2013/07/11 - 2013/07/13
238位(同エリア377件中)
愛吉さん
4トラベル旅行記100回記念の旅に出ています。
2日目の今日は石山寺、義仲寺、三井寺、坂本、比叡山と滋賀の古社寺を回る予定です。
欲張った旅程なので、7時にホテルを出発します。
切符も地下鉄蹴上の駅で、京都地下鉄京阪大津線1DAYパスを購入。
浜大津で石山寺行きに乗換、1時間ほどで石山寺に到着しました。
石山寺は平安時代、石山詣と称し宮廷の女房の間で、寺に籠り読経しながら一夜を過ごす事が流行りました。
紫式部もここに参籠して源氏物語の想を練り、又清少納言の枕草子、和泉式部日記にも石山詣が記されています、又貴族夫人の蜻蛉日記や更級日記等にも書かれています。
個人的にも今度の旅の決め手になった場所です。 ジックリ見て回りましょう。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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石山寺の駅を降りると、瀬田川に沿って下流の宇治に向って歩きます。
車道の脇には石山寺境内参道の歩道があります。 -
石山寺に到着しました。
東大門です。 国の重文に指定されて居ます。 -
東大門の解説板
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それでは、門を潜り境内に入ります。
仁王様は運慶、湛慶の作。 -
門を入ってすぐ右側の法性院です。
門の前に大津のユルキャラ3個が並べてあります。
通行止めの印だと前を通過します。 -
次の淳浄館ではイベントを行っています、覗いて見ると座敷に上がらねば成りません。靴を脱ぐのは面倒とここも通過します。
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途中立派な井戸があります。 まだ現役なのでしょう。
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続いて大黒堂の立派な門が続きます。
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中を覗きます。無料で参拝できるのは此処までです。
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参拝券を購入し中に入ります。
右に在る赤い建物は、水舎です。 -
水舎の竜吐口
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水車と案内板
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本堂に続く階段を登り始めて、振り仰いだ光景です。
木の間越しに多宝塔が見えます。 -
途中に在る毘沙門堂。
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同じく弘法大子の御影堂。
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弘法大師の御影。
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本堂に近付いて来ました。
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源氏の間
本堂の端にあるこの書院で、紫式部が7日間参籠し、その折り月を見ながら、源氏物語の想を練ったと言われます。 -
書院の中には、紫式部の人形が置かれて居ました。
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本堂の内部です。
現在の本堂は、慶長年間に秀吉の愛妾淀の方が再建したといわれ、国宝です。 -
本堂は舞台造りです。
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本堂の周りには、絵馬やおみくじが並びます。
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本堂から見た蓮如堂です。
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鐘楼 本堂から一段上がった処にあります。
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可愛い石仏も迎えて呉れます。
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経蔵の下に在る腰掛け石、妊婦が腰掛けると安産するそうです。
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紫式部の供養塔
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多宝塔 国宝に指定されて居ます。
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多宝塔の案内です。
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宝筐印塔 四方に四国八十八ヶ所の土が埋めてあり、これを回ると八十八ヶ所を回ると同じ功徳が得られます。
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月見亭、後白河天皇を始め多くの天皇の玉座が設けられました。
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月見亭から見た瀬田川。
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心経堂
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光堂
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源氏苑の中に在る紫式部の像
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めかくし岩、 めかくししてこの岩を抱けば所願成就といわれる。
平安朝のもの。 -
源頼朝、亀谷禅尼の供養塔。
石山寺の再興に尽力したそうです。 -
上から見た石山寺境内、手前は石山寺の語源になった硅灰石。
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同上
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石山の、石にたばしる、あられかな 芭蕉
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下まで下りて来ました、石山寺を後にして次に向いましょう。
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境内の一番外れに在る朗澄大徳遊鬼境の鬼が見送って呉れます。
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京阪石山寺から電車に乗り膳所駅で下車、10分程歩くと義仲寺です。
今は街中の小さな寺ですが、戦前までは粟津ヶ原と呼ばれ、琵琶湖に面した風光明美な場所でした。
又木曽義仲が北陸に落ちのびる途中討死した所でもあります。 -
寺の起源は古く、平家滅亡後しばらくして、一人の尼僧がこの地に庵を結び、公の墓前に香崋を絶やさなかった、村人が名前を聞くと、名も無きものとのみ答えたので、その後その庵を無名庵と呼ぶようになりました。
それがこの寺の前身です。
尼は義仲の愛妾巴御前だったといはれます。
さーそれでは中に入りましょう。 -
寺の由緒書です。
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入口を入った寺の佇まいです。
正面に見えるのが義仲公の墓です。 -
正面からお参りしましょう。
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義仲公の墓の隣には、小さな巴塚が有ります。
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巴を讃えた三浦義一翁の句碑
かくのごとき をみなのありと かってまた
おもひしことは われになかりき -
義仲公の右奥に並ぶのが、俳人芭蕉のお墓です。
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芭蕉のお墓
松尾芭蕉翁は1694年10月12日午後4時頃、大阪の旅舎で亡くなりました。51歳でした。
遺言により、義仲寺に葬る為その日の内に、去来、其角等門人10人が遺骸を守り、船で淀川を上り伏見に到り、13日午後義仲寺に到着、14日葬儀、深夜ここに埋葬しました。 -
墓石をアップで写します。
"木曽殿と 背中合わせの 寒さかな" 又玄 -
芭蕉翁の句碑 芭蕉の真跡だそうです。
”行く春を 近江の人と おしみける" -
翁堂、 芭蕉像が安置されて居ます。
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翁堂の天井画は伊藤若沖の四季花卉図です。
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これで義仲寺を後にします。
出口で今一度振返ります。
この稿はこれにて終了です。
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