ユージノサハリンスク旅行記(ブログ) 一覧に戻る
8/23<br /> 目覚まし時計のアラームで目覚める。6時半。今日はユジノサハリンスク郊外のスタロドゥブスコエへのエクスカージョンである。9時にホテルのロビーでガイドと待ち合わせている。<br /> ところで電波時計である腕時計を見ると4時半である。通常であればここでなにか疑問を抱くべきところだが、そのときの私はなぜか無条件に腕時計のほうを信頼した。というわけで、まだ4時半じゃねぇか、とばかりに二度寝の快楽に身を委ねた。<br /><br /> 再び目覚めると7時だった。外はもう明るい。緯度が高いだけある。さて、朝食はどこで取ろう、と考えながらのんびり身支度をしているとドアがノックされた。<br />「ガイドのオリガです。9時のお約束ですが、どうしましたか?」<br /> 眼の前に立っているのは中年のほっそりしたロシア女性だが、その口から発せられるのは流ちょうな日本語である。一瞬、視覚と聴覚のギャップに脳が機能停止する。ていうか、いまは何時なのだ? とりあえず9時を過ぎてるらしいことは確かなようだが。<br /> ドアを閉じて少し落ち着いて今の状況について考えた結論によれば、結局のところ目覚まし時計が正しかったということだった。日本とサハリンの時差は2時間なので、前日にコルサコフに上陸したときに時計を2時間進めておいたのだが、私の時計は夜中に電波を拾って時間を修正する機能があるので、日本時間に戻ってしまったというところらしい。ていうことは、ユジノサハリンスクには電波時計の電波が届くというわけだ!<br /> 慌てふためいてロビーに降りる。ガイドのオリガさんが改めて自己紹介する。そして「さあ、まいりましょ」と車へ案内する。ドライバーはイーゴリさんという。見たところ紛れもない東洋系である。おそらく終戦後、サハリンに残された韓国・朝鮮系の人々の子孫なのだろう。普段はパイプラインの建設現場で働いているということで、道理で腕の筋肉がやたら発達している。27歳独身とのことだが、20歳前後で結婚することの多いロシアでは遅い方だという。<br /> スタロドゥブスコエに向けて車は走り出す。道中、オリガさんはいろいろ説明してくれる。いわく、サハリンは学校が11年制で大学が5年制、夏休みは学校が6〜8月の3か月で大学は7,8月の2か月。新学期は9月1日で、その日は教育の日といわれていて、生徒たちは花を一輪ずつ持って行って先生にプレゼントする風習なのだという。今はサハリンにもたくさんの大学があるが、オリガさんが学生だった15〜20年前は教育大学しかなかったので、オリガさんはハバロフスクの大学で経済学を学んだそうである。日本語はその後に学んだらしい。そして旅行会社に入ったが、ガイドの仕事は夏だけだという。まあ、冬にサハリンを訪れる日本人はそうはいないだろう。<br /> そうこう話しているうちに車は市街地を出て平野を貫く幹線道路を走っている。両側は農地と牧草地、疎林が交錯していて、その向こうには山並みが続いている。オリガさんによればサハリンではキャベツ、ジャガイモのほかトマト、キュウリがとれるが、コメや麦はとれないらしい。そしてかつてより農業に従事するロシア人は減って、その代わりに中国人が増えているという。<br /><br /> 車窓に家並みが増えてきたと思うと、ドーリンスクの町だという。日本時代は落合といわれていた。ここには王子製紙の工場があるということで案内される。といっても、巨大な建物群が残らず朽ちかけているだけである。工場としての機能はすでに停止して久しいが、ドーリンスクの町に温水を供給するボイラーだけは現役らしい。そのせいか、朽ちかけた建物の中にも人が住んでいるようで、窓にカーテンがかかっていたりする。そこらじゅうに野良犬がいる。<br /> ドーリンスクを出るとスタロドゥブスコエは数キロである。ところでスタロなんちゃらに行こうとした理由だが、今回サハリンに行くにあたっていろいろ調べていたら、どうやらスタロなんちゃらに宮沢賢治が旅をしていて、その記録が「宗谷挽歌」「オホーツク挽歌」のような詩として残っていると知ったからである。ちなみに賢治が旅をしたころのサハリンは樺太と呼ばれていた日本領で、スタロなんちゃらは栄浜という名前の町だった。<br /><br /> スタロなんちゃらに到着。家並みの向こうに海が見える。数階建てのアパートや役所らしい建物もあるが、全体的には木造の家がばらばらと立ち並ぶだけの小村である。車は海岸に沿った舗装道路から外れて細い砂利道を行くと、草原の中で止まった。ここがかつての栄浜の駅の跡だという。賢治が訪れたころはコルサコフ(当時は大泊)からの鉄道の北の終点だった駅で、賢治も当然降り立ったのだろうが、鉄道はとっくに廃止になって線路もはがされ、言われなければ駅の跡とはわからない。<br /> はっきり言って何の感慨もないまま歩き回っているところに、黄色い小型バスがやって来た。サハリンでよく見る路線バスの類かと思っていたら、乗客は日本人ばかりで、どうやらツアーのようである。よく見ると、稚内から同じフェリーでやって来た面々である。先方でも見覚えがあったようで、少し話をする。先方のツアーのガイドは年配の男性である。大学の先生ということで、日本語ペラペラである。オリガさんとも顔見知りらしく「私の彼女です」なんて言ってはオリガさんが「ちがいますちがいます」と否定している。<br /> と、黒いTシャツ姿のおじさんがやってきた。大学の先生ガイドが通訳してくれたところによれば、かつて駅があったころを知っているとのことである。鉄道は80年代に廃止されたが、ここ(と言って彼は足元のコンクリートの土台を踏んだ)には駅舎があって、私たちの車が入ってきた道は海に向かって線路があったとかいろいろ話している。その間、オリガさんは先方のツアーの女性たちにつかまっていた。<br /> やがてツアーの面々はバスに乗り込む。これから町の北側にある白鳥湖に行くという。白鳥湖は「銀河鉄道の夜」に登場する場所のモデルになったのではないかといわれているらしい。ツアーを見送った私たちは海岸に向かう。ぽつぽつと木造の家屋が並ぶ家並みの裏の浜辺で車は止まる。ここが「賢治が散策した浜辺」らしいが、弧状の浜辺のうち手前は岩がごつごつしているし、向こう側には岸近くに座礁した船が錆だらけのまま朽ちかけているし、えらく散文的な光景である。ちなみにここの浜辺はサハリンで唯一、琥珀がとれるらしい。よく見ると砂浜の部分には灰色の砂と石炭質らしい黒い部分がある。琥珀は石炭質のところで取れるらしい。たしかによく見ると茶色い半透明の細かい粒が簡単に見つかる。数ミリ程度の大きさのものばかりで大した価値はないのかも知れないが、数年前にサンクトペテルブルグのエルミタージュ宮殿で、巨額の費用をかけて復元したという琥珀の間を見た眼には、これだけの琥珀を外人の観光客に取り放題にさせているのはいささかもったいないのではないかと思ったりもする。<br /><br /><br /> ドーリンスクで昼食後、ユジノサハリンスクに戻る。市内のおもな見どころを巡る。町外れの栄光広場や樺太神社跡、ガガーリン公園を見た後、サハリン州立郷土博物館に行く。こちらは戦前は樺太庁博物館だったところで、建物も戦前のまま、どことなく愛知県庁舎に似た西洋建築に日本の城の天守閣の屋根を組み合わせたような不思議な建築物である。庭には噴水や花壇のほか、日露戦争で使われた大砲や、先住民のニブヒの家の再現や、日本時代の学校に会った奉安殿などがある。<br /> 中に入ると、1階はサハリンの自然や歴史の展示室である。ニブヒやアイヌの展示を見ていた時、唐突に照明が消えて真っ暗になった。どうやら停電らしい。そのうち復旧するかと思ってその場に立っていたがいつまでたってもつく気配がない。オリガさんの「ここは暗すぎます。いきましょ」という声のする方に手探りしながら歩いていくと、正面入り口にたどり着いた。ここは入り口かららしい薄明りでどうやら人影の判別がつく。オリガさんが2階へと階段をあがる。果たして2階の展示室は停電などしていないような明るい空間だった。といっても2階には停電がなかったわけではなく、天井の天窓から燦々と降り注ぐ太陽光で明るいわけである。<br /> 2階は近現代の歴史の展示スペースということで、ロシア帝国の流刑地時代、日本領だった時代、戦後のソ連時代、そしてソ連崩壊後という展示である。日本の敗戦前後、ポツダム宣言受諾直前に日ソ中立条約を破って樺太や千島列島に侵入したあたりの歴史はどのように記載されているのかとても興味があったのだが、展示を見る限りきわめてあっさりスルーしている。<br /> ホテルに戻る。今夜のノグリキ行きの列車のチケットを渡され、何くれとなく注意を受ける。オリガさんとしては、ロシア語もまともにできない日本人がこの先ひとりで旅行を続けるのが無謀に映るらしい。まあ、たしかに無謀には違いないが、交通手段も宿もすべて確保されているのだから、ある意味ツアー旅行と似たようなものである。だからそう心配しなくても大丈夫だと伝える。<br /> 夕食はホテル近くのカフェ?1という店に入る。ユジノサハリンスクには最高級のフランス料理店があるらしいが、こちらは間違いなくユジノサハリンスクで一番おしゃれな店である。内装も東京のちょっと凝った店と変わりないし、ワインリストはやたら充実しているし、メニューはロシア語より先に英語が大きく記載されている。もっともそのぶんお値段も高級で、鮭のフライが1100ルーブル、グラスワインが300ルーブルである。ちなみにドーリンスクでのキャベツのサラダ、茸のスープ、ハンバーグのライス添えの昼食は合計250ルーブルだった。<br /> ホテルに戻って荷物を持って駅に向かう。北に向かう列車はすでにホームに止まっている。13両編成ですべて寝台車である、それぞれの車両の前には女車掌が控えていて、チケットとパスポートを確認されて、ようやく車内に入ることができる。<br /> 寝台は2段ベッドが向い合せの4人個室である。私の同室は中年の男女である。ちなみにロシアの鉄道では、寝台の部屋割りに男女の区別はしないらしい。ガイドブックによれば、どうしても嫌な場合は車掌に交渉すれば部屋替えができないことはないらしいが、同室の中年女性は特に気に留めていない様子で、私の寝台のベッドづくりを手伝ってくれた。<br /> 8時45分、定時に音もなく列車は動き出した。

サハリンに行ってみた(2)賢治も訪れた浜辺へ

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2013/08/22 - 2013/08/27

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jsbach

jsbachさん

8/23
 目覚まし時計のアラームで目覚める。6時半。今日はユジノサハリンスク郊外のスタロドゥブスコエへのエクスカージョンである。9時にホテルのロビーでガイドと待ち合わせている。
 ところで電波時計である腕時計を見ると4時半である。通常であればここでなにか疑問を抱くべきところだが、そのときの私はなぜか無条件に腕時計のほうを信頼した。というわけで、まだ4時半じゃねぇか、とばかりに二度寝の快楽に身を委ねた。

 再び目覚めると7時だった。外はもう明るい。緯度が高いだけある。さて、朝食はどこで取ろう、と考えながらのんびり身支度をしているとドアがノックされた。
「ガイドのオリガです。9時のお約束ですが、どうしましたか?」
 眼の前に立っているのは中年のほっそりしたロシア女性だが、その口から発せられるのは流ちょうな日本語である。一瞬、視覚と聴覚のギャップに脳が機能停止する。ていうか、いまは何時なのだ? とりあえず9時を過ぎてるらしいことは確かなようだが。
 ドアを閉じて少し落ち着いて今の状況について考えた結論によれば、結局のところ目覚まし時計が正しかったということだった。日本とサハリンの時差は2時間なので、前日にコルサコフに上陸したときに時計を2時間進めておいたのだが、私の時計は夜中に電波を拾って時間を修正する機能があるので、日本時間に戻ってしまったというところらしい。ていうことは、ユジノサハリンスクには電波時計の電波が届くというわけだ!
 慌てふためいてロビーに降りる。ガイドのオリガさんが改めて自己紹介する。そして「さあ、まいりましょ」と車へ案内する。ドライバーはイーゴリさんという。見たところ紛れもない東洋系である。おそらく終戦後、サハリンに残された韓国・朝鮮系の人々の子孫なのだろう。普段はパイプラインの建設現場で働いているということで、道理で腕の筋肉がやたら発達している。27歳独身とのことだが、20歳前後で結婚することの多いロシアでは遅い方だという。
 スタロドゥブスコエに向けて車は走り出す。道中、オリガさんはいろいろ説明してくれる。いわく、サハリンは学校が11年制で大学が5年制、夏休みは学校が6〜8月の3か月で大学は7,8月の2か月。新学期は9月1日で、その日は教育の日といわれていて、生徒たちは花を一輪ずつ持って行って先生にプレゼントする風習なのだという。今はサハリンにもたくさんの大学があるが、オリガさんが学生だった15〜20年前は教育大学しかなかったので、オリガさんはハバロフスクの大学で経済学を学んだそうである。日本語はその後に学んだらしい。そして旅行会社に入ったが、ガイドの仕事は夏だけだという。まあ、冬にサハリンを訪れる日本人はそうはいないだろう。
 そうこう話しているうちに車は市街地を出て平野を貫く幹線道路を走っている。両側は農地と牧草地、疎林が交錯していて、その向こうには山並みが続いている。オリガさんによればサハリンではキャベツ、ジャガイモのほかトマト、キュウリがとれるが、コメや麦はとれないらしい。そしてかつてより農業に従事するロシア人は減って、その代わりに中国人が増えているという。

 車窓に家並みが増えてきたと思うと、ドーリンスクの町だという。日本時代は落合といわれていた。ここには王子製紙の工場があるということで案内される。といっても、巨大な建物群が残らず朽ちかけているだけである。工場としての機能はすでに停止して久しいが、ドーリンスクの町に温水を供給するボイラーだけは現役らしい。そのせいか、朽ちかけた建物の中にも人が住んでいるようで、窓にカーテンがかかっていたりする。そこらじゅうに野良犬がいる。
 ドーリンスクを出るとスタロドゥブスコエは数キロである。ところでスタロなんちゃらに行こうとした理由だが、今回サハリンに行くにあたっていろいろ調べていたら、どうやらスタロなんちゃらに宮沢賢治が旅をしていて、その記録が「宗谷挽歌」「オホーツク挽歌」のような詩として残っていると知ったからである。ちなみに賢治が旅をしたころのサハリンは樺太と呼ばれていた日本領で、スタロなんちゃらは栄浜という名前の町だった。

 スタロなんちゃらに到着。家並みの向こうに海が見える。数階建てのアパートや役所らしい建物もあるが、全体的には木造の家がばらばらと立ち並ぶだけの小村である。車は海岸に沿った舗装道路から外れて細い砂利道を行くと、草原の中で止まった。ここがかつての栄浜の駅の跡だという。賢治が訪れたころはコルサコフ(当時は大泊)からの鉄道の北の終点だった駅で、賢治も当然降り立ったのだろうが、鉄道はとっくに廃止になって線路もはがされ、言われなければ駅の跡とはわからない。
 はっきり言って何の感慨もないまま歩き回っているところに、黄色い小型バスがやって来た。サハリンでよく見る路線バスの類かと思っていたら、乗客は日本人ばかりで、どうやらツアーのようである。よく見ると、稚内から同じフェリーでやって来た面々である。先方でも見覚えがあったようで、少し話をする。先方のツアーのガイドは年配の男性である。大学の先生ということで、日本語ペラペラである。オリガさんとも顔見知りらしく「私の彼女です」なんて言ってはオリガさんが「ちがいますちがいます」と否定している。
 と、黒いTシャツ姿のおじさんがやってきた。大学の先生ガイドが通訳してくれたところによれば、かつて駅があったころを知っているとのことである。鉄道は80年代に廃止されたが、ここ(と言って彼は足元のコンクリートの土台を踏んだ)には駅舎があって、私たちの車が入ってきた道は海に向かって線路があったとかいろいろ話している。その間、オリガさんは先方のツアーの女性たちにつかまっていた。
 やがてツアーの面々はバスに乗り込む。これから町の北側にある白鳥湖に行くという。白鳥湖は「銀河鉄道の夜」に登場する場所のモデルになったのではないかといわれているらしい。ツアーを見送った私たちは海岸に向かう。ぽつぽつと木造の家屋が並ぶ家並みの裏の浜辺で車は止まる。ここが「賢治が散策した浜辺」らしいが、弧状の浜辺のうち手前は岩がごつごつしているし、向こう側には岸近くに座礁した船が錆だらけのまま朽ちかけているし、えらく散文的な光景である。ちなみにここの浜辺はサハリンで唯一、琥珀がとれるらしい。よく見ると砂浜の部分には灰色の砂と石炭質らしい黒い部分がある。琥珀は石炭質のところで取れるらしい。たしかによく見ると茶色い半透明の細かい粒が簡単に見つかる。数ミリ程度の大きさのものばかりで大した価値はないのかも知れないが、数年前にサンクトペテルブルグのエルミタージュ宮殿で、巨額の費用をかけて復元したという琥珀の間を見た眼には、これだけの琥珀を外人の観光客に取り放題にさせているのはいささかもったいないのではないかと思ったりもする。


 ドーリンスクで昼食後、ユジノサハリンスクに戻る。市内のおもな見どころを巡る。町外れの栄光広場や樺太神社跡、ガガーリン公園を見た後、サハリン州立郷土博物館に行く。こちらは戦前は樺太庁博物館だったところで、建物も戦前のまま、どことなく愛知県庁舎に似た西洋建築に日本の城の天守閣の屋根を組み合わせたような不思議な建築物である。庭には噴水や花壇のほか、日露戦争で使われた大砲や、先住民のニブヒの家の再現や、日本時代の学校に会った奉安殿などがある。
 中に入ると、1階はサハリンの自然や歴史の展示室である。ニブヒやアイヌの展示を見ていた時、唐突に照明が消えて真っ暗になった。どうやら停電らしい。そのうち復旧するかと思ってその場に立っていたがいつまでたってもつく気配がない。オリガさんの「ここは暗すぎます。いきましょ」という声のする方に手探りしながら歩いていくと、正面入り口にたどり着いた。ここは入り口かららしい薄明りでどうやら人影の判別がつく。オリガさんが2階へと階段をあがる。果たして2階の展示室は停電などしていないような明るい空間だった。といっても2階には停電がなかったわけではなく、天井の天窓から燦々と降り注ぐ太陽光で明るいわけである。
 2階は近現代の歴史の展示スペースということで、ロシア帝国の流刑地時代、日本領だった時代、戦後のソ連時代、そしてソ連崩壊後という展示である。日本の敗戦前後、ポツダム宣言受諾直前に日ソ中立条約を破って樺太や千島列島に侵入したあたりの歴史はどのように記載されているのかとても興味があったのだが、展示を見る限りきわめてあっさりスルーしている。
 ホテルに戻る。今夜のノグリキ行きの列車のチケットを渡され、何くれとなく注意を受ける。オリガさんとしては、ロシア語もまともにできない日本人がこの先ひとりで旅行を続けるのが無謀に映るらしい。まあ、たしかに無謀には違いないが、交通手段も宿もすべて確保されているのだから、ある意味ツアー旅行と似たようなものである。だからそう心配しなくても大丈夫だと伝える。
 夕食はホテル近くのカフェ?1という店に入る。ユジノサハリンスクには最高級のフランス料理店があるらしいが、こちらは間違いなくユジノサハリンスクで一番おしゃれな店である。内装も東京のちょっと凝った店と変わりないし、ワインリストはやたら充実しているし、メニューはロシア語より先に英語が大きく記載されている。もっともそのぶんお値段も高級で、鮭のフライが1100ルーブル、グラスワインが300ルーブルである。ちなみにドーリンスクでのキャベツのサラダ、茸のスープ、ハンバーグのライス添えの昼食は合計250ルーブルだった。
 ホテルに戻って荷物を持って駅に向かう。北に向かう列車はすでにホームに止まっている。13両編成ですべて寝台車である、それぞれの車両の前には女車掌が控えていて、チケットとパスポートを確認されて、ようやく車内に入ることができる。
 寝台は2段ベッドが向い合せの4人個室である。私の同室は中年の男女である。ちなみにロシアの鉄道では、寝台の部屋割りに男女の区別はしないらしい。ガイドブックによれば、どうしても嫌な場合は車掌に交渉すれば部屋替えができないことはないらしいが、同室の中年女性は特に気に留めていない様子で、私の寝台のベッドづくりを手伝ってくれた。
 8時45分、定時に音もなく列車は動き出した。

  • ドーリンスクにある王子製紙の工場跡。オリガさんによると、サハリンの日本の工場跡を撮影しているという写真家を案内したこともあったそうです。

    ドーリンスクにある王子製紙の工場跡。オリガさんによると、サハリンの日本の工場跡を撮影しているという写真家を案内したこともあったそうです。

  • 野良犬がそこらじゅうにいます。

    野良犬がそこらじゅうにいます。

  • ドーリンスクの墓地にあった日本人慰霊碑

    ドーリンスクの墓地にあった日本人慰霊碑

  • ここが栄浜の駅の跡だと言われても…。

    ここが栄浜の駅の跡だと言われても…。

  • 栄浜もといスタロなんちゃらの海岸です。遠くの岩場にトドだかオットセイがいてしきりに鳴いていました。

    栄浜もといスタロなんちゃらの海岸です。遠くの岩場にトドだかオットセイがいてしきりに鳴いていました。

  • 朽ちた船もあったりして散文的な光景です。

    朽ちた船もあったりして散文的な光景です。

  • スタロなんちゃらの街を出ると、海に向かって一面の湿原が広がっていました。

    スタロなんちゃらの街を出ると、海に向かって一面の湿原が広がっていました。

  • ユジノサハリンスクに戻って、日本時代からの博物館に行ってみました。

    ユジノサハリンスクに戻って、日本時代からの博物館に行ってみました。

  • 前庭に展示してあった大砲

    前庭に展示してあった大砲

  • ガガーリン公園のガガーリン像

    ガガーリン公園のガガーリン像

  • ガガーリン公園の池にかかる橋は、ユジノサハリンスクの恋人たちのデートスポットのようです。橋桁にカギをかけたカップルは別れない…て、どこかで聞いたことのある話ですが、ハート形のカギというのが新しいです。

    ガガーリン公園の池にかかる橋は、ユジノサハリンスクの恋人たちのデートスポットのようです。橋桁にカギをかけたカップルは別れない…て、どこかで聞いたことのある話ですが、ハート形のカギというのが新しいです。

  • こちらのリボンも同趣旨とのこと。

    こちらのリボンも同趣旨とのこと。

  • ガガーリン公園の池は、戦前は王子が池といわれていました。王子製紙の貯水池だったそうです。

    ガガーリン公園の池は、戦前は王子が池といわれていました。王子製紙の貯水池だったそうです。

  • ガイドのオリガさんとドライバーのイーゴリさん。

    ガイドのオリガさんとドライバーのイーゴリさん。

  • カフェ?1。サハリンにもこんなおしゃれなお店があるんですね。ワインリストも充実していました。

    カフェ?1。サハリンにもこんなおしゃれなお店があるんですね。ワインリストも充実していました。

  • ユジノサハリンスク駅。ノグリキ行きの夜行列車に乗ります。外は明るいように見えますが、8時45分の発車までもうすぐです。

    ユジノサハリンスク駅。ノグリキ行きの夜行列車に乗ります。外は明るいように見えますが、8時45分の発車までもうすぐです。

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