2013/12/13 - 2013/12/13
225位(同エリア418件中)
ムッシュさん
日本橋から出発だと、逆コースになりますが。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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京急川崎駅を出て、一つ先の交差点に立つと、そこが旧東海道です。
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旧東海道沿いに建つ砂子資料館の白壁
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宗三寺
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田中本陣と休憩所があったところ。
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先に小さく見えるのは、多摩川に架かる六郷橋
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六郷橋
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端の欄干に、かつての渡し船の碑が載っています。
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止め神社
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六郷神社
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雑色の商店街
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夫婦橋
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梅屋敷駅前商店街
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王森神社。大森地区に有りますが、名称は”大森”ではなく”王森”となっている。
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磐井神社
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大森海岸駅前
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鈴が森刑場跡遺跡
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髭題目の碑
歌舞伎でも御馴染みの「南無妙法蓮華経」と書かれた髭(ひげ)題目の碑。処刑者の供養のため、元禄11年(1698年)、池上本門寺の貫主(かんじゅ)日凱(にちがい)が建てたものである。
歌舞伎の舞台(鈴ヶ森)では、この碑が大きく舞台中央に建てられ、幡隋院長兵衛が白井権八(実名平井権八)に「お若いの、待たっせえやし」と声をかける所である。
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磔に供する柱を立てる穴。火焔台。これを見ると、何だか磔の姿がイメージ出来て、少し現実的な気分になる。柱の穴は意外と小さい。
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磔台の説明は「丸橋忠哉を初め罪人がこの台の上で処刑された。真中の穴に丈余の角柱が立てられ、その上部に縛りつけて刺殺した」とある。
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泪橋が架かる浜川
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こちらが現代の泪橋。こちらの橋で、受刑者と身内が涙を流して別れた橋。
その後、受刑者は鈴が森刑場へ行き、露と消えた。 -
南品川の商店街
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品川には、土佐の藩邸があり、坂本竜馬も出入りしていたので、公園にはそれに因んで、坂本竜馬の銅像もあり。
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ここは目黒川に架けられた品川橋。この橋は旧東海道の北品川宿と南品川宿の間にあった境橋とも呼ばれてた。また行合橋や中の橋とも呼ばれ、昔は木の橋だったんだけど、そして今は鉄の橋です。
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荏原神社の正面鳥居
*荏原神社は、品川宿の龍神さまとして、源氏、上杉、徳川等多くの武家の信仰を受けていたとのこと -
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荏原神社の碑
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品海公園。 本来なら一里塚のあったあたり。「日本橋より2里」との道標。この品海公園の横の海に通じる坂道が江戸時代の護岸用の石垣の名残が残されているところだ。
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「問答河岸跡碑」
三代将軍家光が東海寺の沢庵和尚に「海近くして東海寺(遠海)とはこれいかに」。すると、沢庵和尚すかさず「大軍を率いていても将軍(小軍)と言うが如し」と言った。という問答をした場所。
寛永の昔、徳川三代家光将軍、勇壮活達の明君也。宗彭沢庵禅師に帰依して品川に萬松山東海寺を建つ。寺域五萬坪寺領五百石。殿閣僧坊相連つて輪・美を極む。・・・将軍一日天地丸に座乗し品海を渡り目黒河口に繋船して東海寺に詣し、喫茶法話薄暮に至って江戸城に還らんとす。禅師河畔に立って是を送る。将軍乗船に臨んで禅師に問して曰ク海近くして如何が是れ東海寺と。禅師答而曰ク大軍を指揮して将軍と言が如しと。将軍一笑。_を解いて而て還る。時移りて三百年地勢・変し河海遠し。然れ共市人傳えて問答河岸と称す。一世の英主一代の名僧諧譫談笑の蹟。菊鮨總本店主其煙滅を惜み石に録して永に芳を傳えんとす。亦可しからすや。 -
京浜急行の電車が来ました。
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八山橋の踏切。京浜急行線です
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JR品川駅前
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