2013/02/09 - 2013/02/09
71位(同エリア89件中)
滝山氏照さん
JR中央線高円寺駅下車して駅前を南進するといくつか社寺が在し、今回の対象は氷川神社境内にある気象神社ですが近隣の社寺も併せて訪問しました。
この気象神社は全国でも珍しく、昭和19年(1944)4月に陸軍気象部の構内に設置され、予報的中を祈願するという非科学的ではありますが観測担当者の心の拠り所とされていたそうです。
敗戦後は神道崇拝禁止令により撤去のはずが、調査漏れとかで解体を免れ、その後高円寺氷川神社境内にに遷座され現在に至っています。
気象神社由緒については現場説明板によると下記の通りです。
「この気象神社は旧陸軍気象部の構内(旧馬橋4丁目、現在高円寺北4丁目)に昭和19年4月10日に造営、奉祀るされ、途中空襲による焼失、再建されたが太平洋戦争の終戦による気象部隊解散に伴い旧気象部隊関係者によって払い下げを受け、当高円寺氷川神社に昭和23年9月18日に遷宮祭を執行し、移設したものである。
以来気象部隊関係者を始め多くの方々の参拝、奉仕を受けて参りましたが月日の経過と共に社殿の腐食が甚だしく遷宮55年を記念して新しい社殿の御造営に着手し、平成15年6月1日の気象記念日に竣工式を挙行した」
御祭神は八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)(知恵の神)
2022年9月3日追記
境内に建てられた説明板には下記のように紹介されています。
『 長 仙 寺
日王山阿遮院長仙寺は、真言宗豊山派の寺で不動明王を本尊とします。
寺伝によると、宝永元年(1704)、中野宝仙寺の住僧であった真秀(享保6年1721没)が、この地に一庵を建て、日王山阿遮院と号したのが開創といわれます。
その後、寺容も整い長仙寺と称してきましたが、寛政8年(1796)本堂を焼失し、五十余年を経て嘉永3年(1850)、明情和尚の代に再建されました。
昭和になり、高円寺町の発展とともに寺勢最再興し、昭和10年本堂を新築しましたが、同20年4月戦災のため惜しくも堂宇を全焼しました。現在の本堂(寝殿造り)は、昭和44年に建立されたものです。
本尊の不動明王像は「新編武蔵風土記稿」に「本尊不動にて長1尺8寸の立像を安す」と記されているように、木像55センチメートル程の立像で、室町時代の作といわれています。
境内に安置されている如意輪観音の石仏は、享保9年(1724)の造立で、裏に「高円寺村観音講中同行男女百人」という碑文が刻まれています。観音様がほほを抑え、いかにも歯が痛むようなお姿をしているので、誰いうともなく歯が痛むときお参りすれば、痛みを代わって受けてくださるとして近在の信仰をあつくし、人々から親しまれました。
平成13年3月
杉並区教育委員会 』
さらに駅名となった高円寺の由緒については杉並区教育委員会説明板には下記の通り紹介されています。
『 宿鳳山高円寺は、弘治元年(1555)中野成願寺3世建室宗正によって開山された曹洞宗の寺です。本尊は観音菩薩像で、室町期の作と伝えられる阿弥陀如来坐像も安置されています。
かつてこの地は、周辺に桃の木が多くあったことから桃園と称され、本尊は桃園観音、寺は桃堂の名で呼ばれていました。当寺が広くその名を知られるようになったのは、第5世耕岳益道の時、三代将軍徳川家光の知遇を得たことによります。現本堂裏の高台が「御殿跡」と呼ばれるのは、家光が遊猟のおり当寺に立ち寄り休息した茶室が跡に由来するといわれ、付近には「御殿前」の名称が残りました。境内にある茶園の名残も家光の寄進と伝えられます。
また、それまで小沢村と呼ばれた村名を寺名をとって高円寺村と改めさせたのも家光といわれています。
当寺は今日まで寛保2年(1742)、弘化4年(1847)、明治33年、昭和20年と4度も罹災し、堂舎と共に古記録類の多くを焼失しました。現在の本堂は昭和28年に建立したものです。』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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【長仙寺】
長仙寺(ちょうせんじ)山門
<長仙寺>
正式には日王山阿遮院・長仙寺(ちょうせんじ、東京都杉並区高円寺)と言い、真言宗豊山派のお寺で不動明王を本尊としています。
寺伝では宝永元年(1704)中野宝仙寺住僧である真秀がこの地に庵を建て日王山阿遮院と号したのが開創と言われています。 -
長仙寺・石標
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長仙寺・由緒説明板
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長仙寺・境内風景
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長仙寺・境内風景
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イチオシ
長仙寺・本堂全景
本堂の正面には珍しく石塔が配置されています。 -
長仙寺・石塔近景
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長仙寺・境内風景
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長仙寺・境内風景
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<高円寺>
高円寺・山門 -
高円寺・石標
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イチオシ
高円寺・山門鬼瓦
鬼瓦には「葵の御紋」が施されて、徳川将軍家(家光)との関わりが示されています。 -
高円寺・山門扁額
山門に掲げられた山号「宿鳳山」の扁額が在ります。 -
高円寺・葵の紋
徳川家光が鷹狩の際当寺を休憩の地として利用したことから、山門の扉には徳川家の家紋である「葵の紋」が取り付けられています。 -
高円寺・参道
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高円寺・本堂
当寺は弘治元年(1555)中野成願寺三世建室宗正という住僧により開山された漕洞宗のお寺です。御本尊は観音菩薩像です。 -
高円寺・本堂
江戸時代初期までは小沢村と呼ばれ、徳川三代将軍家光が鷹狩の為当地を訪れ当寺を休息の場として利用、このことから寺の名前が広く知れ渡り正和年間には小沢村から高円寺村に変更された経緯があります。 -
高円寺・本堂扁額
寺号「高圓寺」が掲示されています。 -
高円寺・本堂彫刻
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高円寺・境内風景
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高円寺・本堂風景
本堂の正面に位置する石製の台座らしきものがあ左右に見えますがどのような経緯で造られ、何が配置されたのか興味深々です。 -
イチオシ
【稲荷神社】
稲荷神社
高円寺境内には小振りの白亜の鳥居ですが独特なデザインが施されています。 -
稲荷神社・龍の鳥居
よく見ますと龍が鳥居の柱に刻まれています。これは神域を守護するものとして、山門の仁王像や獅子、又は狛犬と同様の意味を持っています。 -
稲荷神社・龍の鳥居
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稲荷神社・鳥居
社から龍を刻した鳥居を捉えます。 -
高円寺本堂
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高円寺本堂
再度本堂入口の彫刻を見ますとさまざまな姿がありますが龍らしき彫物も散見されます。 -
高円寺参道
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高円寺参道
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【高円寺氷川神社】
高円寺氷川神社
狭いながらも格式の高い神社を感じさせます。 -
高円寺氷川神社石標
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高円寺氷川神社・案内板
案内板には氷川神社の境内に気象神社が祀られていることが記載されています。 -
高円寺氷川神社・由緒説明板
「 高円寺 氷川神社
この神社は、旧高円寺村小名原の鎮守で、祭神は素?鳴尊です。
創建については口碑によれば、天文年間(1532~15)村内曹洞宗高円寺の創建と同じ頃といわれています。また社殿によれば源頼朝が奥州征伐の際、この地に着き、安達藤九郎盛長に命じて社殿を建立させたとも、家臣の村田兵部某が高円寺村にとどまり農民となった時、大宮の氷川神社を勧請して社殿を建立したのが起源とともいわれています。しかし、詳細なことは詳かではありません。
当社は、「新編武蔵風土記稿」多摩郡高円寺村氷川社の条に「除地四段三畝十歩、外に供免一段五畝、小名原にあり、是も鎮守なり、本社三尺四方南向、上屋二間に三間、木の鳥居たつ、村内高円寺の持」と記されており江戸時代には、原の鎮守様として農民の信仰を集め、高円寺が別当職を務めていたといわれます。明治7年、村社となりました。
境内には、三社の末寺が祀られていますがなかでも気象神社(祭神八心思比顕命・やごころおもいかねのみこと)は全国でも数少なく、非常に珍しい神社です。この社は、戦時中、旧馬橋四丁目にあった陸軍気象部内にあったものですが、戦後、関係者の要請で当神社の境内に移されました。例際日は、八月二十八日です。」 -
高円寺氷川神社・本殿
創建については天文年間(1532~15)、村内漕洞宗高円寺の創建と同じ頃と言われています。社伝では源頼朝が奥州征伐の際、有力御家人である安達盛長(あだちもりなが、1135~1200))に命じて社殿を建立させたとか、家臣の村田兵部某が高円寺村に留まり農民になった時、大宮氷川神宮を勧請して社殿を建立したことが起源と言われていますが実のところはわかりません。 -
高円寺氷川神社・本殿扁額
「氷川宮」と刻されています。 -
高円寺氷川神社・境内風景
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【気象神社】
気象神社
氷川神社境内に気象神社があります。 -
気象神社・鳥居
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イチオシ
気象神社・拝殿
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気象神社・由緒説明板
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