2012/12/18 - 2012/12/18
287位(同エリア419件中)
滝山氏照さん
京浜急行空港線穴守稲荷駅下車、穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ)は江戸時代文化文政の頃、鈴木新田(現在の羽田空港内)開発の際の堤防に穴が生じて開発が進まず、穴を守るため稲荷神社を祀ったことに由来しています。
尚昭和20年には空港拡張のため空港内から現在の場所に移転することになります。
2022年8月30日追記
当該社について下記の通り社史として紹介されています。
『 社 史
社殿に云う。文化文政の頃 鈴木新田(現 羽田空港内)開墾の際、沿岸の堤防しばしば激浪のために害を被りたり。或時堤防の腹部に大穴を生じ、これより海水侵入せんとす。
ここに於て村民等相計り堤上に一祠を勧請し、祀る処稲荷大神を以てす。
これ実に当社の草創なり。じ来神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく五穀豊穣す。その穴守りを称するは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」という心なり。
明治18年公衆参拝の許を得、翌年11月に「穴守稲荷神社」の御社号官許せられてより殊に隆昌し、京浜電鉄による参詣鉄道「穴守線(現 空港線)」の開通、鉱泉発掘や海水浴場・競馬場など聖俗叫いて殷賑を極むる。参拝の大衆日夜多く境内踵を接する如く、またその景趣は東国一と讃えられ崇敬者は国内は固より遠く外地にも及べり。社前には数多の鳥居が奉納され(記録に拠れば四万六千七百九十七基)、その鳥居の下に入れば雨にも濡れぬと言わしめた。
然れど昭和20年8月終戦にのぞみ未曾有の紛?の中、連合国軍による羽田空港拡張の為従来の鎮座地(現在のB滑走路南端付近)より48時間以内の強制退去を命ぜられる。
而して未だ戦禍の後も癒えぬ昭和22年、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建。翌年2月、現在地(大田区羽田5丁目2番)に遷座せり。
じ来崇敬者各位の協力により、社殿・神楽殿・社務所等を復興し、令和2年春には目出度くも奥之宮・稲荷山を竣工。漸次昔日の面影を取り戻しつつある次第なり。』
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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