2003/07/26 - 2003/08/10
23位(同エリア37件中)
kazimさん
- kazimさんTOP
- 旅行記32冊
- クチコミ21件
- Q&A回答48件
- 105,319アクセス
- フォロワー4人
ニーナというベラルーシの学生と知り合ったことがきっかけで、3年続けて訪問したベラルーシ、ここまでミンスクとその近郊を中心に書いてきたが、最後の章はミンスクを離れる。「人々の生活とミンスク郊外」編からたびたび話題にしているセルゲイ氏の紹介で、ガイナという村にホームステイしたのだ。客観的に言えば単なる田舎の村であり、もちろん観光的な見所は全くないが、ここでの生活はとても豊かだった。同じような村がベラルーシにはいくつも存在するであろう中で、私にとっては特別な場所なのだ。
〈写真 木漏れ日の中の昼食〉
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 航空会社
- オーストリア航空 ターキッシュ エアラインズ
PR
-
ガイナへ1
最初の訪問に旅立つ時、ニーナは「ミンスクは危ないから一人で外に出てはダメ」と厳命した。しかし、本人は日本におり、お母さんは公務に忙しく、弟はまだ世慣れない学生だ。それでも「一人で出るな」と告げた以上、私に付きそう人が必要で、お母さんの知り合いから、自動車教習所の教官をしているセルゲイ氏に白羽の矢が立ったと思われる。結局、1度目の滞在中最も長く時間を共にしてくれたのはセルゲイ氏となった。
〈素朴なガイナの家、入口に「パルチザン」〉 -
イチオシ
ガイナへ2
幸いセルゲイ氏は英語も堪能だ。一日に一度は彼が仕事の合間を縫って、助手席側にもブレーキが付いている教習車で来てくれ、市内の各所を案内したり、友だちを紹介したりしてくれた。なお、「危ない」と言われても、ホテルに逼塞してはいられない。いくつかの国を回り治安の善し悪しにはそれなりの感覚を持っているつもりの私には、危険な雰囲気は感じられなかった。
〈入口には花々が咲き乱れる〉 -
ガイナへ3
そのセルゲイ氏が「田舎に行かないか」と問う。彼の親戚がガイナという村にあると言われ、ミンスクをおおかた見てしまった私は一も二もなく承諾する。彼としても空き時間を工面して私を案内するのに疲れたのかもしれない。素朴な田舎の人なら、日本人を預けても安心と考えたのだろう。
〈平原を貫くガイナへの道〉 -
ガイナへ4
ベラルーシの主要道はミンスクから放射状に広がる。そのうちの一つ、最終的には北東部の中心都市ビテプスクへ向かう道に乗る。ミンスクを出れば、ただただ平原が広がる田舎になり、ところどころに小さな集落が見えるだけだ。こうした道を1時間ほど走り、支線に折れた先にガイナ(現地表記で「Гаiна」)村はある。人口はわずか1250だ。
〈牧場をバックにセルゲイ氏と〉 -
ガイナへ5
私が日本では一応の街なかに住んでいることを聞いたセルゲイ氏は、素朴な農家に滞在させることを気に病んだようで、何度も「大丈夫か」と案じたが、ここでの数日は至極居心地が良かった。気に入った私は、3度目の訪問の時にも彼にねだり、ここで2泊をした。その生活を「ガイナの1日」風に綴る。
〈羊と戯れる近所の子ども〉 -
ガイナの朝1
ガイナの家の主は「パルチザン」と皆が呼ぶ老人であり、実質は彼の息子が取り仕切っている。陽が高くなって私が起き出すと、彼らはすでに家畜の餌やりや庭の野菜の収穫など、ひと仕事を済ませおり、朝食の準備が整っている。黒パンを主食とするベラルーシの典型的な料理であり、採ったばかりのトマトなどの野菜も付く。
〈左が「パルチザン」、右がその息子〉 -
ガイナの朝2
そして何と食卓にはウォッカも用意されており、「少し飲むか?」と「パルチザン」が問うが、さすがの私も「後にします」と遠慮する。それを笑って見ている女たちは、「パルチザン」の奥さんであるおばあさんと、息子の奥さんだ。若夫婦に子どもはいるがミンスクに出ており、老若の夫婦が農業で生計を立てている。
〈真ん中がおばあさん、右が若奥さん〉 -
ガイナの朝3
私がウォッカを断ったのを確認して、女たちが紅茶を用意してくれた。「これから農作業だから、たっぷり食べなさい」と、甘いものもたくさん出される。仕事の内容を訊ねて返ってきた答えは聞き取れなかったが、「たぶんお昼まで」とだけは理解できて、私も一応やる気になる。
〈朝食後は紅茶でまったり〉 -
さあ働こう1
ゆったりした朝食が済むと、男たちはそれぞれ鍬や鎌などの農具を持って歩き始める。数分で畑に着き、この日は家畜の餌になる麦わらの刈り取りだった。雪が積もる冬場のために蓄えておく。すでに働いている数人は近所の人だそうで、数軒が共同してお互いの畑のわらを集める。
〈積み上げられたわら〉 -
イチオシ
さあ働こう2
老齢の「パルチザン」も作業に加わるので、私としてもサボれないが、機械を入れずすべて手作業で行うので、かなりの重労働だ。鎌で刈り取って集め、積み上げた麦わらも馬車で運ぶ。大量の麦わらの芳ばしい香りが漂う。
〈休憩にタバコを一服〉 -
さあ働こう3
9時過ぎから始めて2時間余りで予定の作業を終了した。8月の天気の良い日でも、爽やかな気候で汗はかかない。「今日の仕事はこれでおしまい」と「パルチザン」は宣言し、「お前がいたから早く終わった」と加える。お世辞とは理解しつつ悪い気はしない。「帰って昼飯だ」と言う彼らの足取りも軽い。
〈わら満載の馬車の前で〉 -
イチオシ
木漏れ日の中の昼食1
作業を終えて家に戻った瞬間、私は驚いた。大きなテーブルと20脚近くの椅子が庭に出され、テーブルの上には食べ物や飲み物が並んでいる。私のために特別に用意をしてくれた昼食だ。先ほどまで共に作業をしていた近所の人たちが三々五々集まってくる。
〈「パルチザン」とウォッカを酌み交わす〉 -
木漏れ日の中の昼食2
テーブルがしつらえられた場所がとてつもなく素晴らしい。柔らかい草が生え、素足で歩いても気持ちの良い庭の一角、何の木だったか緑がやさしく木陰を作り、木漏れ日がちらちらと揺れ、爽やかな風も吹いてくる。その雰囲気を最もよく表しているのが表紙の写真だ。「パルチザン」の一家を含め4、5家族が集まっていたことが分かる。
〈ご近所の家族、ベラルーシの田舎にもDKNY、彼は「人々の生活とミンスク郊外」編で、観光セスナのパイロットだった人〉 -
木漏れ日の中の昼食3
料理は朝食と同様、地元の素朴なものだ。取れたての野菜が中心で、文句なしのオーガニックだろう。それらがテーブルに並べきれないほど出された。そして、もちろんおいしいことは朝食で確認済みだ。
〈上の家族の続き、お母さんと娘〉 -
昼食と「サマゴーン」1
そして遂に飲み物はウォッカである。市販のものに混ざって、自家製酒の「サマゴーン」も用意された。隣の家で作ったと言う。この国の税制は知らないが、ロシア圏ではしばしばウォッカを自ら作ってしまう。日本の「どぶろく」の感覚だろうが、麦や芋などを発酵させて蒸留すればできるので、器具さえあれば簡単なのだろう。
〈この家族が「サマゴーン」の作り手だったかも〉 -
昼食と「サマゴーン」2
ロシア圏の人たちが、この「サマゴーン」の話題を口にする時、何とも言えない表情をする。憧れのような郷愁のような、あるいは苦々しいともとれる顔だ。「サマゴーンは最近なかなか飲めないし、おいしいものはすごくおいしい。だけど危ないものも多い」と彼らは一様に言う。
〈子供たちとお母さん、みんないい顔をしている〉 -
昼食と「サマゴーン」3
ロシア圏では本来、自給自足的な発想が強く、口にするものは流通をあてにせず、「ダーチャ」などで自分で作ることが多かった。酒も同様で、むしろそれを楽しみとする意識がある。しかし、今はそうした習慣が薄れたから懐かしく、しかし自家製である以上アルコール度数が一定せず、時には粗悪な場合もあるので「サマゴーン」には注意が必要なのだ。
〈ホストとして忙しく働いてくれた若夫婦〉 -
昼食と「サマゴーン」4
そのうえウォッカによるアルコール中毒や寿命を縮める危険性が話題になり、ウォッカは飲まないと言う現地の人も今は少なくない。そうした複雑な感情が、何とも言えない表情に表れているのだ。「ベラルーシの田舎でサマゴーンをしこたま飲んだ」とロシア圏の人に語ると、彼らは驚き、かつ呆れた顔をする。しかしとにかくここの「サマゴーン」は文句なくおいしく、近所の人と共に空き瓶を林立させた。
〈真ん中の女性はセルゲイ氏の友人〉 -
なぜ「パルチザン」か1
「サマゴーン」でいい気持ちになりながら、「パルチザン」の生涯を聞く。ここで言う「パルチザン」とは、第2次大戦中、ナチスドイツの侵攻に抵抗し、モスクワに向かうドイツ軍の後方で輸送機関の破壊などを行った民間兵のことだ。「ウィキペディア」では「赤軍パルチザン」として説明されているので参照されたい。彼はこれに参加したのだが、60年も前のことだ。それでも当時を訊ねれば、「ドイツ軍を一度やり過ごし、森に隠れて抵抗活動をした」と、身振りを交えて熱く語る。私たちにはすでに昔のことでも、彼にはありありとした記憶なのだろう。国家のためというより、自分の土地を守るために立ち上がったのだろう。
〈花が咲き乱れる庭で〉 -
なぜ「パルチザン」か2
温厚な性格で、実直に農業をして暮らしてきた彼が、この時だけは熱く過去を語ったのが印象的だ。ベラルーシは昔からいろいろな民族の興亡が繰り返された土地で、領土も歴史的に安定していない。彼のような義勇兵が戦った戦乱も多かっただろう。村の一角にある祖国のために死した兵士を記念する碑には、こうした正規の軍ではない人たちの名前も刻まれているのだろうか。
〈村の祖国英雄記念碑〉 -
庭での時間1
広い庭にはいくつかの建物がある。私の寝室としてあてがわれたのはその一つで、昼食の写真のいくつかに背景として写っている。外見は粗末だが、中はきれいに整頓されておりベッドも清潔だった。その他、庭には作業小屋や牛小屋、鶏小屋などが間隔をおいて建てられている。
〈庭では牛が優先〉
-
庭での時間2
ウォッカの酔い覚ましや早く目覚めた時などに、この庭を散歩し、気に入った場所で本を読んだり、ただぼんやりしたりする時間は、とても贅沢だ。さらに、庭の先には野菜を植えた畑があり、これだけでもかなりの広さだ。先述したように、麦わらを集めた広大な畑が別にある。
〈庭の裏の畑で〉 -
長い午後1
昼食にウォッカを飲んだということは、この時期、午後は仕事をしない。ちなみに冬は畑に出られず、家畜の世話だけになるそうだ。隣の家が作った「サマゴーン」はとても良質で、2時間ほど昼寝をしたら醒めてしまった。悪酔いしないのは良いウォッカの大事な条件だ。夏の今、暗くなるまでたっぷり時間があり、散歩に出ることにする。
〈水遊びをする子どもたち〉 -
長い午後2
もともとベラルーシの土地の大部分は、森と沼沢地帯であり、ガイナでは畑に拓かれたところ以外は、そうした自然がそのまま残っている。森の中には小川が流れ、歓声をたどっていくと子どもたちが元気に遊んでいる。
〈森の中の小川で〉 -
長い午後3
小川の流れに従っていくと、畑の真ん中に池があった。農業用の水源として使われているようだ。泳いでいる家族があり、見れば昼食を共にした一家ではないか。「一緒に入ろうよ」と子どもたちに誘われるが、水はとても冷たい。
〈池で泳ぐ人々〉 -
長い午後4
別の沼では、子どもたちが釣りをしていた。海のないこの国、「人々の生活とミンスク郊外」編では、湖を「海」と呼ぶことを紹介したが、こうした水辺の楽しみは池や沼で行うしかないのだ。それでも短い夏を謳歌している。
〈釣りをしていた子どもたち〉 -
この土地に生きる1
こうした生活をしている彼らは、テレビもほとんど見ないし、新聞もない。ここにしばらくいると、50キロほど離れたに過ぎないミンスクが別の世界に感じられる。まして日本は忘却の彼方だ。刺激には乏しいけれど、とても静かで穏やかな生活である。
〈道端では馬が草を食む〉 -
この土地に生きる2
森と畑の間に墓地があった。教会らしい建物は見あたらないが、墓石に生前の姿が刻まれたロシア式の埋葬法だ。もちろん土葬であり、その上には花が咲き乱れている。文字どおりここの土に帰った人々だ。
〈プロフィールが刻まれた墓〉 -
この土地に生きる3
ガイナを含め、ベラルーシを訪れたのはもう10年以上も前のことだ。その間、この国は経済的に苦しくインフレも続いたと聞く。しかし、ガイナでは、そうした政治や経済とは無関係に、彼らが静かに暮らしているのだろう。そう想像すると、とても遠い気持ちになる。
〈村のまわりの草原と森〉
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
その他の都市(ベラルーシ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ベラルーシで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ベラルーシ最安
775円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
29