2013/04/07 - 2013/04/07
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滝山氏照さん
甲斐勝沼にある古刹柏尾山・大善寺(だいぜんじ、山梨県甲州市勝沼町)を訪れました。ここはJR中央線「勝沼ぶどう郷」駅より南方へ山際のあぜ道を段々畑のぶどう樹園の数々を眺めながら約30分、甲州街道(国道20号)を臨む北側に所在する真言宗智山派の寺院です。
大善寺のホームページには下記のごとく紹介されています。
『ぶどう寺 大善寺』
養老2年(718)僧行基が甲斐の国を訪れたとき、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修業したところ、満願の日、夢の中に手に葡萄を持った薬師如来がが現れました。行基はその夢を喜び、早速夢の中に現われたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが、今日の柏尾山大善寺です。
以来、行基は薬園をつくって民衆を救い、法薬の葡萄の作り方を村人に教えたので、この地に葡萄が栽培されるようになり、これが甲州葡萄の始まりだと伝えられています。 (大善寺HPより)
また、武田勝頼とその一族及ぶ近臣たちがが小山田氏の誘いで岩殿城に立て籠もり再興を図るべく当該寺に立ち寄った時の状況について下記の通り掲載されています。
『武田勝頼と大善寺』
天下統一を競った武田信玄亡き後の勝頼は、織田・徳川の連合軍の近代装備と物量の前に敗退し、天正10年(1582)3月3日、郡内の岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、途中のこの柏尾山大善寺で戦勝を祈願して、一夜を明かしました。
しかし、武田家再興がかなわないと見た家臣の大半は夜半に離散し、また、岩殿城主小山田信茂(おやまだのぶしげ、1539~1582)の裏切りに合い、勝頼主従は天目山を目指しましたが、織田・徳川連合軍に行く手を阻まれ、ついに3月11日、勝頼以下一族と家臣は自決し、新羅三郎義光以来500年続いた甲斐源氏はここに滅亡しました。
その一部始終を目撃した理慶尼が記した理慶尼記は、また武田滅亡記ともいわれ、尼の住んでいたこの大善寺に今なお大切に保管されています。
勝頼の家臣たちは、勝頼が最後まで裏切ることなく守り、戦死しましたが、その子供たちは、後に徳川家康に重用され、江戸時代には各地の城主に任命されました。勝頼最後の「宿」となった薬師堂にはその子供たちから寄進された文殊菩薩、毘沙門天が今でも大切に安置されています。(大善寺HP)
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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柏尾山大善寺・寺標
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大善寺・社務所
社務所で拝観料(500円)を支払います。あとで判ったのですが本堂を中心に境内を含む伽藍は整備が行き届いており、気持ちよく参拝できました。 -
大善寺国宝・重要文化財一覧
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大善寺由緒・石碑
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大善寺・山門
階段を上りますと山門が控えています。 -
大善寺・山門
寛政10年(1798)に土屋但馬守英直(土浦城主)により再建されたそうです。 -
山門扁額
山号である「柏尾山」と描かれた扁額が掲示されています。 -
山門・説明板
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山門の仁王像
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山門の仁王像
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大善寺参道
更に長い階段を上ってゆきます。 -
参道
途中で振り返ります。かなり長い階段となっています。 -
大善寺楽屋堂
二層となっており重厚な趣きが在ります。 -
大善寺本堂(薬師堂)
中に入りますと女性が説明してくれますが撮影禁止となっています。 -
大善寺本堂(薬師堂)
「薬師如来」の扁額があります。 -
大善寺本堂(薬師堂)説明板
国宝 大善寺本堂・説明板
国宝 大善寺本堂・説明板
国宝 大善寺本堂・説明板
「 国宝 大善寺本堂 一棟 付 厨子一基
昭和30年6月22日
真言宗智山派の名刹大善寺の本堂は、薬師三尊像(弘仁仏、鎌倉時代、日光、月光、十二神将 国重要文化財)を安置するので薬師堂とも呼ばれる。
方五間(桁行18.02m 梁間17.40m)の堂宇で、正面は中の三間を両開き桟唐戸、両端を連子窓とし、両側面の前寄り一間と背面中央一間の出入口以外はすべて板壁で、四周に切目縁を回らす。太い円柱上に豪放な、実肘木つき和様二手先の斗棋を組み、中備に間斗束を置き、軒支輪を付け、二重繁すいによって雄大な寄棟造檜茅葺きの屋根を支える。
内部は前から二間通りを外陣、つぎの二間通りの中央三間を内陣とし、その後方と入側の一間通りをそれぞれ後陣及び脇陣とする。内陣には須弥壇を設け、厨子を置き、本尊を納め、その左右に日光、月光、月光菩薩、十二新将を配する。
内陣・外陣とも、長大な虹梁を架す技法で中央三間通りの柱を抜き、堂内を広く使えるように配慮されている。虹梁の上には特色ある操形付きの花肘木を乗せて上部に天井を受ける。内・外陣の境界は五間とも格子戸・菱組吹寄欄間によって厳しく仕切られるなど、古い密教建築の様風がよく遺されている。
この建物は、執権北条貞時が勅令を奉じ「弘安九参月十六日」(内陣背面両隅柱の刻銘)甲信二か国の棟別銭の喜捨を得て再興した、中世和様建築の典型を示すものであり、関東最古の遺構でもある。昭和29年12月解体復元修補が竣工した。
山梨県教育委員会 甲州市教育委員会 JR鉄道文化財団 」 -
勝沼周辺展望
境内から右手を一望します。当該寺は高台にあるため展望は抜群です。中央高速が見えることから車輛による移動は容易と思われます。 -
大善寺・鐘楼
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大善寺・境内
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説明板
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大善寺由緒・説明板
ぶどう寺として有名な大善寺の伝説があります。 -
「武田勝頼主従 投泊の地」説明板
織田・徳川軍の追跡を受けた武田勝頼主従が宿泊した地として有名です。 -
薬師如来像説明板
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楽屋堂
階段を上り楽屋堂2階部に進みます。 -
楽屋堂2階部
広々とした2階部でしばし休憩します。 -
展望
楽屋堂2階部から階段参道を望みます。 -
展望
周辺に中央高速道路が見えます。 -
楽屋堂・説明板
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稚児堂説明板
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フル-ーライン
帰路は「フルーツライン」(山岳麓のルート)で勝沼ぶどう郷駅に向かいます。左手斜面はぶどう畑が全面に広がっています。 -
甲府盆地展望
フルーツラインから甲府盆地が手に取るように見えます。 -
勝沼ぶどう郷
暫く歩くと「勝沼ぶどうの丘」が見えてきます。 -
勝沼ぶどう郷駅・鉄道遺産公園
駅周辺には「鉄道遺産記念公園」があり、国鉄時代に中央線を走った電気機関車が展示(静態保存)されています。 -
電気機関車・EF64ー18
EF64型18号機が静態保存されています。 -
「雨に強い中央線」プロジェクト
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電気機関車(EF64型18号機)説明板
昭和39年に旧国鉄が急勾配線区用に開発した直流電気機関車です。18号機は昭和41年製作され貨物車を牽引して中央線などを走ったそうです。 -
降雨防災の碑
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旧勝沼駅・説明板
大正2年(1913)4月8日の開業当時の駅はスイッチバック方式で920mに及ぶ引き込み線を備えていたそうです。
「 旧 勝 沼 駅
明治35年(1902)7月6日笹子トンネルが貫通し、翌明治36年6月11日東京~甲府間の中央線が開通したが、最寄りの初鹿野駅までは急坂がつづくことから新駅の開設が切望され、明治40年に勝沼町、菱山村が中心となり近隣の村にも呼びかけ寄付を募り設置の請願が出され、明治44年7月より工事が始まり、大正2年(1913)4月8日に新駅の開業となった。新設された駅は、スイッチバック方式で、920メートルに及ぶ引き込み線を備えた。
現在でも一帯には明治、大正時代に建設された施設の面影が随所に残されている。
昭和6年4月 ー 甲府駅以東電化される
同年10月 ー 直通線路開設される
昭和35年 ー 貨物停車がなくなる
昭和45年 ー 甲府以東複線化される
昭和55年 ー 現駅舎完成
平成5年4月 ー 勝沼ぶどう郷駅となる
勝沼町 教育委員会 」 -
旧勝沼駅ホーム
スイッチバック方式当時の勝沼駅ホームが保存されています。余談ですが旧ホームに設置の駅表示板(当時の表示板)記載の東京寄り隣駅は「はじかの(初鹿野)」とあります。現在では「甲斐大和」に駅名が変更されています。 -
旧勝沼駅ホーム
スイッチバック当時のホームが保存されています。桜花が風に吹かれて道路面に積もっている景色が見事です。 -
旧勝沼駅ホーム
桜吹雪で覆われた線路跡が印象的です。 -
甚六桜
駅周辺に植樹された約千本の桜は「甚六桜」と呼ばれています。地元の後援会「甚六会」が桜の苗木を植えてその功労を称え「甚六桜」と言われるようになりました。 -
勝沼ぶどうの丘
ぶどうの丘には試飲を楽しむ地下カーヴがあります。写真中央部の建物はホテルです。 -
普通高尾行
JR東日本カラーの普通車で高尾に向かいます。
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