2013/08/22 - 2013/08/27
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jsbachさん
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7時半に目覚める。列車は走り続けている。線路に沿って道路があり、その向こうはひたすら森林地帯である。時折線路と道路の下を川が横切るくらいの単調な光景だが、降り注ぐ陽の光にいいようもない透明感がある。
窓を開けることはできないが、窓外の爽快な北サハリンの空気を想像しながら朝食とする。まずはカップラーメン。次いで食後のコーヒーを愉しむ。いずれも車両の端にあるサモワールから熱湯が調達できるから可能な技である。ちなみに同室の中年女性は車掌からカップとティーバッグを買っていて、サモワールのお湯で紅茶を飲んでいる。
9時前、ノグリキ到着。空気がひんやりと感じる。寝台車の前にドライバーが待っていた。改札がないので、あちこちの寝台車の前で出迎えの人々がたむろしている。ガイドのニーナさん母娘と合流する、というより、ニーナさんも同じ列車でユジノサハリンスクから到着したのだ。車に乗ってまずは駅近くのニーナさんのアパートの前で母娘を下ろす。次いで駅から少し離れた市内のホテルにチェックインして荷物を置いて、再びニーナさん母娘をピックアップして出発する。
ノグリキは石油・天然ガス産業の町とガイドブックにはあるし、鉄道の終点で空港もあるような北サハリンの拠点都市なのだろうが、小さい街でそれほど活気も感じない。ホテルの裏手にはソ連時代に建てられたらしい5階建てのアパートが並んでいて、それが街で一番高い建造物のようである。
今日はアレクサンドロフスク・サハリンスキーに向かう。チェーホフの「サハリン島」にも頻繁に登場する街である。実はサハリンに行こうと思った理由のひとつはアレクサンドロフスクに行こうと思ったからである。
車は快調に走り出して、たちまち市街地を抜けると、道の両側は森林帯となった。私は窓を全開にして爽快な北サハリンの朝の空気を満喫していたが、すぐに窓を閉めざるを得なくなった。
理由は簡単で、道路が未舗装になったからである。日本で旅行会社の人にも言われていたことだが、サハリンの特に北部は道路事情がよろしくないという。たしかに地図上は幹線道路らしいこの道も、舗装されているのは時折現れる市街地だけである。その代わり未舗装区間は3〜4車線分はあるのではないかと思われる広さで、そんな道路をドライバーのビクター氏は70〜80キロでぶっとばしていく。彼がスピードを落とすのは、もっぱら対向車や前を行くトラックが巻き上げる土煙で視界が利かなくなったときだけである。通行量はそれほど多くはないが、乾ききった未舗装の道で大型トラックやローリー車が巻き上げる土埃はたいへんなもので、数メートル先もよく見えなくなるほどである。
単調な景色の中を2時間、ティモフスクに到着。少し休憩ついでに街を散歩する。実はここまで、先ほど乗ってきた列車のルートを逆行してきている。だったらティモフスクで列車を降りて車に乗れば時間の節約になりそうなものだが、ここには車もガイドもないから、ノグリキまで行かなければならないということだった。実際歩いてみてそうかもしれないと妙に納得する。
ここからはルートを西に向かう。道路はたちまち未舗装になる。行き交う車もほとんどない。道は山並みにさしかかる。それほど急峻ではないが、道は何か所も大きなカーブを描きながらのぼっていく。と、ひときわ雄大な山並みが見えるようになったあたりで道が舗装道路になる。こんな山の中に集落でもあるのかと思ったが、家一軒見当たらない。道路端の駐車場に入る。売店やトイレのあるわけでもないただの駐車場で、大きな石碑がある。ニーナさんによると、スターリン時代の犠牲者を追悼するための石碑だという。周辺はまったくの無人地帯でなぜこんなところにとも思うが、あるいはこの道路を建設するために多くの人が犠牲になったのかも知れない。
「サハリン島」にも登場する、当時とあまり変わりなさそうな木造家屋の散在するアルコーボの小さな村を過ぎ、何度か川を渡ると、アレクサンドロフスクの町外れに着いた。ロスネフチの真新しいガソリンスタンドがある。やがて家並みが増え、道端を歩く人の数も増える。もっとも中心市街地らしい商店などが現れるわけでもなく、木造の戸建てや二階建てのアパートが並ぶだけである。車が止まる。白と緑の窓枠が印象的な木造の平屋の家の前である。ここがチェーホフが滞在した元流刑囚ランズベルクの家で、今は博物館になっている。道路を隔てて反対側には小さな公園があって、痩身のチェーホフ像が建っている。
時間は午後1時。博物館の扉の横にある案内板によれば昼休み時間だが、ニーナさんは中に入っていって、カウンターの女性と何やら話している。そして戻ってきて言うには、ホントは昼休みだが、中を案内してくれることになったという。有り難いことである。
内部はもっぱらチェーホフが訪れたころのアレクサンドロフスクやサハリンに関する展示である。チェーホフ本人が使っていた眼鏡やパスポートが展示されている。ほかにも写真や手帳や手紙など、けっこう充実した展示である。惜しむらくは展示がすべてロシア語なので、ニーナさんが英語で説明してくれないと分からないことが多い。なお、120年前にシベリアを横断してサハリンに至る旅は相当過酷だったらしく、187センチのチェーホフの体重は55キロになっていたという。
博物館の建物は2棟ある。メインの建物は博物館となっているが、せっかくだからということで別棟のほうも案内してもらう。こちらはレクチャーホールとして使われているようで、広いホールの壁際に折りたたみ椅子が寄せられている。壁には先住民のニブヒの写真がずらりと展示されている。
見学後、遅い昼食にホテルに向かう。ここで判明したことは、ニーナさんもドライバーのビクター氏もアレクサンドロフスクに来るのは初めてで、ホテルがどこに有るのか分からないという事実だった。かといって私が知っている訳もなく、とりあえずありそうな辺りに行ってみましょうということになった。
車が勾配を登ると、アパート群や商店が現れた。どうやらアレクサンドロフスクの街は、博物館のあるあたりが旧市街地で、丘の上に新しい街並みがあるようである。戦前、日本の領事館が置かれたこともあるという街だが、当時はどちらが中心だったのだろうか。
広場や市場が現れ、このあたりにホテルがありそうだ、という段になってニーナさんの娘が動き出した。道行く人にあれこれ聞いている。アレクサンドロフスクへのドライブでニーナさん娘が仕事らしいことをした唯一のできごとだった。
ようやく車がたどり着いたのは、5階建ての殺風景な建物の裏庭のような駐車場だった。建物の1階部分に突き出した看板ひとつないドアがあって、そこがレストランの入り口だった。
食後、アレクサンドロフスクのシンボルとなっている三兄弟の岩を見に行く。ここでも我らがガイドとドライバーの不案内ぶりが発揮される。
そもそもこの街についたときから、港町のはずなのに海の気配がまったくないのが不思議だったが、それもそのはずで、市街地から海はけっこう離れている。(そういえば「サハリン島」にもそんな記述があった) 道路が幅広い河口に沿って走るようになってようやく海に近いと感じるようになったが、そのあたりは完全な町外れである。
港の辺りはクレーンがいくつか立っている。港湾施設は塀で囲まれていて、道路はそこで突き当りに見える。傍らには駐車場らしい空き地があるだけ。で、三兄弟の岩は?
と、空き地の奥から車が現れた。ということは、その先にも道があるらしい。ビクター氏が車を進める。塀沿いにはしると、唐突に海岸に出た。そこは丸石がごろごろしている海水浴場のようで、水着姿の人々が大勢いた。
浜辺そのものは大して広くない。広くて数十メートルといったところか。その背後には急な崖が迫っている。多くの人は崖寄りに止めた車の傍らで日光浴やバーベキューを楽しんでいる。泳いでいる人も結構いる。もっとも私が海に手を突っ込んでみたところ、けっこう冷たかった。
狭い浜辺がさらに狭くなり、ついに崖が直接海に切り立つあたりの沖合に三兄弟の岩はある。なるほど特徴的な岩だが、それで10秒以上感慨に浸ることは難しい。チェーホフの頃の流刑者たちにとってはいろいろな思いを込めて眼にした岩なのだろうが。
リクエストしてドゥーエに向かう。かつてはアレクサンドロフスクから海沿いに行く道もあったそうだが、車はいったん丘の上の新市街地を経由して山道を行く。やがて道は急な下り坂になって、唐突に海が現れた。道はそのまま海岸に降りる。崖に挟まれた細い道で、親不知子不知のような雰囲気である。少し開けたところに河口があって狭い砂浜があり、ここから道は山のほうに向かっていく。この奥にドゥーエの村があるという。
「サハリン島」ではおどろおどろしく描写された地たが、夏の陽光に照らされた午後のドゥーエの海岸は明るくて実に気持ちのいい場所だった。ここにも海水浴客が20〜30人いる。丘の上から海を眺めて戻ってくると、ニーナさんが水着姿の男性2人と話をしていた。彼らはノグリキから海水浴に来たところで、日本車や日本の電気製品が大好きなのだという。いろいろ熱く語っていたが、トヨタとかミツビシとかソニーそかいう単語が飛び出すことからも言いたいことは分かったような気がした。傍らに10歳くらいの女の子がいた。男性のひとりの娘ということで、学校で習っているのか簡単な英語の会話ができる。女の子はおそらく海に入ったのだろうが、そのあと海から吹く風の冷たさに耐えられないらしく、バスタオルで上半身を覆って震えている。別れ際に笑顔の3人と握手を交わしたが、女の子の手はびっくりするほど冷たかった。
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寝台の中はこんな感じです。
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車両の端にはサモワールがあります。ロシアらしい設備です。
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おかげで異国の夜行列車の中でも、日本の味を愉しむことができました。
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ノグリキから南へ向かう道路です。幹線道路でも街を出れば未舗装です。
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ティモフスクの街です。
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アレクサンドロフスクに向かう峠道に会った石碑
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もうもうと土埃をたてて車が登ってきました。
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チェーホフの博物館
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博物館のスタッフ。休憩時間なのに案内していただいてありがとうございました。
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チェーホフのパスポート
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当時の写真
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博物館の向かいにはチェーホフ像がありました。
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通りの名前もチェーホフ通り。
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昼食をとったホテル。左側の平屋部分がレストランの入り口。言われなけばまったく分かりません。
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街は海岸から少し離れています。街のシンボル三兄弟の岩が見える海岸は、港の奥の浜辺からようやく見ることができました。
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この時点で午後3時。日本なら早い人は撤収を考え始める時間ですが、ぞくぞくと浜辺には人がやってきていました。陽は長くても、そろそろ風が冷たく感じると思うのですが。
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ドゥーエに続く浜辺の道です。
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ドゥーエには流刑地時代から炭鉱がありました。この施設は戦前に日本が建てたものだそうです。
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ドゥーエの浜辺の背後の丘の上にあった辻堂(?)
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辻堂の背後の斜面には十字架も。
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ドゥーエの海。この向こうはシベリアなのだと考えると感慨深いものがあります。
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ノグリキのホテル。水道水を沸かして飲むポットは日本と同じシステムです。サハリンでは水道水をそのまま飲むことも多いのだとか。
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