2013/09/16 - 2013/09/16
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たびたびさん
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炭鉱で栄えた筑豊の中心地は、飯塚・直方・田川。中でも飯塚は、旧長崎街道の宿場町としても賑わいました。ボタ山を皮切りに、内野宿から長崎街道の面影を訪ね、炭鉱で栄えた産業遺産に最後は上野焼、永源寺の窯元巡り。
ちなみに、上野焼は高取焼と並ぶ遠州七窯の一つ。一時途絶えますが、緑釉を特徴として、復活を遂げています。永源寺は、高取焼のルーツ。小石原に移る前の古高取焼の窯はここにありました。
とにかく、レンタカーを活用して、ガンガンまわります。
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飯塚の朝です。
この遠賀川は、炭鉱で栄えた筑豊を象徴するような川。明治時代には、筑豊の石炭を川ひらたという船を使い若松へと運んでいたのですが、それは遠賀川と洞海湾を結ぶ堀川運河を経緯するもの。中間市付近から分かれていました。遠くに忠隈のボタ山が見えて、これこそ筑豊を象徴する風景でしょう。 -
イチオシ
ただ、かつて、筑豊にはボタ山がいくつもあったのですが、ボタ山のボタが焼けると軽い石のようになって、これが資源としての利用価値があることから、その利用が進み、ボタ山は急速になくなっていったのだそうです。今飯塚市に残る唯一のボタ山である忠隈ボタ山は保存されたものです。
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さて、飯塚の市街地図。長崎街道の位置を確認します。
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なるほど。
この商店街が長崎街道だったんですね。 -
商店街の手前にあるのが曩祖八幡宮。
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ここは、古事記に書かれた神功皇后の三韓征伐に因んだいわれがあります。
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内容は三韓征伐の帰途、ここで長年従った九州の臣たちと別れを惜しんだというもの。
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そして、この時、人々が「またいつか尊顔を拝し奉らん」と言った、その「いつか」が「飯塚」の名の由来ともいうのです。
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ここも九州。やっぱり大陸とのつながりが深い場所であることを強く感じざるをえません。
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さて、ここからはレンタカーの旅。
まずは、王塚古墳です。ここは、福岡県嘉穂郡桂川町。国道を走ると桂川町は古墳の町といった看板があって、かなりのアピール度です。
予備知識なしで立ち寄ってみたのですが、古墳は前方後円墳。周囲は囲まれていますが、そばに近づくことはできます。 -
王塚装飾古墳館は、王塚古墳の傍らにあり、王塚古墳の学術的な意味を解説するためだけの博物館なのですが、かなりりっぱ。
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しかし、展示内容を見るとそれだけの価値が確かにあることがわかりました。古墳は6世紀中ごろに造られたもの。
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レプリカの古墳が展示されていましたが、5色の壁画は幾何学的文様で、石室内のほぼ全面に描かれていてとても見事です。キトラ古墳や高松塚古墳と並んで日本の特別史跡となっただけのことはあると感じました。
なお、装飾古墳は熊本が有名なんですが、これも大陸とのつながりを感じさせられるものですね。すばらしいです。 -
さて、先に進んで、ここが第一の目的の内野宿です。
小倉と長崎を結ぶ長崎街道には25の宿場町があり、そのうち、筑前国には6つの宿場があって筑前六宿と呼ばれましたが、内野宿はその一つ。昔の名残を比較的よく留めているとされています。
宿を開いたのは、黒田節で有名な母里太兵衛。そして、母里太兵衛を助け、直接の任に当たった人物が内野太郎左衛門。福岡藩の歴代の藩主は度々内野宿を本拠にして狩りをしたのだそうです。
確かに、現地は小さな集落ですが、所どころに標識もあって、宿の大きさ等がよく実感できます。 -
長崎街道から、宿の中央から大宰府へ分かれる道があって、宿はT字の形。そのT字の角にあるのが内野宿展示館。小さな施設ですが、大型ビジョンによる長崎街道の紹介や内野宿の資料展示があります。
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本陣跡の方に向かいます。
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途中には、標識も。
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そして、内野宿のシンボルともいえるのがこの大いちょう。
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イチオシ
元は、夫婦の銀杏だったのですが、日当たりが悪くなるということで、一つは切られてしまいました。残念ですが、それでもこの雄姿。内野の歴史を見守ってきた銀杏です。
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もう、秋の気配。
栗が大きくなってきているし、 -
彼岸花も今が盛りでした。
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こちらの宗賢寺は、内野宿にある古刹。線路の脇の参道を少し登った先です。
境内には、内野宿の開発の任に当たった内野太郎左衛門重信の墓がありますが、重信は、黒田長政公の死去を悲嘆し、公の菩提を弔うため剃髪し、ここに隠遁したとされています。 -
こちらは、長崎屋。
オランダ商館医師シーボルトや日本地図を作った伊能忠敬、坂本龍馬もここを通った内野宿では、この長崎屋は比較的りっぱな施設です。平成16年に休憩施設として開館されました。歴史を伝える資料も展示しています。 -
この内野老松神社は宿場の南端。ここまで来ると、内野宿の散策は終了です。
なお、神社の起源は鎌倉時代中期。菅原道真を祀ります。 -
飯塚市内に戻りがてら寄ったのは大将陣公園。
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標高112mの丘陵地に作られた公園で、ここから忠隈炭鉱のボタ山がきれいに見えるということで期待して行ったのですが。。
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忠隈炭鉱のボタ山自体は、飯塚市内からでもよく見えたので、それはそうでもないかも。
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イチオシ
ただ、飯塚の町や周囲の地形全体が見渡せるので、ボタ山のある風景を全体として感じるにはここでないと難しいということだと思います。
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次に向かったのは、飯塚市の郊外に残るこの巻き上げ機台座/三菱飯塚炭鉱です。
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幅13.5m高さ12mの台座が二機残っています。筑豊地方でも最大級の巻き上げ機台座で、大正時代に作られたもの。炭鉱の坑内に資材などを送ったり掘り出した石炭を地上に搬出する、トロッコを引張るためにロープを巻き上げる機械の台座として使用されました。
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イチオシ
こちらの台座は痛みが激しいですが、その分、迫力がありますね。
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なお、上部は残っていませんが、蒸気の力で動いていたようです。
いや、これは見るべき遺産。回って正解でした。 -
飯塚市内に戻って嘉穂劇場。ここは、炭鉱の町飯塚に残る大衆演劇の劇場として全国的にも有名です。
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前身は大正11年に開場した株式会社「中座」ですが、火災や台風で何度か被害を受け、現在の建物は、平成16年に復旧されたもの。
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明治、大正時代の趣を残す昭和6年に再建された当時の建物のままとなっています。
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内部の見学は、舞台から、観客席、
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奈落に、
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ここで公演された出し物を解説する資料館など。
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建物は比較的シンプルですが、
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時代を経て
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愛され続けてきた劇場の歴史に思いを馳せました。
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これは、全国に残る劇場。いくつか行ったことがある劇場もありますけど、まだまだ行っていないところも多いような。これからまた機会があれば回ってみたいですね。
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当時の面影はほとんど残されていませんが、現在の本町商店街がかつての長崎街道。お店も開いているので、今度は行ってみましょう。
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歌人白蓮想は、東町商店街の一角にある無料の小さな町中資料館。
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しかし、中に入ると、柳原白蓮の遺品や書籍、掛軸、写真などの資料がぎっしり展示されていて、歌人白蓮という女性は、単に伊藤伝右衛門との関係で理解すべき人ではないと気づかされました。一見の価値ある施設です。
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と、ここからカラクリ時計に向かいます。
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急げ、急げ。時間が迫っています。
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からくり時計は、飯塚が長崎街道であったことを記憶にとどめるメモリアル施設。10時から18時の毎正時に作動します。
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おー、動き出しましたよ。
時計が割れて背後から象・馬上に乗った武士・西洋人が現れ、その前を大名行列が進みます。長崎街道は象・らくだも通ったそうで、異国情緒が漂う姿です。この音楽もいい感じです。 -
そばにあったお菓子の「ひよこ」。商品は、見上げているようなひよこの形で知られます。白インゲンで作った黄身餡を小麦粉と卵の皮でくるんでいて、優しい味わい。全国的にも知られたお菓子ですが、そのルーツは飯塚。かつての長崎街道だった、本町商店街の一角にあるこのお店が本店です。
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ちなみに、長崎街道は、シュガーロードとも言われた道。街道沿いにこうしたお菓子屋さんがいくつも出来て、この飯塚から大きくなったお店としては、千鳥屋とひよこが双璧です。
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さて、千鳥屋さんはどこでしょう。
と、千鳥屋の本店を探して歩いていて目に止まったのが、こちらの味覚焼。
地元のファンと思しきお客さんが出たり入ったりして、けっこう人気のお店のよう。店先で眺めていたら、そのお客さんの一人がぜひ食べてみたらと声をかけてくれたので、立ち寄ることに。 -
タコのないたこ焼きといっていましたが、ねぎの香りがとっても良くて、ねぎ焼きみたいな味だと思います。魚粉をたっぷり掛けた地味な味なんですが、なんか印象に残る味わいですね。
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千鳥屋は全国あちこちにあって、メジャーなお菓子屋さんに成長しましたが、その本店が、この飯塚のお店です。飯塚は長崎街道沿いの宿場町。長崎から江戸に向かって、大量に砂糖が運ばれたこともあって、福岡ではこの長崎街道沿いにルーツを持つお菓子屋さんが多いんです。といっても、その最右翼がここでしょう。
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お店で雑談をしていたら、本宅の方も見て行きませんかと、奥の客間とかを見せていただきました。
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玄関を入って二階に上がるとひな祭りや
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曲水の宴の人形などが飾られた日本間に、千鳥屋の歴史の資料の展示などもあって、
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イチオシ
さすがに歴史の重さを感じることができました。
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さて、車に戻って、こちらは飯塚市歴史資料館。
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長崎街道の宿場町だった飯塚宿のことや石炭産業で栄えた飯塚の歴史を知ろうと思って訪ねたのですが、内容はもっと壮大なもの。
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イチオシ
古墳時代から、律令制度の時代、その後の鎌倉・室町時代から説き起こして、しかも、それぞれの時代に関連した飯塚市内の史跡を紹介するビデオは圧巻。太古の昔から大陸との関係もあった土地柄であることもよく分かりました。これだけの整理をされた資料館の皆さんに深く敬意を表したいと思います。
なお、この資料館の前が麻生太郎氏の御実家。麻生家は、筑豊の大財閥。五大炭鉱王と言われますが、麻生と安川だけは財閥と呼ばれ、さらに別格の扱いです。 -
旧伊藤伝右衛門邸に向かう途中に寄った勝盛公園です。
大正14年に開設されて、桜やツツジの名所とのことですが、それ以上の特に歴史的なものはないようです。ただ、池を中心にしてけっこう美しい景観で、家族連れの散策には気持ちがよさそうな公園でした。 -
さて、これが今日のハイライトとなる旧伊藤伝右衛門邸。
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ここは、幸袋といって飯塚の中心部からは3キロくらい離れている場所なので、やはりレンタカーが便利です。ここは、ちょっと不便だなあと思ったのですが、伊藤伝右衛門が生まれた場所なのだそうです。
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ちなみに、伊藤伝右衛門は、貝島太助・麻生太助・安川敬一郎・堀三太郎とあわせて、「筑豊の五大炭鉱王」。炭鉱経営で巨万の富を築き、 衆議院議員にも当選します。
この表札は麻生太郎氏の筆によるものです。 -
玄関から、
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そのまま庭の方に回ってみます。ほー、芝生の向こうに日本庭園。むしろ、規模の大きさに合わせた自然な設計です。これだといやらしさがないでしょう。
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建物との
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バランスがとてもいいですね。
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イチオシ
日本庭園を横から見たところ。
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こちらは、日本庭園から建物を見た眺めです。なるほど、なるほど。
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こちらは、白蓮さんの遺品を展示した建物。中は撮影禁止です。
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イチオシ
そして、いよいよ玄関から中に入ります。入ってすぐにある洋式の応接室。明治時代にはこうした和洋折衷が定番ですよね。
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まっすぐに伸びる廊下に沿って、
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広間が並びます。
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それぞれの広間からは、
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こうして、庭が眺められる。
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どの間も、
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庭園は正面のような眺めです。
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どれも、大きい部屋ですが、
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自然な感じ。これだけ大きな部屋だと殺風景になったり、威圧感があったりするものなのですが、この雰囲気は住まいとしての寛ぎの空間といった空気が感じられます。
伊藤伝右衛門さん、なかなかやりますね。こうした雰囲気は施主の好みがしっかりしていないとでないんじゃないでしょうか。 -
こちらは二階。伊藤伝右衛門で有名なのは、再婚した歌人白蓮との関係。大正天皇のいとこであり、華族の娘でもある白蓮が暮らした部屋がこの二階です。
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広大な庭を見下ろして、開放感のある数寄屋作りの軽快な作りがいいですね。
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玄関を出て、さっきの応接間の外窓。このデザインも、何気にすばらしいですね。
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こちらは、門の脇にある白蓮ショップ。元は、自動車を入れていた車庫だったという場所を改造したものです。
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やはり、白蓮は、白蓮自身が人気があるので、こうしたショップが成り立ちます。置いているものは、お菓子とか小物ですが、なんかプレミアムが付くような感じを受けるのは私だけではないと思います。
東京の国立博物館では、特別展「京都―洛中洛外図と障壁画の美」を開催中ですが、出品されている龍安寺の狩野永徳ほかの手による障壁画は、一時、伊藤伝右衛門が所有していたと紹介されていて、これにはびっくり。貧しい家の出で、字が書けない人だったとかもいいますが、センスは間違いなく一級品でしょう。
これで、飯塚はおしまい。後半戦の上野焼に向かいます。 -
上野焼(あがのやき)は、田川地区。赤池町という場所になります。
上野焼陶芸館は、上野焼の窯元が集まる地区の中心施設。 -
地区内の窯がここに商品を置いているので、訪ねてきた人はここで自分の好みの窯をある程度絞ってから窯歩きをするという趣向です。
ちなみに、この地区へは赤池駅より福祉バス「上野の里ふれあい市」バス停下車という行き方があるのですが、これだと地区を歩いて回らないといけないし、たっぷり一日かかってしまいます。なので、今回はレンタカーで訪ねましたけど、それでもかなりの時間がかかりました。窯元巡りは、どっちにしても結局そのようなものかもしれません。 -
まず訪ねたのは城之窯。上野の里ふれあい交流会館の向かいです。上野焼の窯元が集まるこの地区の一番入口に当たります。
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大きな看板に、
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展示場は母屋をいっぱいに開け広げた明るい畳の間。
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大きな壺や普段使いの食器まで大量に置かれていますが、自分の家で見ているような感覚で品定めができるので、それも楽しめる窯だと思いました。
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こちらの天郷窯は、上野の里ふれあい交流会館の裏手。上野焼の窯元が集まる地区の入口付近です。上野焼は、なぜか構えの大きな窯が多いのですが、ここもそんな窯。
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立派な展示室があって、入ると緑釉の器を中心に大きな作品から小さな器まで取り揃えてありました。商品のタイプも含めて上野焼では標準的な窯だと思います。
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少し奥の青柳不老園は、赤池の上野焼では一番規模も大きいし、それなりの評価も受けている窯だと思います。
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大きな石垣に囲まれたお屋敷のような邸内に入ると、母屋が展示場になっていて、縁側から上がって見させてもらいます。
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上野焼は多彩な色も特徴なのですが、表現された色彩はどれも深みがあって美しいです。
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この青も深みがあって、美しいですね。
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清山窯は、上野焼の里、赤池では比較的小さな窯で目立ちませんが、平成16年に日本工芸会正会員に認定された正統派の窯。
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イチオシ
話をうかがっていても、いろんなところにこだわりがあって、使い手の側に立った姿勢が強く感じられます。今回は久しぶりの訪問です。上野焼は緑釉が特徴ですが、私はこの窯の総緑の色が一番気に入っています。
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八幡窯は、赤池の中ほどにある窯。
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窯によっては、作る方に専念してあまり販売の視点がないところも多いのですが、ここはこうやって使ってはどうかといった提案型の展示がすばらしい。私は総緑が好きなので、それを中心に見て回っていたのですが、これもこうした提案がないとなかなかそのよさがイメージできないものなので、ここの姿勢には好感を持ちました。
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高田湖山は、この辺りでも一番奥の方。私のごひいきにしている窯元です。初めてうかがった時、とにかく、まずはその形の美しさに目が奪われました。
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この作品それぞれがどれも素晴らしいです。
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イチオシ
このタケノコの辰砂の鮮やかさ。高麗青磁でも最盛期にはこの辰砂を使った華やかな作品に象徴されます。鶏の血の色をイメージした発色を目指したのですが、この作品もそんな感じ。ここの窯は、何を焼いてもレベルが高いんです。
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ちなみに、私の持っているのは二種類の土を混ぜた練り込みの花瓶。「もくすり」と言うんですが、これがこの窯の自慢の作品。ろくろで引き上げるのですが、一発で引き上げないと、景色が崩れるので、熟練の技が必要。土の質も一番いいものを使うとのことでした。以来、大事に使っております。
お茶をいただきながら、先般お亡くなりになったそうですが、先代の女将さんに勧められて買わせてもらったことなどを懐かしくお話しいたしました。 -
高田窯で気分がすっきりしたところで、小石原からの課題だった高取焼のルーツ。直方の永源寺へ向かいます。
まずは、永満寺窯です。高取焼は小石原にあるのが知られていますが、永満寺は、初めて高取焼が焼かれた古高取の時代に窯元があった場所なんです。小石原はその後に移った場所です。 -
高取焼の窯元は、全国でも20軒くらいだろうということですが、直方には、そのうち3軒。ここもそのうちの一軒です。
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まだ若いご主人でしたが、話を伺うととても研究熱心な方のよう。
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多彩な色使いがとても新鮮でした。
正直言えば、ちょっと、目が慣れないのでしばらく馴染めませんでしたが、焼き物はそういうもの。パッと見た感じとしばらく見ていて受ける感じの両方をちゃんと評価しないといけません。食器がほとんどなかったので、今回は、ここにこういう窯があるということを確認しただけでOKとしましょう。 -
続いて高取焼工房 末吉宏光へ。ここも、直方にある高取焼の窯元の一つです。永満寺窯から車ですぐなのですが、入口の道がけっこうデコボコ道。心細くなりながら辿り着きました。
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工房を拝見すると、作品の数は少ないのですが、力強さや美しさを大胆に表現した作品が多くて、見応え十分。
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工房の薄暗い中で見た分、高取焼の輝きが余計に際立っていたように思います。一見の価値ある窯だと思います。
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こちらは、浩窯。ここも高取焼です。
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工房に入ると、金属のように銀色に光る器がいくつかありました。高取焼には見えなかったのですが、強還元焼で焼いたものだとか。土も黒くなるし、別物のようになるんだとか。
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しかし、見ているうちに、やっぱり高取焼の美しさが見事に表現されていて、長年の研鑽の賜物のように感じました。
以上で高取焼はおしまい。
なるほど。地味な趣向に進化した小石原と違って、原点に返ったような作品が目立ちました。やっぱり来てみて正解。大変勉強になりました。ちなみに、福岡市内には亀井味楽窯というのがあって、こちらも洗練された美しさが抜群。私の持っている高取焼は、味楽窯の湯のみ。高麗茶碗の姿を映して、明るい青い釉薬の溶けが素晴らしいんです。こうして、目を肥やさないといいものには気が付かないし、決して巡り合いません。積み重ねが大事なんです。 -
レンタカーの返却は直方です。急ぎましょう。
と、近津神社は、直方市の郊外。景行天皇の治世下、熊襲征討のため入国した日本武尊がこの地を訪れ、土豪大兄彦が献じた御神器の弓矢をこの地に鎮祭。玉体を近くに守り給うとの意をもって、近津大神と称したとされます。 -
りっぱな境内です。
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後は、晩飯を食って、寝るだけ。晩飯はどこにしましょうか。
弦家は、直方の明治町商店街の中。7時過ぎで、もうシャッターが閉まって閑散としている商店街の中で、ここだけ煌々と明かりがついていました。 -
そういう意味だとあまり期待せずに入ったのですが、ここのラーメンはびっくりするくらいうまいです。博多ラーメンですが、今まで食べた博多ラーメンの中で、ここが一番かも。出汁のすっきりした味わいに細めの麺。味玉も、すべて完璧。私は、博多で二年住んでいたのですが、これくらいおいしいラーメンはちょっと思い出せません。今でも不思議な感じがしています。
さて、明日は最終日。直方から田川の産業遺産を中心に回ります。
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この旅行記へのコメント (3)
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- bangkokdaisukiさん 2025/11/20 23:00:02
- すばらしい!!!
- 巻き上げる機械の台座も本当に良い写真です。
飯塚 が いつか から来ていたとは!
あと、奈落 奈落の底 ですね。 こんなところまで見れてうらやましい。
今はクローズしているので中見れないからなあ、だから行く予定から外していました。
- たびたびさん からの返信 2025/11/21 00:14:21
- RE: すばらしい!!!
- bangkokdaisukiさん、コメントありがとうございます。お持ちの興味と重なったことが大きいと思いますが、筑豊の素晴らしさが伝わったようで何よりです。
ところで、炭鉱の町は九州だと筑豊だけではなくて、熊本の三池炭鉱とか長崎の端島とかあちこちにあります。北海道も夕張とか数が多いし、福島の常磐もかなり大きな炭鉱でした。それらは既に閉山して久しいのですが、閉山の理由は掘り尽くしたからというだけではない。むしろ、まだ埋蔵量はあるのに採算が取れなくなったから。で、この採算性というのは直接的には円高ということ。しかし、では円安が極端に進むとまた復活するかというとそれはない。今や事故で死んだりする危険な仕事はやる人がいませんからね。黒部ダムの美談もそれは昔だったから。今は絶対にありえないことだと思います。つまり、そうやって、知らないうちに日本の産業構造は高付加価値の産業に構造転換してきた。幸運な道を辿ってきたということですね。公害なんかもある面は同じ種類の幸運かな。日本は公害を克服したと理解されているかもしれませんが、その大半は炭鉱やそれに関連するダーティな産業が日本になくなったから。後進国にその付けを回しているだけの面も小さくないと思います。
筑豊の旅は、その後、何度も行っていますが、いつも新たな思いが湧いてきます。日本とは何か。日本人とは何か。私のテーマに大いに刺激を与えてくれる場所の一つです。
たびたび
- bangkokdaisukiさん からの返信 2025/11/28 15:21:41
- Re: すばらしい!!!
- お返事ありがとうございます。
実は昨日まで大分で、たびたびさんの仰っていた2本の煙突を偶然 新飯塚から小倉に行く(途中乗り換え)際に 電車から見ることができて 大興奮でした! しかもその駅には 炭鉱の絵が貼られていたのですが、なんとそれらの絵が旧伊藤邸で展示イベントで見ることもできました。とても面白い絵で写真が取れないのが残念でした。
あの2本の煙突には本当に大感激でした!ゆっくりと見たく一瞬駅から降りることも考えたのですが、次の電車がいつ来るのか見当もつかず、次回のお楽しみに回しました。
(こんな感じのことを当日興奮のあまりここに書いたかと思ったのですが、今見たら投稿されておらず、再度書き込んでいます)
本当にありがとうございました。あ、数年前になりますが 端島も行ってきましたが本当にあれも感動しました!
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