2013/09/26 - 2013/09/26
207位(同エリア631件中)
玄白さん
巾着田の曼珠沙華(彼岸花)を見にきたついでに、近くにある高麗神社、聖天院に立ち寄ってきました。
巾着田がある辺りの地名や川の名前にある高麗(こま)というのは、百済、新羅とともに古代朝鮮半島にあった国、高句麗に由来します。
歴史書によれば、高句麗は旧満州から朝鮮半島北部に紀元前からあった遊牧騎馬民族系の国家でしたが、百済に続いて紀元668年(日本では天智天皇の時代)に唐・新羅より滅ぼされました。そのため、百済、高句麗からは大勢の渡来人が飛鳥時代後期、奈良時代初期に日本に逃れてきました。朝廷は、これらの渡来人を受け入れ、百済人は西日本に、高句麗人は東日本に千人単位の集落を作らせて住まわせたそうです。高句麗系渡来人集団のひとつが、この辺りに住み着き、武蔵国高麗郡を作ったのが716年だったそうです。その初代郡司「高麗王若光」を祭神として祭った神社が、高麗神社です。また、若光の菩提寺として751年に創建された寺が聖天院です。
そんな歴史を持つ寺社なので、境内では、現代の韓国との関係が濃厚に感じられ、日本古来の普通の神社仏閣とは違う独特の雰囲気が漂っていました。
帰宅途中で、もうひとつ古代史に関係するスポット、吉見百穴にも立ち寄ってきました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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参道の二の鳥居の横に立っている将軍標(韓国語でチャンスン)。朝鮮半島で、かつて村の境界のいたるところで見られた道祖神のようなものだそうです。
高麗神社の将軍標は、日韓国交正常化40周年記念で在日韓国人団体から奉納されたものだそうです。 -
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手水舎。これは日本古来の神社にあるのと変わりはない。
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本殿
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本殿の脇にはムクゲが植えられています。日本の神社の境内にムクゲが植えられている例は聞いたことがありませんが、ムクゲは韓国の国花であり、こんなところにも、韓国・朝鮮の雰囲気が漂っています。
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本殿の裏手にある高麗家住宅。高麗神社の代々の神職の住居として使用された建物。慶長年間に建てられ、当時の民家の形式を残している貴重な建築物として国の重要文化財に指定されています。
春、大きな枝垂れ桜が咲く頃には、良い風情になりそうです。 -
正面からみた高麗家住宅。現在の宮司は高麗王若光から数えて60代だそうですが、もちろん、ここで生活しているわけではありません。
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土間までは入ることができます。田の字型の4部屋からなる簡素な造りで、大黒柱がない構造です。表座敷には十五夜のお供えが飾られていました。
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住宅の裏手には、季節はずれのあじさいが一輪、さびしげに咲いていました。
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シュウカイドウも咲き誇っています
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社務所では、高句麗の古墳壁画から復元された朝鮮女性の衣装が展示されていました。
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高麗神社から5分ほど歩いたところに聖天院があるので、そちらにも行って見ます。
途中の民家の庭先に石榴がたわわに実っていました。 -
聖天院の正面入り口の雷門が工事中だったので、脇から入ります。小さな堂が建っていました。高麗王廟です。
ここにも、韓国の国花ムクゲが植えられています。朝鮮民族にとっては、日本人が桜に抱く感性と同じようなものなのでしょうか。 -
中門。ここからは中に入るには拝観料¥300を払わなければなりません。
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境内には、よく手入れされた庭園があります。曼珠沙華が良いポイントになっています。
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白花曼珠沙華も植えられています。
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阿弥陀堂。室町時代に創建されたものだそうです。
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仁王像の後ろにあるのが本堂
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本堂。2000年に落成した新しい建物です。古い本堂は拝観料を払った中門あたりに立っていたそうです。
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本堂の東側に大きな石灰岩の塊があって、真ん中の仏像が彫られています。
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本堂の西側には、高麗王若光の銅像が置かれています。
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書院
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書院の前の庭の曼珠沙華
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自宅に戻る途中、比企郡吉見町にある吉見百穴を見学です。
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崖の岩肌にたくさんの穴が掘られています。実際には百穴ではなく、219個の穴があります。
この穴の正体は、古墳時代後期の墓穴です。古墳時代も終わり頃になると、大規模な古墳の造営は行われなくなり、小さな墳墓や、こういう横穴式墳墓に変わっていったようです。小さいとはいえ、岩肌に穴を掘るには、時間も労力もかかる作業なので、ここに埋葬された人達は、やはり権力・財力がある豪族クラスの人たちだったのでしょうね、 -
墓穴のひとつに珍しい光苔が自生しています。外光を受けて、キラキラと黄緑がかった黄金色に輝いているのですが、写真ではうまく表現できません。
写真の中で、明るい黄緑色の部分が光苔です。入り口には鋼鉄製の網戸が掛けられていて、小さな網目越しに撮影せねばならないので、どうしも網目が写りこんでしまいます。
大正5年に、この光苔が発見されたそうですが、当時は穴の大部分が光苔で覆われていたそうです。今は乾燥化と大気汚染の影響で、絶滅寸前のように見えました。 -
墓穴が掘られている崖には、太平洋戦争当時に掘られた地下軍需工場跡の洞穴が残っています。すべてではないですが、左右500mにおよぶ穴が公開されています。
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地下軍需工場の入り口。この地下工場掘削のために、古墳時代の墓穴のいくつかは破壊されてしまったそうです。
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俳人、正岡子規も、吉見百穴見物に訪れています。ここで詠んだ俳句の句碑が資料展示館の前に建てられています。
「神の代は、かくやありけん、冬籠」
古墳時代から奈良時代初期の古代史ロマンを感じつつ、帰宅の途につきました。
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