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上総国で一之宮と言えば玉前神社(たまさきじんじゃ、千葉県長生郡一宮町)です。JR外房線上総一ノ宮駅徒歩約10分の駅から至近のところにあります。<br /><br />現地境内設置の説明板には次のように紹介されています。<br /><br />「 玉前神社 由緒 <br /><br />創始は古くから詳らかではありませんが、延喜式内名神大社、または上総国一ノ宮として平安時代にはすでに日本に中でも重きをおくべき神社とされていました。明治4年には国幣中社に列しています。<br /><br />昭和23年に当時皇太子であられた今上陛下がご参拝、同昭和28年には昭和天皇、平成4年には今上陛下より幣せん料を賜りました。<br /><br />また千葉平氏上総権介平朝臣広常をはじめ、源頼朝の妻の北条政子懐妊に際して安産祈願の奉幣、徳川家康が神田十五石を寄進するなど武門の崇敬も多く厚いものでした。」

上総一ノ宮 鎌倉初期に活躍した上総介広常はもとより頼朝妻政子安産祈願の奉幣、近くは徳川家康寄進の上総一之宮として名社である『玉前神社』散歩

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2013/02/20 - 2013/02/20

134位(同エリア174件中)

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滝山氏照

滝山氏照さん

上総国で一之宮と言えば玉前神社(たまさきじんじゃ、千葉県長生郡一宮町)です。JR外房線上総一ノ宮駅徒歩約10分の駅から至近のところにあります。

現地境内設置の説明板には次のように紹介されています。

「 玉前神社 由緒 

創始は古くから詳らかではありませんが、延喜式内名神大社、または上総国一ノ宮として平安時代にはすでに日本に中でも重きをおくべき神社とされていました。明治4年には国幣中社に列しています。

昭和23年に当時皇太子であられた今上陛下がご参拝、同昭和28年には昭和天皇、平成4年には今上陛下より幣せん料を賜りました。

また千葉平氏上総権介平朝臣広常をはじめ、源頼朝の妻の北条政子懐妊に際して安産祈願の奉幣、徳川家康が神田十五石を寄進するなど武門の崇敬も多く厚いものでした。」

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 玉前神社・社標<br /><br />「國幣中社 玉前神社」と旧社格で刻された社標が途中の道路際に建立されています。明治時代頃の参道を示す石標と思われます。<br /><br />

    玉前神社・社標

    「國幣中社 玉前神社」と旧社格で刻された社標が途中の道路際に建立されています。明治時代頃の参道を示す石標と思われます。

  • 玉前神社・一の鳥居<br /><br />玉前神社の玄関にあたります。

    玉前神社・一の鳥居

    玉前神社の玄関にあたります。

  • 玉前神社・社標<br /><br />鳥居脇に建っている社標で「上総国一之宮 玉前神社」と刻されています。

    玉前神社・社標

    鳥居脇に建っている社標で「上総国一之宮 玉前神社」と刻されています。

  • 玉前神社・二の鳥居

    玉前神社・二の鳥居

  • 玉前神社・扁額<br /><br />二の鳥居には「玉前神社」と刻した扁額が微かに読み取れます。

    玉前神社・扁額

    二の鳥居には「玉前神社」と刻した扁額が微かに読み取れます。

  • 御神水

    御神水

  • 玉前神社・三の鳥居

    玉前神社・三の鳥居

  • 玉前神社・手水舎<br /><br />立派な屋根瓦を施しています。

    玉前神社・手水舎

    立派な屋根瓦を施しています。

  • 玉前神社・神楽殿

    玉前神社・神楽殿

  • 玉前神社・神木<br /><br />「いす」の木で古来より玉前神社の御神木として崇められています。

    玉前神社・神木

    「いす」の木で古来より玉前神社の御神木として崇められています。

  • 玉前神社・拝殿<br /><br />タイミング悪く訪問時は「平成の大修理」ということで拝殿はシートで覆われてお詣りできませんでした。

    玉前神社・拝殿

    タイミング悪く訪問時は「平成の大修理」ということで拝殿はシートで覆われてお詣りできませんでした。

  • 玉前神社・本殿<br /><br />玉前神社は「玉依姫命」(たまよりひめのみこと)を祭神とする「延喜式」神明帳のも見える古社で「三代実録」にも記録される由緒ある神社です。<br /><br />鎌倉時代には上総一ノ宮として格式を保っており、北条氏・里見氏の天正の変で罹災、天正10年(1582)里見義頼により再建されたと伝えられています。(玉前神社社殿説明板)

    玉前神社・本殿

    玉前神社は「玉依姫命」(たまよりひめのみこと)を祭神とする「延喜式」神明帳のも見える古社で「三代実録」にも記録される由緒ある神社です。

    鎌倉時代には上総一ノ宮として格式を保っており、北条氏・里見氏の天正の変で罹災、天正10年(1582)里見義頼により再建されたと伝えられています。(玉前神社社殿説明板)

  • 玉前神社・招魂殿<br /><br />日清・日露から太平洋戦争までの一ノ宮出身の戦没者をお祀りしています。

    玉前神社・招魂殿

    日清・日露から太平洋戦争までの一ノ宮出身の戦没者をお祀りしています。

  • 玉前神社・イチョウの木<br /><br />玉前神社神木のイチョウの木があります。

    玉前神社・イチョウの木

    玉前神社神木のイチョウの木があります。

  • 平廣常顕彰碑<br /><br />治承4年(1180)源頼朝が平家に対し反旗を翻しますが石山橋の戦いで敗れ、安房に逃れやがて勢力を蓄え武蔵を渡り鎌倉にて幕府創設しますが、その途中で上総権介広常らが頼朝を支え結果として創設に大いに寄与します。その後広常は自らの言動を誤解され頼朝から謀反の怖れありとして腹心の梶原景時に暗殺を命じ治承7年(1183)広常は自宅で殺害されます。

    平廣常顕彰碑

    治承4年(1180)源頼朝が平家に対し反旗を翻しますが石山橋の戦いで敗れ、安房に逃れやがて勢力を蓄え武蔵を渡り鎌倉にて幕府創設しますが、その途中で上総権介広常らが頼朝を支え結果として創設に大いに寄与します。その後広常は自らの言動を誤解され頼朝から謀反の怖れありとして腹心の梶原景時に暗殺を命じ治承7年(1183)広常は自宅で殺害されます。

  • 芭蕉の句碑

    芭蕉の句碑

  • 西南戦争記念碑<br /><br />新政府軍の一員として西南戦争にて戦没となった当地出身の兵士を顕彰したものです。

    西南戦争記念碑

    新政府軍の一員として西南戦争にて戦没となった当地出身の兵士を顕彰したものです。

  • 説明板

    説明板

  • 十二神社<br /><br />一ノ宮町内にあった十二社(愛宕神社・三島神社・日枝神社・浅間神社・蔵王神社・熊野神社・八幡神社・白山神社・山神社・寒神社・粟島神社・水神社)を集めて末社としたものです。

    十二神社

    一ノ宮町内にあった十二社(愛宕神社・三島神社・日枝神社・浅間神社・蔵王神社・熊野神社・八幡神社・白山神社・山神社・寒神社・粟島神社・水神社)を集めて末社としたものです。

  • 玉前神社・授与所

    玉前神社・授与所

  • 玉前神社・境内風景

    玉前神社・境内風景

  • 玉前神社・境内風景

    玉前神社・境内風景

  • 玉前神社・斎館<br /><br />

    玉前神社・斎館

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