2013/08/01 - 2013/08/02
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マキタン2さん
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八戸城(はちのへじょう)は青森県八戸市にかつて存在した平城城郭である。
八戸城は、現在の八戸市内丸に位置し、八戸南部氏が拠点としていた八戸根城とは全く別個の城郭である。
南部師行が八戸根城を築くのとほぼ同時に根城南部氏二代政長の三男・信助が根城の支城として築いたのが始まりとされ、築城時期は不明である。その後、この一族は中館(なかだて)氏を名乗り、居城は中館と呼ばれた。八戸は津軽領と接する要衝であったことから、南部利直は、寛永 4年(1627年)に根城の八戸南部氏を遠野へ移封されると、中館氏もこれに従い、八戸は南部(盛岡)藩の直轄地として代官支配によって整備を行っていった。
八戸藩が分立されると、初代藩主である直好は名を直房と改め、新たに居城を築くことなく、三八城山に既にあった盛岡藩時代の建物を引き継いで、館を修築して八戸城として使い、家臣団の編成と城下町の整備に取り組んだ。
城郭は本丸と二の丸から構成される。現在は跡地に三八城神社、三八城公園がある。
八戸藩成立以前には既に城の周囲には町が形成されていた。城下の範囲は藩士が増大されるにつれ、徐々に拡大した。西側は当初は廿三日町付近(現在の八戸市廿三日町)が境界線であったが、後に荒町(現在の八戸市荒町)まで広がっている。東側にも足軽屋敷として塩丁(現在の八戸市柏崎付近)などが作られた。
遺構は開発により、一部の建物を除き、土塁や堀跡が部分的に残されているのみとなっている。
八戸城角御殿表門 - 青森県重宝。「古桜門」とも言われ、現在は南部会館の表門となっている。昭和53年(1978年)積雪により倒壊したため、修理が行われた。その際に小さな毘沙門天像が発見される。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
八戸中心部にある文化財については・・
http://www.city.hachinohe.aomori.jp/shiryo/guidebook/hati_bunkazai.html
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