2013/06/16 - 2013/06/17
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あーや@パンダさん
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二本松市の岳温泉に宿泊した翌朝は、安達太良山からの大パノラマを楽しんだ後、裏磐梯の「五色沼自然探勝路」のトレッキングを堪能しラーメンと蔵の町・喜多方へ。喜多方ラーメン発祥のお店で、ご当地グルメの超定番を味わい、蔵の町を少しだけ歩きました。
梅雨入り前の貴重な晴れでしたが、畑の作物にはお湿りが欲しいような夏の日差しの中、見渡す限り山の稜線が見える大きな盆地を会津若松へ向かいました。
会津若松は、2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン新島八重の出身地。綾瀬はるか演じる八重は、籠城戦で自らも銃を手に戦うなど幕末から昭和までの激動の時代を生きた女性。
街のそこかしこで「八重の桜」の文字が目に付きました。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JRローカル 徒歩
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会津若松・飯盛山入口
白虎隊の悲劇の舞台として知られる飯盛山に向かいます。
旅行会社の手配で、参道のお土産屋の女性スタッフがガイドとして同行してくれることになりました。
真夏のギラギラ照りつける太陽に、思わず「暑い!」といったら、ガイドのお姉さんに「会津の夏はこんなもんじゃないですよ」と軽く言われてしまいました。 -
参道のお店のおばちゃん
先日TBS系列で放送された番組で、綾瀬はるかや安住アナも立ち寄った時の写真が店頭に飾ってありました。
おばちゃんの写真だけ撮らせていただきました。 -
スロープコンベア(有料:\250)で中腹まで移動します。
白虎隊ゆかりの史跡は山の中腹にあり、麓から階段を登るのは結構キツイ。
結構斜度のあるコンベアに乗って居る間は、ベルトにしっかり掴まっていないと転倒しそうなので注意。 -
スロープコンベアは約5分で中腹に到着。
ここからは自力で階段を登ります。
日差しが強いのでガイドさんから借りた日傘をさして上を目指します。 -
ようやくひらけた場所に到着。
ガイドさんの説明に従って、会津藩に尽くした隊士たちゆかりの地を巡ります。
「ローマ記念碑」
1928年、白虎隊の精神に深い感銘を受けたムッソリーニにより、ローマ市民の名で寄贈された碑。円柱は、ポンペイで発掘された古代宮殿の柱で出来ています。 -
白虎隊の少年たちの慰霊碑
この一角には、幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争で亡くなった白虎隊ら会津藩の婦女子の霊を弔う慰霊碑などもあり、花や線香を供え祈りを捧げる人が絶えません。 -
「白虎隊十九士の墓」
煙りに包まれた鶴ヶ城を山頂から見た隊士たちは、城が落ちたなら忠義を尽くして潔く死ぬしかないと決めて自刃。
白虎隊は、戊辰戦争に備え、16-17歳の武家の男子約340名から結成された予備部隊でした。飯盛山で自刃したのは上級武士の子弟20名。
生き残った1名を除く19名のお墓はいずれも鶴ヶ城の方に少し傾いて建てられているそうです。 -
「ドイツ記念碑」
イタリアだけでなく、昭和10年にドイツ大使館員から贈られた記念碑もあったのですが、第二次世界大戦後アメリカ進駐軍によって碑面が削られ撤去。現在の記念碑は昭和28年に復元されたもの。 -
「飯沼貞吉の墓」
自刃した白虎隊士で奇跡的に唯一生き残った飯沼貞吉のおかげで、『白虎隊の悲劇』の詳細が後世まで語り継がれることになりました。
飯沼氏は、明治時代、逓信省の技師として通信事業に貢献しましたが、遺言により白虎隊士のお墓の近くに遺骨の一部が埋葬されています。 -
白虎隊の悲劇など会津藩の歴史を、心を砕いてガイドしてくれた「会津とらぞう」のスタッフさん
飯盛山には毎日多くの参拝客が訪れますが、私のように会津藩についての知識が殆どない人にも熱心に説明してくれる彼女に“会津の魂”を感じました。 -
イチオシ
「白虎隊自刃の地」
戸の口の戦いで敗走してきた白虎隊。
城下の火災の煙を鶴ヶ城の落城と見間違えた16-17歳の隊士たちは、城が陥落したものと思いこみ、主君の為に殉死する悲劇が起こってしまったのです。 -
白虎隊自刃の地の前に立つと、飯盛山の南西方向に鶴ヶ城が見えます。
(中央左寄り赤い円の中)
私はこの後列車で帰京してしまったのですが、翌日、友人たちは鶴ヶ城を見学しています。
白亜五層の天守閣の鶴ヶ城は、戊辰戦争を耐え抜いた名城として知られていますが、現在の城は1965年に再建されたもの。 -
「宇賀神堂」
17世紀後半に弁財天像を神像として建てられた堂には、白虎隊士が祀られています。 -
イチオシ
「宇賀神堂」内部
堂内には、フランス風の洋服姿の白虎隊士たちの像などが収められています。
手前の写真は、白虎隊士唯一の生存者で昭和6年に79歳で亡くなった飯沼貞吉氏。 -
「さざえ堂」:国指定重要文化財
江戸時代後期に建立された六角三層の仏堂で、内部は上りと下りの階段が一度も交差しない不思議な構造。
さざえ堂という名前は、サザエと似た形に由来するそうです。 -
さざえ堂
私は中に入らなかったのですが、螺旋階段で人とすれ違わない構造になっているのは世界的にも珍しいとか。 -
厳島神社
14世紀後半に建立された時には宗像神社と呼ばれていたのが、明治政府による「神仏分離令」で厳島神社と改名したそうです。
会津藩の歴代藩主たちからあつく信仰されていた神社も動乱の歴史をみていたわけです。 -
戸の口堰洞穴
厳島神社の境内左手に橋があり、その下が洞穴になっています。
もとは猪苗代湖から水を引くために掘削された用水堰ですが、戸の口原で敗れた白虎隊士たちはやっとの思いで洞穴を通って飯盛山にあるこの神社の境内にたどり着いたそうです。 -
白虎隊士たちの辿った道のりを示した標識
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「白虎隊記念館」
飯盛山の史跡見学を終え、坂道を下りると左手に建物が見えました。
白虎隊自刃の図や生き残った隊士の手記などの資料を展示する「白虎隊記念館」の入口には、昭和62年帝劇で上演された「遙かなり山河〜白虎隊異聞」の色あせたポスターが掲出してありました。
開いた扉の陰には、今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」のポスターも見えます。 -
記念館の入口にあった「飯盛山案内図」
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往路で利用したスロープコンベアのガラス壁に「八重の桜」のモデルとなった「新島八重」さんのポスターが貼ってありました。
会津藩の砲術師範の娘に生まれた八重さんは、戊辰戦争の籠城戦では男装して自らも銃を手に戦いました。
後に同志社大学の開設者となる新島襄の奥さんとなり、欧米風の生活を送り、キリスト教の洗礼を受けた先進的な女性です。 -
「八重の桜」のポスター
スロープコンベアのチケット売場にもこのポスターが掲出されていました。
飯盛山では、幕末から明治にかけての激動の時代の歴史のヒトコマを学び、「ローマ記念碑」と「ドイツ記念碑」を見たことで第二次世界大戦に思いを馳せる見学となりました。
今自分が平和な時代に生きていることに感謝しながら飯盛山を後にしました。
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