2013/04/29 - 2013/04/29
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Nanaさん
2013年GW、南米ペルーまではるばる旅立ってしまいました。
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4月29日(月)
この日も朝から晴天だった。
6:30にマチュピチュ村のバス停集合の予定なので、やはり朝が早い。
今回の旅行はずーっと朝が早いのだった。
「それにしても、昨日もいろいろあったな」
ホテルの朝食を取りながら、我々は語り合っていた。
昨日は宿に着いてから、夕食を食べにレストランに行った。(無事夕食は付いていた)
さらにその後、20:00閉館のマチュピチュ温泉にギリギリで駆け込んだ。
マチュピチュ村は、中央に川、その両側にお土産屋やホテルが軒をつらねる草津温泉風の造りになっている。
川の一番上流部分に、マチュピチュ温泉はあった。
一応「温泉」になっているのだが、村に硫黄の香りがまったくない。そして水着で入るようだ。
温泉は段々畑構造になっていて、一番上の受付から、着替え場所、温泉①、温泉②と続く。
なぜか賑わっている湯船と閑散としている湯船がある。
閑散としている湯船に入ってみた。
うむ、ぬるい。茶色く濁ったお湯の下は砂利敷きになっているようだが、足裏の砂利がヌルヌルする。
そして硫黄でもない、ちょっと腐ったような異臭が鼻をつく。
ものすごくぬるいので、出たら寒いことは必須だ。でも出ないとどうしようもない。
今度は思い切って賑わっている湯船に入ることにした。
ああ、あったかい。それに臭いも少ないようだ。思い切って移動してよかった。
ここの人々は、「いい湯船」を選んで入っているようなのだった。
「しかし」
我々はあったかい温泉に浸かりつつ話し合った。
先ほどの湯船はなんであんなに臭かったのか。
温度はともかく、同じ温泉から取っているお湯ならばそこまで臭いに違いはないはずだ。
「やっぱ、アレですかね」
「やっぱ、アレですよね」
「日本の温泉と違って、ここはルールや作法が決まってないからね」
我々は暗い気持ちでマチュピチュ温泉を後にしたのだった。 -
6:30にバス停に着くと、プーマはすでにバスチケットを買って待ち構えていた。
ワイナピチュ登山はガイド無しで、と申込み段階で言われていたが、アテンドする人間が我々しかいなかったために、プーマもワイナピチュに付いて来ちゃうのだった。
バスに揺られて九十九折の道を行くこと30分、昨日も来たマチュピチュ入口に到着。
昨日の夕方のマチュピチュも素晴らしかったが、朝のマチュピチュも格別である。
ちょっと雲がかっていて幻想的で、「天空の城ラピュタ」の風景そのものだ。
思わず「あの曲」を口ずさんでしまう。
マチュピチュの背後に聳え立つワイナピチュにはまだ雲がかかっている。
「昨日の朝は雨が降ってたんだ。君らはラッキーだよ」
乾季と言えども、朝の天気は安定しないらしい。本日は快晴で、朝だというのにすでに暑い。 -
ワイナピチュは鋭く尖った山で、遠くから見るとロッククライミングでもしないと登れないように見える。
実際には、入山制限があるとは言え、多くの観光客が訪れるのでちゃんと登山道が整備されている。
しかしここは毎年滑落事故があることでも有名なのだった。
入山してほどなくすると、急勾配の登り坂になった。
今後頂上までずーーっと登り坂だと思うと辛い。
途中でたくさんの人が立ち止って休憩している。
遥か先に思える頂上だが、実は案外近く、50分くらいで着いてしまった。 -
頂上の岩にはたくさんの人が集まっていた。
下にマチュピチュ遺跡全景が見える。
マチュピチュ遺跡はコンドルの形をしているらしく、プーマが説明してくれる。
「コンドルか」と聞かれればそうとも言えるし、そうでないとも言える。
雲もすっかり晴れて、吹き抜ける風が気持ちいい。
昨日まであまり日本人を見かけなかったのに、ここにはたくさんの日本人がいる。
特に「関西のオバチャン」はワイナピチュに多く生息しているようだ。 -
ワイナピチュは、登山より下山の方が滑落しそうで怖い。
急な階段状の石から足を滑らせたら、一気にマチュピチュ遺跡まで飛んで行ってしまいそうだ。
関西のオバチャンは、ものすごくゆーーっくり階段を下りる。
「あんたなぁ、昨日もいたなぁ。あんたのことガイドやと思っとったわぁ」
玉右衛門が絡まれていた。
「あんたたちガイド付けてるんやね。すごいわぁ」
何がすごいのか良くわからないが、関西のオバチャンはやたら感心している。
道が緩やかな下りに入ると、私と玉右衛門は急激にハイペースになった。
「下り最速」を自称する2人は、再びプーマに挑もうとしたのだった。
王子は太めのため、膝への衝撃がかかる下りはむしろ不得手。
ハラちゃんはみんなの分の水まで背負っていたため、ペースを上げたのは2人だけだったのだ。
しかし、我々の殺気を感じたプーマはあっという間に見えなくなってしまった。
やはり体の作りからして違うようだ。
我々はあっさりあきらめ、ハラちゃんの水分を待つのだった。 -
マチュピチュに下りると、ここにもやはり「関西のオバチャン及びオジチャン」が大量生息していた。
日本語ガイドをつけた大団体だ。
このオジチャンオバチャンはともかくとして、個人旅行っぽい日本の若者は、実に流暢な英語またはスペイン語を話す。
一見普通のヒトなのに、英語やスペイン語を一言でも話すと、我々とは明らかに発音が違うのだ。
結果的に英語プライベートガイドを付けてしまったTOEIC400点以下3名は恐縮する。
2時間ほどかけてプーマに遺跡内を説明してもらい、自由時間になった。 -
遺跡内は広い。
まだ行っていないところを散策してみよう、と歩き出すも、気付くと先ほどプーマに案内したもらった場所だったりする。
プーマは意外にもきちんと仕事をしていて、きちんとほぼ全ての場所を要領よく案内してくれたようなのだった。 -
遺跡内には、リャマがいっぱいいる、と聞いていた。
しかし、実際に見てみるとどうもリャマの数が少ない。
見渡しても1グループいるだけで、10頭くらいしか見当たらない。
一説によると、増えすぎたため減らされたのだとか。だとしたら減らしすぎではないだろうか。
リャマは、人間に関わりなくずーっと草を食べている。
触っても何しても基本的には動じず、たまに「あのさぁ、邪魔なんだよね」という風に体を動かすだけだ。
ただ、我々は1つだけ弱点を見つけた。それはお腹だ。
お腹を触ると、リャマは途端に跳ねて逃げてしまう。
リャマとも触れ合って満足した我々は、帰路についた。 -
帰りはマチュピチュ駅を16:43に出発するエクスペディション号。
ハラちゃんの情報では「最上級クラス」とのことだったが、どうも車内が暗いし、席も固い。
後から調べたら、これこそ「バックパッカー」と呼ばれる一番安い列車だったのだ。
車内では軽食も出なかったし、むろん帽子(46ドル)も売りに来なかった。
それでも寝るには十分で、我々は深い眠りについたのだった。 -
クスコのホテルに着いたのは21:00を過ぎていた。
今日からまた、この「タイピカラホテルクスコ」に3泊する予定だ。
改めてチェックインすると、初日とは違う部屋に通された。
連泊特典なのか、通常ベッド1、キングベッド1の部屋と、通常ベッド2、クイーンベッド1の部屋の豪華部屋だった。
帽子(46ドル)を買い、みんなの分の水を持ち歩いたハラちゃんは堂々のキングに認められた。
時間も時間なので、ホテルのレストランで夕食になった。
軽く、という教訓のもと、1人1品スープやサンドイッチ等を頼んだ。
私はトマトクリームスープを頼んだのだが、これがやたらしょっぱい。
クリーム感が感じられず、「トマトジュースにキツイ塩味ととろみをつけた」ような味だ。
サンドイッチの付け合せのフライドポテトに付けるとちょうどいい。
人数分のパンが付いてくるのだが、どれも乾燥気味なのがここの流儀であるらしかった。
味わいは「かにぱん」に似ていて、それなりにおいしい。
デザートの時間が近づくと、おもむろにウエイターがビニール袋を下げて戻ってきた。
ビニール袋からは、我々が頼んだ「バニラアイス」が透けて見えるのだった。
ペルーで何度かアイスやデザートを食べたが、大抵のものにチョコソースが掛かっている。
このチョコソースはかなり濃厚なのだが、柑橘系のシャーベットにも掛かっていた。
フルーツもはちみつを掛けて出すのが一般的で、「甘いものは甘く」という方針のようだ。
ちなみに、チーズも良く出てくるのだが、少しゴーダっぽいようなクセがある。
塊のものも、粉チーズも、ピザのチーズも全てこの味がした。
ピザのメニューには「モッツァレラ」と表記してあったが、日本の一般的なモッツァレラチーズとはちょっと違うようだ。
糸は引かずにあっさりと切れる。
明日は、この旅始まって以来の終日自由行動だ。
高地トレーニングも積み、高山病の恐れもなくなった我々は、少し余裕が出て眠りにつくのだった。
→(5)に続く
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