2013/01/04 - 2013/01/04
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ヴェラnonnaさん
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2013年1月4日、朝一番で トプカピ宮殿内の ハレムを見学します。
ハレムの言葉の響きから、鬱屈した女性たちの 哀れさを思わずにはいられません。
そして 連れて来られた女性共々 一生をハレムから出る事が不可能だった宦官たち。
ハレム内には 厳しくチェックされた教師か商人しか出入りできませんでした。
隔離された 世界の中で 繰り広げられた 陰謀。
逞しく知恵を廻らして 囲われた、その中での己の地位を 手段をも選ばずに つかんでいこうとした女性たちの歴史が積み重なった ハレムに足を踏み入れます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ここからハレムです。 見学できるのは ごく一部の 部屋だけ。
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スルタンの妻たちや寵妃、召使いまで、ハレムに暮らす女性の殆どは、戦利品として征服地から連れてこられたり、奴隷市場で買い取られたり、スルタンに献上された人々でした。
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ここに連れてこられるまでに 女性たちは別邸で 黒人の宦官によって生活を監督されながら歌や踊り、礼儀作法や料理、裁縫、さらにアラビア文字の読み書きから詩などの文学に至るまで 様々な教養を身につけさせられて 侍女として 皇帝の住むトプカプ宮殿のハレムに移されました。
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入ってすぐの所には、ハレムに使えていた 宦官の学校が あります。
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ハレムを 取り仕切っていた 黒人宦官たちの部屋。
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北アフリカのマグレブ(モロッコ、リビア、チュニジア、アルジェリア、など)から、連れてこられた黒人宦官たちは ハレムの中で従事し、白人宦官たちは 主にスルタンの内廷で奉仕していました。
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オスマントルコは侵略、制覇した国々から奴隷を集めました。
改宗させて忠誠を誓わせ トルコの教育を受けさせて奴隷とし、色々な宮廷の仕事を与えました。 長年仕えた奴隷から 高官に取り立てて 政府の仕事にも従事。
軍隊も大方 集められた多国籍の男子が 起用されていました。
そのほうが 本来のトルコ人よりも スルタンに忠実だったからだそうです。 -
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ハレムへの通路です。
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ハレムと内廷を隔てる通路には 2枚の大鏡が 向かい合わせに設置されていて 24時間 黒人宦官が 見張っていたそうです。
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対面にある 鏡の効果で ずーと 奥のほうまで 見通せます。
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ハレムの女性たちに 運ばれた食事が置かれていた配膳台。
ハレム外の宦官が ここまで食事を運び、ここから ハレム内の 黒人宦官によって 女性たちの部屋に 食事が運ばれました。 -
中庭。
女性たちの部屋が並びます。
外の景色が眺められる部屋には スルタンの子供を産んだ女性だけが 住めました。 -
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中庭に面した 部屋。
窓が無くて 簡素な感じ。 -
集められた女性たちは 元々の身分と関係なく まず、10人一部屋の 集団生活を強いられます。
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ハレムの女性たちの由一 わが身を押し上げる手段は、王子を産み、その王子がスルタンとなって、自らが母后となることでした。
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母后となれば、ハレムの中心に位置する広々とした部屋や中庭を与えられ、お付きの黒人宦官長とともに 最高権力者としてハレムを仕切ることができました。
この天蓋の部屋は ヴァーリデスルタン(スルタンの王子を産んだ女性に与えられた称号)の部屋です。 -
壁面には 風景が描かれています。
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陰謀渦巻く ハレムの中で 女性たちは 主に4つの階級にわけられていました。(実際は もっと細かな取り決めがありますが)
*従事者。
*寵妃つきの従事者。
*スルタンのお気に入りと呼ばれた女性たち、ならびにハセキ・スルタンと呼ばれスルタンの子供たちの母親となれた人たち。ハセキ・スルタンの息子が将来スルタンとなったときに、ハセキ・スルタンは・・・・
*ヴァーリデ・スルタンと位をあげました。 -
ゆったりとした空間が保たれた部屋ですが 自由に外部へ出ることが不可能だった女性たちの悲哀を感じる 格子がはめられた窓です。
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螺鈿細工の扉の中には 何を入れていたんでしょう。
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女性たちの為の 食事置き場につながる通路。
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通路から 上階へとつながる階段。
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ヴァーリデスルタン(スルタンの母后)にあてがわれた 広い中庭。
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イズニクタイルで装飾された 壁面〜天井。
14世紀、モンゴル帝国を通じて 中国からの染付が 輸入され始めます。
タイルの白地を生かしコバルトブルーで描かれた文様は、15世紀以降、ターコイズ・ブルーや緑、紫、赤などの 多色使いの イズニックタイルへと 独自の発展を遂げていきます。 -
16世紀には最盛期を迎え、様式化された独特の花や草の模様が描かれたタイルは イスタンブールを中心とする オスマン帝国の宮廷や トプカプ宮殿、モスクの壁面等を 美しく飾っていきました。
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ポルトガルの装飾タイル、アズレージョ や スペインのムハデル様式のタイル等 建築に至るまで イスラム文化が 多大な影響を与えました。
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ここまでがヴァーリデスルタンに 与えられた お部屋。
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この部屋は修復中で 床に渡された ベニヤ板の上を歩き 次の部屋へ移動します。
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なかなか見事なタイル装飾が 施されています。
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ムラト3世の部屋に入ります。
ムラト3世・・・セリム2世とチェチーリア・ヴェニエル=バッフォ(ヌール・バヌ)の子。
チェチリーア・ヴェニエル・バッフォ と言えば 1537年、12歳の頃、エーゲ海のパロス島でオスマン帝国に捕らわれ、イスタンブルへ送られて奴隷としてスルタンのハレムに入った ヴェネツィアの貴族、5人のドージェを生んだ、名家ヴェニエール一族の女性です。 ヌール・バーヌーと名を改め、セリム2世の寵愛を受け、皇子ムラトを生みました。 -
チェチーリア・ヴェニエル=バッフォ(ヌール・バヌ)と言えば もう一つ、ハレム女性の最高位であるヴァリデ・スルタン(皇帝の生母。母太后)の称号を得た初めての女性です。
摂政であった1574年から1583年まで、ヌール・バーヌーはカトリーヌ・ド・メディシスやエリザベス1世らと協力関係を結び、親ヴェネツィア共和国の強力な同盟を築きました。
さすが ドージェを数多く輩出した名門の家の娘ですね。
しかしながら ヴェネツィアと敵対するジェノヴァ共和国に非常に憎まれるようにななり、1587年に不可解な死を遂げます。
ジェノヴァの送り込んだ暗殺者により毒殺されたといわれています。 -
ムラト3世の父 セリム2世は オスマン帝国の皇帝スレイマン1世と寵妃ヒュッレム・ハセキ・スルタン(ロクセラーナ)の子です。
ロクセラーナ と言えば、ロシア地方で略奪され イスタンブールの奴隷市場から ハレムに入ります。スレイマン1世の寵愛を受け、オスマン帝国の慣習を破り、スレイマン1世との間に複数の男子をもうけ(当時二人以上の男子をもうける事は違法だった)法的な婚姻関係を結び、事実上の一夫一婦の関係を初めて認めさせました。 -
史実は 当時のコンスタンティノープルに駐在していたヴェネツイア大使からの書簡に書かれています。
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天蓋つきの玉座のようなものが 二つ。 思うに ムラト3世と 母后ヌール・バヌの為の玉座でしょうか・・・
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奥には アフメト3世(1673年12月30日 - 1736年7月1日、オスマン帝国の第23代皇帝在位:1703年 - 1730年)の部屋。
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プールが見える広場に出ます。
広場に面して 突き出した2階部分には お手付きの女性たちの部屋が あります。 -
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水がはられ 舟遊びや いろんな催しが行われた プールです。
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現在 修復中。
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寵妃たちは 部屋の窓から 水遊びを見て 楽しんだのでしょうか・・
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ハレムの中には いくつかのハマムが ありましたが どれがどこなのか オーディオガイド聞きながら メモしましたが 不確かです。
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この通路で スルタンの暗殺未遂が起こった というような説明がありました。
そのときの寵妃が スルタンを身をもって救ったそうです。 -
スルタンが亡くなると、次のスルタンがハレムを再構成したため、そのときまでそこに住んでいた女性たちは追放され、古い宮殿と呼ばれる別の場所に移動させられていました。その中でも優れた女性は教師などとしてハレムに残ることもあったそうです。
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ハレム見学はここでお終い。 ほぼ小一時間。
次は ボスポラス海峡を望む テラスや トプカピ内の別室を見学します。
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