
************************************************************************
『イサベル1世の足跡を追って』 目次
-1- 生誕地 マドリガル デ ラス アルタス トレス http://4travel.jp/travelogue/10824902
-2- 幼少期を過ごした地 アレバロ http://4travel.jp/travelogue/10827620
-3- 戴冠した地 セゴビア http://4travel.jp/travelogue/10839589
-4- 新世界分割方法を定める条約が結ばれた地 トルデシージャス
http://4travel.jp/travelogue/10946410
-5- 遺書をしたため 崩御した地 メディナ デル カンポ
http://4travel.jp/travelogue/10962359
- 旅行の満足度
- 4.0
-
イチオシ
Arco de Alcocer アルコセール門
中世アレバロの南門でした。現存する唯一の城門です。アラブの城塞跡に建てられました。牢獄として利用されていた時代もあります。
中にある観光案内所で地図をもらいました。中世の面影を残した町並 by MILFLORESさんアレバロ 散歩・街歩き
-
イサベル像は、凛とした知的な若き女王を表していて、なかなか良いと思います。
-
町には、イサベル女王に所縁ある地として、イサベル ルート Ruta Isabelina が設けられています。
所々にこのようなパネルが設置してあり、イサベルとアレバロに関する史実が語られています。 -
アルコセール門を潜ってアレバロ旧市街、中世の面影が残る部分へ入りました。
ここは Plaza del Real レアル広場
写真の建物がアルコセール門。
中が無料で公開されているので入ってみました。 -
地上階は小さな闘牛博物館になっていました。
-
上階は穀物博物館になっています。
カスティージャの地での昔からの穀物栽培の歴史を説明しています。 -
アルコセール門内部から見たレアル広場。
写真中央の建物がアレバロ市役所です。 -
冒頭に書いたように、残念ながらアレバロの王宮は現存しません。1970年代にその歴史的価値を考慮されずに、土地利用のために取り壊されました。
70年代まであったので、外観の写真は残っています。
ムデハル様式の王宮は14世紀エンリケ2世(イサベルの4代前のカスティージャ王)の時代に建設されました。以来、トラスタマラ朝(Trastamara)の歴代のカスティージャ王家は、アレバロ訪問の際にはこの王宮に滞在しました。
1524年にスペイン国王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)によってシステルシエンセス女子修道会に寄付されました。この修道会は外界との接触をしない宗派(convento de clausura)だったために、旧宮殿の内部がどんなになっていたかは資料が残っていません。 -
王宮跡には、現在はアパートが建っています。
写真中央奥のレンガ色の屋根の建物がそうです。
なんということ・・・ -
アルコセール門から北に伸びる町のメイン ストリートに当たるサンタ マリア通りには、多くの貴族の館が建てられました。
これは16世紀のバジェステロス ロンキージョ宮
Palacio de Ballesteros Ronquillo
のファサードです。 -
サンタ マリア通りを北上します。
Iglesia de Santa Maria la Mayor
サンタ マリア ラ マヨール教会の鐘楼の下がアーチになっています。 -
可愛らしいグラフィティを発見。
町の子供たちに描かせたのでしょうか。 -
イチオシ
さて、アレバロの町の北端には城があります。
アレバロ城 Castillo de Arevalo です。
この城は国道A6から良く見えるので、車窓からご覧になったことがある方がいらっしゃるかも知れません。 -
この城はカスティージャ王家によって建てられたものではありません。
1470年代にÁlvaro de Zúñiga(アルバロ デ スニガ) プラセンシア伯爵によって建てられました。スニガはエンリケ派の貴族で、1469年にエンリケ4世からアレバロ公爵の称号を与えられます。 -
スニガの公領となったアレバロからイサベルの母は追い出され、マドリガル デ ラス アルタス トレスに戻ります。
もっと先、カスティージャ王位継承戦争でフアナ派を下したイサベルとフェルナンドはスニガ家からこの町を取り戻し、イサベルの母はアレバロに戻ってきます。そして、1496年にこの地で亡くなります。 -
アレバロ城はその後、牢獄になったり、墓地になったり、はたまた城の石材を他の建築に利用するのを町が推進した時期もあったそうです。
近年は農業省の管轄下にあってサイロとして利用されていました。
現在も農業省付属の建物で、3年前までは一般に公開されていませんでした。
今は、城のパティオは自由見学、塔はツアー見学で入れます。 -
入った時に「後10分で塔のツアーが始まりますが参加しますか?」か聞かれたので、迷わずに参加者リストに名を連ねました。
見学は無料です。
城のパティオでは、アレバロの芸術家によるリサイクル アイアン像の展示がされていました。 -
ツアーは城の外観の説明から始まりました。
主塔の窓を差して、戦時の防衛攻撃を考慮された小さな窓と、その後に開けられた装飾窓の違いを説明しているところです。 -
壁にボツボツあいている穴は、建設の際に足場を組んだ跡。
-
ムデハル様式の装飾アーチが綺麗です。
-
堀と昔の基礎や塔の跡が残っています。
-
塔に上がります。
昔から何度も何度もこの城の前に立ったことはあったのですが、中に入るのは今回が初めてです。 -
地元ガイドさんの説明というのはいつもためになります。このテーブルを囲んで色々と話が弾みました。
今、スペイン国営放送の大河ドラマで「イサベル」を放映していて、ちょっとしたイサベル ブームが訪れているのですが、このドラマのせいで「イサベルはアレバロ時代はこの城に住んだ」と誤解されている由。
私もドラマ見てるけれど、アレバロに今はない宮殿があったことは知っていました。
「何故その宮殿は取り壊されたのか?」と訊いたところ、「良い質問だ」と褒められちゃいました(笑)
1970年代のことなので、既に歴史的建造物保存というコンセプトはスペインにもあったはずですが、結局は政治とお金の問題で、当時のアレバロ行政の判断で保存よりも土地利用が優先されたようです。 -
この城だって、下手したら完全になくなっていたかも知れません。
城の石材を他の建設に利用して良いという時代もあったそうです。石を取り出すのに条件は「使う分の倍を切り出し、半分は町役場に渡すこと」だったとか。
崩壊寸前の城の写真。 -
塔の上階は、農業省らしく、穀物博物館となっていました。様々な種類の麦や米がたくさん並んでいて、なかなか圧巻でした。
-
最後に塔の屋上に出ました。
アレバロの旧市街が一望できます。 -
Iglesia de San Martin
サン マルティン教会 -
Iglesia de Santa Maria la Mayor
サンタ マリア ラ マヨール教会 -
Iglesia de San Miguel Arcangel
サン ミゲル アルカンヘル(大天使ミカエル)教会
13世紀 -
広大なカスティージャの台地
この景色は多分、イサベルが見た景色とそんなに変わっていないでしょうね。 -
城から出て、町散策を続けます。
Puente de Medina
メディナ橋
14世紀 -
Plaza de la Villa
ビジャ広場
広場を囲む、アーケード風になった建物が可愛い。 -
Iglesia de Santa Maria la Mayor
サンタ マリア ラ マヨール教会
12世紀
ムデハル様式 -
Iglesia de San Martin
サン マルティン教会
12世紀
ロマネスク/ムデハル様式 -
アレバロを去る前に、昼食を取ることにしました。
アルコセール門近くにあった適当なレストランで、子豚のローストを食べました。
久し振りに食べるコチニージョ、美味しかった!
ここでは、コチニージョと呼ばずに toston トストンとメニューには書いてありました。 -
デザートにはクアハーダ
牛乳をレンネット(凝乳酵素)で固めた甘くないミルクプリンのようなデザートです。砂糖や蜂蜜をかけて食べます。
柔らかな味で食べやすいです。 -
Iglesia de San Juan Bautista
サン フアン バウティスタ(洗礼者ヨハネ)教会
12世紀
ロマネスク様式 -
この塔のある建物、売却の看板が出ています。
なかなか古そうな建物!
どんな人が買うかな〜? -
入ったのとは違うレストランの看板。
子豚を窯に入れてます。
ここはアビラ県だけれども、セゴビア県と同じように子豚のローストが美味しい地です。
旅行記作成は前後しましたが、実際にはこの後にマドリガルに向かいました。
『イサベル1世の足跡を追って』シリーズ
今後、セゴビア、バジャドリッド、メディナ デル カンポなども訪問する予定です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
39