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新御堂筋の北つきあたりの付近、国道171と交わる萱野の交差点を左折すると、萱野三平旧邸の看板が。<br /><br />そういえば、あることは知っていても寄ることはありませんでした。<br /><br />ちょうどカメラも持ってきたし、ちょっと立ち寄ってみることに。<br /><br />萱野三平旧邸、月曜日と年末年始が休館ということで、この日は開いていました。<br /><br />【写真は、萱野三平旧邸の入り口です。】

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2013/07/14 - 2013/07/14

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のーとくん

のーとくんさん

新御堂筋の北つきあたりの付近、国道171と交わる萱野の交差点を左折すると、萱野三平旧邸の看板が。

そういえば、あることは知っていても寄ることはありませんでした。

ちょうどカメラも持ってきたし、ちょっと立ち寄ってみることに。

萱野三平旧邸、月曜日と年末年始が休館ということで、この日は開いていました。

【写真は、萱野三平旧邸の入り口です。】

交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 萱野三平旧邸の長屋門です。<br />国道171から一本南の筋である、西国街道に面しています。

    萱野三平旧邸の長屋門です。
    国道171から一本南の筋である、西国街道に面しています。

  • 入り口には、涓泉邸(けんせんてい)の文字が。<br />涓泉(けんせん)は、萱野三平の俳号で、涓泉邸は、萱野三平記念館(管理棟)の名前です。

    入り口には、涓泉邸(けんせんてい)の文字が。
    涓泉(けんせん)は、萱野三平の俳号で、涓泉邸は、萱野三平記念館(管理棟)の名前です。

  • 長屋門です。<br />元禄14年、浅野内匠頭が江戸城の松の廊下で刃傷におよんだとき、江戸の赤穂藩神屋敷にいた三平は、事件を赤穂に知らせる使者として、早駕籠で昼夜の区別無く早がけしました。<br />そのとき、この家の前の西国街道を通るのですが、偶然にも母親の葬式のときで、それにもかまわず通り過ぎたとのことです。<br />

    長屋門です。
    元禄14年、浅野内匠頭が江戸城の松の廊下で刃傷におよんだとき、江戸の赤穂藩神屋敷にいた三平は、事件を赤穂に知らせる使者として、早駕籠で昼夜の区別無く早がけしました。
    そのとき、この家の前の西国街道を通るのですが、偶然にも母親の葬式のときで、それにもかまわず通り過ぎたとのことです。

  • 長屋門の、西側の間です。<br />萱野三平が切腹した部屋です。<br />あだ討ちのため、江戸に下ろうとする三平を、父重利が恩義のある大嶋家に迷惑が及ぶことを懸念して、許しませんでした。<br />主君への忠義と、父への孝行の板ばさみになった三平は、元禄15年(1702)1月14日ここで自刃し、27歳の生涯を閉じました。

    長屋門の、西側の間です。
    萱野三平が切腹した部屋です。
    あだ討ちのため、江戸に下ろうとする三平を、父重利が恩義のある大嶋家に迷惑が及ぶことを懸念して、許しませんでした。
    主君への忠義と、父への孝行の板ばさみになった三平は、元禄15年(1702)1月14日ここで自刃し、27歳の生涯を閉じました。

  • 萱野三平辞世の句の碑です。<br />「晴れゆくや日ごろ心の花曇り」

    萱野三平辞世の句の碑です。
    「晴れゆくや日ごろ心の花曇り」

  • 辞世の句碑の上には、柿の木が。

    辞世の句碑の上には、柿の木が。

  • 長屋門の、門にあたるところです。<br />この説明書きには、三平の切腹のしらせは、ばらばらになりかけた同士を大石内蔵助を中心にまとめる、大きな役目をはたしたとしてあります。<br />曰く「三平の死は、ゆれうごく同士の心の結束への捨石となり、実に後世に「忠臣蔵」としてその実を結ぶための悲しい先花でありました。

    長屋門の、門にあたるところです。
    この説明書きには、三平の切腹のしらせは、ばらばらになりかけた同士を大石内蔵助を中心にまとめる、大きな役目をはたしたとしてあります。
    曰く「三平の死は、ゆれうごく同士の心の結束への捨石となり、実に後世に「忠臣蔵」としてその実を結ぶための悲しい先花でありました。

  • 長屋門、別角度からです。

    長屋門、別角度からです。

  • 左の方に、切腹した部屋があります。

    左の方に、切腹した部屋があります。

  • 管理棟(涓泉邸)に入ります。<br />中には、萱野三平記念館の模型があります。

    管理棟(涓泉邸)に入ります。
    中には、萱野三平記念館の模型があります。

  • 萱野三平が仕官していた、赤穂藩は、藩主浅野内匠頭が風流を好み、俳諧にも堪能で、義士の多くが俳人として活躍していました。<br />特に、江戸俳諧の水間沾徳門下の大高源五(子葉)、神埼輿五郎(竹平)、萱野三平(涓泉)の伎倆は、広く認められていたそうです。<br />右は、萱野三平の辞世の句、左は、大高源五がここに萱野三平を訪ね、勝尾寺などに行った後、俳人の水田西吟を訪ね、詠んだ句と云われています。<br />「裏枯れや餅にとどまるさくら塚」

    萱野三平が仕官していた、赤穂藩は、藩主浅野内匠頭が風流を好み、俳諧にも堪能で、義士の多くが俳人として活躍していました。
    特に、江戸俳諧の水間沾徳門下の大高源五(子葉)、神埼輿五郎(竹平)、萱野三平(涓泉)の伎倆は、広く認められていたそうです。
    右は、萱野三平の辞世の句、左は、大高源五がここに萱野三平を訪ね、勝尾寺などに行った後、俳人の水田西吟を訪ね、詠んだ句と云われています。
    「裏枯れや餅にとどまるさくら塚」

  • 萱野三平の直筆です。

    萱野三平の直筆です。

  • 管理棟(涓泉邸)からでると、正面は長屋門です。

    管理棟(涓泉邸)からでると、正面は長屋門です。

  • 管理棟(涓泉邸)の奥の方です。<br />俳句会や茶会、歴史学習会に利用できる和室(8畳)があります。<br />使用量無料で、予約要です。

    管理棟(涓泉邸)の奥の方です。
    俳句会や茶会、歴史学習会に利用できる和室(8畳)があります。
    使用量無料で、予約要です。

  • 管理棟(涓泉邸)の入り口です。

    管理棟(涓泉邸)の入り口です。

  • もう一度、長屋門のほうへ来てみました。

    もう一度、長屋門のほうへ来てみました。

  • 駐車場から、長屋門のほうを見ています。

    駐車場から、長屋門のほうを見ています。

  • つぎにマダムシンコ箕面本店に寄りました。

    つぎにマダムシンコ箕面本店に寄りました。

  • 店内で、ケーキセットを注文しました。

    店内で、ケーキセットを注文しました。

  • 床は、総豹がらです。

    床は、総豹がらです。

  • 飲み物は、アメリカンにしました。

    飲み物は、アメリカンにしました。

  • ケーキは、四種類から選べます。<br />美味しいケーキです。<br /><br />(おしまい)

    ケーキは、四種類から選べます。
    美味しいケーキです。

    (おしまい)

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