2013/07/15 - 2013/07/15
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たびたびさん
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秋月は、今回が2回目。前回はだいぶ前になりますが、黒田長政の三男で、秋月藩の初代藩主の黒田長興の威徳をひたすら大切にしているような土地柄が深く印象に残っていました。それがけっこう好印象で、今回は、久しぶりにそれを感じてみたくなりました。
結果は、期待した通りで、いっそう秋月藩への共感が深まったような気がします。しかし、一方では、博多と比べることでちょっと新たな視点も湧いてきて、自分としては意外に収穫の多い旅となりました。
というのは、ちょっと唐突ですが、日本の街では自らのアイデンティティを江戸時代におく街が多いんです。言ってみれば秋月はその典型。しかし、博多は、ほとんどそんなことはない。黒田藩の存在は、歴史の一コマにすぎません。大陸との関係の中で、もっとスケールの大きなアイデンティティを持っているんですね。
ただし、反面、江戸時代の博多は、福岡藩の中の経済の中心地でしかありませんでした。その頃は、長崎のように全国区でもないし、九州の3分の1が天領で、その中心地、日田のように九州の経済の中心地ですらもなかったのです。さらに、明治維新後は、炭鉱を控えた北九州の重工業の急速な発展で、福岡の中心は北九州。大陸への窓口も、門司港が担います。
そうした時代を経ても、博多は、かつての博多商人のDNAを失うことなく、九州の中心として見事に復活しています。そして、山笠もそうした歴史をしっかり見つめ続けてきました。
博多と秋月を比べて、いろんな思いが駆け巡りました。どちらも、それぞれに変わらないでいてほしいと願うばかりです。
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秋月へは、福岡天神から西鉄で向かいます。久留米で乗り換え、甘木までが、一時間強。
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西鉄の甘木駅に到着し、甘木鉄道の甘木駅に歩いて移動。ここから、秋月行きのバスに乗ります。
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で、甘鉄の甘木駅前の広場にあるのは、日本発祥之地 卑弥呼の里という碑。邪馬台国は九州にあったとする九州説はもうかなり分が悪いと思うのですが、九州にあったとすると、この辺りとされているようで、それを記念して建てられたもののようです。傍らには、けっこう詳しく邪馬台国九州説の解説がありました。
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待ち合わせの時間もまだあって、観光プラザ ほとめく館へ。甘鉄甘木駅の中にある観光案内所です。秋月観光の事前情報を入手するために寄ってみました。なお、秋月行きのバスは、ほぼ一時間に一本。ほとめく館のすぐ前がバス停なので、待ち合わせはぎりぎりまでここにいても大丈夫です。
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「だんごあん」は秋月市街から古処山のふもとまで登ったところ。
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福岡では、超有名なお店らしく、甘木駅で秋月行きのバスを待っている時、ぜひ行った方がいいと強く勧められて行くことにしました。
ちなみに、秋月行きのバスで何本かはこの「だんごあん」まで行くのだそうです。私が待っていたバスも、「だんごあん」が終点で、せっかくならとなったわけです。 -
渓流が勢いよく流れています。天然のクーラーよろしく、涼しい風が吹いてきますね。
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これが「だんごあん」。山小屋風ですね。
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イチオシ
鶏の串焼きを焼いています。煙がもうもうと上がって、豪快です。
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炊き込みご飯とさっきの鶏の串焼きを注文しました。まだ時間が早かったので、ランチのセットはまだやっていませんでした。
どちらも、丁寧な作り。景色がウリだけではなくて、材料の自然の味を活かして、料理もとっても美味。すばらしいですねえ。 -
渓流が勢いよく流れる谷には、こうやって座敷が設けられ、貴船の川床と同じ野趣あふれる施設です。
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イチオシ
家族連れやリピーターも多いようで、確かに、一度行くと忘れられないインパクトがあると思います。
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座敷から覗き込むと、すぐ下がこんな具合です。
ところで、だんごあんで帰りのバスを待つつもりだったのですが、下り坂なので十分歩けるとのこと。予定変更で歩いて帰ることにします。 -
本覚寺は、だんご庵からすぐ。ここからは古處山へ続く道が始まるようですが、寺はバス道路から少し入っただけのところです。
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日蓮宗の寺で、九州三十三観音第7番霊場とのこと。観音を見せてもらおうと思ったのですが、お客さんのよう。ちょっと声が掛けずらくて、あきらめました。
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これは、野鳥川。だんごあんの渓流から続いていて、この川伝いに秋月市街に向かいます。さわやかな景色です。
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まずは、秋月美術館。ここは、杉の馬場沿いにある長屋門が立派な美術館。築80年以上の古民家を改築した建物で、福岡藩御用窯高取焼の名品が一番の見どころです。
しかし、残念なことに、この日は、開いていない。何年か前に来た時は、その高取焼のレベルの高さには正直驚きました。高取焼は、遠州七窯の一つでもあり、福岡の誇る焼き物なのですが、福岡市にはこれといったコレクションがなく、こうした遺品が秋月にあること自体、秋月の特別な価値を表しているような気がします。 -
そのまま杉の馬場を行って、秋月城跡へ向かいます。
秋月城址は、福岡黒田藩の支藩秋月藩の城跡。秋月藩は、黒田長政の三男、黒田長興が福岡藩2代忠之より5万石を分けられ、成立した藩。城は、かつて、1203年、秋月種雄が築城し、以降、秀吉の九州平定で敗れるまでの約400年を秋月氏が居城としていたもの。現在は、堀、石垣の他は、長屋門、黒門が残るくらいです。平城ですが、秋月の街を見下ろす一番高い場所にあって、特に紅葉の季節の美しさは目を見張るものがあります。 -
イチオシ
途中にあるのが秋月郷土館。ここは、黒田藩の支藩であった秋月藩の歴史を今に伝える資料館です。
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施設は、大きく三つあり、一つは秋月藩士戸波半九郎の武家屋敷跡。郷土資料館は、秋月藩の設立の経緯や初代藩主長興ほか、黒田家の主だった人物の紹介。
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そして、郷土美術館では、地元秋月藩士の子孫から寄贈された土岐コレクションと、秋月藩主が愛用した甲冑・刀剣等の展示。中でも圧巻は、島原陣図屏風。1637年に起きた島原の乱の出陣・戦闘の様子を描いたもので、島原の乱後200年を記念し、8年の歳月をかけて描かれたということです。合戦の史実に忠実、かつ、戦いの悲惨な場面も正面から描いていて、ただただ圧倒されるしかありません。
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そして、秋月城址へ。城址にあるのは垂裕明神。秋月城跡の黒門からさらに石段をしばらく登った一番奥です。秋月藩初代藩主黒田長興以下の歴代藩主・一族や秋月出身の島原の乱から太平洋戦争までの戦死者を祀っています。
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イチオシ
黒門は、秋月氏の本城、古処山城の搦手門であったのではないかとされ、秋月氏の時代の遺構として残る唯一の建物。
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古い遺構だけに、よく見るとあちこちかなりボロボロなのですが、周囲は秋月城跡でも紅葉が最も美しい場所。夏の青い紅葉の季節でしたが、それでもその美しさはただごとではないような気配がありました。美しい秋月を象徴する一角です。
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さらに先に進むと、
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石段を覆うように、
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紅葉の大木がうっそうと繁っていて、夏の季節に緑が輝いていました。
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人間の感性に訴えかけてくるような、すばらしく美しい神社です。
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神社を降りて、こちらが本丸のあった辺りでしょうが、今は小学校になっています。
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長屋門を通って、杉の馬場へ降りていきます。
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イチオシ
ちなみに、長屋門は、秋月藩主黒田家の居城である秋月城の裏手門として使用されていたもの。当時の建物で唯一当時の場所に残る遺構であり、杉の馬場から、比較的緩やかな石段を登るとこの門を入って、かつての城内に入ることができます。下から見上げると穏やかな眺めです。
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イチオシ
再び、杉の馬場へ。杉の馬場も、「九州の小京都」といわれる城下町・秋月のシンボルの一つ。秋月城跡の石垣下にまっすぐのびる500mの通りは、かつては、武士たちの馬術の稽古に使われたので馬場でした。現在は、両脇に約200本の桜が植えられ、風情のある景色を作っています。
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瓦橋は大手門へと続いていた道。表面は瓦で補強されています。
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ここから、武家屋敷久野邸に移動します。
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武家屋敷久野邸は、秋月黒田藩五万石の初代長興公より知行を受けた直参上級武士の屋敷です。
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藩主の館の一部を拝領し、移築した建物のようです。
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玄関を入って、
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奥の間に
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入って行きます。シンプルな作りですが、無駄が全くない。清々しい印象です。
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渡り廊下の先には、離れ座敷があるようです。
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周囲を庭が囲んで、それぞれの部屋からは路地庭園も含めて、豊かな緑が目に入ります。
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イチオシ
軽快で快適な暮らしぶりが窺われました。
土蔵の資料館も几帳面な記録がたくさん残っており、武士と言っても、学もなければ勤まらない。大変なプレッシャーもあったのかもしれません。いずれにしても、そうした暮らしぶりまで十分に想像できる生々しい資料だと思いました。 -
少し離れたところにあるのが旧田代家住宅。秋月藩の上級武家屋敷で、秋月藩成立時、初代藩主黒田長興に付けられた家老、田代外記から始まる家柄です。
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ただ、門を入ると母屋とこれを囲む庭。さほどの広さは感じません。
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なお、建物は、江戸時代後期のもの。中に入ることはできず、外から部屋を眺めることになります。
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では、再び、中心部に戻ります。
初夏の花が活き活きと咲いてます。ちょっと疲れ気味の私ですが、ちょっと元気がでます。 -
本證寺は、秋月にある日蓮宗の寺院。江戸初期に、博多、妙典寺の住職、日焉によって開かれます。
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この日焉は、初代藩主黒田長興と親交があり、長興が秋月に入るのに伴って秋月へ来た人物。島原出陣の際も、ここで武運長久の祈祷をしています。
なお、山門にある「福王山」の額は長興の自筆とされています。 -
続きの西念寺は、豊臣秀吉が関係しているよう。
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豊臣秀吉の九州征伐で、秋月種実を降伏させると秋月に三日間滞在します。その際、一日は秋月種実の家臣、小山田正信宅にも逗留。
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正信は熱心な真宗の信者であったことから、秀吉の勧めもあって、自宅をこの西念寺としたのだそうです。
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なお境内には、儒学者原古処と娘采蘋(さいひん)の墓があるとのことでしたが、探しきれませんでした。
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ここから目鏡橋へ。野鳥川を渡ります。
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さて、秋月目鏡橋に到着。秋月の市街地に入る入口といった場所です。
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イチオシ
石造のアーチ橋は、長さ17.9m、幅4.5m。花崗岩を使用し、シダが適度に生えてとてもきれいです。橋は、秋月藩中興の祖、8代藩主黒田長舒の命によるものです。
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野鳥川に架かっていて、今の時期、川では子供たちが川遊びをしていました。
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月の峠は、目鏡橋の向かい側です。天然酵母パンの味の良さから、けっこうな人気だそうで、私も気になって訪ねてみました。
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なるほど、いかにもこだわりを持って作っているといった雰囲気です。ぶどうぱんをいただきましたが、ふっくらしたパンに、ぶどうがぎっしり詰まって、豊かな味わい。じわじわおいしさが沁みてくるようなパンでした。秋月にふさわしいパン屋さんだと思います。
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で、これは隣りの秋月ままごとや。ソフトクリームのお店で、はちみつソフトの文字が目について、声を掛けました。
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のども乾いていたので、コーヒーフロートの方にしましたが、ソフトの味がめちゃめちゃおいしい。単に蜂蜜を入れただけではない工夫を感じました。近所の人がポツポツやってきていましたが、これは癖になる味かもしれません。
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市街に帰る途中に目に入ったのは、三隅製麺工場。通りに、木の看板があって、寄ってみました。
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明治10年創業で、麺作り一筋で130年という老舗。工場の事務所のような建物が販売所になっていました。葛が練り込んであるそうめんのお徳用のタイプをいただきました。茹でるのは、1分です。これより長くても短くてもダメ。麺の具合を見て判断せずに、時間だけ見て茹でてくださいと、丁寧な注意をもらいました。これから食べるのですが、ちょっと緊張しています。
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秋月は福岡藩の支藩秋月藩5万石の城下町。こういう街には、和菓子屋さんがあるものなんですが、なかなか見つからない。もうないのかなあと思った時に見つけたのが、この西田製菓。メガネ橋から秋月市街に入る街道沿い。実は、分かりやすい場所だったんですね。
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ちょっと地味目のお店に入ると入ったところにレトロなショーケース。破れ饅頭という蒸かした餡子のまんじゅうをいただきました。まだ湯気でも出ていそうな感じ。柔らかな皮に、しっかりした甘さの餡子が包まれていて、これは正統派のおいしさです。もうちょっと、もう少し店構えを工夫したらいいと思うんですが、それがちょっと惜しいと思います。
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そのまま街道を進んで、これが一番楽しみにしていた廣久葛本舗。
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文政2(1819)年の創業という葛の老舗です。
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秋月葛は、奈良の吉野葛と並んで品質のよさに定評があるということでしたが、聞くと鹿児島のものだそうです。
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そして、これが、目当ての葛ぜんざいですよ〜。どうでしょうか。
むむ。伝統の製法で作られた葛のおいしさはただ者ではない。葛の食べ方としては、黒蜜で食べる葛きりが最高の食べ方だと思っていたのですが、ここの葛ぜんざいは絶品。ちょっと衝撃的なうまさです。 -
イチオシ
また、涼しげな器もいいですね。先代がどこかで買い求めたもののようですが、伝統の技に、こうした喫茶メニューを考案したりした中興の祖なのかもしれません。
これで、すっかり満足。秋月はこの葛ぜんざいを食べるためだけに来ても価値があるでしょう。とにかく、すごいの一言です。 -
さて、残り時間を利用して、もうひと踏ん張りしますかあ。
この長生寺は、黒田家菩提寺、古心寺の近く。 -
この寺は、長崎の豪商、末次興膳善入が建てた寺。種痘の開祖、緒方春朔、秋月藩のお抱え絵師、斉藤秋圃、「秋月の乱」の指導者、今村百八朗や宮崎車之助ら三兄弟の墓もあることで知られています。
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古心寺の前に、秋月焼のお店がありました。
秋月は、福岡藩の支藩、秋月藩があったところですし、御用窯だった高取焼の名品がたくさん残っている土地柄。小石原も遠くはないし、焼き物の窯があっても不思議はないのですが、一軒あったのがこの秋月焼 橘窯。どこかの系譜なのかなあと思ったのですが、聞くとそうでもない独立窯。入るとすぐに青と赤の釉薬が大胆にかかった大皿が目に入りました。辰砂の赤らしいのですが、鮮やかでちょっと見たことがないようなすばらしいものでした。やっぱり寄ってみて、正解でしたね。 -
この辺りも道沿いには小川が流れて、秋月は本当に水が豊かな街です。
町は平坦な方がいいのではありません。こうやって水を通すためには、適度な傾斜が必要なんです。そうした微妙な地形も秋月の美しさを支えているんですよね。 -
さて、これが古心寺。秋月藩初代藩主、黒田長興が、父の福岡黒田藩の初代藩主、黒田長政の菩提を弔うために建立した寺です。
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市街から少し山の方に登った辺りですが、比較的近場。境内には、黒田長政の墓のほか、長興以下、歴代藩主の墓がありました。
美しい秋月を後世の私たちに残してくれたことに感謝しましょう。 -
以上で、秋月はおしまい。
秋月から、甘木に向かってバスで移動中。なにやら祭りのようです。
祇園山笠は、博多だけの祭りかと思ったら、甘木にも「甘木祇園山笠」というのがあるんですね。担ぎ手がそれほど集まらないのか、小型トラックに山を積んで、これを大勢の若い衆が追いかけていくスタイルです。それでも、沿道からは、ざぶざぶ水が掛けられるし、全体としては博多の山笠とそっくり。 -
たまたまですが、私の乗った路線バスの前を進んでいくので、ずいぶんしっかり見物ができてしまいました。
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ラッキーです。
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甘木から久留米に到着。福岡空港へは、ここからリムジンバスの乗るので、少し時間があります。ちょっと久留米の散策をしてみましょう。
やってきたのは青木繁の墓。西鉄久留米駅から明治通りを日吉町の交差点へ。右折して少し行った順光寺の墓地にあります。 -
山門をっ入って、レンガを敷いた小道を行く本堂の真横です。
青木繁は、28歳でなくなっていますが、「海の幸」「わだつみのいろこの宮」といった代表作は重要文化財となっていて、ちょっと桁外れ。私的には、九州が生んだ大物画家の中では、黒田清輝と並ぶ巨大な存在だと思います。 -
そして、久留米と言えば久留米ラーメン。大龍ラーメンは、西鉄久留米駅からすぐの一番街商店街の入り口わきです。豚骨ラーメンの元祖ともいわれる久留米ラーメンの有名店。今や、豚骨と言えば、博多ラーメンの方が知られているのでしょうが、どう違うんでしょうか。
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いずれにしても、こちらのラーメン、かなりのこってり系。暑い日にどうかなあと思いつついただきましたが、逆に、元気になってよかったみたい。あくまでも濃いラーメンには違いないのですが、やっぱり基本的なうまみがそうさせるんだと思います。さすが、有名店だけのことはあるでしょう。
以上で、三日間の旅は終了。これから福岡空港に向かいます。お疲れ様でした。
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