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小田急線喜多見駅から約15分ほど東進、住宅地域の中に樹木に覆われた敷地に氷川神社(ひかわじんじや、東京都世田谷区喜多見)があり、16世紀後半に当地に入った江戸氏が荒れ果てた社を復興して同氏の祈願所とした経緯があります。<br /><br />喜多見氏は平安時代後半Iにおける秩父氏の平良文流れを汲む武蔵江戸氏の後裔で、歴史に現れる江戸氏の顕著な動きとしては石橋山合戦で敗退した源頼朝が房総で勢力を盛り返し、武蔵入国を前にして武蔵の秩父平氏系に参陣を呼び掛けた際、長老格として江戸重長(えど・しげなが、生没不詳)が畠山氏・河越氏など諸豪族の参集をまとめた働きにより頼朝の鎌倉入府が可能となった事でした。<br /><br />南北朝時代では応安元年(1368)の武蔵平一揆で上杉氏に抑えられ勢力を大きく失い、続いて武蔵南部に進出の扇谷上杉氏に属する太田道灌(おおた・どうかん)に本貫地の江戸郷を奪取され世田谷木田見(喜多見)に移り、やがて小田原北条氏勢力に組み込まれ、世田谷に本拠を置く吉良氏に仕えることになり、天正18年(1590)の小田原合戦では小田原城に籠城し豊臣方と対峙します。<br /><br />同年関東入部した徳川家康の家臣となった江戸氏はそれまでの世田谷喜多見の所領を改めて安堵され、これを機に江戸氏から喜多見氏に改姓します。<br /><br />子孫の喜多見勝忠(きたみ・かつただ)は徳川の旗本ととして働き、関ヶ原合戦・大坂冬夏の陣に従軍、戦功あって近江国郡代となり、更に元和2年(1616)には堺奉行を拝命するなど実績を挙げます。<br /><br />更に喜多見重政(きたみ・しげまさ)の代では5代将軍綱吉(1646~1709)の側近として働き、天和3年(1683)に大名に列せられ、喜多見の地に1万石を立藩し、貞享2年(1685)には側用人に就任、翌年には河内と武蔵の一部で1万石の加増を受け都合2万石の所領するも元禄2年(1689)に突然改易の憂き目にあい喜多見氏は没落したようです。<br /><br /><br />氷川神社ホームページには下記の如く由緒が記されています。<br /><br />『 氷川神社 由緒<br /><br />当社は天平12年(740)の創建と伝えられているが、延文年間(1356~60)に宮殿大破し、ついで多摩川洪水のため古縁起・古文書など流失して詳細は明らかではない。古く多摩川岸に近いところにあったという。<br /><br />永禄13年(1570)この地の領主江戸刑部頼忠(東京の開祖江戸重永の末流で後に喜多見氏と改めた)は当社を修復し国家安泰・武運長久を祈願し、天和2年(1682)喜多見若狭守勝忠は篤く当社を敬い神領5石2斗を寄進し再興す、慶安2年(1687)喜多見若狭守より再建せられた。<br /><br />承応3年(1654)に喜多見重恒・重勝兄弟は銘文を刻んだ石の鳥居を寄進して今に残っている。また当社の別当を華蔵院と称し、慶安2年(1649)徳川家光より社領10石2斗余りを賜っている。<br /><br />もと祭礼には湯立神楽が奉納された。明治17年郷社に昇格し、大正11年社殿改築の計画が震災により一時中止となり同15年に落成した。昭和63年不慮の災いをうけ社殿焼失、平成2年に現社殿を再建す。』<br /><br />

武蔵喜多見 由緒ある桓武平氏秩父一族の江戸氏が戦乱をくぐり抜け徳川旗本から譜代大名に昇格した喜多見氏が篤く奉った『氷川神社』散歩

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2013/07/21 - 2013/07/21

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滝山氏照

滝山氏照さん

小田急線喜多見駅から約15分ほど東進、住宅地域の中に樹木に覆われた敷地に氷川神社(ひかわじんじや、東京都世田谷区喜多見)があり、16世紀後半に当地に入った江戸氏が荒れ果てた社を復興して同氏の祈願所とした経緯があります。

喜多見氏は平安時代後半Iにおける秩父氏の平良文流れを汲む武蔵江戸氏の後裔で、歴史に現れる江戸氏の顕著な動きとしては石橋山合戦で敗退した源頼朝が房総で勢力を盛り返し、武蔵入国を前にして武蔵の秩父平氏系に参陣を呼び掛けた際、長老格として江戸重長(えど・しげなが、生没不詳)が畠山氏・河越氏など諸豪族の参集をまとめた働きにより頼朝の鎌倉入府が可能となった事でした。

南北朝時代では応安元年(1368)の武蔵平一揆で上杉氏に抑えられ勢力を大きく失い、続いて武蔵南部に進出の扇谷上杉氏に属する太田道灌(おおた・どうかん)に本貫地の江戸郷を奪取され世田谷木田見(喜多見)に移り、やがて小田原北条氏勢力に組み込まれ、世田谷に本拠を置く吉良氏に仕えることになり、天正18年(1590)の小田原合戦では小田原城に籠城し豊臣方と対峙します。

同年関東入部した徳川家康の家臣となった江戸氏はそれまでの世田谷喜多見の所領を改めて安堵され、これを機に江戸氏から喜多見氏に改姓します。

子孫の喜多見勝忠(きたみ・かつただ)は徳川の旗本ととして働き、関ヶ原合戦・大坂冬夏の陣に従軍、戦功あって近江国郡代となり、更に元和2年(1616)には堺奉行を拝命するなど実績を挙げます。

更に喜多見重政(きたみ・しげまさ)の代では5代将軍綱吉(1646~1709)の側近として働き、天和3年(1683)に大名に列せられ、喜多見の地に1万石を立藩し、貞享2年(1685)には側用人に就任、翌年には河内と武蔵の一部で1万石の加増を受け都合2万石の所領するも元禄2年(1689)に突然改易の憂き目にあい喜多見氏は没落したようです。


氷川神社ホームページには下記の如く由緒が記されています。

『 氷川神社 由緒

当社は天平12年(740)の創建と伝えられているが、延文年間(1356~60)に宮殿大破し、ついで多摩川洪水のため古縁起・古文書など流失して詳細は明らかではない。古く多摩川岸に近いところにあったという。

永禄13年(1570)この地の領主江戸刑部頼忠(東京の開祖江戸重永の末流で後に喜多見氏と改めた)は当社を修復し国家安泰・武運長久を祈願し、天和2年(1682)喜多見若狭守勝忠は篤く当社を敬い神領5石2斗を寄進し再興す、慶安2年(1687)喜多見若狭守より再建せられた。

承応3年(1654)に喜多見重恒・重勝兄弟は銘文を刻んだ石の鳥居を寄進して今に残っている。また当社の別当を華蔵院と称し、慶安2年(1649)徳川家光より社領10石2斗余りを賜っている。

もと祭礼には湯立神楽が奉納された。明治17年郷社に昇格し、大正11年社殿改築の計画が震災により一時中止となり同15年に落成した。昭和63年不慮の災いをうけ社殿焼失、平成2年に現社殿を再建す。』

交通手段
私鉄 徒歩
  • 氷川神社正面<br /><br />社域が広く確保されておりゆったりしています。車止めの向こうに第一鳥居が確認されます。<br />

    氷川神社正面

    社域が広く確保されておりゆったりしています。車止めの向こうに第一鳥居が確認されます。

  • 氷川神社・社標<br /><br />「郷社」の社格となっています。

    氷川神社・社標

    「郷社」の社格となっています。

  • 氷川神社・第一鳥居

    氷川神社・第一鳥居

  • 氷川神社・説明板

    氷川神社・説明板

  • 氷川神社行事・説明板<br /><br />節分・神楽に関する行事が説明されています。

    氷川神社行事・説明板

    節分・神楽に関する行事が説明されています。

  • 氷川神社・第二鳥居<br /><br />承応3年(1654)喜多見村の地頭であった喜多見重桓・重勝兄弟が氏神である当社に奉建しています。

    氷川神社・第二鳥居

    承応3年(1654)喜多見村の地頭であった喜多見重桓・重勝兄弟が氏神である当社に奉建しています。

  • 氷川神社第二鳥居・説明板

    氷川神社第二鳥居・説明板

  • 氷川神社・参道

    氷川神社・参道

  • 氷川神社・参道<br /><br />左右の格式高い石燈籠が参道雰囲気を高めています。

    氷川神社・参道

    左右の格式高い石燈籠が参道雰囲気を高めています。

  • 氷川神社・本堂<br /><br />祭神はスサノウノミコトで創建は天平12年(740)と伝えられています。

    氷川神社・本堂

    祭神はスサノウノミコトで創建は天平12年(740)と伝えられています。

  • 氷川神社・本藤(近景)<br /><br />江戸頼忠(えど・よりただ、1528~1619)が永禄13年(1570)改築した棟札が社蔵されています。<br />更に息子の喜多見勝忠(きたみ・かつただ、1568~1628)が5石余りの寄進をしています。

    氷川神社・本藤(近景)

    江戸頼忠(えど・よりただ、1528~1619)が永禄13年(1570)改築した棟札が社蔵されています。
    更に息子の喜多見勝忠(きたみ・かつただ、1568~1628)が5石余りの寄進をしています。

  • 氷川神社・扁額<br /><br />「氷川神社」の縦書き扁額です。

    氷川神社・扁額

    「氷川神社」の縦書き扁額です。

  • 氷川神社・梅酢配布<br /><br />傍らに自社で収穫された梅酢の無料配布お知らせがあります。(ざるに幾つかの袋が置かれていました。自分は2袋いただきました)

    氷川神社・梅酢配布

    傍らに自社で収穫された梅酢の無料配布お知らせがあります。(ざるに幾つかの袋が置かれていました。自分は2袋いただきました)

  • 氷川神社・社務所

    氷川神社・社務所

  • 氷川神社・境内

    氷川神社・境内

  • 稲荷神社<br /><br />境内には稲荷神社が建立されています。

    稲荷神社

    境内には稲荷神社が建立されています。

  • 氷川神社・境内<br /><br />本堂から参道を振り返ります。厳かな雰囲気が漂っています。

    氷川神社・境内

    本堂から参道を振り返ります。厳かな雰囲気が漂っています。

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