2013/05/28 - 2013/05/29
51位(同エリア105件中)
めろんさん
ドイツ旅行38日間一人旅の記録です。
メインは城と宮殿。
チューリンゲン州のアイゼナハ。
バッハとルターという、2人の偉人のゆかりの地であり、世界遺産のヴァルトブルク城がある。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
5月29日
朝から雨・・・
この日はヴァルトブルク城へ行くことにしていたが、
ここのところなぜか城へ行く日に限って天気悪い。
城への一番の近道と思われるSchlossbergを進む。
道の案内標識にはドイツ語と日本語の表記が!
英語ではなく日本語ってところがすごい。
どんだけ日本人来てんだ・・・(^^;) -
世界遺産のヴァルトブルク城。
ここへ来るまでの山道はとても勾配が急で雨も降ってるし上るの大変だった・・・
やっと見えた城は城門あたりを修復中で足場が組まれていた。 -
城の見取り図。
-
門を通り少し行くと、チケット売り場とショップがある。
チューリンゲン・カードを出してチケットをもらう。
(通常だと8ユーロ?)
それと日本語のガイドブックも購入。
見学はガイドツアーでチケットに時間が印刷されている。
時間までショップを見たり、雨宿り。 -
前廓にあった小さな井戸。
ドラゴンの飾りがついていて、口から水が出ている。
カッコイイ・・・ -
城門ホールとベルクフリート(天守)
ここを抜けると上廓。 -
ベルクフリートと本館、左手はレストランになっている離れの建物。
中央にあるのは水槽。籠城用かな・・・? -
騎士の間。
ガイドツアーはここから。
ガイドの人が日本語の案内書をくれた。 -
食事の間。
-
エリザベートの間。
一面美しいモザイク画で、この城とゆかりの深い人物、のちに聖女となったエリザベートの生涯を描いている。 -
エリザベートの回廊。
ここも彼女の生涯を描いたフレスコ画がある。 -
歌合戦の間。
ここで中世の吟遊詩人たちが歌を競ったらしい。
ヴァルトブルクの歌合戦はワーグナーのオペラ、「タンホイザー」にも出てくる。 -
祝宴の間。
この城で一番大きく、豪華な部屋。
ルートヴィヒ2世が建てた有名なノイシュヴァンシュタイン城には、これをまねた大広間がある。
あちらの方がより豪華だけれども。
この後ルターが隠れ住みながら新約聖書をドイツ語に訳した部屋を見た。 -
ガイドツアーの後、サウスタワーに上ってみる。
上るのに別料金で0.50ユーロかかった。 -
見晴らしは抜群だけど、雨で街はかすんでいる。
-
城に隣接して、アウフ・デア・ヴァルトブルクというホテルがある。
素敵なホテルだけど、街から離れてるし車がないと不便だね・・・
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この旅行記へのコメント (2)
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- jijidarumaさん 2014/07/11 13:39:33
- 2001年ヴァルトブルク城
- めろんさん
当時はまだドイツマルクの時代でしたが、ヴァルトブルク城の麓にあるHotel Garni Burgfried ブルクフリード(朝食のみのホテル)に泊まり、フランクフルトのハーツで借りた(たまたま希望の車種がなくて困りましたが、同じ料金で上級車の提供を受け)レンタカー・ボルボの2400?で山上に上りました。
山上の城までの狭い山道は山間をぐるぐる回るような感じでしたので、めろんさんがこの道を歩いて行かれたとあり、驚きました。
Festsaal祝典の間ですが、ここには二つの話があります。
一つはお書きになっていたように“メルヘン王” ルードヴィッヒ二世バイエルン王がここを真似た広間を新白鳥城に作ったと云う。
二つには1817年10月18日、ドイツ学生同盟(1815年)の学生たち凡そ500名が参集し、ヴァルトブルグ集会を催したこと。
テーマは1813年ライプチッヒの戦いに勝利したことの祝いであり、ルター宗教改革300年を記念したものでした。
この集会で宣言されたのはドイツ連邦成立への民族統一、民主主義の基本権の確立であり、当時のドイツ地域での市民階級(中間層)が始めて大衆行動を起こしたという歴史的なものだったのです。
その際に使用された学生同盟旗は後年、ドイツの国旗の“黒・赤・黄”の三色旗の基となったそうですよ。
(*ライプチッヒの戦い:諸国民戦争とも言い、1813年10月プロイセン、オーストリア、ロシアの同盟軍がこの地で、ナポレオン軍に大勝し、ナポレオンの皇帝退位の契機になっています。)
この章のHotel auf der Wartburg古城ホテル ヴァルトブルグ城ですが、 上述したように私どものホテルには夕食用のレストランが無いので、タクシーで又ヴァルトブルグ城に登り、昼に予約してあった古城ホテル Restaurant ”Landgrafenstube”レストラン方伯の間で夕食にしました。
私共の席は窓際に設けてあり、窓の外には“ドイツの緑の心臓”と呼ばれる、テューリンゲンの深い森が広がっていました。
古城ホテル好きとしては、ほんとはこちらの古城ホテルに宿泊したかったのですが、この時は急に旅に出たこともあり、夕食だけになったのです。
jijidaruma
- めろんさん からの返信 2014/07/11 23:06:04
- RE: 2001年ヴァルトブルク城
- jijidarumaさん、コメントありがとうございます!
私もドイツマルクの時に旅したことあります。その時はオーストリアも一緒に行きました。
ヴァルトブルク城の山道ですが、行きは舗装されていない山道、帰りは道路の方でした。
私は長時間歩くのは何ともないのですが、さすがにあの時は雨が結構降っていたし坂道は急だしでちょっと大変でした。
帰りの時はバスにしても良かったんですが、時間が合わなかったので・・・頑張って歩きました。笑
ヴァルトブルク城のあの祝典の間には歴史的に重要な事もあったんですね。
あと、ここではコンサートも開かれることがあるらしいのでそういう時に行ってみたいですね。
私もあの古城ホテルには泊まってみたかったんですけど、駅と街から離れていてアクセスが悪そうだったのでやめました。
交通費もなるだけ節約したかったので・・・
でも方伯の間で夕食っていうだけでも素敵ですね!
めろん
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