2013/08/11 - 2013/08/11
2315位(同エリア3813件中)
ひま人さん
毎年、冬と夏に非公開の文化財を公開している京都を訪れました。今年は第38回目になる「京の夏の旅」の3コースの内、夏限定の「京都の美・名庭と建築をたずねて」を定期観光バスで回りました。
最初に、京の町を一望する近代建築の傑作、「大雲院祇園閣」をたずね、次に、南禅寺庭園群の先駆け、明治大正の元老山県有朋の別荘「無鄰菴」を見学しました。七代目小川治兵衛作の庭園と武田五一設計の数寄屋造りの建物が残る「白川院」で京料理の昼食を頂きました。午後からは、花街祇園の優美な回遊式庭園の祇園甲部歌舞練場をたずね、最後に会津藩士も投宿した築270年の農家住宅「長谷川家住宅」を訪れました。
京都は盆地で冬寒く、夏も風もなく蒸し暑く、連日猛暑が続く観光地ですが、体力が消耗する一日でした。
写真は「大雲院祇園閣」です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス JRローカル 私鉄 徒歩
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大雲院本堂。天正15年(1587年)勅命により織田信長・信忠父子の菩提を弔うために創建され、信忠の法名に因んで大雲院と名付けられた寺院です。
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大雲院総門。東京から移築されたもので、旧宮家の門と伝えられています。
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大雲院鐘楼。豊臣秀頼が北野神社に寄進した鐘楼。祇園感神院(現・八坂神社)にあった室町時代延徳2年(1490年)在銘の梵鐘は、ともに維新後の神仏分離後によって両社で無用とされていたものを、明治3年、島津家(宮崎県)が佐土原藩士の菩提を弔うため大運院に寄進したものです。
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大雲院祇園閣(だいうんいんぎおんかく)。この地は元財閥大倉喜八郎男爵の別荘で、昭和3年御大典記念に祇園祭の壮観を常に披露したいと希って山鉾を模した祇園閣を建てたと言われています。
建築家・伊藤忠太の設計による昭和初期の名建築と知られ、国の登録有形文化財となっています。高さ36mの3階建て、祇園祭の鉾をかたどった造りで、鉾先には金鶴が輝き、内部天井の十二支の装飾や階段部の鬼(魑魅魍魎)の照明など、独特のデザインが凝らされています。
尚、閣上からは、東山の山並みや京都の町が一望できます。 -
祇園閣の内部壁面に、昭和63年秋開創400年を記念して葛新民の筆による敦煌の壁画の模写が完成し、当院に奉納されました。
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祇園閣、敦煌壁画の模写。
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祇園閣、敦煌壁画の模写。
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無鄰菴(むりんあん)。明治27年〜29年(1894〜96)に明治・大正の元老山県有朋が京都に造営した別荘です。建物は簡素な木造2階建の母屋、薮内流燕庵を模して造られた茶室及び煉瓦造2階建の洋館の三つからなります。その名は、有朋が長州(山口県)に建てた草庵が隣家のない平静な場所であったことから名付けられたといいます。
ここで、明治36年(1903年)4月21日、元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人によって、日露開戦の我が国外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれています。 -
名勝無鄰菴庭園(面積3135?)。山県有朋自ら設計・監督により、造園家・小川治兵衛(7代目)が作庭したもので、緩やかな傾斜地に東山を借景とし、疏水の水を取り入れ、三段の滝、池、芝生を配した池泉回遊式庭園です。
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名勝無鄰菴庭園。
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名勝無鄰菴庭園。
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名勝無鄰菴庭園。
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白川院玄関。サルスベリが満開でした。ここで京料理の昼食を頂きました。
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白川院、武田五一設計の数寄屋造り。白川院はもと藤原良房の別荘で、北家藤原氏によって代々受け継がれてきましたが、藤原師実の時、白河天皇に献上され、承保2年(1075年)天皇によってこの地に法勝寺が建立されました。広大な敷地に、金堂他幾多の建物も、文治元年(1342年)の大地震、康永元年(1342年)の火災により衰退の一途を辿り、やがて廃寺となり今日に至っています。
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白川院庭園。7代目小川治兵衛の作庭です。代表作には平安神宮神苑、無鄰菴庭園、円山公園等があります。東山を借景に作庭された山水・池泉回遊式の本格的な名庭です。
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白川院庭園。
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白川院庭園。
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祇園甲部歌舞練場(ぎおんこうぶかぶれんじょう)本館(国登録有形文化財)。大正2年に建設された2階建ての大劇場建築で「都をどり」の舞台です。良質の檜材を用いて造られており、千鳥唐破風をもつ入母屋造りの屋根が美しい。掲げられた「歌舞練場」の額は、明治から大正にかけて活躍した画家・富岡鉄斎の筆によるものです。
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「都をどり」で芸舞妓が身にまとう華やかな衣装が展示されています。
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「都をどり」の衣装の展示。
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祇園甲部歌舞練場庭園。池泉回遊式で織田信長の弟で茶人であった織田有楽斎(うらくさい)の邸跡にあたると伝えられています。
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祇園甲部歌舞練場庭園。
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祇園甲部歌舞練場庭園内にある、織田有楽斎の造った有名な茶室「如庵(じょあん)」と同じ名をもつ茶室が、当時を偲んで建てられています。
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長谷川家住宅。藤原北家を祖とする長谷川家は、室町時代から代々東九条村に住み、農業を家業としてきた家柄です。寛保2年(1742年)に建てられた屋敷は、京町屋の特色も残した270年もの歴史を刻む2階建ての農家住宅です。幕末には長州征伐の際には会津藩士が投宿したこともあり、座敷の床柱には当時のものとされる武具の擦れた傷あとが残っています。
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長谷川家住宅。
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長谷川家住宅カマドが残されています。邸内はカメラ禁止になっており、270年の歴史的な資料及び内部は撮影出来ず。残念!
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