2013/04/28 - 2013/04/28
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Nanaさん
2013年GW、南米ペルーまではるばる旅立ってしまいました。
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朝5:00。回復した王子と荷物をパッキングをしていると、ドアをノックする音がした。
開けると、真っ青な顔をした玉右衛門が倒れこむように入ってきた。
深夜2:00、バファリンが切れて猛烈な頭痛に襲われたのだった。
予備のバファリンを持っていなかったため、どうしようもなく、朝には嘔吐までしたというのだ。
ハラちゃんも若干体調が悪そうだ。
とりあえず、ホテルをチェックアウトして朝食を取っていると、メリッサがちゃんと5:30に現れた。
玉右衛門の様子を見てびっくりし、
「彼にトレッキングは無理だと思うわ。そのまま列車に置いていきなさい」
と、なぜか英語で何度も言うのだった。 -
マチュピチュへは、クスコからペルーレイルという観光列車に乗っていく。
通常ならば、クスコから車で約20分の「ポロイ駅」から乗れるのだが、なんとこの前の雨季で土砂崩れが発生したのだという。
そのため、いったんクスコ市内の「ワンチャック駅」まで車で行き、その後ペルーレイル社のバスに乗り換えて1時間、「パチャール駅」にてペルーレイルに乗車、約1時間半でトレッキングの起点となる「104キロ地点」に到着する。
この「104キロ地点」で、プーマと落ち合う予定になっている。
我々のバックパックは、本日のトレッキング関係のものと、1泊分の用意ですでに満杯だった。
メリッサは、さらに「今日のお弁当よ」と言ってティッシュ箱程度のランチボックスを手渡してきた。
それをぎゅうぎゅうに押し込んでいると、メリッサはあろうことか「今日の朝ごはんよ」と言って、かなり重い布袋を手渡してくるのだった。
お弁当も朝ごはんも、ガイド分まで含まれていて相当の量だ。
高山病の玉右衛門、ぎゅうぎゅうのバックパック、さらに5名分の朝ごはん(ビニール袋(大)2つ分)を抱え、我々は呆然とした。
呆然としたまま、押し込まれるようにしてペルーレイル社のバスに乗り込んだのだった。
マチュピチュは「空中都市」と言われているため、列車で上まで登っていくのかと思いきや、意外にもクスコよりも標高が低い。
そのため、どちらかと言うと降りていくイメージになる。
マチュピチュまで「降りる」ことで、高山病が治る人もいるという。 -
バス1時間を乗り越え、パチャール駅に降り立つと、玉右衛門の顔色がだいぶ復活していた。
続々と観光客を乗せたバスがパチャール駅にやってくる。
「104キロ地点」は、何か駅があるわけでもなく、ホントーに単なる地点のようだった。
通常ならば通過するのだが、降りたい人がいる場合だけ特別に止まるという。
乗車する際、係員に「104キロ地点で降ろしてください」という紙を手渡した。
係員は何度も紙を確認し、「君たちは104キロ地点で降りたいのか」と言い、隣の係員とひそひそ話し始める。
車内で座っているとまたまた係員がやってきて、「104キロ地点で降りたいというのは君たちか」と言う。
そうだ、と伝えると、別の係員に耳打ちし、さらにまた別の係員がやってきて、「104キロ地点では私が呼びに来る」と言う。
何だかオオゴトになってしまった。 -
アンデスの雄大な景色を縫って、ペルーレイル「ビスタドーム」はゆっくりと進んでいく。
遠くの山脈や近くの畑、ところどころに民家も見える。
ビスタドームはいいクラスの列車で、座席も申し分ない上に、車内で朝食とドリンクのサービスがある。
それなのに、我々はメリッサからの朝食をまず消費しなくてはならなかった。
重い布袋を紐解くと、ミニパン5個(なぜかかさばるパッカシ開くパック入り)、サラダ大1パック、水1本、バナナ1本、リンゴ1個が入っていた。
ホテルでも朝食食べたのに、と渋々食べていると、出ました。ペルーレイルの朝食が。
プレートにフルーツやパンが盛り合わせてある。
「いくら食わせりゃいいんだッ!!」
むしろ怒りが込み上げてくる。
「だから朝食いらないって言ったでしょッ!!」
実際には心の中で思っただけである。
こうして怒りの朝食を済ませた我々は、無事104キロ地点でアナウンスしてもらえたのだった。 -
104キロ地点で降りたのは我々だけだった。
我々が申告しなかったら、この地点はスルーだったわけだ。危ない危ない。
走り出す列車の車窓から、欧米の観光客が手を振って応援してくれた。
あの人たちは乗っていればマチュピチュに着くのに、我々はわざわざ降りてわざわざ歩いて行くのだ。
メリッサに「絶対無理」と言われていた玉右衛門も104キロ地点で下車した。
プーマと合流し、午前9:30、我々の6時間トレッキングがついに始まったのである。 -
最初に、ペルーレイルに沿って流れていたウルバンバ川を吊り橋で渡り、インカ古道に入る。
本格的な人は、列車に乗らずに3泊4日掛けてこの道をひたすら歩くそうだ。
今日も快晴で日差しが強烈だ。歩き始めてすぐに汗だくになる。
プーマは半袖ハーパンサングラス、バックパックに登山用ストックで軽快に歩いて行く。
マチュピチュまで「降りる」はずだったのに、最初はかなりの登り道だ。
体力の落ち始めた30代は、息も絶え絶えに付いて行った。
我々の先頭を歩くハラちゃんの頭上には、ペルーレイルの帽子が燦然と輝いている。
ハラちゃんは行きの車内に帽子を忘れ、ペルーレイル内で急遽新しい帽子を購入したのだった。
なんとこの帽子は46ドルもする。
現地の帽子売りの値段が3ドル程度のことを考えれば破格の値段だ。
帽子売りのおばちゃんは、ハラちゃんの座席の反対側にしか来なかったので、これしか買えなかったのだ。 -
登りがひと段落すると、山肌のトラバースになった。
周りには色とりどりの花が咲き、草原の中の一本道を歩いているようだ。
先ほどの登りは、ふとすると群馬あたりを歩いているような錯覚に陥るが、ここは間違いなくアンデスの山中だ。
ハラちゃんはなぜか軽快に歩いている。帽子(46ドル)のおかげに違いない。
約3時間ほど歩いて、「ウイニャワイニャ遺跡」に到着。
ここで昼食を取る。 -
ウイニャワイニャ遺跡は段々畑になっていて、我々が到着したのは一番下のところだ。
プーマは一番上まで登って昼食にするという。
遥か上の段を呆然と見上げる我々を、ハラちゃん(46ドル)が先導する。 -
這いつくばるようにして登った我々が見たのは、遥か彼方まで続く山々と見事な遺跡。
もう何も言うことはない。 -
段々畑の1つに腰掛けてランチボックスを紐解くと、なんと!! 中身は我々日本人が欲していた「おにぎり弁当」だった。
中にはおにぎり3種(梅・マス・鶏炊き込みご飯)、海苔、唐揚げ、浅漬けが入っていた。
どうせまたパンだろう、と思っていた4人は感動しておにぎりを頬張った。
「これは今まで食べたご飯の中で一番うまい!!」
と、すっかり回復した玉右衛門が叫んだ。まさにその通りなのであった。 -
それにしても蚊がすごい。
トレッキングの昼食ポイントであるにも関わらず、ウイニャワイニャ遺跡には人影がまばらだ。
我々が座っている場所にも蚊が充満していて、ほとんど肌を出していないのにどんどん刺してくる。
タイツの上から刺されると相当痛い。
この蚊は容赦ない上に、刺された箇所が赤く膨れ上がり、数日間痒みが治まらず、後々まで苦しめられた。
しかし、後から考えれば蚊がいたのはこのポイントだけであった。
確かに風景は申し分なかったのだが、遺跡内に蚊がいないポイントもあったのに、と思った。
プーマは露出度が高かったのでかなり刺されていたが、あまり気にする風もない。
現地の人間にとっては、この蚊も大したことないのかもしれなかった。 -
昼食場所を過ぎると、途端に日陰で見通しの悪い道になった。
「帰り道」という趣がぴったりであり、道も緩やかな下りだ。
プーマは、昼食場所後すぐのチェックポイントで「すぐに追いつくから先に行ってろ」と言って何やら係員と話している。
お弁当と日陰と下り道で元気になった我々は、プーマを巻いてやろうと急に早足で歩き出した。
現金なもので、景色が見えなくなると急に群馬感覚が戻ってきて、どんどん歩ける。
さっきまで気にしていた高山病もまったく気にならなくなった。
どんどん歩いたが、プーマはまだ追って来ない。
ここまで来ればだいじょうぶ、と思った矢先、遠くからプーマがものすごい速さで迫ってきた。
と、あっという間に追い越されて姿が見えなくなった。
どうやら我々は、プーマを本気にさせてしまったようだ。
また追いついてやろうと足を速めたが、下りで膝にかかる衝撃は半端なく、軟骨とかそういうものに敏感な年齢の我々は大人しくスピードダウンしたのだった。 -
午後は早く、15:00頃にマチュピチュ入口である「太陽の門」下に到着した。
「ここからは五感を研ぎ澄まして、ようく見るんだ」
プーマが言う。
階段を上り、太陽の門に到着すると・・・ -
目の前には、あの、写真で見たマチュピチュの景色が広がっているのだった。
6時間かけて歩いた我々に、最高のご褒美だった。
プーマは太陽の門に腰掛けて、拳を突き出して「やったね」と言ってくる。夕暮れ時の、なかなか画になる光景だ。 -
太陽の門から、マチュピチュに向けて歩き出すと、途中に祭壇のような遺跡があった。
プーマは、この遺跡について、今までになく熱く語り出した。
遺跡は3段になっていて、上から「コンドル・プーマ・蛇」を表すのだという。
この3段遺跡は、マチュピチュ内にも大量に見られ、インカのスピリチュアルなものなのだ。
プーマの説明は長く、我々は「オーイエー」「アハーン」等で対応していたのだが、英語力の限界でそれ以上は汲み取れなかった。
我々が神妙な顔でうなずいているときはあまり意味がわかっていない。
逆に「オー、スネーク」と復唱したり、誰も聞いてないのに「あ、上からそういうことか」と日本語訳を独りつぶやく場合はわかったときだ。 -
夕暮れのマチュピチュ・・・
17時に遺跡が閉まってしまうため、この時間には既に人が少ない。
「普段ならばここは観光客でいっぱいになるんだ。この時間に来れた君たちはラッキーだよ」
たしかに、慌ただしい日中を終えて、のんびりした夕刻の雰囲気が何とも言えず美しい。
ここではみーんなのんびりしている。
観光客も歩くのを止めて寝そべり、リャマもお腹いっぱいだけどいちおう、といった感じで草を食む。
我々も思わずのーんびりし、バスに乗って宿に着いたのは17:00頃だった。
→(4)に続く
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