2013/10/18 - 2013/10/18
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belleduneさん
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今まで「三渓園」という名前は良く耳にしていましたが、本牧なので、東京からだとちょっと遠いと思っていましたが、10月20日まで「臨春閣」が公開されるというので、見に行って来ました。5万3千坪という広大な園内にたくさんの重要建築物が移築されていて、半日では足りないくらいでした。
明治初めに、原善三郎が三渓園一帯の土地を購入し、20年頃、三渓園南端に「松風閣」を建てました。1902年(明治35)には、原三渓(富太郎)は、原家本宅「鶴翔閣」を建てて、古建築の収集を始めました。
原三渓は、岐阜・佐波村の庄屋の長男として生まれ、幼少から絵、漢学、詩学を学び、早稲田では政治、法律を身に付けました。明治24年に、原善三郎の孫娘・屋寿と結婚し、原家に入籍。家業を継いで、合名会社へ改組し、生糸輸出を始める等経営の近代化、国際化をすすめ、実業家として成功しました。1906年(明治36)には、三渓園の外苑を無料公開し、また美術品の収集、芸術家の支援、育成に力を注ぎました。1923年(大正12)の関東大震災では、数棟の建物が損壊、消失しましたが、横浜市復興会長に就任して、荒廃した横浜の復興に尽力しました。1939年(昭和14)に三渓が亡くなり、その後、第二次世界大戦の空襲で、大きな被害を受けましたが、昭和28年財団法人三渓園保勝会を設立し、三渓園は、原家からこの財団の管理となりました。
復旧工事に着手し、昭和29年に、外苑を公開し、昭和33年には、内縁を初めて公開しました。2007年(平成12)、三渓園は国の名勝に指定されました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄
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正門を入って直ぐ目の前に大池が広がっています。
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すすきの穂がきれいですね。
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大池の向こうに三重塔が見えます。
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右手に蓮池、蓮花池と続いています。
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午前中に用事があったため、ここへ来るのが、午後2時過ぎになってしまいました。この藤棚の下で、ちょっと遅いお昼御飯を頂きます。バス停傍にあったパン屋さんで買ったサンドイッチがとても美味しかったです。外苑は飲食可ですが、これから行く内苑は不可です。
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鶴翔閣 原三渓が明治35年に建てた家族の住まいで、約290坪あります。三渓が岡倉天心の要請で支援した日本美術院の画家達・横山大観、下村観山、前田青屯らは、度々ここを訪れ、泊まり込んで、創作をしたということです。内部は、楽室棟、茶の間棟、客室棟からなっており、上空から見た形が鶴が飛翔している姿に似ていることからこの名前が付いたそうです。
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豪商の住まいながら、建物には装飾がほとんどなく、非常に質素な造りになっています。しかし、各部屋の天井廻り縁に飾り釘があったため、かつては書画や彫刻などの美術品を飾っていて、華やかだったことが窺われます。
天井が非常に高く、テーブル・椅子座という西洋風の生活であったと考えられます。
丁度展示をしていたため、関係者以外は入れませんでしたが、毎年1月1日〜3日は公開されます。
貸出施設として、ウエディング会場としても貸し出されるそうです。 -
内苑に入って、御門へ
1708年(宝永5)に建てられた京都東山の西方寺にあった薬医門です。 -
奥に臨春閣が見えます。
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御門の直ぐ右手にある白雲邸
1920年(大正9)に建てられ、三渓が鶴翔閣から離れて、亡くなるまでの20年間を夫人と共に過ごした住まいです。自らの着想で、同郷の大工・山田源市にたてさせたもので、臨春閣と呼応するように、L字型の間取りで中庭を造り、内苑の古建築と総合的に計画されているということです。伝統工法に基づいた数寄屋風の造りは、原三渓の木造建築への深い理解が窺われ、また、椅子・テーブルに談話室や屋根の構造等は近代的要素を和風建築に導入するという試みも見受けられるということです。ここも貸出施設となっています。 -
臨春閣
桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構と言われていましたが、現在では、和歌山県岩出氏にあった紀州徳川家の別荘、巌出御殿ではないかとかんがえられています。
10月20日まで公開でした。 -
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玄関から御門を見たところです。
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「蕭湘の間」(しょうしょうのま)
臨春閣は、夏用の別荘だったと言われ、視覚的な涼しさを演出するために、波文様の欄間には、銀箔が輝き、華やかだったそうです。狩野探幽の弟子、桃田柳栄(1647~1698)の下絵によると言われています。 -
波文様の欄間です。
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襖絵は、狩野常信の筆による「蕭湘八景図」です。
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「蕭湘の間」の傍にある灯籠
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花鳥の間 狩野探幽の筆による「四季花鳥図」
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台子の間 お茶の支度をする部屋で、茶道具を飾る台子を置いたので、こう呼ばれています。水屋の上の引き違い戸は、蓮茎が用いられています。
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「台子の間」からのお庭の眺めです。
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琴棋書画の間 琴棋書画図は、狩野探幽の筆によるものです。
欄干が付けられた正面の廊下は、和歌山にあった当時は、紀ノ川に面していたそうです。池越しに対岸の亭樹を望む眺めは、三渓が臨春閣内部からのハイライトとして意図したものと思われる庭園景観だということです。 -
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廊下の扉上部の飾り障子の桟が面白いです。
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この廊下の天井部分も実に面白いです。
丸太材の垂木と細竹材を交互に組み合わせたデザイン意匠で、欄間の格子にも用いられています。 -
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軒先の手水鉢 この手水鉢は、1589年(天正17)に秀吉が五条大橋を架け替えた年で、その橋杭石が転用されたものだということです。
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その奥の庭園景色
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住之江の間 平書院
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住之江の間 狩野山楽による「浜松図」が描かれています。右部分が川面義雄が補筆しています。
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黒漆螺鈿楼閣人物図地袋戸 中国明時代 (1369〜1644)の精巧なものです。
傍でこの地袋戸の話をしている人によると、この戸2枚を盗んで、額に入れて売ろうとしたため、戸の中に四角く切り取った後が残ったということです。 -
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欄間は、日本伝統文様の立涌文を板から切れ出して作り上げています。
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天井は、平行に並べる竿縁を卍形に配しています。堀口捨巳は、これにヒントを得て、名古屋の料亭八勝館御幸の間の天井をデザインしました。
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厠
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湯殿
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住之江の間の庭園側の廊下には、海老虹梁が見られます。
禅宗様の寺院建築に用いられる意匠ですが、海老のように反った面白い梁です。 -
浪華の間 狩野永徳の筆による「芦雁図」
浪華十詠和歌色紙欄間があり、繊細な菊花の透かし彫りの中に、十面の色紙額を配したものです。大阪周辺の十箇所の景勝地の歌を表裏二首ずつ20人の公家が書いています。 -
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「浪華の間」からの景色です。
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向こうに三重塔が見えます。
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次の間 雲澤等悦の筆による「山水図」 臨春閣で唯一狩野派以外の絵師による障壁画となっています。
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天樂の間 狩野安信の筆による「四季山水図」
欄間は、紅い漆の高欄に雅楽の楽器(笙、篳篥、横笛)を取り合わせた独創的デザインんとなっています。 -
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奥が「天樂の間」です。
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次の間の火灯口です。鎌倉時代に中国からもたらされた禅宗様建築の窓の形を取り込んだ2階へのアプローチとなっています。
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第三屋
以前、臨春閣は、大阪春日出新田(現此花区)にあり、「八州軒」の名で知られていました。二階から淡路、紀伊、大和、河内、和泉、播磨、山城、摂津の八つの国が見渡せたことからそう呼ばれていました。 -
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すすきが光っています。
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天樂の間 狩野安信の筆による「四季山水図」
欄間は赤漆の高欄に、雅楽の楽器(笙、篳篥、横笛)を取り合わせた独創的なデザインとなっています。 -
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武家建築でありながら、王朝風の典雅な趣向がここかしこに見受けられます。
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今日は結婚式があったらしく、池の前の芝生で記念撮影をなさっていました。
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臨春閣の見学を終えて、外に出て、2階を見上げたところです。
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臨春閣の裏手
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亭樹から見た臨春閣です。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ZISAMAさん 2013/10/26 18:08:58
- ご無沙汰
- belleduneさん
Welcome to Yokohama!
From 横浜市民
- belleduneさん からの返信 2013/10/26 21:47:59
- RE: ご無沙汰
- 横浜市民さん、ZISAMAさんが長らく旅行記アップを休眠なさっているので、寂しい限りです。
横浜進出をしますので、次は鎌倉の美術館本館と別館を見に行きます。
野鳥の観察はいかがですか?
近況を教えてくださいね。
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