2011/12/24 - 2011/12/24
5963位(同エリア10868件中)
Emmaさん
2011年のクリスマスイブに軍艦島デート。
長崎県長崎市(旧高島町)にある端島、通称軍艦島。
戦艦土佐に似ていることからこの名がついた。
かつては海底炭鉱によって栄え、最盛期には5000人以上の人々が暮らしていた。
1974年に閉山。
無人となった島は日本最大級の廃墟としてマニアの間で有名になる。
現在は、近代遺産としての価値が高まり、「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として世界遺産への登録を目指している。
軍艦島を実際に目にして、
「日本最大級の廃墟」と、うかれ半分で訪れた自分にカツを入れたい。
そこには確かに人々の日常があり、青春があった。
この島の壮大な出で立ちは、廃墟といより『遺跡』と表現する方がふさわしい。ただならぬオーラを醸し出す島である。
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軍艦島クルーズ(株)さんのツアーに参加。
高島交通さんの船「BLACK DIAMOND」 -
別アングルから。
長崎港を出航し、伊王島を経由して軍艦島を目指す。
長崎港をぬけて外海に出ると、ひどい揺れ。
酔い止めを服用したので、その効果で気持ち悪さとは無縁。
アトラクション気分で意外と楽しい!!! -
船に揺られること30分ちょい。高島に到着。
石炭資料館にて炭坑に着いて学ぶ。 -
軍艦島の模型を前に元島民のガイドさんの説明を聞く。
高層アパートが密集しているため、建物と建物は渡り廊下で繋がっており、いちいち下まで降りなくとも隣の建物に移動できる。 -
ツアーでもらった島内マップ。
赤い部分のみが見学可能。
個人的に1番見たい写真右上部分の職員住宅の密集地は見学不可。 -
高島から10分ほど。
軍艦島が目前に。 -
桟橋付近。船上から見る軍艦島の外壁。
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船を桟橋につける。
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島への上陸が許可されるにあたって見学用の通路が整備された。
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見学用に整備された通路。
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30号棟。日本初の鉄筋コンクリートアパート。
1916年(大正5年)に建設。 -
30号棟をズーム。
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31号棟。嵐の時には波をかぶることも。
住宅用建物が防波堤となって炭鉱設備を守る。 -
密集する住宅。間に見えるのが25号棟。
島唯一のスナックと旅館があった。 -
端島小中学校。7階建て。
給食運搬用の島唯一のエレベーターが存在した。 -
学校の左に少し見えるのが65号棟。
コの字型のアパートは島最大。コの字の中央には公園がある。
前方にあるのはベルトコンベア。 -
プール跡地。
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島の最頂部に建つ3号棟。
幹部職員の住宅だった。 -
灯台。
炭坑は24時間操業だったため、島から明かりが消えることはなく、島には灯台がなかった。
灯台が設置されたのは閉山の翌年1975年。
現在の灯台は1998年に新しくされたもの。 -
捲座と呼ばれる炭坑設備。壁面のみ残る。
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鍛冶工場。
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島の外壁。(島内からの撮影)
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どの部分か忘れてしまったが、島内の写真①
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どの部分か忘れてしまったが、島内の写真②
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どの部分か忘れてしまったが、島内の写真③
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どの部分か忘れてしまったが、島内の写真④
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軍艦島を去る時。
さようなら軍艦島。
帰りも同じく船は揺れる、揺れる。 -
おわりに。
かつてその島には5000人もの暮らしがあった。
学校があって、病院があって、
映画館、パチンコ、神社、床屋、バー・・・
その島には全ての生活基盤があった。
日本最古の鉄筋コンクリートの高層アパートが建てられたのもこの島。
テレビがいち早く普及、あちこちにアンテナがつけらた。
流行の先端はいつもこの島にあった。
まさに繁栄であった。
しかしその繁栄は永遠のものではなく…
エネルギーの需要が石炭から石油へと移ったことで、
炭坑の仕事は減少、
人口も減り、1974年に閉山し、無人の島となる。
現在この島は世界遺産暫定リストに掲載されている。
繁栄から衰退へ・・・
この島の未来はこれからどんな道を辿るのか。
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