2013/10/09 - 2013/10/09
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TraveLEDさん
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今年の春、八達門から西回りで華城を見学した。そのときは、華虹門で挫折して、昼食をとって帰った。
そこで、今回は八達門から東回りで見学をした。
秋晴れのとても心地よい日である。
10月9日は「ハングルの日」で、今年から休日として復活した。
リュックを背負ったアジョッシやアジュンマが元気にハイキングをしていた。
-
【八達門】
66−4番のバスに乗った。キャッスルホテルは9時30分ころ。
10分ほどで、八達門に到着。
ここは前回に見たので素通り。 -
前回とは反対側の東方向へ行く。
-
いろいろ店がある。この辺りは市場である。
-
【南水門】
やや行くと、水門に到達。ここから城壁である。
水原川が華城内を横切っていて城壁と交わる部分の下流側の水門である。上流側が華虹門である。
1796年に完成した。しかし、1946年の洪水で壊れた。1848年に再建されたが、1922年の洪水で再び流失した。
かなり、役立たずのようだ。
1927年そして日本によって撤去された。
2010年から復元工事を行い、2012年に完成した。
したがって、全く新しい構造物である。 -
これは、水門の説明文であるが、奇妙である。
1927年に撤去されたのだが、わざわざ、「日帝強制占領期の1927年」と書かれている。単に、「1927年」と書けばよいと思うが。
洪水によって崩壊した用をなさない壊れた水門を撤去したのは当たり前のことだと思うが。
この説明文は、韓国語、英語、中国語、日本語で書かれている。
韓国語では、「日帝強占期」と書いてある。韓国内での韓国語の説明なので、何と書こうが自由である。
英語では、「during the Japanese occupation」とあり、帝国と強制が抜け落ちている。
中国語では、「日本帝国主義強占時期」となっている。日本という国家より、そのイデオロギーに重きをおいているのか?
そして、日本語では「日帝強制占領期」となっている。
まず、日本語に翻訳するのであれば、日本で普通に使われている語彙を使用すべきだろう。ここで政治的な主張をするのは場違いに思われる。 -
【東南角楼】
角楼は城郭の比較的高い位置に建てられた監視と休憩のための軍事施設である。非常時には角方面の軍事指令所としての役割も果たした。東南角楼は4すの角楼のうち、最も視界が開けていて遠くまで四方を見渡せる。南水門方面の守備を強化するために南空心墩と向い合せの形で軍事指揮ができるように建てられたらしい。
軍事施設とは思えないカラフルさである。 -
獅子のような絵が描かれている。デザイン的には面白い。
-
【東三雉】
一定の距離を置いて、外側に突出するような形で作られた施設を雉という。全部で10個あるうちのひとつ。 -
城壁の内側を歩いていく。
-
やってはいけないことの看板だと思うが。
左下の絵は、リードをつけて散歩させてはいけないように思えてしまう。
韓国人の知り合いに写真を見せて聞いてみたら、やはりおかしいという。しかし、よくあることだとも言っていた。
誰も気にしたりしないらしい。
書いてあることはその逆なのだが。
1万円近くも罰金を取るというのなら分かりやすい絵にしてもらいたいなんて思うのは外国人だけなのかな。 -
【南二舗楼】
城壁が外部へ張り出した構造の「雉城(雉)」の上に立てられた木造の建物。兵
士が交代で見張りなどをしていた場所である。華城には5つの舗楼がある。この
舗楼は1796年に完成したらしい。東三雉と烽墩(のろし台)の間にあり、烽火台
を警護するために建てられたらしい。 -
【烽火台】
5本の煙突がある建物。これで敵の様子を司令部へ伝達したらしい。5本の煙突
があるのは、煙の本数によって、状況を伝達するためである。異常なしは1箇所
から、敵を発見すると2本、敵が国境に達すると3本、国境を越えると4本、戦
闘が始まると5本ということだ。
東二舗楼の隣に位置する。 -
とてもユニークな形をしている。
中に入ったり、覗いたりはできなかった。 -
公衆トイレ。
外見もユニーク。
中は綺麗だ。 -
【東二雉】
前方・左右から接近する敵や城壁づたいに侵入しようとする敵を防御できるよう
、城壁が外部へ張り出した構造の施設を「雉」と呼ぶ。ほぼ一定の間隔で設置さ
れていて、方角と番号によって識別されている。「雉城」と書いてチソンとも言
うらしい。名前の由来は、雉が隠れて敵の動向を観察することに長けているから
だそうだ。
烽墩(のろし台)の隣に位置する。 -
【東砲楼】
砲台である。城壁が外部へ張り出した構造の「雉城(雉)」の壁を高くして、屋
根を設け、大砲を使える構造にしたものである。しかし、屋根は木造で、内部の
梁には彩色された模様が描かれている。華城には5つの砲楼があり、そのひとつ
。1796年に完成した。
東二雉の隣に位置する。 -
【東一雉】
更に雉。
華城に雉は10個あるが、これは
東砲楼の隣、125歩に位置する。 -
このような石の標識が置かれているが、韓国人には読めない人が多いらしい。
-
【東一舗楼】
城壁が外部へ張り出した構造の「雉城(雉)」の上に立てられた木造の建物。兵
士が交代で見張りなどをしていた場所である。華城には5つの舗楼がある。この
舗楼は1796年に完成したらしい。位置的には最も東にある舗楼である。
東一雉の隣に位置する。 -
【蒼竜門】
華城の東門である。規模と形は華西門に似ている。陰陽五行でいう方位と色彩哲
学で、5つの方位には5つの正色があり「東は青色・西は白色・南は赤色・北は
黒色・中央は黄色」である。各色には、蒼龍、白虎、朱雀、玄武、蒼龍があてら
れているが、この門は東門なので「蒼龍門」である。しかし、このような名付け
をされたのはこの門だけである。この門は、朝鮮戦争で門楼とアーチの門が消失
したが、1975年復元されたそうだ。門の左には築造に参加した人々の名前が書い
てあるらしい。東一舗楼の隣に位置する。 -
門の正面。
-
【東北弩台】
弩(大型の弓)を発射するための施設である。華城には西弩台と東北弩台の二つの弩台がある
。設置されていた説明には、多連発式の兵器とあるので、連弩を意味していると
考えられる。どのような連弩が用いられていたのかは説明がなかったが、弩台に
長い縦のスリットがはいっているので、縦に並べた複数の弩を足元のペダルで連
射するタイプの連弩が用いられたのかもしれない(想像)。城壁の上にレンガを
積んで作られている。蒼龍門の隣にある。 -
【東北空心墩】
華城には3つの空心墩があり、そのひとつ。敵の様子を監視するための望楼であ
る。1796年に完成した。レンガで作られていて、内部にはレンガの螺旋階段があ
る。特徴のある形をして、見通しの良いところに建っているので目立つ。ライト
アップされていて夜もきれいである。空港リムジンバスの経路などからも見える
。東北弩台の隣にある。 -
これは遠くから見ると、小高いところにぽつんとあり、よく目立つ。
-
【東将台(練武台)】
将台とは、城郭一帯を見下ろしながら、駐屯する壮勇外営(親衛隊)の兵士らを
指揮していた総指令所で、西将台と東将台の2箇所がある。1795年に完成した。
武芸の修練も行われたので練武台とも言われる。舗楼を大きくしただけのように
見える。つくりはどれも同じような感じ。東北空心墩の隣にある。 -
【練武台観光案内所】
龍の形をした華城列車の乗り場である。
無料のガイドツアーが毎正時にでている。 -
弓の体験ができる。30分毎に行われて、1回10本が2000ウォンと書いてあった。
-
売店
弓の体験場所の後ろには売店などがある。 -
【東暗門】
暗門は城郭の奥まった場所に、敵の目に付かないように作られた出入口で、人や
家畜が出入りし、軍需品を調達するために設けられた。華城には5つの暗門があ
る。1796年に作られた。煉瓦と石で作られている。城壁の施設の中では形状に変
化があるものである。実際に出入りできる。東将台の隣に位置する。 -
【北東舗楼】
城壁が外部へ張り出した構造の「雉城(雉)」の上に立てられた木造の建物。兵士が交代で見張りなどをしていた場所である。華城には5つの舗楼がある。この舗楼は1796年に完成した。東暗門の隣に位置する。 -
戸板らしいところの絵がユニーク。
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【北暗門】
暗門は城郭の奥まった場所に、敵の目に付かないように作られた出入口で、人や家畜が出入りし、軍需品を調達するために設けられた。華城には5つの暗門がある。1796年に作られた。東北舗楼の隣に位置する。城壁と連なった煉瓦造りとなっている。この形状は華城ではこの暗門だけである。 -
お城の秘密の出入口みたいなのって、何だかわくわくする。
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【東北角楼】
周辺の様子を監視し、軍事指令を出す司令塔としての機能と、周辺の自然環境と調和した東屋としての機能を兼ねている。1794年に完成した。独特な形状をした建物である。ここから柳などが植えられた庭園を望むことができる。 -
庭の眺め。
-
【華虹門】
今年の春には、西回りでここまで来た。
ここから川沿いに八達門の方に戻ったのだ。
今回は、ここから城壁の外側に出ることにした。 -
【北東砲楼】
外側から見る砲楼は高さがあって立派である。 -
【北東敵台】
敵台も立派である。 -
【長安門】
正門にあたる門である。
左右に敵台と砲楼を擁している。 -
天井には絵が描かれている。
-
【北西敵台】
-
【北西砲楼】
-
【長安門観光案内所】
案内所の位置が地図と違う。
移動したのか、例のよくあることなのか? -
【北舗楼】
-
【西北空心墩】
この辺りは工事をしている。 -
【西北角楼】
この辺りから城壁と道が離れてくる。
華城が山の上に上がっていくからである。 -
【西一雉】
城壁の施設が見えにくくなってきた。 -
山に入って行く道があり、チョッとしたハイキングができる。
-
山の方に行く石畳の道があり、何かしら書いてある。
-
薬水らしいが出ていない。
-
山道にわけいる。
-
城壁にたどり着く。
-
【西将台観光案内所】
少し行くと出入口になっている。
案内所がある。チケットも売っている。
ここは元々は門ではないところだったと思われる。 -
舗装道路を行くと京畿道庁。
-
暫く歩いてバス乗り場にたどり着く。
ここからはバスに乗った。
気持ちのいいハイキングだった。
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