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南イタリア・ナポリ旅行4日目。<br /><br />この日はナポリ近郊にある観光地、ポンペイとカゼルタへショートトリップ。<br /><br />午前中に訪れたポンペイでは、紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火により火山灰に埋もれ、皮肉にも破壊されることなく現代に引き継がれることとなった古代ローマ時代の街の様子を探索。<br /><br />5月とはいえ、日陰もなく炎天下の中の街歩きでしたが、街そのものが博物館というスケールの大きさに圧倒されるとともに、リアルな神殿や家屋の姿から、遥か二千年前の古代ローマ人の暮らしぶりに想いを馳せることができました。<br /><br /><旅程表><br /> 2013年<br /> 5月2日(木) 成田→ミュンヘン→ナポリ<br /> 5月3日(金) ナポリ→プロチダ島→ナポリ<br /> 5月4日(土) ナポリ→カプリ島→ナポリ<br />○5月5日(日) ナポリ→ポンペイ→カゼルタ→ナポリ<br /> 5月6日(月) ナポリ→ソレント→ポジターノ→アマルフィ→サレルノ<br />          →ナポリ<br /> 5月7日(火) ナポリ→ミュンヘン→<br /> 5月8日(水) →成田

ナポリの休日(6) 古代都市ポンペイ~二千年前のローマ人の生活が残る街

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2013/05/05 - 2013/05/05

15位(同エリア529件中)

8

50

エンリケ

エンリケさん

南イタリア・ナポリ旅行4日目。

この日はナポリ近郊にある観光地、ポンペイとカゼルタへショートトリップ。

午前中に訪れたポンペイでは、紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火により火山灰に埋もれ、皮肉にも破壊されることなく現代に引き継がれることとなった古代ローマ時代の街の様子を探索。

5月とはいえ、日陰もなく炎天下の中の街歩きでしたが、街そのものが博物館というスケールの大きさに圧倒されるとともに、リアルな神殿や家屋の姿から、遥か二千年前の古代ローマ人の暮らしぶりに想いを馳せることができました。

<旅程表>
 2013年
 5月2日(木) 成田→ミュンヘン→ナポリ
 5月3日(金) ナポリ→プロチダ島→ナポリ
 5月4日(土) ナポリ→カプリ島→ナポリ
○5月5日(日) ナポリ→ポンペイ→カゼルタ→ナポリ
 5月6日(月) ナポリ→ソレント→ポジターノ→アマルフィ→サレルノ
          →ナポリ
 5月7日(火) ナポリ→ミュンヘン→
 5月8日(水) →成田

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
鉄道 徒歩
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配
  • 5月5日(日)<br />ナポリ旅行4日目。<br />この日はナポリ近郊の観光地、ポンペイとカゼルタをまわります。<br /><br />まずは早朝7時30分、宿泊している駅前のホテル、イデアールから、ナポリ中央駅へ。<br /><br />夜の間に雨が降ったのか、路面が濡れ、ところどころ水たまりができています。<br /><br />“ナポリ中央駅はスリやひったくりが多く危険”と言われていますが、建物はきれいですし、雰囲気もそれほどでもない感じです。<br /><br />駅の外など、黒人や身なりの悪そうな人たちがところどころヒマそうにしていますが、日本の大都市の駅のように人がひしめき合うほどゴミゴミしていないので、周囲に気を配って距離をとっていれば(少なくとも日中は)大丈夫。

    5月5日(日)
    ナポリ旅行4日目。
    この日はナポリ近郊の観光地、ポンペイとカゼルタをまわります。

    まずは早朝7時30分、宿泊している駅前のホテル、イデアールから、ナポリ中央駅へ。

    夜の間に雨が降ったのか、路面が濡れ、ところどころ水たまりができています。

    “ナポリ中央駅はスリやひったくりが多く危険”と言われていますが、建物はきれいですし、雰囲気もそれほどでもない感じです。

    駅の外など、黒人や身なりの悪そうな人たちがところどころヒマそうにしていますが、日本の大都市の駅のように人がひしめき合うほどゴミゴミしていないので、周囲に気を配って距離をとっていれば(少なくとも日中は)大丈夫。

  • 最初の目的地のポンペイへは、イタリア鉄道ではなく、ヴェスヴィオ周遊鉄道(Circumvesuviana、チルクムヴェスヴィアーナ)の駅の方が近いので、そのホームへ行くべく、地下へ。<br /><br />地下への階段は、駅の中央口付近にもありますが、向かって右側の入口から入ったところにある階段の方が近くて便利です。<br /><br />・・・地下に降りると、地上階よりもさらにきれいな空間が。<br /><br />カフェのほか、本屋やファッション店などもあり、待ち時間中、安全に暇をつぶすこともできます。<br /><br />ローマやミラノの最近の状況は分かりませんが、ナポリ中央駅は、イタリアのほかの駅と比べてもそれほど危険とは思えません。

    最初の目的地のポンペイへは、イタリア鉄道ではなく、ヴェスヴィオ周遊鉄道(Circumvesuviana、チルクムヴェスヴィアーナ)の駅の方が近いので、そのホームへ行くべく、地下へ。

    地下への階段は、駅の中央口付近にもありますが、向かって右側の入口から入ったところにある階段の方が近くて便利です。

    ・・・地下に降りると、地上階よりもさらにきれいな空間が。

    カフェのほか、本屋やファッション店などもあり、待ち時間中、安全に暇をつぶすこともできます。

    ローマやミラノの最近の状況は分かりませんが、ナポリ中央駅は、イタリアのほかの駅と比べてもそれほど危険とは思えません。

  • 改札口はこちら。一部自動改札になっています。<br /><br />ここで二番目のアルテ・カード(州のすべて、Tutta la Regione)を使用開始しようとして、自動改札機に通したところ、エラーとなって開かず・・・。<br /><br />反対側にある窓口に行って駅員のおじさんにカードを見せたところ、カードにサインをしてくれ、脇にある開きっ放しの改札口を通るようアドバイスしてくれました。

    改札口はこちら。一部自動改札になっています。

    ここで二番目のアルテ・カード(州のすべて、Tutta la Regione)を使用開始しようとして、自動改札機に通したところ、エラーとなって開かず・・・。

    反対側にある窓口に行って駅員のおじさんにカードを見せたところ、カードにサインをしてくれ、脇にある開きっ放しの改札口を通るようアドバイスしてくれました。

  • ホームに降りると、電車を待っているのは黒人が比較的多い感じ・・・。<br /><br />やはり電車は“低所得者の乗り物”という感覚なのでしょうかね。<br /><br />さて、事前にネットで調べていた7時41分発の電車が来ないので、改札口に戻って時刻表を確認してみると、休日は運休との表示・・・。<br /><br />先ほどの駅員のおじさんに、“どこへ行きたいんだね?”と聞かれたので、“ポンペイ”と答えると、“8時13分だ”と返してくれました。<br /><br />やはり人情の街ナポリ、親切な人が多いです。<br /><br />そんなこんなで先ほどの本屋で時間をつぶして、7分ほど遅れた8時13分発のヴェスヴィオ周遊鉄道に乗り、いざポンペイへ。<br /><br />【Ente Autonomo Volturno(ヴェスヴィオ周遊鉄道時刻表検索サイト)】<br />http://www.eavcampania.it/web/

    ホームに降りると、電車を待っているのは黒人が比較的多い感じ・・・。

    やはり電車は“低所得者の乗り物”という感覚なのでしょうかね。

    さて、事前にネットで調べていた7時41分発の電車が来ないので、改札口に戻って時刻表を確認してみると、休日は運休との表示・・・。

    先ほどの駅員のおじさんに、“どこへ行きたいんだね?”と聞かれたので、“ポンペイ”と答えると、“8時13分だ”と返してくれました。

    やはり人情の街ナポリ、親切な人が多いです。

    そんなこんなで先ほどの本屋で時間をつぶして、7分ほど遅れた8時13分発のヴェスヴィオ周遊鉄道に乗り、いざポンペイへ。

    【Ente Autonomo Volturno(ヴェスヴィオ周遊鉄道時刻表検索サイト)】
    http://www.eavcampania.it/web/

  • 電車は同じようにポンペイを目指す観光客が多く乗っていますが、この時間帯は皆座れるぐらいでそんなに混んではいません。<br /><br />ドアの近くに立って、それほどでもない外の景色を眺めていたら、この電車は快速だったのか、8時40分、意外に早くポンペイ遺跡駅(Pompei Scavi)に到着しました。<br /><br />降車後、改めて電車を見ると、結構な落書き・・・。<br /><br />やはり南欧クオリティか?

    電車は同じようにポンペイを目指す観光客が多く乗っていますが、この時間帯は皆座れるぐらいでそんなに混んではいません。

    ドアの近くに立って、それほどでもない外の景色を眺めていたら、この電車は快速だったのか、8時40分、意外に早くポンペイ遺跡駅(Pompei Scavi)に到着しました。

    降車後、改めて電車を見ると、結構な落書き・・・。

    やはり南欧クオリティか?

  • 駅を出て、ポンペイ遺跡に行くまでの道には売店やカフェが数軒。<br /><br />広大な遺跡内にはレストハウスが一軒あるだけで、ほかに売店はないので、水分補給など気にされる方はここで買っておいた方がよいでしょう。<br /><br />わたしは何も買いませんでしたが、世界的な観光地だから値段はきっと高いのでしょうね・・・。

    駅を出て、ポンペイ遺跡に行くまでの道には売店やカフェが数軒。

    広大な遺跡内にはレストハウスが一軒あるだけで、ほかに売店はないので、水分補給など気にされる方はここで買っておいた方がよいでしょう。

    わたしは何も買いませんでしたが、世界的な観光地だから値段はきっと高いのでしょうね・・・。

  • そしてポンペイ遺跡の入口に到着。<br /><br />名立たる世界遺産のメインゲートとしては、なんだか動物園の入口のような・・・ちょっと味気ない感じです(笑)。

    そしてポンペイ遺跡の入口に到着。

    名立たる世界遺産のメインゲートとしては、なんだか動物園の入口のような・・・ちょっと味気ない感じです(笑)。

  • まず最初はチケット売り場で、“州のすべて”のアルテ・カードを提示して無料でチケットをゲット(本来の入場料は11ユーロ=約1,400円)。<br /><br />チケット売り場の脇からは、早速立体的な古代の街並みが見え、期待が高まってきます。<br /><br />ただちょっぴり、昔ローマで見た、フォロ・ロマーノのような感じも。

    まず最初はチケット売り場で、“州のすべて”のアルテ・カードを提示して無料でチケットをゲット(本来の入場料は11ユーロ=約1,400円)。

    チケット売り場の脇からは、早速立体的な古代の街並みが見え、期待が高まってきます。

    ただちょっぴり、昔ローマで見た、フォロ・ロマーノのような感じも。

  • こちらはペルーのマチュピチュで見た、アンデネス(段々畑)のような感じ。<br /><br />・・・ほかのものを思い浮かべるにつけ、なんだか感動が薄まっていくような。<br /><br />いい加減、海外旅行しすぎたかな(笑)。

    こちらはペルーのマチュピチュで見た、アンデネス(段々畑)のような感じ。

    ・・・ほかのものを思い浮かべるにつけ、なんだか感動が薄まっていくような。

    いい加減、海外旅行しすぎたかな(笑)。

  • 8時50分、改札を通って、いざ、ポンペイ遺跡へ。<br /><br />遺跡の入口であるマリーナ門(Porta Marina)までの間にある、左側の建物には有名なポンペイの赤が。<br /><br />当時のままのものでしょうか?それともさすがに復元か?

    8時50分、改札を通って、いざ、ポンペイ遺跡へ。

    遺跡の入口であるマリーナ門(Porta Marina)までの間にある、左側の建物には有名なポンペイの赤が。

    当時のままのものでしょうか?それともさすがに復元か?

  • 他の観光客に続いてマリーナ門をくぐります。<br /><br />紀元前の古代ローマ時代から残る石畳は、当時の古代ローマ人、そして近代に観光開放された後は、世界中のたくさんの観光客たちから踏みしめられ、てかてかに光っています。<br /><br />ちなみにこの“マリーナ門”という名称は、当時は陸地が低く(その後、火山活動の影響で陸地が隆起)、ポンペイ付近まで海が迫っており、こちらの門が海側にあったことから名付けられたそうです。<br /><br />ポンペイは当時、海運で栄え、人口2万人と豊かな都市機能を有する賑やかな商業都市だったのですね。

    他の観光客に続いてマリーナ門をくぐります。

    紀元前の古代ローマ時代から残る石畳は、当時の古代ローマ人、そして近代に観光開放された後は、世界中のたくさんの観光客たちから踏みしめられ、てかてかに光っています。

    ちなみにこの“マリーナ門”という名称は、当時は陸地が低く(その後、火山活動の影響で陸地が隆起)、ポンペイ付近まで海が迫っており、こちらの門が海側にあったことから名付けられたそうです。

    ポンペイは当時、海運で栄え、人口2万人と豊かな都市機能を有する賑やかな商業都市だったのですね。

  • マリーナ門を抜けると左側に石造りの市街地が。<br /><br />古代の市街地の姿に感動・・・となるはずだったのですが、やはりフォロ・ロマーノやマチュピチュを先に見てしまったせいか、それほどの気持ちは湧き起こってこず・・・。<br /><br />【ペルー紀行(4)マチュピチュの市街地と段々畑(アンデネス)】<br />http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/22957499/<br /><br />ポンペイの方がマチュピチュよりも1500年も古く、人口も10倍以上多かった都市遺跡なんですけどね。

    マリーナ門を抜けると左側に石造りの市街地が。

    古代の市街地の姿に感動・・・となるはずだったのですが、やはりフォロ・ロマーノやマチュピチュを先に見てしまったせいか、それほどの気持ちは湧き起こってこず・・・。

    【ペルー紀行(4)マチュピチュの市街地と段々畑(アンデネス)】
    http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/22957499/

    ポンペイの方がマチュピチュよりも1500年も古く、人口も10倍以上多かった都市遺跡なんですけどね。

  • そして反対の右側は、現代のポンペイ市街を見下ろせるこんなパノラマが楽しめます。<br /><br />遠くにはナポリ湾が見えますが、現在の市街地があるあたりは、当時は一面海だったのでしょうかね。

    そして反対の右側は、現代のポンペイ市街を見下ろせるこんなパノラマが楽しめます。

    遠くにはナポリ湾が見えますが、現在の市街地があるあたりは、当時は一面海だったのでしょうかね。

  • マリーナ門からの通りを抜け、広々とした公共広場のフォロ(Foro)へやってきました。<br /><br />北の方向に見えるのはジュピター神殿(Tempio di Giove)で、多神教であった古代ローマの最高神ジュピター(ギリシャ神話ではゼウス)、その妻ジュノー(同ヘラ)、知恵の女神ミネルヴァ(同アテナ)の3柱の神を祀ったものです。<br /><br />さらにその背後に見えるのは、紀元79年に噴火し、この街を滅亡させた元凶でもあるヴェスヴィオ火山。<br /><br />いつの間に裏側に来てしまったのか、ナポリから見えるシルエットとは逆になっていますね。<br /><br />しかし、最高神を祀る神殿の後方に鎮座し、街の守り神でもあるかのような火山の噴火でこの街は滅亡に追いやられてしまうなんて・・・自然とはなんと無情なものかと考えさせられます。

    マリーナ門からの通りを抜け、広々とした公共広場のフォロ(Foro)へやってきました。

    北の方向に見えるのはジュピター神殿(Tempio di Giove)で、多神教であった古代ローマの最高神ジュピター(ギリシャ神話ではゼウス)、その妻ジュノー(同ヘラ)、知恵の女神ミネルヴァ(同アテナ)の3柱の神を祀ったものです。

    さらにその背後に見えるのは、紀元79年に噴火し、この街を滅亡させた元凶でもあるヴェスヴィオ火山。

    いつの間に裏側に来てしまったのか、ナポリから見えるシルエットとは逆になっていますね。

    しかし、最高神を祀る神殿の後方に鎮座し、街の守り神でもあるかのような火山の噴火でこの街は滅亡に追いやられてしまうなんて・・・自然とはなんと無情なものかと考えさせられます。

  • フォロの一角には、“バジリカ”(Basilica)と呼ばれる、裁判や政治、経済の討論の場として使われた建物が、当時の形を留めていました。<br /><br />・・・映画“テルマエ・ロマエ”を観た後では、トーガを着て壇上で議論する、当時のローマ人の姿(主に阿部寛をイメージ(笑))が目に浮かぶようです。

    フォロの一角には、“バジリカ”(Basilica)と呼ばれる、裁判や政治、経済の討論の場として使われた建物が、当時の形を留めていました。

    ・・・映画“テルマエ・ロマエ”を観た後では、トーガを着て壇上で議論する、当時のローマ人の姿(主に阿部寛をイメージ(笑))が目に浮かぶようです。

  • さて、フォロから東側に伸びる“アボンダンツァ通り”(Via dell&#39;Abbondanza)を歩いていきます。<br /><br />平らになるようきちんと石で舗装され、馬車の轍を考慮した、浮いた横断歩道まである街路。<br /><br />前年に訪れた、現代のブルガリアの街路よりも歩きやすいです(笑)。<br /><br />【ブルガリア〜イスタンブール紀行(3)プロヴィディフの旧市街の街路】<br />http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/26649703/<br /><br />当時の古代ローマ人の技術と、現代にも劣らない豊かな生活の様子が偲ばれますね・・・。

    さて、フォロから東側に伸びる“アボンダンツァ通り”(Via dell'Abbondanza)を歩いていきます。

    平らになるようきちんと石で舗装され、馬車の轍を考慮した、浮いた横断歩道まである街路。

    前年に訪れた、現代のブルガリアの街路よりも歩きやすいです(笑)。

    【ブルガリア〜イスタンブール紀行(3)プロヴィディフの旧市街の街路】
    http://4travel.jp/traveler/kissydney/pict/26649703/

    当時の古代ローマ人の技術と、現代にも劣らない豊かな生活の様子が偲ばれますね・・・。

  • アボンダンツァ通りを少し歩き、右に曲がったところで見つけたのが“イシス神殿”(Tempio di Iside)。<br /><br />“イシス”というと、エジプトのアスワンにある同名の神殿のレリーフに描かれている神の姿を思い浮かべる方もいらっしゃるように、もともとは古代エジプトの女神。<br /><br />多神教の古代ローマでは、滅ぼした敵国の神も自分たちの神様に加えてしまう寛容さがあったようで(“ローマ人の物語”で有名な作家の塩野七生氏は、こういう他民族に対する寛容さが古代ローマが世界帝国に発展した大きな理由であると述べています。)、共和政末期にオクタヴィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)がクレオパトラのプトレマイオス朝エジプトを滅ぼした後、イシス信仰がローマ全域(特に女性)に広まったと言われています。

    アボンダンツァ通りを少し歩き、右に曲がったところで見つけたのが“イシス神殿”(Tempio di Iside)。

    “イシス”というと、エジプトのアスワンにある同名の神殿のレリーフに描かれている神の姿を思い浮かべる方もいらっしゃるように、もともとは古代エジプトの女神。

    多神教の古代ローマでは、滅ぼした敵国の神も自分たちの神様に加えてしまう寛容さがあったようで(“ローマ人の物語”で有名な作家の塩野七生氏は、こういう他民族に対する寛容さが古代ローマが世界帝国に発展した大きな理由であると述べています。)、共和政末期にオクタヴィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)がクレオパトラのプトレマイオス朝エジプトを滅ぼした後、イシス信仰がローマ全域(特に女性)に広まったと言われています。

  • 神殿の一面にはこんな色っぽいレリーフも残されていました。<br /><br />・・・一神教を奉ずるキリスト教であれば、女神イシスのような他国の神を受け入れるようなことはなく、事実、紀元313年のミラノ勅令によりキリスト教を公認し、その後国教にまでしたローマ帝国は、他民族に対する寛容さを失ってしまったせいか、やがて異民族であるゲルマン人に侵入され、395年に東西分裂、そのうち西ローマ帝国は滅亡への道を歩むことになります。<br /><br />ただし、イシス信仰はキリスト教が導入された後もマリア信仰へと形を変え、生き残ったとの説もあるようです・・・。<br /><br />このポンペイ遺跡は、古代ローマが多神教であった頃、すなわちまだキリスト教の一神教的世界観に染まっていなかった頃の市民の生活の息吹を感じられる、貴重な世界遺産です。<br /><br />神道と仏教が心の中で融合している、大多数の日本人にとっても、このような思想はなんだか仲間を得たようでもあり、隣国からの不寛容な攻撃で東アジアで孤立しかかっている我が国に大きな勇気を与えてくれますね。

    神殿の一面にはこんな色っぽいレリーフも残されていました。

    ・・・一神教を奉ずるキリスト教であれば、女神イシスのような他国の神を受け入れるようなことはなく、事実、紀元313年のミラノ勅令によりキリスト教を公認し、その後国教にまでしたローマ帝国は、他民族に対する寛容さを失ってしまったせいか、やがて異民族であるゲルマン人に侵入され、395年に東西分裂、そのうち西ローマ帝国は滅亡への道を歩むことになります。

    ただし、イシス信仰はキリスト教が導入された後もマリア信仰へと形を変え、生き残ったとの説もあるようです・・・。

    このポンペイ遺跡は、古代ローマが多神教であった頃、すなわちまだキリスト教の一神教的世界観に染まっていなかった頃の市民の生活の息吹を感じられる、貴重な世界遺産です。

    神道と仏教が心の中で融合している、大多数の日本人にとっても、このような思想はなんだか仲間を得たようでもあり、隣国からの不寛容な攻撃で東アジアで孤立しかかっている我が国に大きな勇気を与えてくれますね。

  • イシス神殿の隣には、紀元前3〜2世紀頃のものと言われる“大劇場”(Teatro Grande)が。<br /><br />上の方の客席に昇ってその眺めを楽しんでいると、中国系と思われる団体観光客がぞろぞろとやってきました。<br /><br />寛容、不寛容と言っているそばから(笑)。

    イシス神殿の隣には、紀元前3〜2世紀頃のものと言われる“大劇場”(Teatro Grande)が。

    上の方の客席に昇ってその眺めを楽しんでいると、中国系と思われる団体観光客がぞろぞろとやってきました。

    寛容、不寛容と言っているそばから(笑)。

  • 大劇場のステージの後方には、緑の中庭(練習場?)を擁する剣闘士の宿舎が見え、さらに後方の緑と相まって、素晴らしい眺望。<br /><br />・・・しかしこの大劇場はあまりにもきれいに残りすぎていて、調べてみると、どうやら近代にかなり復元されたもののようです。

    大劇場のステージの後方には、緑の中庭(練習場?)を擁する剣闘士の宿舎が見え、さらに後方の緑と相まって、素晴らしい眺望。

    ・・・しかしこの大劇場はあまりにもきれいに残りすぎていて、調べてみると、どうやら近代にかなり復元されたもののようです。

  • さて、通りに戻って、さらに東側へと進んでいきます。<br /><br />両側に建ち並ぶ家屋は、サイズといいデザインといい、補修すれば現代でも使えそうなものばかりですね。<br /><br />こんなふうに座っておしゃべりをしている人や駆けてくる子どもがいると、まるで本当にここに住んでいるかのようにも見えます。

    さて、通りに戻って、さらに東側へと進んでいきます。

    両側に建ち並ぶ家屋は、サイズといいデザインといい、補修すれば現代でも使えそうなものばかりですね。

    こんなふうに座っておしゃべりをしている人や駆けてくる子どもがいると、まるで本当にここに住んでいるかのようにも見えます。

  • 9時30分、“メナンドロの家”(Casa del Menandro)と呼ばれる建物の中へ。<br /><br />まず玄関口から入ると、そこには赤や黄色の二千年前の色彩が。<br /><br />ポンペイは紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火によって火山灰に包まれて滅亡した街ですが、一瞬にして5mの高さにまで降り積もった火山灰に、乾燥剤に用いられるシリカゲルに似た成分が含まれていたため、18世紀に“発見”されるまで、湿気を吸収して建物やフレスコ画などの美術品の劣化を防ぐことができたと言われています。

    9時30分、“メナンドロの家”(Casa del Menandro)と呼ばれる建物の中へ。

    まず玄関口から入ると、そこには赤や黄色の二千年前の色彩が。

    ポンペイは紀元79年のヴェスヴィオ火山の噴火によって火山灰に包まれて滅亡した街ですが、一瞬にして5mの高さにまで降り積もった火山灰に、乾燥剤に用いられるシリカゲルに似た成分が含まれていたため、18世紀に“発見”されるまで、湿気を吸収して建物やフレスコ画などの美術品の劣化を防ぐことができたと言われています。

  • 現在ではだいぶ劣化してはがれてきてしまっていますが、家の壁には、前々日に訪れたナポリの国立考古学博物館で見かけたような、こんなフレスコ画も残されています。<br /><br />かつてこのポンペイにあった、“アレクサンドロス大王の戦い”など、貴重な美術品は同博物館に移されて、劣化しないよう厳重な保管がなされているところです。

    現在ではだいぶ劣化してはがれてきてしまっていますが、家の壁には、前々日に訪れたナポリの国立考古学博物館で見かけたような、こんなフレスコ画も残されています。

    かつてこのポンペイにあった、“アレクサンドロス大王の戦い”など、貴重な美術品は同博物館に移されて、劣化しないよう厳重な保管がなされているところです。

  • 赤と黄色の色彩の部屋を抜けると、中世の修道院建築にあるようなこんな中庭が。<br /><br />ポンペイで見つかったこのような裕福な人々の邸宅は“ドムス”と呼ばれ、平面状に大きく広がる空間を有しています。<br /><br />先ほど見た、玄関口から入ってすぐの広間は“アトリウム”と呼ばれ、知人を接待し、晩餐を楽しむ場、すなわち公的空間として用いられたのだそうです。<br /><br />そして、アトリウムの奥に位置するこの列柱廊に囲まれたもうひとつの広間と、その周りの部屋部屋は、“ペリステュリウム”と呼ばれ、この家の主人の私的空間としての役割を果たしていたそうです。<br /><br />こうした家のつくりから、当時の人々の間に、すでに“公”と“私”を分ける意識が備わっていたとか・・・まあ、いくら古代人でも裕福になればそのくらい気を遣うと思いますが(笑)。

    赤と黄色の色彩の部屋を抜けると、中世の修道院建築にあるようなこんな中庭が。

    ポンペイで見つかったこのような裕福な人々の邸宅は“ドムス”と呼ばれ、平面状に大きく広がる空間を有しています。

    先ほど見た、玄関口から入ってすぐの広間は“アトリウム”と呼ばれ、知人を接待し、晩餐を楽しむ場、すなわち公的空間として用いられたのだそうです。

    そして、アトリウムの奥に位置するこの列柱廊に囲まれたもうひとつの広間と、その周りの部屋部屋は、“ペリステュリウム”と呼ばれ、この家の主人の私的空間としての役割を果たしていたそうです。

    こうした家のつくりから、当時の人々の間に、すでに“公”と“私”を分ける意識が備わっていたとか・・・まあ、いくら古代人でも裕福になればそのくらい気を遣うと思いますが(笑)。

  • 次に入った邸宅は、“地球の歩き方”には紹介されていませんでしたが、玄関口にはこんな保存状態のいい“番犬”のモザイクが。<br /><br />“番犬のモザイク”と言えば、先ほど見たジュピター神殿の北側にある“悲劇詩人の家”のものが有名ですが、こちらの番犬もドーベルマンのようでなかなかリアルです。

    次に入った邸宅は、“地球の歩き方”には紹介されていませんでしたが、玄関口にはこんな保存状態のいい“番犬”のモザイクが。

    “番犬のモザイク”と言えば、先ほど見たジュピター神殿の北側にある“悲劇詩人の家”のものが有名ですが、こちらの番犬もドーベルマンのようでなかなかリアルです。

  • この玄関口から入ってすぐのところにある広間“アトリウム”(“アトリエ”の語源)の中央には、こんなふうに大きな穴が開けられています。<br /><br />これは、水槽の役割を果たしていたと言われ、雨の日には、外光を採り入れるために開けられた天井の中央から降り注ぐ雨水を溜めることで、生活用水として利用していたのだとか・・・。<br /><br />一方で、生活用水としての利用というよりは、単に美観上の理由にすぎなかったとの説もあるようです。<br /><br />(塩野七生著“ローマ人の物語”ユリウス・カエサル ルビコン以前[上]より)

    この玄関口から入ってすぐのところにある広間“アトリウム”(“アトリエ”の語源)の中央には、こんなふうに大きな穴が開けられています。

    これは、水槽の役割を果たしていたと言われ、雨の日には、外光を採り入れるために開けられた天井の中央から降り注ぐ雨水を溜めることで、生活用水として利用していたのだとか・・・。

    一方で、生活用水としての利用というよりは、単に美観上の理由にすぎなかったとの説もあるようです。

    (塩野七生著“ローマ人の物語”ユリウス・カエサル ルビコン以前[上]より)

  • こちらの建物は居酒屋。<br /><br />現代のようにカウンターがあり、ここを通して店員と会話したり、ワインなどを飲んでいたと思われます。<br /><br />カウンターの上に開いている穴は、ワインや水などが入った甕を置く場所だったとか。

    こちらの建物は居酒屋。

    現代のようにカウンターがあり、ここを通して店員と会話したり、ワインなどを飲んでいたと思われます。

    カウンターの上に開いている穴は、ワインや水などが入った甕を置く場所だったとか。

  • 居酒屋の奥には、本物なのかレプリカなのか、こんなフレスコ画が飾られています。<br /><br />微妙な色彩が現在も残っており、当時はより鮮やかな様子であったことが想像できます。<br /><br />描かれているのは、左から、①商業の神メルクリウス(ギリシャ神話のヘルメス)、②一家の守護神ラレス、③トーガをまとった守護神、④再びラレス神、⑤酒の神バッカス(ギリシャ神話のディオニュソス)と言われ、その下の2匹の蛇は、災厄から一家を守る善意の精霊を意味しているとされています。<br /><br />日本の神棚のように、当時のローマ人にとって、生活や商売などあらゆる場面で神々の庇護を受けることが成功につながると考えていたことがうかがい知れますね。

    居酒屋の奥には、本物なのかレプリカなのか、こんなフレスコ画が飾られています。

    微妙な色彩が現在も残っており、当時はより鮮やかな様子であったことが想像できます。

    描かれているのは、左から、①商業の神メルクリウス(ギリシャ神話のヘルメス)、②一家の守護神ラレス、③トーガをまとった守護神、④再びラレス神、⑤酒の神バッカス(ギリシャ神話のディオニュソス)と言われ、その下の2匹の蛇は、災厄から一家を守る善意の精霊を意味しているとされています。

    日本の神棚のように、当時のローマ人にとって、生活や商売などあらゆる場面で神々の庇護を受けることが成功につながると考えていたことがうかがい知れますね。

  • 10時近くなり、だいぶ暑くなってきました。<br /><br />木陰がなく石造りの家ばかりが建ち並ぶ古代の街路は、気温の上昇も早いです。<br /><br />東へ向かう大通りから、南側へと向かう横道が気になったので、行ってみると・・・。

    10時近くなり、だいぶ暑くなってきました。

    木陰がなく石造りの家ばかりが建ち並ぶ古代の街路は、気温の上昇も早いです。

    東へ向かう大通りから、南側へと向かう横道が気になったので、行ってみると・・・。

  • 道はポンペイ遺跡と新市街とを分ける、小高い丘へと通じていました。<br /><br />観光客の少ないその丘の上に立って振り返ってみると・・・目の前には緑のぶどう畑、その先には石造りの古代の市街地、そして遥か遠くにはヴェスヴィオ火山の雄大な眺め。<br /><br />まさに古代の景観もかくありきやと思わせる眺望で、個人的にはポンペイでのベストショットと自負しているところです(笑)。

    道はポンペイ遺跡と新市街とを分ける、小高い丘へと通じていました。

    観光客の少ないその丘の上に立って振り返ってみると・・・目の前には緑のぶどう畑、その先には石造りの古代の市街地、そして遥か遠くにはヴェスヴィオ火山の雄大な眺め。

    まさに古代の景観もかくありきやと思わせる眺望で、個人的にはポンペイでのベストショットと自負しているところです(笑)。

  • 先ほどの通りに戻り、さらに東へ進んで、ポンペイ遺跡のいちばん東にある円形闘技場(Anfiteatro)へ。<br /><br />紀元前80年に建設されたというこの闘技場は、やはり騒がしい施設であるためか、現代の多くのスタジアム同様、市街地から少し外れた位置に建てられています。<br /><br />・・・市街地がまるまる残っていると、こういった施設がどこに建てられたかということも分析することができますね。

    先ほどの通りに戻り、さらに東へ進んで、ポンペイ遺跡のいちばん東にある円形闘技場(Anfiteatro)へ。

    紀元前80年に建設されたというこの闘技場は、やはり騒がしい施設であるためか、現代の多くのスタジアム同様、市街地から少し外れた位置に建てられています。

    ・・・市街地がまるまる残っていると、こういった施設がどこに建てられたかということも分析することができますね。

  • こういう通路を抜けてピッチにたどりつくところなどは、まさに現代のスタジアムと同じつくり。<br /><br />この日は日曜日でしたが、遠足なのか、先生らしき人に引率された小学生たちもたくさん訪れていました。

    こういう通路を抜けてピッチにたどりつくところなどは、まさに現代のスタジアムと同じつくり。

    この日は日曜日でしたが、遠足なのか、先生らしき人に引率された小学生たちもたくさん訪れていました。

  • 中に入って見渡してみても、非常に保存状態がいいですね。<br /><br />古代ローマ時代は、ここで猛獣や剣闘士たちの戦いが繰り広げられていたとか。

    中に入って見渡してみても、非常に保存状態がいいですね。

    古代ローマ時代は、ここで猛獣や剣闘士たちの戦いが繰り広げられていたとか。

  • また古代の街路に戻って、今度は西へ、ジュピター神殿の方へ引き返します。<br /><br />陽はどんどん高くなり、街路はこのとおり、影もない状態に。<br /><br />まだ5月ですが、南イタリアの日射しはかなり強く、汗がだらだらと流れ、だんだんと集中力もなくなってきます。<br /><br />前年の8月に訪れたイスタンブールの灼熱の暑さよりはまだマシというところか・・・。<br /><br />ポンペイはできれば真夏には訪れたくないところですが、休暇等の関係でこの時期しかないという方は、帽子や水筒など、熱中症対策をしっかりして行った方がいいでしょう。

    また古代の街路に戻って、今度は西へ、ジュピター神殿の方へ引き返します。

    陽はどんどん高くなり、街路はこのとおり、影もない状態に。

    まだ5月ですが、南イタリアの日射しはかなり強く、汗がだらだらと流れ、だんだんと集中力もなくなってきます。

    前年の8月に訪れたイスタンブールの灼熱の暑さよりはまだマシというところか・・・。

    ポンペイはできれば真夏には訪れたくないところですが、休暇等の関係でこの時期しかないという方は、帽子や水筒など、熱中症対策をしっかりして行った方がいいでしょう。

  • 10時30分、ジュピター神殿へ戻る途中、“スタビアーネ浴場”(Terme Stabiane)に寄り道。<br /><br />紀元前4世紀末に建設されたもので、単に風呂場だけでなく、図書館やジムなどを併設する総合娯楽施設だった他のローマ浴場の例にもれず、この浴場にも、写真のように列柱群に囲まれた緑の運動場跡が残っています。

    10時30分、ジュピター神殿へ戻る途中、“スタビアーネ浴場”(Terme Stabiane)に寄り道。

    紀元前4世紀末に建設されたもので、単に風呂場だけでなく、図書館やジムなどを併設する総合娯楽施設だった他のローマ浴場の例にもれず、この浴場にも、写真のように列柱群に囲まれた緑の運動場跡が残っています。

  • さらに戻る途中、立入禁止となっている建物の奥には、古代の彩色が残っている祠のようなものを見ることができました。<br /><br />これは、“ララリウム”と呼ばれる家庭内の祭壇のことで、日本の神棚のように、その家庭の守護神を祀っているところなのだそうです。<br /><br />そういえば先ほど見た居酒屋のフレスコ画も、このララリウムと同じ役割を果たしていたのですね。

    さらに戻る途中、立入禁止となっている建物の奥には、古代の彩色が残っている祠のようなものを見ることができました。

    これは、“ララリウム”と呼ばれる家庭内の祭壇のことで、日本の神棚のように、その家庭の守護神を祀っているところなのだそうです。

    そういえば先ほど見た居酒屋のフレスコ画も、このララリウムと同じ役割を果たしていたのですね。

  • こちらの建物の奥にもララリウムが。<br /><br />最近の家では神棚は少なくなってきましたが、伝統的な日本の家屋に住んでいらっしゃる方ならうんうんとうなずけるところがあるのではないでしょうか。<br /><br />・・・こういうのを見て、わたしも家に神棚が欲しいなと思ったり(笑)。

    こちらの建物の奥にもララリウムが。

    最近の家では神棚は少なくなってきましたが、伝統的な日本の家屋に住んでいらっしゃる方ならうんうんとうなずけるところがあるのではないでしょうか。

    ・・・こういうのを見て、わたしも家に神棚が欲しいなと思ったり(笑)。

  • 日陰のない街路を歩き続け、汗だくになってジュピター神殿に戻ってきました。<br /><br />しかし、ここも全く日陰がなく、そろそろ遺跡内にいるのはしんどいなと思ったり・・・。

    日陰のない街路を歩き続け、汗だくになってジュピター神殿に戻ってきました。

    しかし、ここも全く日陰がなく、そろそろ遺跡内にいるのはしんどいなと思ったり・・・。

  • まだ遺跡の北側は見ていないので、もう少し我慢して散策を続けます・・・。<br /><br />ジュピター神殿の西側、“ホッレア”(Horrea)と呼ばれる穀物倉庫の跡には、ここで出土したと思われる土器などとともに、火山灰に埋もれて亡くなった方の遺体の空洞部分に石膏を流し込んでつくった、あの有名な石膏像が安置されていました。

    まだ遺跡の北側は見ていないので、もう少し我慢して散策を続けます・・・。

    ジュピター神殿の西側、“ホッレア”(Horrea)と呼ばれる穀物倉庫の跡には、ここで出土したと思われる土器などとともに、火山灰に埋もれて亡くなった方の遺体の空洞部分に石膏を流し込んでつくった、あの有名な石膏像が安置されていました。

  • こちらの石膏像は鼻と口をふさいでしゃがみこみ、なんとか耐えようとした方の最期の様子が・・・。<br /><br />遺体自体はここにはないけれども、その跡をかたどったこの石膏はまるで本物の遺体のようで、なんとも複雑な気分になってしまいます・・・。

    こちらの石膏像は鼻と口をふさいでしゃがみこみ、なんとか耐えようとした方の最期の様子が・・・。

    遺体自体はここにはないけれども、その跡をかたどったこの石膏はまるで本物の遺体のようで、なんとも複雑な気分になってしまいます・・・。

  • 続いてはジュピター神殿の北側へ。<br /><br />まず最初にある建物は、ポンペイ遺跡内で唯一のレストハウス。<br /><br />石とレンガでつくられ、景観上、ほかの建物と違和感がないように配慮がなされた建物です。<br /><br />わたしもちょっと中をのぞいてみましたが、やはりと言うべきか、飲み物などは街なかの3倍以上の値段・・・。<br /><br />なんだかそのまま買うのも悔しかったので、何も買わずに出てしまいました(笑)。<br /><br />(わたしと同じ考えの人が多いせいか、この暑さなのに、レストハウス内はそれほど混んでいませんでした。)

    続いてはジュピター神殿の北側へ。

    まず最初にある建物は、ポンペイ遺跡内で唯一のレストハウス。

    石とレンガでつくられ、景観上、ほかの建物と違和感がないように配慮がなされた建物です。

    わたしもちょっと中をのぞいてみましたが、やはりと言うべきか、飲み物などは街なかの3倍以上の値段・・・。

    なんだかそのまま買うのも悔しかったので、何も買わずに出てしまいました(笑)。

    (わたしと同じ考えの人が多いせいか、この暑さなのに、レストハウス内はそれほど混んでいませんでした。)

  • そして、その北にある“悲劇詩人の家”(Casa del Poeta Tragico)へ。<br /><br />玄関の床に“猛犬に注意”(CAVE CANEM)という文字とともに描かれた、番犬のモザイクで有名な小さな建物です。<br /><br />ただし、お昼近いこの時間帯(11時30分)は、南からの強烈な日射しを受けて非常に写真が撮りにくい状況。<br /><br />おまけに猛犬注意のシャレのつもりか、入口には金網までしつらえてあって、オートフォーカスのままではピントがあわせづらいったらありゃしない・・・。<br /><br />そんな状況の中、苦労して撮った写真がこれ。<br /><br />やっぱり強烈な日射しで非常に見にくい具合に仕上がってしまいました・・・。

    そして、その北にある“悲劇詩人の家”(Casa del Poeta Tragico)へ。

    玄関の床に“猛犬に注意”(CAVE CANEM)という文字とともに描かれた、番犬のモザイクで有名な小さな建物です。

    ただし、お昼近いこの時間帯(11時30分)は、南からの強烈な日射しを受けて非常に写真が撮りにくい状況。

    おまけに猛犬注意のシャレのつもりか、入口には金網までしつらえてあって、オートフォーカスのままではピントがあわせづらいったらありゃしない・・・。

    そんな状況の中、苦労して撮った写真がこれ。

    やっぱり強烈な日射しで非常に見にくい具合に仕上がってしまいました・・・。

  • さて、時計を見ると11時30分。<br /><br />遺跡内に入ってからすでに2時間半が経過し、暑さで集中力ももう限界近くなってきました・・・。<br /><br />最後に、遺跡の北西にあるエルコラーノ門(Porta Ercolano)を抜けて、遺跡の外にある秘儀荘を見学してポンペイ観光を終わりにしたいと思います。<br /><br />・・・と、エルコラーノ門に向かって歩いていると、日本人の団体客と遭遇。<br /><br />このポンペイは前日に訪れたカプリ島と同様、ナポリ市内では見かけなかった日本人の団体客が多い印象です。<br /><br />いや、日本人だけでなく、中国系や韓国人の団体客も見かけましたし、彼の国の人々も、やはり危険神話のせいか、ナポリは避けている様子です。

    さて、時計を見ると11時30分。

    遺跡内に入ってからすでに2時間半が経過し、暑さで集中力ももう限界近くなってきました・・・。

    最後に、遺跡の北西にあるエルコラーノ門(Porta Ercolano)を抜けて、遺跡の外にある秘儀荘を見学してポンペイ観光を終わりにしたいと思います。

    ・・・と、エルコラーノ門に向かって歩いていると、日本人の団体客と遭遇。

    このポンペイは前日に訪れたカプリ島と同様、ナポリ市内では見かけなかった日本人の団体客が多い印象です。

    いや、日本人だけでなく、中国系や韓国人の団体客も見かけましたし、彼の国の人々も、やはり危険神話のせいか、ナポリは避けている様子です。

  • エルコラーノ門を出たところにある道路の脇には古代の墓地が。<br /><br />その中でも一際目立つ白い墓碑は、ガイウス・ムナティウス・ファウストゥスとその妻ナエウォレイア・トゥケのもの。<br /><br />墓碑正面に彫られたレリーフの上部にはファウストゥスの胸像、下部にはファウストゥスがたくさんの人々に小麦を施している場面が描かれているものとされ、この時代には、裕福になった人々が死後も自らの業績を顕彰するため、このような立派な墓碑を建てる習慣がつくられていったと考えられています。

    エルコラーノ門を出たところにある道路の脇には古代の墓地が。

    その中でも一際目立つ白い墓碑は、ガイウス・ムナティウス・ファウストゥスとその妻ナエウォレイア・トゥケのもの。

    墓碑正面に彫られたレリーフの上部にはファウストゥスの胸像、下部にはファウストゥスがたくさんの人々に小麦を施している場面が描かれているものとされ、この時代には、裕福になった人々が死後も自らの業績を顕彰するため、このような立派な墓碑を建てる習慣がつくられていったと考えられています。

  • エルコラーノ門を出て数分歩くと、こんな雰囲気のいい緑の野に出てきました。

    エルコラーノ門を出て数分歩くと、こんな雰囲気のいい緑の野に出てきました。

  • その先に見えてきたのは“秘儀荘”(Villa del Misteri)。<br /><br />ポンペイ都市遺跡の外にある、この地で最後の観光スポットです。

    その先に見えてきたのは“秘儀荘”(Villa del Misteri)。

    ポンペイ都市遺跡の外にある、この地で最後の観光スポットです。

  • 秘儀荘の内部はこんなふうに暗く狭い通路が走っており、有名な秘儀を描いたフレスコ画もこの通路のどこか、隠された部屋にあると思っていたら・・・。

    秘儀荘の内部はこんなふうに暗く狭い通路が走っており、有名な秘儀を描いたフレスコ画もこの通路のどこか、隠された部屋にあると思っていたら・・・。

  • 単純に通路を抜け、さらに回り込んで、建物の裏手の大きな入口から入ったところにあっさりありました(笑)。<br /><br />有名な“ポンペイの赤”が画面いっぱいに使われた、“ディオニソスの秘儀”を描いた古代フレスコ画の傑作です。

    単純に通路を抜け、さらに回り込んで、建物の裏手の大きな入口から入ったところにあっさりありました(笑)。

    有名な“ポンペイの赤”が画面いっぱいに使われた、“ディオニソスの秘儀”を描いた古代フレスコ画の傑作です。

  • “ディオニュソス”とは居酒屋のフレスコ画の説明でも触れたように、ローマ神話でいう“バッカス”で、ギリシャ神話の酒の神。<br /><br />この“ディオニュソスの秘儀”とは、ギリシャから伝わった、女性信者を中心とする“集団陶酔の儀式”。<br /><br />なんでも酒を飲んで踊り狂い、エクスタシーに浸ることが目的だったとか。<br /><br />古代ローマ政府は、この儀式を社会秩序を乱すものとして禁止していたそうですが、もともと古代ギリシャの植民市が成り立ちで、政府の目が届きにくかった南イタリアでは、共和政末期の紀元前1世紀もその信仰が残っていたようです・・・。

    “ディオニュソス”とは居酒屋のフレスコ画の説明でも触れたように、ローマ神話でいう“バッカス”で、ギリシャ神話の酒の神。

    この“ディオニュソスの秘儀”とは、ギリシャから伝わった、女性信者を中心とする“集団陶酔の儀式”。

    なんでも酒を飲んで踊り狂い、エクスタシーに浸ることが目的だったとか。

    古代ローマ政府は、この儀式を社会秩序を乱すものとして禁止していたそうですが、もともと古代ギリシャの植民市が成り立ちで、政府の目が届きにくかった南イタリアでは、共和政末期の紀元前1世紀もその信仰が残っていたようです・・・。

  • 秘儀荘も見終わり、これで広大だったポンペイ遺跡の主要な見どころはひととおり見学終了。<br /><br />秘儀荘のフレスコ画の部屋のすぐ隣にある出口から外へ出て、そこにある売店でトイレを済ませてから、駅へ向かいます。<br /><br />時間はちょうど12時、ポンペイ遺跡のゲートをくぐってから3時間ちょっとが経過していました。<br /><br />遺跡内には休むところがほとんどないし、炎天下の中を歩きっ放しでさすがに疲れましたね・・・。<br /><br />(カゼルタ観光に続く。)

    秘儀荘も見終わり、これで広大だったポンペイ遺跡の主要な見どころはひととおり見学終了。

    秘儀荘のフレスコ画の部屋のすぐ隣にある出口から外へ出て、そこにある売店でトイレを済ませてから、駅へ向かいます。

    時間はちょうど12時、ポンペイ遺跡のゲートをくぐってから3時間ちょっとが経過していました。

    遺跡内には休むところがほとんどないし、炎天下の中を歩きっ放しでさすがに疲れましたね・・・。

    (カゼルタ観光に続く。)

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この旅行記へのコメント (8)

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  • 讃岐おばさんさん 2013/08/10 22:50:37
    こんばんは〜
    いつもご訪問ありがとうございます。
    ポンペイって、こんなに広いところなんですね!
    イタリアはまだ未踏の地で、行くならポンペイも行きたいですね。
    床のモザイクの素晴らしいこと、ぜひ見てみたいです。
    2千年前の古代都市がこうして見れるなんて素晴らしいですよね。

    素敵な旅行記、ありがとうございました。

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2013/08/11 19:17:22
    ご訪問ありがとうございます。
    讃岐おばさんさん

    こんばんは。ご訪問ありがとうございます。

    2000年前の住居がほとんどそのままの姿で残っているなんて、木造建築が主体の日本では考えられないことですよね。

    特に、家の床に残るモザイクの保存状態がとてもよく、当時の人々の暮らしぶりが目に浮かぶようで素晴らしかったですね。

    ポンペイはまさに一見の価値ありの世界遺産です。

    讃岐おばさんさんもぜひいつか、イタリアをご訪問の際にはポンペイにも立ち寄ってみてください!
  • はなまま さん 2013/08/05 22:46:43
    こんばんは!
    ポンペイは私ももうかれこれ15・6年前の社会人になって間もないころに、旅行したことがあります。年がバレますね^^;

    私はフランス派で、友人はイタリア派だったので、パリに3日、ローマに3日の日程でした。

    自分ではパリにいる間にどの美術館を回るか?とかいうことばかり考えていたので、イタリアは全く研究もせず、ポンペイの遺跡なんて全く知らずに連れられて行ったのです。

    ところがどっこい、ポンペイの遺跡には圧倒されました。
    お店なんかの建物の跡や逃げ遅れて火山灰に埋もれてしまった人々の石膏を見ると、何千年も前の時代なのにすごくリアルな生活の様子が伝わってきて、イタリアではどこよりも興味深かったのを憶えています。

                  はなまま(*^_^*)

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2013/08/10 00:12:18
    ご訪問ありがとうございます。
    はなままさん

    こんばんは。ご訪問ありがとうございます。

    わたしの旅行記から当時の楽しいヨーロッパ旅行のことを思い出していただいて、うれしい限りですね。

    そういえばわたしも、ヨーロッパ旅行を始めた最初の頃は、美術館巡りに興味が集中していたのですが、何年かしてフォロ・ロマーノのような屋外の都市遺跡を見て、そこでひどく感動したのを覚えています。

    ヨーロッパ旅行では古代から中世、近代、そして現代に至るまで、いろんな時代の遺跡や建築物、美術品など、幅広いジャンルの観光を楽しめるところがいいですよね。
  • liberty-libertyさん 2013/07/26 15:16:18
    結構広いんですね〜(@o@)
    エンリケさん、こんにちは!
    今回はボンペイ遺跡ですね♪

    火山の噴火で一瞬で灰に葬られた都市
    というのはTVなどで何度も観たり聞いたりして知ってはいましたが
    想像した以上に広くって
    そして、キレイなんだなぁと思いました。
    長い間灰に埋もれていた、というから
    もっとボロボロで色なんて残っていないイメージでしたが・・・・・
    へぇ〜!!灰が乾燥剤の役目をしていたなんて!!
    勉強になりました(*^o^*)

    エンリケさんがベストショットとおっしゃる写真
    私も好きです(^o^)
    遺跡とグリーンのコントラストが美しいですね!

    それではまた、次回の旅行記にお邪魔しま〜す(^o^)/

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2013/08/04 19:03:52
    ご訪問ありがとうございます。
    liberty-libertyさん

    こんばんは。ご訪問ありがとうございます。

    ポンペイは子どもの頃にテレビで、ヴェスヴィオ火山の噴火で一瞬にして火砕流に飲み込まれた衝撃的な再現映像を見て以来、長らく行ってみたいところでした。

    今回はナポリを旅先に選んだことで、その近郊にあるポンペイの遺跡を初めて訪れる機会に恵まれたのですが、今まであちこち海外旅行に行きすぎてしまったせいか、テレビで初めて見た時のような感動は湧き起こって来ず・・・。

    そろそろわたしには、また違ったテイストの旅が必要なのかもしれませんね。
  • 川岸 町子さん 2013/07/22 21:37:03
    記憶
    エンリケさん、こんばんは

     ポンペイを訪れたのは、はるか昔。
     2000年前じゃないですよー(笑)。

     私の記憶なんて、なーんにもないと思っていました。
     でも、こちらの旅行記のおかげで、
     「あー、これ、見たことあるような気がする」とか
     「この色、覚えている」とか
     記憶が、少しずつよみがえってきました。

     遺跡、もちろんすばらしいですが、私も表紙のお写真に魅せられました!!
     「ブラボー」です (@^▽^@)
     遺跡の中に、古代の人々の生活を感じることができますね。

                      町子

     
     

    エンリケ

    エンリケさん からの返信 2013/07/25 00:30:12
    ご訪問ありがとうございます。
    川岸 町子さん

    こんばんは。いつもご訪問ありがとうございます。

    海外旅行に初めて行った時、あるいは行きたての頃の記憶って、見るものすべてが新鮮で驚きで、長い年月を経ても心の奥底に結構しっかりと残っているものですよね。

    わたしもあのころは今と違ってデジカメではなかったし、写真もそう多くは撮れなかったから街並みの写真などはあまり残っていませんが、おそらく同じ場所を旅した他の方の旅行記を見たら、きっと川岸さんと同じように、心の奥底にしまっておいた過去の記憶が目に見えるようによみがえってくるのではないかと思います。

    最近は海外旅行に行きすぎて、なんだか惰性の旅になってしまっていますが、もう一度あの頃のような、なにもかもが新鮮であることが楽しめるような、純粋な旅がしてみたいですね!

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